お姉ちゃんはいろPと幸せになるべきだと思うの 作:いろかぐヤチは美しい
「──で?結局、勝負はどうなったわけ?」
ひとしきりはしゃぎ終えた二人に向かって、彩葉がそう尋ねる。
それを受けたかぐやはツキミをぎゅーっと抱きしめながら。
「んー……ツキミが一番凄かったってことで良くない?」
「お、お姉ちゃん……♡」
「……あーはいはい。いいから次行くわよ、次」
このままだといつまで経ってもライブ会場に向かえそうにないと判断した彩葉が、かぐやとツキミに対して呆れたように言い放つ。しかし、それを聞いたかぐやは。
「えー?でも、まだ彩葉の見てないよ?」
と、不満げに頬をぷくーっと膨らませつつ、彩葉を引き留めるのだった。
「いや、私はいいって。前にやったことあるし、そもそも私がやったところであんたらみたいに見てて面白いものでもないし……」
一歩引いて二人の楽しい時間を優しく見守ろうとする、彼女なりのぶっきらぼうな気配り。だけどその言葉の裏には、彩葉の胸の奥に冷徹なまでにこびりついている『自己評価の低さ』が息を潜めていた。
初手で高得点を撃ち抜くかぐやの天才的な直感や、初見で全弾命中を叩き出すツキミの圧倒的なセンス。
そんな輝かしい二人を隣で、誰よりも近くで見ていたからこそ、彩葉は自分自身のことをどこまでも面白みのない、ただの堅実な凡人だと線引きしてしまっているのだ。
その他にも完璧すぎる母からの正しくて強い叱責や、既にプロとして活躍している兄の影響も大いにあるのだろう。
──酒寄彩葉は自己評価がかなり低い。
私がやっても空気が白けるだけ。そう本気で思っている。
だからこそ、波風を立てずに断ろうとしているのだが──。
「えー?見たい見たい!彩葉の射的もぜーったい見たいっ!」
「私も見たい!いろpのかっこいいところ、たくさん!」
──この姉妹はそんなことお構いなしに、彩葉の引いた境界線を踏み荒らしてくる。
かぐやの底なしの明るさと、ツキミの盲目的なまでな絶対の信頼。
二人の瞳の奥にあるのは純粋な好奇心と、酒寄彩葉という少女に対する絶対的な『期待』だけだった。
「……っ」
その、あまりにも真っ直ぐで疑いを知らない光を真正面から浴びて、彩葉の胸の奥がぎゅっと切ないほどに動かされてしまう。
私なんかを特別だと信じて疑わない、この愛おしい居候たち。
ここまで言われて、断れる人間が居るのだろうか?少なくとも、私には無理だ。
…… 本当に、なんなのよあんた達は。
誰も自分に期待なんてしていない、一番に認めて欲しかった母は私を絶対に認めてなんてくれなかった。
自分は特別でも何でもない、ただ無理して積み重ねる事でしか完璧に近づけない凡人。かっこよくて、綺麗で強くて、みんなに憧れられているお母さんとは違って、私はこんな風にキラキラした視線を向けられる様な人間じゃない。
そうやって、これ以上心が傷つかないように自分自身を縛りつけていた、冷え切った諦めの殻。
そんな殻をこの二人はいとも簡単に、笑顔でぶち壊していく。
強引で、自分勝手で我儘で…… 破天荒なことばっかりするかぐや。……だけど、何故だかどうしても嫌いにはなれない。
それはきっと、かぐやの底抜けの明るさと強引さに、私自身が実は少しだけ救われているような気がするから。悪くないって、思ってしまうから。……笑顔をくれる人だから。
それに、何処までも真っ直ぐに、眩しいほどの純粋な信頼を向けてきてくれるツキミにも……私は……。
──この二人がそこまで私に期待してくれるなら、そこまで私を格好いいと信じてくれるなら──ほんの一瞬くらい、この子達の前でだけは格好付けるのも悪くないかもね、なんて。
胸の奥に小さく芽生えた、自分でも驚くほど不器用な『応えたい』という欲に、彩葉の頑なだった肩の力がふっと抜けた。
「はぁ……分かったわよ。一回だけだからね?」
やれやれとため息をつきながらも、彩葉は木製のカウンターへと歩み寄り、ずしりと重いコルク銃を手に取った。
堅実に計算通りに、無駄のないフォームで引き金を引く。
──パシィン! パシィン!
