薄氷のような 作:スパイシー片栗粉
分かってた、あの人はそういう人だって。
浮気性ですぐ鼻の下伸ばすしくだらない事でゲラゲラ笑うし、昼夜逆転してるし人から貰うお金で生活してるような人。
そんな人なのに、なんで本気で好きになったりなんかしちゃったんだろ。
「これがVRねぇ……」
両手で掲げた無機質なゴーグルに目をやる。
親友に数年にわたって激推しされ続けて、遂に折れた私は貯金のありったけを叩いてこの被り物を買ってしまったのだ。
元々VRに興味がなかったのか?と問われるとそうでは無い、が……そこまで渇望していた訳でもない私にこの5万を超える出費は余りに痛かった。
「これで酔うとか面白くないとか問題があったら速攻売りさばいてから
ちなみに結鶴とは私の親友である。もうかれこれ10年近く同じ時を過ごしている腐れ縁だ。
初期設定を終え適当にヘッドバンドを調整した私は、それを被り電源を入れた。
無限?みたいなマークが現れる。おお、凄い!既に立体だ。ちょっとばかし感動を覚えてたりもする。
暗かった画面がパッ、と明るくなる。ちょっとビックリした。
「なんか……アニメとかでよく出てくる高性能ゴーグルみたいな感じ」
非常に面白い。多少歪んでたりもするけど一枚画面を通して現実を覗く感覚は中々他では味わえないものだろう。
これなら付けたまま生活も出来そうだな……と思ったあたりで、なんでカメラが着いているんだろう?と疑問を抱いた。
カメラなんて必要ないはずなのに……と顎に手を添え首を傾げようとして、その違和感が目に入る。
「うわ、なんだこれ」
手の輪郭をなぞる形で半透明な立体が現れているのだ。
なんだかおかしく思って、意味もなく手を振っては握って開いてを繰り返す。
あぁクソ、もう買ってよかったと思ってる。結鶴にケンカ売らなきゃなのに……
と、若干の悔しさを覚えたその時だった。
『ヘイヘイ沙織ちゃん楽しんでるー?今日届いたってことはそろそろ設定とかも終わったでしょ?』
『一緒に遊ぼうぜ!どうせ起動したあたりでもう満足しかけてるだろうし(笑)』
discordにて結鶴からやたらうるさいDMが届いていた。
腹が立つことに図星だった。悔しさが深まった。
『ん、これで色んな設定は終わりかな。アバターは……まぁこの最初から無料で使えるムルルちゃんってのを使ってみな〜』
そんなこんなで私は今結鶴と通話をしながらVRを弄っている。
おすすめされたアバターは、なんとも……可愛らしい妖精?だった。
『まぁどうせすぐ誰かに堕ちてメスアバター使い始めるだろうけどね』
「なんてこと言うんだお前、私は結鶴とは違う」
『私が誰かにケツ振ってるメスだとでも?』
「うん」
『
なんだコイツ。
まぁこんな狂人は置いておいて私はさっさと起動してみよう。
真っ青な宇宙、一枚の画像。英語表記での何かしらが浮かび上がって消えていく。
一人称視点だからか、視線を傾ける度揺れる何かが視界に入る。
かわいい。
『開けたやんね?』
「……うん。なんか、凄いね。でもなんかよくわから───」
言いかけている最中。
更新が入ったかと思うと、私は二次元の異空間へと一瞬で取り込まれた。
「……なにこれ。なにこれ……なにこれ……!凄い!凄い凄い!ヤバい!え、なにこれ!?アニメのなかに居るみたいな……っヤバい!」
『ははははは。この賭けは私の勝ちだったようだな。凄いでしょ?VR』
「やばいよ、VR……!!!」
興奮を抑えきれぬままぐるぐると辺りを見渡す。
夢のような世界。
非現実的現実。
揺れるような淡い空想とどうしようもなく抑えきれない理想と幻想。
『ワールドにも色々設定があったりしてね。その辺はまた覚えていくとして今は私の……って、聞こえてないか』
虫がうるさい。
『で、落ち着きまして?』
「はい……ごめんなさい……」
