お姉ちゃんはいろPと幸せになるべきだと思うの 作:いろかぐヤチは美しい
「ヤぁぁぁぁぁーチぃぃぃぃぃーヨーぉぉぉぉぉ!!!!!」
──その叫びを聞いた者はどう思ったのだろうか?
面白い奴がいる?身の程知らずな女の子がいる?押し寄せた群衆の殆どが、きっとそんな風に思った筈だ。
しかしただ二人、 ヤチヨとツキミだけは ──この上ないほどの安心感と眩しさ、そしてヤチヨだけはほんの少しの寂しさを感じていた。
ステージの真ん中、まばゆい光の残光の中で、ヤチヨは微かに息を呑んでいた。喉の奥がカチリと凍りついたかのように一瞬、本当に呼吸が止まってしまいそうになった。
あの真っ直ぐな大絶叫は孤独な地獄を独りで歩み続けていくうちに、いつの間にか自分自身さえも忘れかけていた、あのはじまりの日の記憶。
気が遠くなるほどの時間の果てから、今この瞬間にようやく巡り会えた、まだ何も知らなかった頃の無邪気でワガママで、誰よりも眩しかった──昔の、自分自身の姿。
孤独な八千年の闇を独りで歩み、多くのものを背負って「ツクヨミの管理人」という大人の役割を演じ続けている今の自分にはもう出すことのできない、ただ純粋なだけの無邪気な光。
何も失っていなくて、何も諦めていなくて、ただ大好きな人のために全力で声を張り上げることができる''かぐや''という名の、あまりにも眩しすぎる太陽の輝きが、そこにはあった。
「(……ああ。そうだったんだよね。昔の私は、あんなにキラキラしていたんだ……眩しいなぁ……)」
──あまりにも、今の自分とは違いすぎて。眩しすぎて、純粋すぎて、本気で息が止まりそうだった。
……もう、自分はあの時のキラキラのかぐや姫じゃない。多くのものを失い、背負ってしまった今の自分には、あの頃の純粋な姿に戻ることは絶対にできない。
その事実が胸の奥を少しだけ苦しく締め付け、どうしようもない切なさがじわりと広がっていく。
だけど──昔の、あの眩しすぎる自分自身の輝きを真っ直ぐに見つめるうちに、ヤチヨの心には確かな熱も灯っていった。
……もうあの日々には戻れない。あんなに純粋な自分には二度となれない。
その厳然たる事実がどれほど胸を締め付けようとも、あの子が放った太陽のような眩しすぎる咆哮は、凍りついていた私の時計の針を、確かに激しく動かしたのだ。
……ああ、始まったんだなって。ずっと待ち望んでいた瞬間が、やっと訪れたんだっていう、胸が震えるような嬉しさ。
だけどそれと同時に、容赦なく回り始めてしまった運命の歯車を前に、どうしようもないほどの冷たいざわめきが胸の奥で複雑に混ざり合う。
──これから私たちは、一体どんな結末に向かって進んでいくのだろう。
……ううん、正確には卒業ライブの所までは分かってはいる。
でも…その後のことは全く分からない……ツキミが…本当に帰ってきてくれるのか…私には分からない……分からなくて怖くて……泣いてしまいそうになる。
……もう絶対にツキミを失いたくない。あの優しい温もりを、大好きな妹を、もう二度と暗闇の中に置き去りにしたくない。
……やっとツキミと分かり合えて…明るくなってくれて…本音を聞かせてくれて…… この愛おしい妹を本当に助けられるのか、そんな底知れない不安が再び私の胸を満たし始めて、心が不安で押し潰されそうになったその時──。
「──だってお姉ちゃんの為ならどんな無理難題もこなして、その上奇跡だって起こしてくれる。……そんな人が居るでしょ?もしかして忘れたの?」
──突如として、私の凍りついた思考を激しく揺るがすように、あの時ツキミが教えてくれた、とても大切な言葉が脳裏に鮮烈に蘇ってきた。
「そう!いろはがお姉ちゃんのおねだりを断ったことがあった?……ないでしょ?だから大丈夫!絶対全部上手くいくっ!!……正直いろはに丸投げの作戦とも言えない無茶振りだけど……いろはなら何とかしてくれるって私は信じてる」
──どんな無茶振りをしても、私達が助けを求めたら、文句を言いながらも必ず何とかしてくれる、とても優しい女子高生。