放たれたコルク弾は、狙い澄ました的を寸分の狂いもなく次々と叩き落としていく。
結果は──十発中、すべての弾が的のド芯を捉える、驚異の
しかも、弾き出されたスコアはすべてが最高得点だ。
先ほどのツキミの記録を超える、文字通り『完璧』と言っていい圧倒的なハイスコアが、システムウィンドウをこれでもかと華やかに彩った。
「うおおお! 彩葉すごすぎっ!完璧じゃん♪」
「凄い凄い!いろpかっこいい!狙いを定めてる時、完全にプロの仕事人みたいだった……!!」
「ワンワンっ!」
大興奮でハイテンションにまくしたてる二人と、お祝いを言うように尻尾をちぎれんばかりに激しく振る犬DOGE。
そんな、自分を全肯定してくれるお祭り騒ぎのような大絶賛を前にして、彩葉はぷいっと勢いよく顔を背けながら、人差し指で赤くなった頬をポリポリと掻いた。
「こ、これくらい……ちょっと練習すれば、誰でも出来るようになるから……。私より上手い人なんて、上を見ればそれこそ沢山いるだろうし……っ」
顔を真っ赤に染め上げながら、必死になって「大したことない」と自分を低く見積もろうとする彩葉。
だけど二人に認められたことが、心の底から真っ直ぐに『酒寄彩葉』という存在を認めてくれた事が、本当は嬉しくて、嬉しくてたまらない。
そんな彼女の隠しきれない愛おしい本心が、耳の先から首元まで完全に茹で上がったトマトのような鮮やかな赤さとなって、その全身から不器用なほどに溢れ出てしまっているのでした。
「本当にかっこよかったよ! 私、ちょっと見惚れちゃったなー」
ツキミがキラキラと目を輝かせながら、心の底からの偽りない感嘆の声を漏らした。
「……別に。ただ狙い通りに撃っただけだから。私がゲームで使ってる武器も遠距離攻撃とかあるし…そのお陰かもね」
不意打ちのようなツキミの真っ直ぐな賛辞を正面から浴びて、彩葉はふいっと視線を横にそらした。自惚れることのない彼女だからこそ、こんな風に無条件に肯定してもらえると、やっぱりどうにも少しくすぐったくて照れ臭い。それを素直に認めるのも癪なので、何でもない風を装って、わざとぶっきらぼうな口調をキープしていた。
「……ツキミ、かぐやは?お姉ちゃんもかっこよかったっしょ?」
その言葉を聞いた瞬間、かぐやはどこか居ても立っても居られないような様子で、ツキミの顔をおそるおそる覗き込んできた。
彩葉が文句なしに最高にカッコよかったことは、かぐや自身も十分に分かっているし、心から認めている。
──けれど、それはそれとして。大好きなツキミの口から紡がれる『一番のカッコいい』だけは、どうしても自分が独占していたいという複雑な姉心。
さっき四発しか当たらなかった事実が今になって急に、ちょっぴり悔しくなってしまったらしい。
大好きな妹の視線をどうしても自分に引き戻したくて、必死に対抗心を覗かせている。
「え?うん!お姉ちゃんもかっこよかったよ!」
その一言を貰った瞬間、かぐやの顔がパァッと大輪の向日葵が咲いたように華やかに弾けた。さっきまでのちょっぴり悔しそうな空気はどこへやら、一瞬で機嫌を良くして胸を張る。
「だよね!よーし、彩葉!勝負しよ勝負!今度は点数じゃなくて、どっちが一番『カッコよく的を撃ち抜けたか』の勝負ね!」
ツキミからの全肯定バフを秒でチャージしたかぐやが、ふんすと鼻息を荒くして、人指し指を彩葉に突きつけて宣戦布告を開始する。
「は? 何よそれ……。そもそも判定は誰が……」
「ツキミ!」
「却下」
ふふんと得意げに鼻を鳴らし、これ以上ないほど自信満々に答えを出したかぐやに対し、彩葉は即断即決、即却下を叩き付けた。
「何でっ!?」
「当たり前でしょ! 審査員がツキミの時点で、あんたに見惚れて全票入れるに決まってるんだから!私にとって勝ちの目がミリ単位すら存在しない出来レースにもほどがあるでしょーが!」
どう足掻いても不正塗れなこの勝負に対しての至極真っ当な正論と不満が、彩葉の口から盛大に飛び出した。
それを受けかぐやは……。
「うぐ……ば、ば、バレた……」
最初からツキミに贔屓してもらう気満々だったのが秒で筒抜けになり、かぐやお嬢様は気まずそうに視線を泳がせながら、小さな舌をペロッと覗かせてテヘヘと笑うしかなかった。
そんな姉の気まずそうなピンチを前に、ツキミは慌てて狼耳と尻尾をパタパタと小刻みに揺らしながら、必死に助け舟を出すのでした。
「わ、私、ちゃんとやるよ!お姉ちゃんへの愛はそれとして、審査は本当にちゃんと公平に判断します……!」
「ほ、ほら!ツキミもこう言ってるし!ツキミの審査員としての力は本物だよ彩葉!」
「任せてお姉ちゃん…!私、公平にいくからね……!いろはも信じてね……!」
目をきらきらと輝かせて必死に訴えかけてくるツキミと、その隣で「頼んだよ!」と言わんばかりに輝かしい期待の眼差しを向けてているかぐやを見て、彩葉は──。
「(……絶対公平になんて出来ないでしょあんたは…かぐや以外を選んだら絶対泣くじゃないのよ……)」
つまり、この勝負はかぐやの一人勝ちというレールがあらかじめ敷かれているのだ。筋金入りの姉狂いであるツキミが、かぐや以外に票を入れる未来なんて天地がひっくり返ってもあり得ない。
そんな最初から分かりきっている結末と結果に対して、彩葉は小さくため息を吐いて。
「はぁ……じゃあ本当に一回だけね」
何処か呆れたように、けれどその口元には二人のわがままを許してあげるような優しい苦笑を浮かべて肩をすくめるのだった。
「よっしゃ!ツキミ、お姉ちゃんの勇姿を見ててね!」
「うん!頑張ってねお姉ちゃん!」
彩葉の許可が下りるやいなや、ついに『どっちが一番カッコよく的を撃ち抜けるか勝負』の第一ラウンドが幕を開けた。
先陣を切ったのは、もちろん言い出しっぺのかぐやさん。今度はツキミからの応援という特大のバフを最初から全開でチャージしているため、その気合いの入り方はさっきの比ではない。
銃を構えるその背中からは、もはや無敵のオーラすら漂っている。
──バキュン! バキュン!