あれからかれこれ15分ほど騒ぎ続けただろうか。
そろそろ操作にも慣れてきてある程度ならブラインド*1で操作できるようになった。
バカ騒ぎしながら触ってたせいで今通話中のコイツの鼓膜を一度破壊してしまったほどだ。
でもしょうがない、だって楽しいから……
『はぁ……やれさて。正直ここまで騒がれると流石にたるかったんでもうちょっと段階踏んでからやろうと思ってたことをもう今日やっちゃいます』
「う、ごめ……いやなんからそれはおかしくないかな?」
『そうかな?』
「明らかおかしいでしょ、それで私がトラウマなったりしたらどうすんの」
『暫くソロ専でもやってればー』
「はぁ?何その……待って、今ソロって……」
『うん』
『私の愉快な友人達に会ってもらうよ。今』
「馬鹿なのかな君は」
やはりコイツはダメかもしれない。
言われるがままに操作を暫くし続けかれこれ五分ほど。
私達はどこか、不思議なワールドへ入っていた。
『これはまぁ……部屋?みたいな。特になにかすることがある訳では無いよ』
「はぇー……」
そんなやり取りをぼーっと繰り返していた時。
『───あれ、柚子っこじゃん。今日来るって言ってたっけ』
『なんですか、別に言ってなくたっていいでしょ……ごしゅっ……くず餅さん』
唐突に鼓膜に飛び込む男性の声。
わけのわからない事象に私は軽いパニックを起こしていた。
あと結鶴がしおらしいのも意味わからん。ご主人って言いかけただろお前。そういうプレイかよ。イカレ野郎が。
「ちょっ、ユズ……!?これなんで、プラベじゃ!?」
『だから言ったでしょ?友人に会ってもらうってさぁ!あ、くず餅さん。この子はリア友の
『……いや、リア友VRCに連れ込むのイカつない……?』
あ、まともな人なの?どっちなの?
『ははは、まぁいいじゃないですか。この子VR着けた辺りで満足してやめそうになってたんでちょっとこう、無理やりね?』
『えぇ……人それぞれのペースもあるんだし暫く楽しませてあげたら良かったのに。あ、サシャさんよろしくね〜』
『まぁまぁまぁまぁ、気にせずに気にせずに。ほらサシャ返事』
「えっあっ、フツツカ者ですが……?」
知らんって。知らん男の人に急に話しかけられてもテンパるだけだって。
『最速お砂糖成立であついねぇごす』
『いやいやどう見たってテンパってるだけでしょ。よろしくね。あ、今日は爆柴さんもアホもりゅーも来ないって』
『えぇ?タイミング悪いな……あとの人は分かります?』
『ちょっと分かんないなぁ』
なんだこれ。意味わからん会話が繰り広げられている。
でもなんか……この人がいい人なのは分かった。
少なくとも、この唐突に子を深すぎる渓谷に突き落とす害獣よりは。
「へぇ、VRChatではそんな専門用語?があるんですねぇ」
騙し討ちのような形で結鶴のせいで声を晒してしまった私はもう吹っ切れて普通に会話してた。
今は専門用語について色々教えて貰ってるとこだ。
『そーそー。そんで俺もあんま褒められたことじゃないんだけど、タトウルイっつってねぇ』
「今までの感じからして想像するに多いに糖類ですかね?どんな意味なんです?とっかえひっかえしてるとか?」
『そこまで酷くないよぉ……今五股かな、してるだけ』
「常軌を逸したやばい人だった」
会話はとんとん拍子に進んでいって、もはや数十分する頃には完全に打ち解けていた。
彼は会話の提供が物凄く上手なのだ。
気まずい空気を作らない。無限に話題を見つける、そして話を広げていってさらに楽しむ。
私自身も「こりゃ確かにモテるわけだわ」と感じてしまったほどだ。
……それと、突っ込まないようにしていたのだが……
この人のアバター、めちゃくちゃ女の子なのだ。
LGBTQてきなあれがそれ?私は深くは考えないことにした。