頑張り屋さんな努力家。頑張りすぎてるところもあるけど……それが彩葉だもんね。
私達の暗闇を照らし出す、酒寄彩葉という眩しい光。
──彩葉が私を助けてくれなかったことなんて、ただの一度もなかった。
「それとも……お姉ちゃんはもう、いろはの事を信じてないの?」
……うん、そうだねツキミ。確かに未来は怖いよ、どうなるかなんて分からないし…ツキミの事だって…不安で仕方ないよ。
──だけど……彩葉なら…彩葉ならきっと……『仕方ないわね…』って言いながら……何とかしてくれるって……私は信じてもいいのかな。
……自惚れても、いいのかな。ツキミが言ってくれてたみたいに、彩葉は私の為なら…どんな無理難題もこなしてくれるって…思っちゃってもいいのかな。
……私が助けてって言ったら、奇跡だって起こしてくれるって…思っちゃってもいいのかな……。
──もしそうだったら…嬉しいなぁ……両想い…ってことになるもんね。
……彩葉、大好きだよ。……いつか、また…言えたらいいな。
──そんな、胸の奥に溢れた甘く切ない静寂を。
広場の片隅から響き渡った、相も変わらず堂々とした、あの頃の自分の無邪気な宣戦布告が、一瞬にして賑やかに吹き飛ばしていった。
「かぐやがヤチヨカップ優勝する!!そんで絶対コラボライブするから!ツキミといろh……むぐっ!」
「あんたはいつも勝手に!大人しくしてなさいよ!」
「お姉ちゃん…♡かっこいいよ……!」
「ツキミは黙ってなさい!本当あんたら姉妹はどうしようもないんだから!!」
遠くのステージからそんな三人の賑やかなドタバタを見つめながら、ヤチヨの脳裏には、かぐやだった頃に三人で積み重ねてきた眩しい日々の光景がすうっと重なっていた。
文句を言いながらも、いつだって私たちのために必死になってくれる彩葉。真っ直ぐで恐れ知らずなかぐやと、どこまでも私を愛してくれているツキミ。
──こんなことも、あったなぁ…懐かしいな…何億回も思い出した、大切な思い出。
そんな愛おしい記憶に胸をいっぱいに満たしながら、ヤチヨの唇はふふ、と零れるような微笑みに優しく緩んでいく。
「……いとかわゆし」
思わず零れ落ちるそんな一言。
かつて千年、数千年の闇の中で、ただひたすらに焦がれ、夢に見続けていたあの子たちの眩しい笑い声。
数万人の歓声に掻き消されてしまうほどに本当に小さな、小さな囁きだったけれど、ぽつりと紡がれたその古風な愛おしさは、黄金の残光が静かに夜空へ溶けていくように、ツクヨミの心地よい夜風のなかに優しく消えていった。
だけど、簪にそっと触れたまま、遠いステージをじっと見つめていたツキミの耳の奥にだけは、最愛の姉が零したその温かい本音が、確かに、優しく届いたような気がした。
──そして、まばゆい歌姫の微笑みと、会場中を完全に包み込んでいた割れんばかりの大歓声が、ゆっくりと幕を下ろしていく。
「ほいでわ、ライブはいったんここでクローズ♪みんなとちょこっとお話しさせてねー。さらば〜い」
ヤチヨがステージの上で軽快に手を振ると同時に、常夜のツクヨミを埋め尽くしていた数万人の神々から、地鳴りのような割れんばかりの歓声が巻き起こった。
まばゆい歌姫の微笑みとライブの熱狂が、心地よい残光となって夜空へとゆっくり溶けていった。
それと同時に、ヤチヨは分身して、会場の一人一人に向かって話しかけに行く。
更に今回は、チケットを入手した選ばれし者達だけがヤチヨと対面して、しかも握手までして貰えるという、夢の時間が待っているのだ。
何を隠そう、酒寄彩葉はヤチヨの限界オタクである。故に、今日という日を文字通り死ぬほど楽しみにしていた。
かぐやが盛大にやらかした時、本音を言えばあまりの気まずさに今すぐその場から逃げ出したかったが、それをしなかったのもこれが理由だ。
……だってヤチヨと対面でお話しして、その上握手までして貰えるんだよ!? こんなチャンス、二度と来ないかもしれないじゃん!!
