何卒ご容赦ください。
皆様のイメージと著しく乖離することがあります。
ごめんなさい。
大学の講義を終え、駅へ向かう雑踏の中。
佐藤カズキは、背筋を這い上がるような「ざらついた」違和感に足を止めた。
夕暮れ時の空座町。
オレンジ色に染まったはずの街路が、妙に薄暗く、泥を混ぜたように濁って見える。
「……なんだ? 周りの音が、遠い……」
心臓の鼓動が耳元でうるさく響く。
通行人たちの話し声が霧の向こうへ消え、代わりに聞こえてきたのは、空間がミシミシときしむ不気味な音だった。
バリリィィッ!!
頭上の空が、まるで巨大な獣に引き裂かれたかのように割れた。
漆黒の亀裂から這い出してきたのは、白い髑髏のような仮面を被り、胸に虚無の穴を穿った、体長5メートルを超える異形の怪物——「虚(ホロウ)」だった。
「……ッ!? なんだよ、あれ……!」
その姿を目にした瞬間、カズキの全身の細胞が「死」を叫んだ。
夜一から聞いていた知識としての虚ではない。
そこに在るのは、存在しているだけで周囲の空気を腐らせ、精神を圧迫する圧倒的な質量を持った「暴力」そのものだ。
「オオオオオオオオオォォォッ!!」
虚の咆哮が叩きつけられる。
物理的な衝撃波となってカズキの身体を突き飛ばした。アスファルトを掴み、必死に立ち上がろうとするが、足が鉛のように重い。
これが「霊圧」の差。
強者がそこに居るだけで、弱者は呼吸すら許されない。
「逃げ……なきゃ……」
巨大な鉤爪が、空気を切り裂いて振り下ろされる。
カズキは本能のままに地面を転がった。
寸前まで彼がいた場所は、爆撃を受けたかのように粉砕され、土煙が舞う。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!!」
路地裏へ逃げ込むが、虚は建物の壁を紙細工のように壊しながら追ってくる。
行き止まりのレンガ塀に背中がついた。
(ダメだ……死ぬ。夜一さんに少し教わったくらいで、戦えるなんて思ってた俺がバカだった……!)
絶望が視界を黒く染め上げる。
虚が大きく口を開け、カズキを頭から喰らおうと身を乗り出した、その時——。
「——案ずるな、カズキ。おぬしの命、まだ誰にも渡させんぞ」
頭上から響いた、凛として、かつ絶対的な信頼を抱かせる声。
黒い影が夕闇を切り裂き、倫太郎と虚の間に割り込んだ。
オレンジ色の戦闘服が翻り、しなやかな褐色肌の肢体が月光を反射する。
四楓院夜一。
そこには、いつもベッドで自分をからかっていた「居候」の面影はなかった。
「夜一、さん……」
「下がっておれ。……名もなき雑兵が、わしの男に触れようなどと、片腹痛いわ」
夜一が右拳を握りしめる。
その瞬間、彼女を中心に世界が震えた。
「瞬閧(しゅんこう)!!」
凄まじい黄金色の霊圧が、爆発的な雷鳴となって噴出した。
夜一の背中と肩の装束が霊圧の圧力に耐えかねて弾け飛び、高密度の電光が彼女の全身を包む。
夜一が一歩、踏み出す。
それは歩みというより、雷撃そのものだった。
瞬きする間もなく虚の懐に潜り込み、雷を纏った拳がその巨大な仮面を撃ち抜く。
ドォォォォンッ!!
爆音と共に、虚の巨体が紙屑のように宙に浮き、次の瞬間には内側から弾けるようにして消滅した。
後に残ったのは、焦げ付いた空気の匂いと、静寂だけ。
あまりに、圧倒的だった。カズキは腰を抜かしたまま、立ち尽くす夜一の背中を見つめていた。
自分が必死に逃げ回り、死を覚悟した相手を、彼女は指先一つで塵に変えた。
(……これが、本物の死神。これが、瞬神……。俺が触れていいような人じゃなかったんだ……)
夜一の背中があまりにも遠く、神々しく見え、自分の情けなさに唇を噛んだ。
しかし、夜一は振り返らなかった。
彼女は鋭い視線を空の彼方へと向けている。
「……やってしもうたな。今の解放、一瞬とはいえ隠しきれなんだか」
【ソウル・ソサエティ:技術開発局】
薄暗い局内に、けたたましいサイレンが鳴り響く。
「局長! 現世・空座町081地点にて、高濃度霊圧を捕捉!」
「照合システム作動……! 出ました! 特級制限対象、元隠密機動総司令官・四楓院夜一の霊圧パターンと100%一致!!」
オペレーターの絶叫に、奥の椅子で爪を噛んでいた涅マユリが、不気味な笑みを浮かべた。
「……ほう。ようやく尻尾を出したかね。100年も潜っておきながら、ずいぶんと派手な挨拶じゃないか」
そして、別の場所。
二番隊舎の執務室で、一通の緊急報告書を受け取った砕蜂の手が、激しく震えた。
紙がクシャリと音を立てる。
「四楓院……夜一……。今こそ、その首を落としてやる」
夜一は静かに霊圧を抑えると、ようやくカズキの方へ振り向いた。
その表情は、先ほどの戦神のような冷徹さは消え、いつもの悪戯っぽい猫のような笑みに戻っている。
「どうした、カズキ?情けない顔をして。……腰を抜かしたか?」
「……。強すぎますよ、夜一さん。俺、自分が恥ずかしいです」
「ギャハハ! おぬしがわしより強かったら、わしの居場所がなくなるではないか」
夜一はカズキの元へ歩み寄ると、その震える手を優しく、だが力強く握った。
「よいか、今のわしの霊圧で、静霊廷の連中が動き出す。……ここでの平穏な『ごっこ遊び』は終わりじゃ。おぬし、わしと共に地獄の底まで付き合う覚悟はできておるか?」
カズキは自分の手のひらに伝わる彼女の熱を感じ、ゆっくりと立ち上がった。
非力な自分への絶望は消えない。
けれど、この温もりだけは離したくないと、魂が叫んでいた。
「……元から、そのつもりですよ。居候の尻拭いをするのは、家主の役目ですから」
「ふふ、よく言った。……さあ、走るぞカズキ。わしの歩法に必死でついてこい!」
二人の影は、追跡者の影が忍び寄る夕闇の中を、風よりも速く駆け抜けていった。
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