「………やったぁぁぁ!当たった、当たったよツキミ!!凄くねっ!?」
狙いを定める真剣な横顔から、命中した瞬間に「やったやったー!」とピョンピョン飛び跳ねてはしゃぎ散らかす姿へのギャップ。
その一挙手一投足が文句なしに、凶悪なまでに可愛い。
「お、お姉ちゃん…♡」
結果は十発中、見事八発の大命中。姉としての威厳を120%取り戻したかぐやは、ふんすと自信満々に胸を張ると、これ以上ないほどのドヤ顔で彩葉の前に立ちはだかった。
「ふふん♪彩葉、私に勝てるかなー?」
「あーはいはい凄い凄い……」
対するは、完全に巻き込まれた形の後攻・彩葉さん。どうせ勝負の結果は最初から『かぐやの一人勝ち』だと分かりきっている出来レースだ。
彼女としては、波風を立てずにこの茶番を早く終わらせたいだけである。だからこそ彩葉は、両手でしっかりと銃を構えることすらしなかった。
あろうことか、コルク銃を少し気怠げに片手だけで持つと、ろくに照準も合わせず、流れるような動作でササッと引き金を引き始めたのだ。
──パパパン!
「……あ、あれ…いろp……かっこいい……」
「…………お、おー……」
それを見ていたツキミの口からふと、そんな呟きが溢れ落ちていた。 隣でドヤ顔をかましていたかぐやも思わず感嘆の言葉を漏らす。
本人は完全に片手間。早く終わらせたいからと、投げやりにすら見える無駄のない一連のルーティン。
──なのに、その気負いのないラフな立ち姿と、片手で淡々と的を射抜いていくクールな仕草が、2030年のサイバーなツクヨミの夜景に信じられないほど映えてしまっている。その飾り気のない『片手間さ』が、ツキミの目には逆にとんでもなく、死ぬほど格好よく映ってしまったのだ。
心臓がドクンと跳ね上がるのを自覚しながら、ツキミは思わず言葉を失ってその光景に見入っていた。ちなみに結果は、片手プレイのくせに当然のように九発命中である。
──そして、ゲーム終了のブザーが鳴り響いた。
パシッ、とシステムウィンドウのスコアボードが消え、屋台の周囲に静かな常夜の静寂がふっと戻ってくる。
完全に言葉を失って見惚れているツキミと、やり切ってふぅと小さく息を吐く彩葉。お祭りの喧騒のなかで、二人の間にだけ流れるどこか手持ち無沙汰で甘やかな空気──そのほんの数秒の無防備な余韻を、すぐ隣にいたかぐや姫様が勢いよくぶち壊していく。
「……で、では、ツキミさんに結果を聞いてみましょう!彩葉さん、お願いします!」
持っていたコルク銃の銃口をマイクのように突き出して、二人の間にぐいっと割り込んでくる。
最初の入りが若干しどろもどろになってしまったのは、他ならぬかぐや自身も彩葉の格好よさに不意に見惚れていたからだ。それを隠す様にかぐやはグイグイと彩葉に突っ込んでいく。
「は!?私!?てか何そのノリ!どこで覚えた!」
「良いから早く〜、彩葉〜。マイク向けて⭐︎」
「ぐ……あー……ツキミさん、どんな感じっすかー?」
慣れないノリが妙に気恥ずかしくて、彩葉は思わず変なキャラを入れつつ、ツキミにコルク銃の銃口をマイク代わりに差し出したのだった。
……どうせかぐやが勝つんだから、私にこんな恥ずかしいことさせなくても良いでしょうに……全く。
内心でやれやれとため息を吐きながら、茶番の結末を待とうとする彩葉。だったのだが……。
「う、うーん……うーん……かっこいい……可愛い……かっこいい……可愛い…… うぐぐグク……っ」
当の審査員長様は、狼耳をこれ以上ないほど限界までへにょりと寝かせ、自分の頭を抱えて激しくバグり散らかしていた。
それもそのはず。今まさにツキミの脳内思考回路は、前代未聞の超ド級パラドックスを引き起こしていたのだ。
……お姉ちゃんはいつも最高にかっこよくて、今回のリベンジだってもの凄くかっこよかった……!かっこよかったんだけど……!命中した瞬間にピョンピョン跳ねて大喜びしてるお姉ちゃん、今回はかっこいいっていうより完全に可愛いすぎにメーターが振り切れてた気がする……!それに対して私がお姉ちゃんを選ぶって分かりきっているからって、完全に片手間でササッと終わらせたいろpのあのラフでクールな仕事人フォームが滅茶苦茶にカッコよくて……ッ!!
