薄氷のような 作:スパイシー片栗粉
『ねぇ、柚子っこ』
「んー?」
『サシャちゃん、最近どう?』
「……んぇ?」
思わず間の抜けた声が出た。
通話相手はくず餅こと、ご主人。VRChatを始めてから、もうすっかり聞き慣れてしまった声だ。そして私がいつも尻尾振ってる相手の声でもある。
『いや、なんか最近ちょっと静かじゃない?』
「サシャが?」
『うん。いや、俺の気のせいかもしれんけど』
へぇ。
私は思わず、椅子の背もたれに身体を預けた。まぁこういう観察眼がこいつのこの……これなんだろうと思うと濡れた(意味深)。
『なんかあったん?』
「あったと言えばあったでしょ」
『マジ?俺の知ってること?』
「さぁ。私はご主人の脳内を覗けるわけじゃ無いからねぇ」
嘘ではない。
まぁ私は心当たりがないわけでも無いが。
『そりゃそうだけどさ』
ご主人は、そう言って笑った。
相変わらずの声だった。
誰にでも優しくて、誰にでも距離が近くて、誰にでも同じように笑いかける。
そういう人だって私は知っている。サシャだって知っている。
知っていて好きになった。いや、知っていたからといって、それが好きにならない理由にはならないのかもしれない。
「……あー、そういやさ」
『ん?』
「サシャって割と乙女だからね?」
『えぇ? 何それぇ』
「いや、なんか」
なんか、なんだ。
自分でこんなこと言っておいて、この複雑な心持ちを言葉に興せる気はしなかった。
『俺、なんかしたっけ?』
「知らないよ、自分の胸に手を当てて考えてみなよ」
『俺、胸ないんだけど』
「アバターの話じゃねぇよ中身の話だよ。てかどこから仕入れてきたのその謎アバター」
『あはははは。BOOTH』
「あ、そすか」
笑うな。
こっちは真面目に聞いているのだ。
……いや、真面目に聞いてどうするって話ではあるけど。
「ま、いいや。なんかあったら言ってね」
『んー? 柚子っこ、もしかして俺のこと心配してくれてる?』
「ご主人のが心配じゃないよ。サシャの話だよ」
『えー、ひど。心配してくれないの?』
「宣言してたり忠告してたりはするけど事実やってるのは六股であることには変わらないわけで」
『事実だけどさぁ!』
馬鹿みたいに笑う。いつものことだ。
いつもの頭なんて使ってない、くだらない会話。
私はそれ以上何も聞かなかった。
聞けなかった、という方が正しいのかもしれない。
サシャがVRChatを始めたのは、私のお陰と言っても過言では無い。そして私のせいでもある。
興味がないわけじゃないくせに、自分から新しいものに飛び込むのを少しばかり躊躇う。
だから背中を押した……というより、蹴っ飛ばした。
「お前絶対好きだから。いいから買え」
『五万超えてんだけどなんスか』
「人生経験に金を払え。無駄にはならん」
『無駄になったら金は払ってもらうが』
「嫌だよ?」
『死ね』
そんなやり取りを何度したことか。
そして結局あいつは買った。
初めて通話を繋いだときのことは、よく覚えている。
興奮と喜色でいっぱいのキラキラした声。
私は笑った。
腹が痛くなるくらい笑った。生理のときくらい痛かった。
あまりにも予想通りだったからだ。
こいつは絶対にハマる。なぜならこいつは私の同族だから。
その予感は確信と言っても良かった。人生の殆どを一緒に過ごしてきたんだ、その程度分からんわけもない。
ので、いきなりオンラインでぶち込んだ。濁流に揉まれろと思った。
『えっ、あっ、フツツカ者ですが……?』
ガチガチすぎて笑った。心の底から。
けれど、数十分もしないうちに普通に喋り始めた。
あの人は人の緊張を解くのが上手い。
相手の話を拾って捏ねて、美味しく調理して笑いに変える。気づけば誰もが彼の周りに集まっている。