このゲームを初めてからもう、早一ヶ月経とうとしていた。
時の流れとは恐ろしいものである。
無機質なゴーグルを被り、電源を入れる。
辛い現実にさようなら、楽しい幻想こんにちは。
もうどっぷりである。もう毎日ログインしている。
『お?サシャ
『サシャカスじゃん、はよ来いよ。今度こそリベンジしてやる、私とポーカーしろ!』
「くず餅
『賑やかだねぇ……ようサシャ』
「ん。やっほ、りゅー」
もうこのサークル*2のムードにも随分と慣れ親しんだものだ。
軽口を叩きなからいつもの場所に腰を下ろす。
もうこの空間の
その代わりに得たものは莫大な安心感。ここが私の実家だったのかもしれない。
『ん、あー……ちょっと呼ばれちゃったんで別のワールドに一瞬行ってくる。すぐ戻る』
「ん……行ってらっしゃい」
『相変わらずモテモテだねぇ、カスなのに。言動と声はいいからなぁ。カスなのに』
『うるさい駄犬。そう人をカスカス言うもんじゃありません』
『お前もそうは思わんか?アイツ今もらった金だけで生活してんだぞ?』
「うーんこれはしょうがないけどカス」
そう。
私はこの一ヶ月と少しで彼と、ゲーム内の恋人。
情けなくも、私は惚れてしまった。
非常に、凄く腹が立つことだが。
ともあれ、彼は誰に呼ばれていったのだろうか?
縛るつもりじゃなくても気になるのが乙女心*3というものだ。
仲のいい友人なのか、それとも……と、思わんでもない。
ま、あの人のことだ。別のお砂糖にでも呼ばれたんだろう。そして気を使って呼ばれたからと即座に飛んでいったのだ。
少し、モヤッとする。
『ただいま〜』
「おかえり」
『おせーぞ早く席に付け!』
『おつかれさん。いやーモテ男は辛いですね?』
『いや、まぁ……はは』
否定しなかったということはそういうことなのだろう。
それをわかった上で私は彼と付き合ったわけだが……それはそれとしてなんだか凄く癪だ。
「どんな話してたの?」
『んー?ちょっとね。まぁ色々?』
『J◯STだろ』
『黙れ駄犬ちがわい』
色々、ねー。
まぁ、良いんだけれど。
『ひゃっはろーアホ共。お、サシャもおるやん』
「お、ユズ。タイミングいいじゃん、今君のご主人が戻ってきたところだよ」
『マジ?感謝のケツ振りカマすわ』
『ふざけんな』『アホがよ』『しなくて良いってかすんな』「ほんまにキショい」
その日はそのまま、だらだらと喋り続けた。
柴カスがアホなことを抜かして。
私がくだらないレスバふっかけて。
りゅーが適当にVR喫煙とかいう謎行動をカマしてて。
結鶴がゲラゲラ笑ってて。
くず餅さんは相変わらずだった。
このくだらない時間が私にとっては黄金に等しい価値を持ってる。
くだらなくて、無意味で、でも酷く安心できて心地よい。
私の心はもう次元を跨いだ夢に取り残されている。
夜3時、ベッドの上。
そろそろ寝なきゃとログアウトしたところで、なんとなく。
本当に理由など無いけれど。
「……あとちょっとだけ」
暗い世界にさようなら、明るい幻想こんにちは。
本当に理由なんて無かった。
ただ少し、急に惜しく思っただけ。
―――だからこれは、予期せぬ偶然だった。
知ってるアバターが2つに、聞き覚えのある声。
『柚子っこアバター変えたんだね。めっちゃ似合ってて可愛いよ』
『ふふ、ご主人ったら上手だねぇ』
笑ってる。
あの人が、誰かに向かって。
笑ってる。
あの人が、あんなに顔を近くで覗き込んで。
笑ってる。
あの人が。至近距離で、空気が存在すれば息が吹きかかってしまいそうなほど近くで。
「……あー」
口から緩慢な声が零れ落ちる。
頭の中が妙に静かだ。
そりゃまぁ、わかってはいた。
わかってはいた、けれど。
「……なにしてん、こんなとこで。プラベ開き直しなよ」
ピタリ、と二人の動きが止まった。
『あー……』
『サシャ……』
なんで?