緊張とソワソワとワクワク。最高の瞬間が約束されている未来に、彩葉の心はかなり興奮していた。
……緊張しすぎて指先がすーっと冷えていったり、意識が遠のいたりもしているが……。
……や、やばい……倒れそう……。
「ねえ彩葉、一緒にやろっ?ツキミも!!」
遠ざかっていく意識が、かぐやの呑気な声によって無理やり現実に引き留められてしまった。
なんか片手あったかいな……とぼんやり思考を巡らせる。──ああ、現実世界で、あいつが私の手を握ってきてるのか。
さっき黒鬼やヤチヨ、全ライバーに向かって大絶叫の宣戦布告をぶちかましたばかりだというのに、かぐやは何一つ恐れる様子もなく、らんらんと瞳を輝かせて彩葉の顔を覗き込んできている。
……こいつ……本当に怖いもの知らずだな……。
「だめ!そんなの無理に決まってるでしょ!ほらツキミも何か言ってやりな……」
現実での手の温もりにどこか救われつつも、彩葉は必死に冷静さを取り戻し、隣にいる少女へと藁にもすがる思いで視線を振った。かぐやのストッパーになれるのは、血の繋がった妹である彼女しかいない。
だが、彩葉のそんな切実な懇願は、少女の桃色の脳内プロセスの前になす術なく霧散する。
「お姉ちゃんと一緒に共同作業……ふへへへ……♡」
両手を頬に当て、とろけた瞳で完全に自分たちだけのハッピーエンドな妄想世界へと旅立ってしまったツキミ。
「本当ブレないわねあんた!」
間髪入れずに叩きつけられた彩葉の理不尽そうなツッコミが、ツクヨミの夜風の中へと、いつも通りの愛おしいテンポで小気味よく響き渡った。
「ほらツキミもこう言ってるし!彩葉~♪一緒にやろうよ~♪」
「だ、だからそんなのむ──」
「ムリムリムリ!小娘が!!」
無理と言おうとしたが、被せて先に言われてしまった。声の主は…えっ、FUSHI!?こんな喋り方してたっけ?いつもはこう…ザ・マスコット的な可愛い感じの喋り方だったような……?
「こらっ!駄目でしょFUSHI!ごめんね?悪気はないんだ」
威嚇するFUSHIを制したのはヤチヨだった。……えっ!?ヤチヨ!?目の前にいる!?しかも小さいバージョンだ!か、可愛すぎる……!
ヤチヨは普段は身長百六十センチくらいなんだけど、たまに百三十センチくらいのチビヤチヨになっている時があるんだよ!
かなりのレア!これは物凄いことだよ!!周りの分身ヤチヨは大人ヤチヨのままなのに!なんで私にだけ!?い、いや落ち着け……!ヤチヨは確かツキミと色々仲が良い感じだし、多分いつもの気まぐれ……いやもうそんなのどうでもいい!
きええええええ!か! わ! い! す! ぎ! る!!でしょ!!!!
絶対ツキミも爆発してるよね!?………ん?あれ?ツキミ?絶対騒ぐと思ったのに……何で一言も……。
ふと気になり、ツキミの方を見やると……。
「……………や、ヤチヨちゃん………ヤチヨちゃあああああああん!!!!可愛い!可愛すぎるよぉ!!!!」
「わっ!?つ、ツキミ!?……もー、そんなに強く抱きしめたらめっ、だよ〜?」
……完全に暴走してました。ツキミはちびヤチヨをこれでもかと強く抱きしめて、幸せそうに頬擦りしている。
……え?あれいいの?垢BANされない?