──可愛いお姉ちゃんと、かっこいい彩葉。
求めていた属性のあべこべな大洪水に脳天を見事に撃ち抜かれ、ツキミのジャッジシステムは完全に限界を迎えていた。
……選べない。天地がひっくり返っても、今の私にはどちらか一方になんて絞れない……!う、うぅ……でも決めないと……!」
「あ、あれ……? 意外と判定に悩んでるわね……」
彩葉は拍子抜けしたように目を丸くした。
一秒の迷いもなく即答で『お姉ちゃんの勝ち!』と偏愛をぶち撒けてくるかと思ったのに……。
「あ、あれー……?ツキミー……?ほら、お姉ちゃんの成長率どうだった?カッコよかったっしょ……?」
予想外の保留に今度はかぐやの方が焦りだして、ツキミの顔を覗き込みながら、じりじりと無言の距離を詰めていく。
大好きな妹の一番をなんとしてでも死守したい、お姉ちゃんの必死な執念が滲み出ていた。
「こら、かぐや。審査員に無言の圧力をかけるんじゃないの。賄賂と買収は御法度よ」
「買収してないもん!アピールだもん!」
「あんたが始めたんだから、最後までその変なレポーターキャラを貫き通しなさいよ……」
すっかり素に戻りながら、一瞬でキャラがブレ始めたかぐやに対して突っ込みを入れる彩葉。
結局のところ、この茶番に一番律儀に付き合ってくれているのは、他ならぬ彼女なのかもしれない。
彩葉はこれ以上恥ずかしいレポーターごっこに付き合わされてはたまらないと、詰め寄るかぐやと頭を抱えるツキミをただの傍観者として眺め始めた。
そもそも、どうせ結果はかぐやの勝ちで決まっているのだからと、彩葉はすっかり自分の出番が終わったつもりで、完全に油断しきっていた。
しかし──。
「……お姉ちゃん。この勝負って、一番かっこよく撃ち抜けた方の勝利なんだよね?」
それまで頭を抱えてバグり散らかしていたツキミが、すっと顔を上げ、驚くほど真面目なトーンでルールを再確認してきた。
「うん!そうだよ?」
当然自分が勝つものと信じて疑わないかぐやは、満面の笑みで大きく頷く。そんな姉の無邪気な笑顔を前にしてツキミは一瞬だけ目を瞑り、そして不退転の覚悟を決めたように目を見開き、意を決したように彩葉の元までスタスタと歩み寄より、その手をガシッと力強く取りながら。
「だったら……勝者はいろpで!!」
「………え? 私?」
堂々と勝者を宣言した。
完全に蚊帳の外だと思い込んでいた彩葉は自分の名前を呼ばれた瞬間、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で完全にフリーズしてしまった。
そんな静寂(せいじゃく)をぶち破るように、状況をワンテンポ遅れて理解したかぐやさんは──。
「あーっ!負けた!?負っげっだっああああ!?!?ツキミ、かぐやじゃなくて彩葉を選んだぁぁぁーっ!!」
頭を抱えてその場でジタバタと全力で地団駄を踏み、この世の終わりとばかりに大ショックを受け始めた。
大好きな妹の『一番カッコいい』を奪われた悲しさと悔しさに、お嬢様の物欲センサーならぬ敗北センサーが大爆発を起こしている。
「ち、違うのお姉ちゃんっ!!」
愛するお姉ちゃんのあまりの落ち込みっぷりを前にして、ツキミの脳内は大パニックを起こした。ガシッと掴んでいた彩葉の手を即座にパッと離すと、大慌てでお姉ちゃんの元へと一目散に駆け寄る。ふさふさの狼耳と尻尾をこれ以上ないほど小刻みにパタパタと震わせ、涙目のまま必死に弁明を口にした。
「そ、そのね?お姉ちゃんはいつも誰よりもかっこいいんだけど……今回は可愛さが勝っちゃっただけなの!」
嘘偽りのない、魂からの本音のアピールである。
「…………でも悔しいぃーーーっ!!!!」
いくらツキミから可愛すぎただけ、という特大の褒め言葉を貰おうとも、勝負に負けた事実は変わらない。かぐやは両手をバタバタと振り回し、頬をこれでもかとぷくーっと膨らませて、子供のように悔しさを露わにするのだった。
そんないつもの騒がしくて微笑ましい姉妹のコントが目の前で繰り広げられる中、ツキミにパッと手を離された姿勢のまま、一歩も動けずに佇んでいる少女が一人。酒寄彩葉である。
……え? ちょっと、待って……。ツキミ、今……私を、選んだの……?