なんでそんな、気不味そうな顔するの?
私は、知ってたから。気にしないでいいのに。
私は、知ってたのに。なんでこんな気持ちなんだろ。
「寝る前にちょっと覗きに来ただけだから気にしないで。でもプラベで開き直しておきなよ?私みたいな被害者が出る前にさ」
笑えてると、思う。
多分、いつも通り?ちょっとばかり苦笑する感じで。
『いや、べつにそういうのじゃなくて』
『そーそー、ちょっと話してただけだってばよ』
「うんうん、知ってる知ってる。気にしなくていいってば」
弁解を遮るように間髪いれず喉を震わせ、音を発する。
「そういう人だもんねぇ、くず餅くんは」
一瞬。ほんの一瞬だけ。
世界の時間がここだけ止まってたみたいだった。
でもすぐにどうでも良くなった。
「んじゃ、私は今度こそ本当に落ちるね。ごゆっくり?」
返事は、聞かないことにした。
メニューを開く。
ログアウトボタンにカーソルを合わせ、トリガーを引く。
さようなら、
無機質なゴーグルを外し、ケーブルに繋いでからベッドに倒れ込む。
「……はぁ」
部屋には酷く静謐が響き渡っていた。
「あー。なにやってんだろ私」
無為な言葉が口から滑り出る。
分かってたじゃないか、最初から。
『今五股かな』ってヘラヘラしてたじゃん。
普段の行動からも、甘い言葉吐き捨てて生きてるんだって分かってたじゃん。
「バカじゃん、私」
ベッドに倒れ込む。
胸にぽっかりと空いた空洞が、じわじわと重くなっていく。
苦しいわけじゃない。
悲しいわけじゃない。
痛い、とかって訳でもない。
もっと理由もなく、なんだか嫌で辛いやつ。
「……なんで、あんな顔してたんだろ」
「気不味そうで、困ったみたいな顔。いやまぁ、見えてるわけじゃないけど」
「まるで、悪いことしたみたいに」
「……いや、してはいるか。してるよ。してるよね」
思わず笑いが込み上げる。
乾いた自嘲の笑み。
「してるに決まってるじゃん。場所も憚らずに浮気なんてさ」
分かってたくせに。
『また他責なんだ?』って、見えない自分が語りかける。
気持ちが悪い。
分かってたくせに、それを見ないふりして。
勝手に好きになって。好意を押し付けて。
最低なことに、「ちょっとくらいは特別かも」なんて思ったりして。
「……キショ」
自虐の言葉。少しだけ肺が張るような感覚。息が詰まる。
でも、事実だ。
「変に重いし」
「だるい絡み方するし」
「めんどくさいし」
「こうやってすぐヘラる」
一つ一つ、自分に向かってナイフを突き立てる。
あの人は何も間違ってなんか居なかったし、悪くもない。
最初からそういう人だって明言してた。
隠してるわけじゃなかった。
騙してるわけでもなかった。
「……ぜーんぶ、私が悪いじゃん?」
あの感じ、結鶴もくず餅くんとお砂糖だったのかな?
だろうね。だったら私は親友に対してとんだ横恋慕だ。
スマホに手を伸ばす。通知は来ていない。
当たり前だ。
来る理由が無いから。
「……あー、はは……」
少しだけ、期待してた。
『ごめん』とか。
『さっきのは違くて』とか。
なにか、言うことがあるんじゃないかって。
そう、期待していた自分に一層吐き気が増す。
来るわけ、ないだろ。
「何を期待してんだか」
スマホを放り投げる。
視界の端にあの白いゴーグルが入る。
未練がましく手を伸ばして、やっぱりやめた。
最悪の気分だ。
「―――あー、でも。明日もログインするんだろうな」
分かってる。
やめられない。
やめられるわけがない。
私の恋したあの人が居る場所へ、あの人に会うために。
何もなかったような顔して、どうでもいい話をするために。
「ほんと、バカ」
嗚咽も涙も、ついぞ零れ落ちることは無かった。