……されないか。なんかヤチヨの方も、されるがままになって小さく笑ってるし。
ていうか……これ、かぐや的にはどうなんだろう……?
彩葉は今までの同居生活や経験のなかで、嫌というほど知っている。
ツキミが度を越したシスコンであるならば、目の前でぷくーっと頬を膨らませているかぐやもまた、あり得ないレベルで妹への独占欲が強いシスコンだということに。
……いやな予感がして、私は恐る恐る、かぐやの方へと視線を向けてみた。
「……………………ツキミ。かぐやとヤチヨ、どっちが好きなの?」
──かぐやは完全に真顔だった。その大きな瞳からすうっとハイライトが消え失せた、底知れない目で、凍りつくような声をポツリと発していた。
「え?勿論お姉ちゃんが大好きだよ!ほら、お姉ちゃんも来てよ!ぎゅーってしよ!」
「!そっか!!そうだよねー!ツキミはかぐやのこと大好きだもんね!はい、ぎゅー!!」
「へへへ…お姉ちゃんあったかい……♡」
「およよ〜…ツキミにフラれたのです~……」
……何だこれ。何が起きてるんだ……?彩葉は目の前で行われている、あまりにもテンポが良すぎる姉妹の掛け合いと、その腕の中で寂しそうにしているちびヤチヨの姿に、完全に脳内が宇宙猫になってしまっていた。
さっきまでのあの、世界を滅ぼしそうなハイライトの消えた真顔は一体どこへ行った。
妹の「大好き」の一言で秒速でチョロすぎる笑顔に戻るかぐやもかぐやだし、推しの歌姫をあっさりとフるツキミの度胸もおかしい。
何より、フラれて小さな肩を落としているちびヤチヨが、ツクヨミの頂点としての威厳をどこかに置き忘れてきていて、ただただ可哀想で、それ以上に破壊的に可愛い。
突っ込むべきポイントが多すぎて、私の狐のお耳はパニックを起こしたように完全にブレブレに震えている。
「おい!ボクの事を忘れてないか!?」
「……あ」
完全に蚊帳の外にいたFUSHIさんが、割り込んできた。
「ご、ごめんね~FUSHI。ヤッチョ的にも楽しくなっちゃって」
「……フン。まあいいさ、それより話を戻すぞ!お前のような小娘がヤチヨカップの優勝なんてムリムリムリ!」
「えー?やってみなきゃ分かんないじゃん!」
かぐやは何一つ怯むことなく、腰に手を当ててぷいっと胸を張った。
そんなかぐやに対して、ヤチヨは一言。
「それはどうかな~?ヤチヨカップの参加はライバー限定なのです♪」
いつもより短いツインテールを揺らしながら悪戯っぽくそう溢したのだった。
「そっか!じゃあよく分かんないけどかぐやライバーになる!彩葉も一緒にやろ?」
「は!?いやいや無理無理無理!何言ってんの!?」
相変わらず常識知らずなかぐやのおねだりに、私は全力で拒絶の意を見せる。
……無理に決まってるでしょ…私がライバーなんて…かぐやならともかくさ……。
そんな風に肩を落としている私を尻目にかぐやは。
「む………ツキミ!」
ツキミに声をかけて……?
「え?あ……うん分かった!ヤチヨちゃんも手伝って?」
何かおかしな事を言い始めて……?
……おい、何するつもりだこいつら。ヤチヨを巻き込むなよ。
ヤチヨ…断って良いんだよ……?寧ろ断ってくれ頼むから。
「ん?……ふふ、お任せあれ〜」
そんな彩葉の願いも虚しく、当のヤチヨはそれはそれはもう嬉しそうに快諾するのだった。
ま、不味い…この流れはもしかして……アレが来る!かぐやの超必殺技…可哀想なおねだり顔!
「彩葉ぁ……一緒にライバーやってよー」
ほら来た!やっぱりこのパターンだ…!その手にはもう乗らんぞ私は。
上目遣いでうるうるとした瞳を携えて、おねだりをかましてくるかぐやお得意の必殺技を防ぐべく、丹田に力を込めて耐えの姿勢に入る彩葉。
何度もこの無邪気な暴走に巻き込まれてきたのだ。ここで折れたら、本当にツクヨミの大荒波にライバーとして放り込まれてしまう。
それだけは避けなければならない。そんな潤んだ目で見つめられたって聞いてあげるものか。
さあ断れ、絶対に嫌だって言うんだ私。三、ニ、一、ハイ!