そういう人だった。
だから、沙織が懐いたことにも何の不思議もなかった。
……まぁ。しかし。それが恋愛感情に変わるとは、思っていなかった。
思いたくなかっただけかもしれないが。
ふと、通話中だったことに気付き。いけないいけない、回想シーンが挟まってしまった。回想終わり。
「ご主人さぁ、サシャのこと好き?」
『ん?』
「サシャのこと。あいつ結構ウチの自慢の娘なんやけど」
『好きよ?』
即答だった。
私は黙りこくった。とはいえ、次にご主人が喋り始めるまでのわずかな時間だったが。
『友人として個人的にめっちゃ好きだよ。なんというか、打てば響く?』
「そ」
『なに?なんかあった?』
「別になんでもぉ?」
『柚子っこさぁ、最近なんか変じゃない?』
「常時変な人がよく言うねぇ」
『流石にひどくないかな!?』
笑い声、高いテンション。薄暗い
何も変わらない。普段と何も変わらない。
私は少しだけ息を吐いた。
聞きたいことは、ほかにもあった。
けれど、聞いてどうする。
誰にでも優しい。誰にでも距離が近い。誰にでも好きだと言える。
それを知っていて、それでも一緒にいる人間がいる。私もその一人だった。
沙織もまたそうなのだろう。
……いや。
あいつの場合は、少し違うのかもしれない。
あいつはきっと、本当に好きなのだ。冗談でもなく、暇つぶしでも、ましてや一時の気の迷いなんかじゃなく。
私が今まで見てきた、あの男のどうしようもないところまで知ったうえで。
それでも、好きなのだ。
「……馬鹿だなぁと、思うよ。自嘲でもあるんだけれどね」
『ん?どした急に。やなことでもあった?』
「いやご主人の頭の話だけど」
『俺ぇ!?なんでぇ!?』
「ククク……日頃の行いを考えたまえよ」
私は笑った。いつも通りに。
そうするしかなかった。
その夜、サシャから連絡が来た。
『明日もログインする?』
たった一行。
いつも通りの、
私はしばらく画面を見つめて、少し迷ってから返事を打った。
『するけど。ゔぇへへ、電脳が無いと生きてけねぇんだ俺よ……』
少し間を置いて、もう一度通知が鳴る。
『うわきしょジャンキーじゃん。じゃあまた明日』
それだけだった。
私はスマホを置いた。
なんだ、何も変わっていないじゃないか。そう思った自分に吐き気がする。どうしようもない話ではあるけどね。
くだらない話をして、馬鹿みたいに笑って。
柴あたりがいつも通り爆散するし、
私も笑う。
そういう毎日が続く。続いていく。そう思っていた。思っていたかった。思うしかなかった。
私はサシャの親友だ。
十年近く……以上?一緒にいた。
あいつが何を好きになろうと、何に傷つこうと、最後にはいつも通りの顔をして笑うことを知っている。
けれど。
いつも通りの顔をしてるけど、心の奥に大きな裂傷が入っているだろうことは、私が誰よりも知っていると思う。多分、沙織の両親よりも。
そんなことくらい、私にも分かる。分かっているのに。
何をしてやればいいのかは、分からなかった。
『柚子太郎、明日ポーカーしようぜ。ディーラー俺な』
爆柴から通知が飛んでくる。
私は即座に返事を打った。
『イカサマ宣言か?やってやるよお前の全財産を巻き上げてやる』
『やれるもんならやってみろカス』
『カチンときたわ野郎オブクラッシャー!!』
くだらない。本当にくだらない。
それでも、中身がなくても、明日も私はログインする。
だから私もいつも通りに笑おう。それは多分、人として……親友として、よかないことかんだろうけど。
ただ、あいつがあの場所を好きでいてくれるなら。まだ、明日も来るつもりなら。
せめて、そこだけは変わらずにあってほしいと思った。
私は、私の言葉でそれを壊すのが酷く怖かった。