お姉ちゃんはいろPと幸せになるべきだと思うの 作:いろかぐヤチは美しい
「──ここが花畑コーナー。どう?凄いでしょ。世界中からヤチヨが気に入った花を植えてるのよ。データだけどね」
「おー……!」
「綺麗……」
目の前に広がった色とりどりの壮観な花畑に、お姉ちゃんと私の口から、思わずといった風に感嘆の声が漏れ出していた。
ツクヨミの常夜の夜空をバックに、淡い光を放ちながら咲き誇る無数の花々。
現実世界では同時に咲くはずのない春の桜も、夏の向日葵も、秋の彼岸花も、冬の寒椿も──ここではまるで、全ての季節を一つのパレットに閉じ込めたかのように、鮮やかに調和して世界を埋め尽くしている。
七色に煌めく美しい世界を、一つの宝箱に仕舞い込んだかのように。
花びらの一枚一枚から立ち上るデジタルな光の粒子は、作り手の気が遠くなるほどの情熱と、繊細なこだわりをこれでもかと主張していた。
お姉ちゃんが、気に入った花……。ううん、違う。違うよね…。これはただ、ヤチヨお姉ちゃんが気まぐれに集めたコレクションなんかじゃないよね。
確信をもってそう言える。私には分かる。だって私はお姉ちゃんの妹だから。
この花畑はきっと──。
「…………私と見たかったのかな……」
目の前がにじみそうになるのを必死に堪えながら、私は誰にも聞こえないほどの小さな、消え入りそうな声で呟いた。
──長い長い旅路の中で見たであろう、私と共有したかった景色。私に見せたかった綺麗な世界。
ああ……そうだ。きっと、そうなんだ。
そっと目を瞑れば、提灯の明かりに照らされた常夜の夜風が、私の狼耳を優しく撫でて通り過ぎていく。その風はどこか懐かしく、そして寂しい匂いがした。
──お姉ちゃんの想いが、伝わってくる。
この優しすぎる光の粒子が、言葉にならないお姉ちゃんの祈りとなって私の胸に流れ込んできた。
──昨日の続き、喋りたかった。
──くだらなくても、ちょうどよかった。
──並んでたかったよ、ごちゃつく隙間で。
……昨日までしていた、どうでもいい話をもう一度したい。どれだけくだらなくても、隣で君が笑ってくれたらそれだけでよかった。
ずっとずっと、隣に並んでいたかった。ずっとずっと、一緒に暮らしていたかった。
ただ当たり前に明日を迎えるだけの毎日。それだけでよかった。
──そんな失ってしまった一瞬の日常を、お姉ちゃんはもう一度取り戻したかったんだ。綺麗だって思ったものを、私と一緒に見たかったんだ。
……ちゃんと伝わってるよ、お姉ちゃん。
私の胸の奥をこれ以上ないほどに甘やかで、そして涙が零れ落ちそうなほどの愛おしさが満たしていく。
……絶対に取り戻そうね、お姉ちゃん。私はもう絶対に折れないから、大丈夫だよ。
独りで歩むにはあまりにも長すぎた闇の果て。たった一人の地獄の始まり、その元凶は私だったのに。
……それでもお姉ちゃんは私を諦めないでいてくれた。私を愛し続けて、想い続けてくれていた。
……お姉ちゃんは私を恨まなかった、私を嫌ってなんかくれなかった。
……お姉ちゃんが私に抱いてくれた願いは最初から、たった一つだけだったんだ。
──私ともう一度、一緒に生きたい。一緒に隣で笑い合いたい。
そんな小さな願い。その一歩目の祈りが、この広大なツクヨミを作り上げたのかもしれない。
この眩しい光も、咲き誇る花々も、全てが私ともう一度同じ景色を共有したかったという、お姉ちゃんの張り裂けそうな願いの結晶──。
「…………っ………はぁ」
胸の奥をじわりと満たす熱い決意を抱きしめながら、私はゆっくりと深呼吸をして、にじみかけていた視界を瞬きで払った。
俯いていた顔を上げて、隣で静かに並んでいるはずの最愛の二人へ、愛おしい現実へと視線を戻す。
「ツキミ? 大丈夫?」
覗き込んできたお姉ちゃんの顔が、すぐ目の前にあった。その澄んだ瞳には、色とりどりの花畑なんかよりもずっと深く、私の様子を心配そうに見つめる色彩が宿っている。
お姉ちゃんはいつだって、自分のことより、私の小さな変化を誰よりもよく見ているんだ。
もう、嘘はつかない。誤魔化して、作り笑いで逃げたりなんかしないって、私はこの胸に誓ったんだ。
「……うん、大丈夫だよ。ちょっと、お花が本当に綺麗で……お姉ちゃんと一緒にこの景色を見られて、凄く嬉しいなって思って」
嘘偽りのない、心からの愛おしさを言葉に乗せて、私はお姉ちゃんにまっすぐ微笑み返した。