「………ら、ライバーとか時間ないし無理……かな……とか……」
くそう!何でもっと強く断れないないんだ私は!これじゃかぐやに何だかんだですぐに押し切られるって!絶対に無理って言うんだ私。
そんな風に彩葉が内心悶々としているうちに、今度はかぐやの援護をするべくツキミの方まで涙を浮かべておねだり顔をしながら。
「いろp……お姉ちゃんの事助けてあげて……?」
──鼻を啜り、両手を握り締めて、それはそれは完成度の高い可哀想な子を演じて、庇護欲を誘うような表情で彩葉に訴えかけ始めた。
こ、こいつら……本当にどこまでも私の弱点を……それ、ズルすぎでしょ……い、いや惑わされるな酒寄彩葉……!
一緒にライバーなんて出来るわけないんだから…!そんな時間ないし……!
……よし、やっぱりちゃんときっぱり断ろう。そう決意したのも束の間、かぐやとツキミは更に瞳を潤ませ。
「彩葉ぁ……?」
「いろpぃ……?」
──まるでこちら側が悪い事をしているかのような、哀しみの籠った声色で名前を呼んできたのだった。
実に卑怯である。彩葉がこの二人の涙としょんぼりとした表情に弱いのを知っていてやっているのだからより質が悪い。
実に似たもの姉妹で心底ムカつく。質悪すぎるし、お金は勝手に使うしさ…こんな風に卑怯なおねだりばっかりするし…そもそも居候なんだから少しは遠慮しろよ……。文句や不満は山程出てくるのに、何故かどうしても追い出そうとか、嫌いになったりはできない。
……寧ろ頼ってくれたり我儘言ってくれるのが少し嬉しい自分もいる気がして……。
……ま、まあ時間がある時ならほんの少しだけなら手伝ってあげても……い、いやいや!何考えてるんだ私!?落ち着け…!
冷静になって断るんだ。冷静に冷静に……。
「彩葉……?一緒にやろ……?」
れい…せいに……。
「いろp……私…いろはとお姉ちゃんの活躍が見たいな……?だめ……?」
………………………断る、んだ。頑張れ私……!
「う…く……い、いや今回ばっかりは流石に……じ、時間ないし……ライバーとか私には無理……」
い、言えた。断れた…遂に私はかぐやとツキミの必殺技に勝利したんだ…!
──かつてはこの二人の悲劇的涙溢れる茶番劇によって、迎えが来るまで家に居座る許可を与えてしまったり、名前をつけてしまったりと敗北し続けていた酒寄彩葉だったが、今回遂にこの二人のコンビネーションおねだりに大勝利を飾ったのだった。
しかし、完全に勝利の余韻に浸っている彩葉は、ひとつだけ致命的な事実を忘れている。それは──。
「彩葉……ヤッチョからもお願いしたいな?」
──ツキミが密かにお手伝いを要請していた最終兵器。酒寄彩葉の最推し、ヤチヨ様である。
「!?ややややややややヤチヨ!?」
当然、まさかまさかのヤチヨからのおねだりに、彩葉はあり得ないほどの動揺を見せて挙動不審に陥る。
そこへすかさず、ヤチヨは容赦のない追撃を開始した。
「ヤッチョも見たいなー?彩葉とかぐやとツキミが配信するの!だめ…かな?彩葉……?」
そう言って、小さな身体をさらにちんまりと縮め、瑠璃色の大きな眸をうるうると潤ませてじっと彩葉を見上げて懇願するヤチヨ。
ツクヨミを統べる絶対的な歌姫の、これ以上ないほどに破壊的な、至近距離からの完璧な上目遣い。
だが、その口元に浮かぶ悪戯っぽい微笑みの奥には──かつて『かぐや』だった頃のように、大好きな彩葉とまたこうして無邪気に、対等に絡み合えることが、心底嬉しくてたまらないという愛おしい本音が確かに溢れていた。
当然彩葉はそんなヤチヨの想いを知る由もないが、今まで見たことのない最推しのあまりにも純粋で眩しすぎる熱をダイレクトに浴びせられ、彩葉の理性の防壁が一瞬で粉砕される。
──そして、全ては計算通りとばかりに目配せを交わした確信犯たちは声を揃え、庇護欲をこれでもかと煽る、消え入りそうなほど悲痛でとびきりあざとい声を響かせた。
「「「彩葉……私たちのこと助けて……?」」」
………いや、それはいくら何でもズルくない……?