──あの姉狂いが?口を開けばお姉ちゃんお姉ちゃんなツキミが?かぐやじゃなくて私を……?
「………っ」
状況の認識が追いついた瞬間、彩葉の胸の奥が今更になって猛烈にドクドクと暴れ狂い始めた。
どうせ100%かぐやの一人勝ちで終わる出来レースだと思い込んでいた。それなのに──あの誰もが認めるシスコンであるツキミが、その狂愛すぎる姉への気持ちをねじ伏せてまで、本当に純粋に、私を一番格好いいと評価してくれたのだ。
「(……っ、な、なによそれ……反則、でしょ……)」
ツキミにガシッと力強く握られていた右手のひらに、まだじんわりと残っている温もり。
それが妙に意識されてしまって、どうしようもないほどに照れ臭さがこみ上げてくる。今すぐにでも顔を両手で覆ってうずくまりたいほどの動揺が襲いかかっていたが、幸いなことに、目の前で必死に弁明しているツキミと駄々をこねるかぐやは、こちらを振り返る余裕すらなく完全に二人の世界に入り浸っている。
二人がこちらの動揺にこれっぽっちも気がついていないのをいいことに、彩葉は耳の先がほんのりと熱くなっていくのを自覚しながら、必死にいつものクールですました表情を取り繕う。そして、誰にも見られないようにそっと深く息を吐いて、内心の小さなパニックをひっそりと押し殺すのだった。
もちろん、そんな彩葉のひっそりとした動揺の様子など、目の前の姉妹は露知らず。特にツキミの頭の中は、今まさに『お姉ちゃんを泣かせてしまったかもしれない』という焦りだけで百パーセントか。占められていた。
隣に立つ少女が耳を赤くしていることになんて、一ミリだって気がつく余裕はない。
「だ、大丈夫だからお姉ちゃん! 私はお姉ちゃんのかっこよさも、全部ちゃーんと知ってるから!」
大慌てで必死に縋りついてくる妹を前に、かぐやは少しだけうつむきながら、おそるおそる上目遣いでその顔を覗き込んできた。
「……例えば?」
ちょっぴり子供っぽく、甘えるように理由を求めてくるお姉ちゃん。その愛おしすぎる視線を真正面から浴びて、ツキミの胸の奥から熱い本音が堰を切ったように溢れ出した。
「う、うん! いつもいつも私のことを最優先にして考えてくれる所とか凄く素敵でカッコいいなって思うし、私が少しでも困ってたらすぐ気付いて助けてくれる所とかも、本当にかっこいいお姉ちゃんだなってドキドキするし! 私を一人にしないでいてくれるところとかも最高に素敵だし!……いつも私のそばにいてくれるのも……すっごく嬉しいし……っ!」
「ツ、ツキミ……?」
ツキミは愛する姉に自分の想いを伝えることだけにただもう必死で、夢中になりすぎていた。
だからこそ、至近距離にいるかぐやの表情が、自分の言葉を浴びるたびにみるみるうちに林檎のように赤く染まっていくのも、その耳の先から首元までが完全に茹であがっていくのにも──今の彼女は、これっぽっちも気がついていなかったのだ。
「とにかく楽しいことに夢中で、自分の気持ちが第一に見えそうになるお姉ちゃんだけど……本当は周りのことを一番よく見ていて、みんなを優しく引っ張っていってくれるところとか、言って欲しい言葉をいつもくれるところも……私は、凄くかっこいいと思うな。あとはね、お姉ちゃんの──」
「う、うあ…ま、まってまって!分かったから!ありがとツキミ!もう大丈夫だから!」
息を継ぐ暇もないほどのノンストップな愛の告白。その瞳に宿る熱すぎるほどの真摯な煌めきをまともに喰らい、かぐやはみるみるうちに顔を真っ赤に染め上げて、大慌てでツキミの両肩を掴んで押し留めた。
普段はからかう側の彼女が、あまりにも純粋で甘酸っぱい妹からの言葉の集中砲火に完全にノックアウトされて、オロオロと震えている。
「つ、ツキミ…本当にもう大丈夫だから…かぐやちゃん元気いっぱいだから……!」
「え?まだまだお姉ちゃんのかっこいいところ、いっぱいあるのに……」
「はいはいご馳走さまご馳走さま……取り敢えず、私の勝ちでいいのね?」