「そっか…うん、よかった!私もツキミと見れて嬉しい!……でも本当に綺麗だよねー、ヤチヨもやるじゃん!」
「何であんたが上からなのよ」
腕を組んで二人のやり取りを見守っていた彩葉が、呆れたように、けれど最推しのヤチヨへの不遜な態度を見過ごせないといった様子でピシャリと言い放つ。
いつもの安心するやり取りに私の胸がふっと緩んだ隙に、彩葉は視線を花畑の奥へと戻し、少しだけ口元を緩めながら言葉を続けた。
「……まぁ、あんたがそう言いたくなるのも分かるけどね。この花畑、本当に綺麗だし」
呆れたポーズはそのままに、しかしどこか自分のことのように誇らしげに、ふふんと小さく鼻を鳴らす彩葉。
その無自覚なドヤ顔を見逃さなかったかぐやが、ニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべて彼女の顔を覗き込んだ。
「何で彩葉が自慢げ〜?」
「……うっさい」
痛いところを突かれた彩葉が、一瞬で顔を赤くしてプイッと視線を逸らす。
彩葉はそのまま照れ隠しにコホンと小さく咳払いをすると、システムウィンドウを軽く操作しながら、少しだけ声をトーンダウンさせて真面目な顔に戻った。
「……まぁ、それはそれとして。実際のところ、実装当初から遥かに進化してるらしいわよ。ヤチヨが有識者の意見をドンドン募集して取り入れてるらしいからね。アップデートの度に花畑のクオリティは向上してるってわけ。……あの藤の花以外はね」
「……え? そうなの?」
かぐやは不思議そうに首を傾げると、色とりどりの光の海を見渡し、小道の少し奥にひっそりと咲いている一画を見つけて「あ」と声を上げた。
「あそこのダラーンって垂れ下がってるやつのこと?えー、あれもすっごく綺麗なのに…」
白や黄色の鮮やかな大輪に囲まれるようにして、そこだけが実装当初のまま──しかし誰の手も加えられていないからこそ、どこか神秘的な静けさを纏って咲き誇る藤の花。お姉ちゃんが小さく指差したその光景を、彩葉は腕を組んだまま、少しだけ目を細めて見つめていた。
「そう。その藤の花だけは何故か全く更新されないのよね。……そういえばツキミ、あんたのそれって……」
──そこで彩葉の言葉がふっ、と途切れた。
自分の口から出た『藤の花』という言葉。それが呼び水となったかのように、彩葉はハッとした様子で、吸い寄せられるようにツキミの髪へと視線を向ける。
問い詰めるような刺々しさは、そこには全くない。ただ、目の前にある『更新されない藤の花』と、私の髪で静かに揺れる『藤の花の簪』が、彼女の頭の中でカチリと音を立てて結びついてしまったような──そんな、息を呑むほどに静かで唐突な気付き。
「…………」
一瞬の静寂のなか、私は自分の髪に飾られた、淡い紫色の飾りにそっと指先を伸ばした。
触れた指先から、ヤチヨお姉ちゃんが果てしない旅路の果てに私へ遺してくれた、あの途方もない温もりがじわりと伝わってくる。
『うん、そうだよ!ツキミに似合うかな~って考えながら作ったの!!』
『っ……ツキミがそんなに喜んでくれて、私も嬉しいよ……!じゃあ早速、やってみる?可愛くしてあげるよ!』
お姉ちゃんは私を嫌ってなんていなかった。
諦めないで、ずっと愛し続けて、この世界で待っていてくれたんだ。
その事実が、私の心を愛しさで溢れさせて、まばゆいほどの幸福感で満たしていく。
……藤の花が更新されないのは…もしかしたら私にだけの特別ってことなのかな…そうだったら嬉しいなぁ……。
ツキミは本当に愛おしそうに、嬉しさを隠しきれない様子で藤の花の簪を優しくなぞりながら、ふわりと微笑んで静かに言葉を溢した。
「……ヤチヨちゃんが…私に頑張ってねって贈ってくれたものだよ…藤の花の簪。綺麗でしょ?」
嘘偽りのない、どこまでも幸せそうなツキミの告白。彩葉はツキミのその表情をじっと静かに見つめ──余りにも嬉しそうに微笑むツキミの姿に、少しだけ毒気を抜かれたように小さく肩をすくめた。
これ以上、野暮な追及なんてする気にならなくなったのだろう。彩葉はふいっと私から視線を逸らすと、いつものように腕を組んで、少しだけ照れ臭そうに花畑の藤の花へと目を向けた。
「……そうだったわね。大切にしなさいよ? ヤチヨから個人に特別な贈り物なんて滅多に……て言うか、今まであったことないんだから」
「うん…凄く、凄く大切にする……!」
私が胸の内でそっと簪を愛おしむように呟くと、私たちのやり取りをすぐ隣でじっと見つめていたお姉ちゃんが、ふふっと柔らかく目を細めて私に問いかけた。
「ツキミは藤の花、好きなの?」
「!……うん……大好きになった……!」
心からの、嘘偽りのない私の本音。私の髪で揺れる薄紫色の飾りを見つめながら、お姉ちゃんは満面の、ひまわりのように眩しい笑顔を咲かせて大きく頷いた。
「……そっか! 覚えとくね!」
ぽつりと、夜風に溶けるように響いたその言葉。
「…………ぁ」
──その言葉が嘘じゃないことを、私は身をもって知っている。
──幾千の時を巡っても、お姉ちゃんは私を忘れない。どんなに長い間離れ離れになろうとも。八千年の孤独な闇に閉ざされようとも。
お姉ちゃんは私が藤の花を大好きだと言ったこの一瞬の日常を、絶対に、絶対に忘れたりなんかしない。
だってお姉ちゃんは私に藤の花の簪をくれたんだ。他にもたくさん…たくさん素敵な贈り物を残してくれてて……。
──本当に私には、勿体無いくらいの優しいお姉ちゃん……。
「……お姉ちゃん…!大好き……っ」
胸の奥から溢れ出す愛おしさを抑えきれなくなって、私は目の前のお姉ちゃんに、ぎゅっと強く抱きついていた。
「わっ……もーツキミは甘えん坊なんだからー」
突然のことに一瞬目を丸くしながらも、お姉ちゃんはすぐにふにゃりと顔を綻ばせて、私の背中を優しくトントンとあやしてくれる。
幸せすぎて、思わず泣きそうになるくらいの暖かさが胸の奥を満たしていく。涙が零れ落ちそうになるのを必死に堪えながら、私は心の中で、もう一人の最愛のお姉ちゃんへと言葉を届けた。
………………本当に、ありがとう。大好きだよ、お姉ちゃん。
──私の声に応えるように、優しくて暖かい風が私の体をなぞった気がした。
「………大好き、大好きだよ…お姉ちゃん……」
「!……うん、分かってる。分かってるよ、ツキミ」
いつもの、世界の何よりも守りたい愛おしい時間が光の花畑の中に再び戻ってくる。
……かぐやお姉ちゃんの大好きに応える為に、ヤチヨお姉ちゃんをこれ以上泣かせない為に、彩葉とずっと一緒にいる為に。
私は絶対に
「よしよし…お姉ちゃんはここにいるよ、ツキミ」
私の背中に回されたお姉ちゃんの手が優しく、けれど包み込むような力強さでぎゅっと私を抱きしめ返してくれる。
「私もツキミのこと、世界で一番大好きだからね!お揃い~♪」
耳元で響くお姉ちゃんの温かい声と、トントンと優しく頭を撫でてくれる心地いい体温。その無償の愛に私の胸がぽかぽかと満たされて、にじんでいた視界が今度こそ綺麗に晴れていく。
「………うん、私も大好き!お揃いー☆」
そう言って私が満足して身体を離すと、お姉ちゃんは嬉しそうに微笑み、すぐにらんらんと瞳を輝かせながら小道の奥を指差した。
「えへへー…ツキミツキミ!あの藤の花! もっと近くで見に行こ!」
「あ、待ってお姉ちゃん!」
「……因みに摘み取り禁止だから。見て楽しみなさい。特にかぐや」
楽しそうに駆け出そうとするお姉ちゃんの背中に向けて、彩葉がクスリと笑みを零しながら、冗談混じりに声をかける。
「何で名指しー? ひどー」
お姉ちゃんも、怒る風でもなく「もー」と軽い調子で口を尖らせて振り返る。
「いや……何となく……?」
「ふふ……っ」
相変わらず手厳しい彩葉と、お茶目に抗議するお姉ちゃん。そんな二人のいつものやり取りに、私は思わず噴き出してしまう。
すると、私の笑い声に何かを閃いたようにお姉ちゃんがポンと手を叩き、今度は彩葉に向かって楽しそうに飛びついていった。
「! ツキミ、藤の花ってどこで買えるの? ネットで買える?」
満面の笑みで、今すぐ現実世界で本物の藤の花をお取り寄せして妹にプレゼントしようと息巻くかぐや。
だが、その質問の余波を受けた彩葉さんは、一瞬にしてこの世の終わりかというほどに疲れ切った、遠い目になっていた。
……おいかぐや。また私のなけなしのお金を使う気か。
彩葉の口から、そんな魂の拒絶に満ちた心の声がこれでもかと漏れ出てきそうなほどの、見事な限界フェイス。
……お、お姉ちゃんが私のためにそこまで全力になってくれるのは死ぬほど嬉しいけど……いろpのお財布を自分のものだと思って私に貢ごうとするのはやめてあげて……!