聞いてるこっちが恥ずかしくなるくらいの全力の褒め殺しに、これ以上はこちら側にも甚大な被害が及びそうだと、彩葉がひらひらと手を振りながら割り込んだ。いつもの調子を取り戻した風を装いながら、力技で話を軌道修正する。
「……ねえツキミ。彩葉にも色々言ってあげないと、審査員として不公平だよ?」
ツキミの特大ラブコールを浴びてまだ顔の赤みが引いていないかぐやが、少し悪戯っぽく笑いながらツキミの肩を揺すった。
自分だけが恥ずかしい思いをするのが寂しいのが一割、彩葉だけ仲間外れが嫌なのが五割、そして隣で誰よりも真っ直ぐに自分たちのために本気を出してくれた彩葉に、ツキミの口からちゃんとした言葉を届けてあげて欲しいという気持ちが四割ほど入り混じった絶妙な提案だった。
「……は!?かぐや、あんたっ……!! 余計なこと言わなくていいから!!」
その瞬間、さっきまでひっそりと内心のパニックを押し殺していた彩葉の顔色が一変した。
今度こそ本気で隠しきれないほどの動揺が一気に形になり、顔を真っ赤に染め上げながら大慌てで声を荒らげるのだったが──そんな彼女のパニックなんて、姉からの真っ当な意見に火がついたツキミにはこれっぽっちも届かない。
「うん!分かった!いろpはねー……まず、凄く優しいところがかっこいい!」
「ちょっ、ツキミ……!?」
今度はターゲットを自分に切り替え、きらきらとこれ以上ないほど純粋な瞳で見つめてくるツキミに、彩葉は言葉を詰まらせた。
「口では出ていけとか勘弁してとか言うくせに、お姉ちゃんを見守る視線が何処までも綺麗で、優しくて……。お姉ちゃんのおねだりを何だかんだでいつも叶えてくれるところも、凄く優しくて……本当にかっこいい。いつもお姉ちゃんを支えてくれて、一緒にいてくれて、本当にありがと。……いろは」
「……っ」
不意打ちで紡がれた、自分の名前。いつもお世話になっているからこその、飾り気のない、けれど何よりも温かい感謝の言葉を正面から浴びて、彩葉の胸の奥がどくんと大きく跳ね上がった。
ツキミに真っ直ぐに見つめられたまま、声も出せずにただ息を呑む。だけど、ツキミのマシンガンラブコールはまだ第一波が終わったばかりだった。
「あとね、あとね!いろはは、自分が辛かったり苦しかったりしても、絶対に諦めたり腐ったりしないで、ひたむきに頑張れるところとか、本当に尊敬するし、心から憧れるんだ……!私じゃ、無理だからさ」
「あ……」
ほんの少しだけ寂しそうに、けれど愛おしそうに目を細めて漏らされた、ツキミの本音。
「……私ね、そんな風に真っ直ぐに努力できるいろはを見てると、もしかしたら私をいろはみたいにかっこいい人になれるのかなって、少しだけ前を向く勇気を貰えるんだ。……優しくて真っ直ぐで努力家なところ、本当に凄く凄くかっこいいと思う……私達のことを拾ってくれて、家に居させてくれて、一緒にいてくれてありがとう。いろは!」
彩葉の手を握りながら、全力で想いを伝えてくるツキミ。
心の底から嬉しそうなツキミの言葉。自分の全てを認めてくれるかの様な、甘やかで温かい言葉の数々。完璧すぎる母からは一度も認めてもらえず、ただ無理をして必死に積み重ねることでしか完璧に近づけない、凡人なはずの自分を。まるで世界で一番気高くてまばゆい『憧れ』であるかのように全肯定してくれる。
あまりにも純粋で、あまりにも熱いツキミの本音。
それを理解した瞬間、彩葉はカァッと顔だけでなく、耳の先から首元までを今度こそ完全に真っ赤に染め上げ、ツキミの手を握り返すことすら忘れて、言葉を失ったまま激しい動揺と溢れ出そうな温かい感情の海に、ひっそりと溺れていくのだった。
「あはは、彩葉顔真っ赤ー」
「うっさい……! あんたもさっき同じよう真っ赤になってたでしょ……!」
完全にフリーズしている彩葉の顔を覗き込み、かぐやがニヤニヤと楽しそうに声をあげる。彩葉はツキミに握られていた手を慌ててパッと離すと、顔の熱を隠すように、ぷいっと不器用に視線をそらした。
……え?あれ……?いろp…なんで急に顔が真っ赤になっちゃったんだろう……?お姉ちゃんからならともかく、私から言われてもそこまで嬉しくないんじゃ……?
当の本人は、自分の言葉がどれほどの破壊力を持って彩葉の胸に突き刺さったのか、これっぽっちも気がついていない。頭の上に純粋な『?』のマークをたくさん浮かべながらも、ツキミは勝たせてあげられなかった申し訳なさの方へと、一瞬で意識を切り替えた。
狼耳をこれ以上ないほど健気にへにょりと寝かせながら、かぐやの元へと再びバタバタと駆け寄っていく。
「お、お姉ちゃん……!負けたからって気にしないでね……!私のお姉ちゃんへの愛は変わってないから!勝負だから公平に判断しただけだから……っ!!」
「大丈夫大丈夫! ちゃんと分かってるよツキミ!」
涙目で必死に弁明してくる妹の両手をがっしりと握り返し、かぐやはニカッと太陽のような満面の笑顔を咲かせた。
「悔しいけど……ツキミに一番って言てもらえなかったのは超悔しいけど!だが次は勝つ!絶〜っ対に勝つ!!」
「流石お姉ちゃん!賢い!不屈の精神!頑張って!!」
「えへへ〜でしよー?だから彩葉!また今度絶対に勝負してね!!」
フンスと鼻息を荒くして、再びやる気満々に挑戦状を突きつけてくるかぐや。そんな二人のあまりにも騒がしくて、けれど世界の何よりも愛おしいドタバタ空間を目の前にして、彩葉は呆れたように小さく息を漏らした。
熱くなっていた頬を隠すように人差し指でぽりぽりと掻きながら、不器用な、これ以上ないほどに優しい苦笑を口元に浮かべながら。
「はいはい……。仕方ないわね」
──どこまでも優しく、そう返すのでした。
「やったーっ! ツキミツキミ、ジャンプしながら撃ったらカッコいいかな?ぴょんぴょんって!」
「……それは可愛いが勝つよ、お姉ちゃん」
「えー……じゃあじゃあ!こう、くるっと回ってしゅたたた──!そんで最後にバーン!!」
「可愛い……♡」
「もー!何でっー!?」
あべこべに可愛いメーターを自ら振り切らせていく姉と、それを大真面目な顔で厳しくジャッジしている妹。
相変わらずこの姉妹は見ていて飽きない。そんな面白おかしい光景に彩葉は──。
「ふっ……あははっ」
鈴が転がるような、一点の曇りもない、心からの楽しげな笑い声を溢すのだった。
いつも少し張り詰めているような彼女が、そんな風に無防備に年相応の女の子らしく声をあげて笑う表情はとても綺麗で、世界の何よりも美しく姉妹の目に映ったのでした。
「!彩葉が笑ってる!やったーっ!」
「やったねお姉ちゃん!」
「「イェーイ!!」」
私がほんの少し声を上げて笑った。ただそれだけの事実にこれ以上ないほど大喜びして、パァン!と勢いよくハイタッチをかましているお騒がせ姉妹。
そのあまりにも単純で、真っ直ぐで、どこまでも私の笑顔を求めてくれる二人の姿を、彩葉はただただ呆れ顔で見つめていた
……私が笑っただけで何でそんなに喜ぶんだか……全く、本当に変なやつら。
呆れたような内心の呟き。だけど、その口元から優しい苦笑が消えることはなかった。こんな風に無条件で自分の笑顔を喜んでくれる人達が隣にいることが、今の彩葉にとってはたまらなく愛おしくて仕方がないのだった。
「……あんたら見てると、ヤチヨが昔配信で話してた事に納得しちゃうわね」
ふと、彩葉が夜店の提灯を見上げながら、どこか懐かしむように呟いた。
「ヤチヨちゃんが? 何々?」
「ほら、ツクヨミって最近のゲームじゃ珍しいくらい古い……というか、今日やった射的みたいな昔ながらのお祭り系ゲームが多いわけ。だから配信とかでよく、視聴者から理由を聞かれてるのよね。……それで、その時ヤチヨがさ」
彩葉は少しだけ目を細め、ヤチヨの言葉を思い出すように言葉を紡ぐ。
「……『こういうゲームを全力で楽しんでくれる子……達がいるので~、ヤッチョは皆んなを楽しませたい欲張りさんなのです!』って言っててさ。あんたらが、あまりにも子供みたいに凄くはしゃいでるから……あぁ、ヤチヨは案外、かぐや達みたいな子達のためにこの手のゲームを作ったのかもねって」
「おー……ヤチヨも分かってんじゃん!これ超楽しいし!ね、ツキミ!」
かぐやが嬉しそうに、何の疑いもなく隣の妹へと同意を求めて笑顔を向ける。だけど──。
「……………ぇ」
その瞬間、私の頭を殴りつけたのは、冷徹なまでの『真実』だった。心臓が、痛いほど冷たくドクンと跳ね上がる。
──私の、ためだ。私がこの時、凄く楽しそうにしてたから……その時のことをヤチヨお姉ちゃんはずっと、ずっと覚えていてくれて……。楽しんでくれる子達……なんかじゃない。……ただただ、私を喜ばせるために作ってくれていたんだ。
この世界は、ツクヨミは…もしかして……私とまた一緒に笑い合いたかった…私とまた一緒に過ごしたかった──そんなお姉ちゃんの願いの結晶なんじゃないの?