「え? えーと……花屋さんの方がいいんじゃないかな」
いろpのお財布の危機を救うため、私は慌ててお姉ちゃんを宥める。すると、お姉ちゃんはさらに目をキラキラと輝かせて。
「花屋! 帰ったら行こ! そんで家に飾るの!」
「私の家だっつーの」
彩葉がすかさず正論のツッコミを入れるが、かぐやは全く怯まない。
それどころか、こてんと首を傾げ、潤んだ瞳で彩葉の袖をぎゅっと掴んで上目遣いに見つめた。
「いろはぁ……だめぇ……?」
「う……ぐっ……! ま、まあ……少しくらいなら……いいよ」
くそう……何故言えない。なぜ、断れないんだ。
顔を真っ赤にしながら心の中で血の涙を流す彩葉。だが、そんな彼女の敗北宣言を聞いた瞬間、かぐやは勝ったと言わんばかりに両手を天に突き上げてガッツポーズを決めた。
「よしゃー! ツキミの好きでいっぱいの部屋にしようね!」
「ちょっと! 少しくらいならって言ったでしょ! 大体、ツキミの好きって全部かぐやじゃない! どうせかぐやが好きなものはツキミも好きに決まってるんだから! あんた、ツキミに買ってあげる名目で私の部屋を自分の好きで占領しようとしてるでしょ!」
彩葉が我に返ったように大慌てで捲し立てる。決してかぐやがツキミを想って言った優しさを疑っているわけじゃない。
それは彩葉だってちゃんと分かっている。分かっているけれど──それにかこつけて、自分の大好きなもので同居人の部屋を埋め尽くそうとする強かな下心も十二分に混ざっていることを、酒寄彩葉は見逃さなかったのだ。
指をピシッと突きつけられて完全に見透かされたかぐやは、あははーと間の抜けた声を出しながら、じりじりと後ずさりした。
「えー? そんなことないよー」
……目を逸らすな、目を。
いろpの鋭い心のツッコミが、常夜の夜風に乗ってこちらまで聞こえてきそうなほど見事な横目を決めるお姉ちゃん。
……仲良いなあ……ふふふ…お姉ちゃんもいろpも可愛いな……。
そんな二人を見つめながら、私はふと、自分の髪で揺れる藤の花の簪に触れた。
ヤチヨお姉ちゃんから世界に一つの簪を貰って、その上現実でもまた、自分だけ藤の花を買ってもらうだなんて──二人の楽しそうなやり取りを見ていると、なんだか自分ばかりが貰ってばかりで申し訳なくなってしまった。
──私だけじゃなくて、みんなでお揃いの思い出にしたいな。
そんな思いから私は二人の間に割り込んで口を開いた。
「折角だからお姉ちゃんやいろpに合う花も買おうよ!」
私の突然の提案に、お姉ちゃんがパッと顔を輝かせる。
「わぁ、それ名案! 私には何が合うかな?」
「お姉ちゃんは向日葵!」
いつだって眩しくて、周りを明るく照らしてくれるお姉ちゃんには、それ以外に考えられない。
私の迷いのない直球の言葉に、お姉ちゃんは「えへへー!」とひまわりそのもののような笑顔を弾けさせた。
一方、二人の様子を少し離れて見ていた彩葉は、ふいっと視線を逸らして、どこか照れ隠しに小さく肩をすくめた。
「私はいいよ……花とか似合わないし……」
──そんなことないのに。私がそう思うよりも早く、お姉ちゃんが彩葉の袖をぎゅっと掴んで、全力でその言葉を拒絶した。
「駄目! 彩葉も一緒じゃなきゃやだ!」
「…………………へ、変なの選ばないでよ」
かぐやからのストレートな『一緒じゃなきゃ嫌だ』という言葉を直撃され、彩葉は緩みそうになった表情を誤魔化すようにプイとそっぽを向いてしまったのだった。
──しかし内心、かぐやとツキミが自分にどんな花を選んでくれるのか、ほんの少しだけ楽しみな彩葉さんなのでした。
そろそろようやくライブですかね。