……自惚れなんかじゃない。だって私は知っている筈だ。ヤチヨお姉ちゃんがどれほど私を愛してくれていたのかを。
私を喪ってどれほど苦しんでいたのかを。
──余りにも残酷で、重すぎる世界の因果によって、一度消滅する事が絶対に避けられない私。
蘇るためには仕方のない事だと割り切っていた。だって、本当にそうでもしないと私は……。
『何でツキミは笑ってるの?……消えちゃうんだよ!?私に身体をあげて……!それが世界に決められてて……!!なのになんで……!!』
『私は彩葉もツキミも、どっちも大切で……大好きで……!だけど、どっちかしか選べなくて……!!もう、分かんないよぉ……!!』
──その結果が、あの慟哭だと知っていたのに。
……仕方ないって…なんだよ……。
──私は知った気になっていただけなのかもしれない。お姉ちゃんが今まで、そしてこれから歩んでいく地獄の旅路を。
覚悟を決めた、それを免罪符にして結局私はお姉ちゃんを地獄に叩き落とすことしか出来なくて……!
『──私はツキミのこと、愛してるよ』
「………う、ぁ……」
どうして、どうしてお姉ちゃんは……こんな私を愛してくれるの……?私が妹じゃなかったら、お姉ちゃんはこんなに苦し──。
ふざけるな。それだけは、それだけは絶対に言ってはいけないし、思ってはいけない。……
──沈んでいた心が、一瞬にして引きあげられる。私自身を責める、私の声。
ここまで来てまたお前は間違えるのかと、侮蔑と苛立ちを含めた……そんな声。
あの時とは違う、私を沈めるための声じゃなくて、私を鼓舞するための私自身の声。
……少し前までは幸せを感じる度に聞こえてきた私の声。だけど今は……。
──思い出して。これ以上、私のお姉ちゃんを泣かせないで。私が泣いて、苦しんで……一番傷つく人は誰?
──こんなにも私を励ましてくれる。それはきっと、ヤチヨお姉ちゃんの声で私の精神と魂が一致して、救われたから。
………私が妹じゃなかったら、なんて。その答えはもう貰っていたのに。
──思い出せ。
『お姉ちゃんは……私が妹でもいいの……?ツキミが生きててもいいって……思ってくれるの……?邪魔だって……思わないの……?』
『当たり前でしょ?──別の世界の事なんて知らないしどうでもいいよ。……私は、ツキミのお姉ちゃんとして生まれてこれて、心の底から嬉しいんだよ?……だから、そんな悲しいこと言わないで……?』
……ごめんねお姉ちゃん。私はもう二度とこんなこと思わない。貴方の妹じゃなかったら、貴方はこんなにも苦しまなかったのかもなんて、絶対に考えない。考えてやらない。世界がどれだけ私を嫌ってても、本当の世界を知っている神様とやらが私を否定しても、私だけは屈してやらない。
──私が妹としてこの世界に生まれたから、お姉ちゃんはいつもあんなに楽しそうに、笑ってくれてたんだ。
……思い出した?
──忘れるわけない。ごめん、ありがとう。……私はまた、間違えるところだった。お姉ちゃんを泣かせるだけのクズ女に成り下がるところだった。
「……ツキミ?」
ツキミのただならぬ沈黙を察したのか、かぐやが怪訝そうに眉をひそめて覗き込んできた。
「あ、ううん……何でもないよ……! 私も、本当に凄く楽しかった……!」
慌てて、いつもの調子で笑いながら言葉を返す。だけどこれは、自分の弱さや嘘を隠すための笑顔なんかじゃない。
本音を誤魔化して、ただ取り繕って笑っているわけでもない。
──結末に至るまでの全てが、たとえ地獄に変わりなくとも。
最後にお姉ちゃんと彩葉と一緒に笑い合えたなら、それは私達の完全な勝ちだ。
……私は絶対に折れたりしない。してやるか、してやるもんか……!
そんな不退転な覚悟の笑みをその表情に宿しながら、ツキミは繋いだ姉の手から伝わる温もりを、ぎゅっとその手のひらに強く噛み締めた。
……知らなきゃ。もっと、もっと……ツクヨミのことを、知らなきゃダメだ。
胸の奥を激しく焦がす、静かな、けれど切実な焦燥。
お姉ちゃんがどれほどの想いでこの世界を創り上げたのか。その全てを私は知らなければならない。
私はいつもの笑顔をそっと引き締め、まっすぐな眼差しで彩葉の瞳を見つめ返した。
「……いろは。ライブまで、まだ時間あるよね」
「え?まあ…確かにまだ余裕はあるけど……」
「……私、他にも行きたい。いろはがおすすめしてくれる所。全部、行きたいな」
「他にもって……。ほら、本当にライブに遅れたら大変……」
いつものようにぶっきらぼうに窘めようとする彩葉。けれど、私の瞳の奥にある、冗談なんかじゃない本気の光を鋭く察したのだろう。
彩葉は言葉を途中で止めると、少しだけ驚いたように目を瞬かせた。そんな彩葉と、心配そうにこちらを見つめてくるお姉ちゃんの姿を見つめながら、私は静かに言葉を溢した。
「私、ツクヨミの全部を知らなきゃ」
──きっとこの世界は、お姉ちゃんの八千年分の願いの結晶だから。
心が折れないように頑張ってね。