「……ま、まあ少しぐらいなら……いいけど……じ、時間があるときだけなら」
かぐやとツキミだけでも無理なのに、そこにヤチヨまで加わってしまったら…断るなんて無理にも程がある。
……ていうか何でヤチヨはこの二人の即興劇にあんなに完璧に着いていけるんだろう……やっぱヤチヨパワーすげー……。
彩葉が改めて推しの凄まじさを実感している中、完全勝利を収めたかぐや達は。
「よしゃー!流石ツキミ!!やっぱかぐやとツキミは一心同体だね!これでヤチヨカップ優勝間違いなし!ヤチヨも中々やるじゃん!!」
「お姉ちゃんと一心同体…へへへ……嬉しいぃ……♡」
「……ヤチヨ的には、その『一心同体』って言葉はちょっーと笑えないけどねー?」
ヤチヨはふっと瞳を細め、ジト目でツキミをこっそり見つめながら、不満げに唇を尖らせていた。
ウミウシになってしまうかぐやのために、自分の身体を、五感を、全てを捧げてしまったツキミ。
そのあまりに残酷で、あまりに無茶な決意で行われたツキミの行動。その結果、心が粉々に壊れかけた過去を持つヤチヨだからこその、痛烈で愛おしい無言の抗議だった。
今ならアレが唯一のツキミが蘇るための方法だったって分かってはいるけれど、それはそれ、これはこれだ。
「う……や、ヤチヨちゃんそれはその……」
心当たりがありすぎるツキミは、ヤチヨの射すような視線に冷や汗を流し、しどろもどろになって視線を泳がせる。
「?どうしたの二人とも?」
突然、何やら気まずそうな空気を醸し出し始めた二人に、かぐやが小首を傾げて疑問を呈した。
「あ…い、いや何でもないよお姉ちゃん!それよりほら、いろpも一緒に配信手伝ってくれるって言ってくれたし!準備準備!」
これ以上追及されてはたまらないと、ツキミはぶんぶんと首を横に振って必死の話題転換を試みていた。
「いやまだ手伝うって確定したわけじゃないからね!?時間がある時だけって言ったでしょ!?」
三人の不穏かつ奇妙なやり取りを傍観していた彩葉が、都合のいい防波堤にされかけたところで、たまらず声を荒らげてツッコミを入れる。
陥落こそしたものの、完全に主導権を握られたわけではない。彼女たちの凄まじい暴走ペースに巻き込まれまいと、彩葉は必死に最後の防衛線を主張するのだった。
「じゃあ早く時間作らないとね!早速準備準備~♪いこ、ツキミ!!」
「わっ、待ってよお姉ちゃん!えっと……や、ヤチヨちゃん!その……また、会いに来るから。またね!」
そう言ってかぐやに引っ張られたツキミは、速攻でログアウトした。
……待って?という事は今私は……。
「あらら〜…行っちゃったねー二人とも」
……ヤチヨと…二人!?どどどどどうしよう?わ、話題話題…!何か話さないと!あ、あれ……?話したいこととか言いたい事とか沢山準備してたのに、全部吹っ飛んでる…!?頭の中ぐちゃぐちゃで全然文章組み立てられない。
このまま話したら支離滅裂に…それは避けたい絶対に…でも、どうすれば…。
きょ、共通の話題…共通の話題…何か、何かあるはず……!だって私はヤチヨの配信全部見てるし、その話題とか…でもどんな話をすればいいの!?
ヤチヨと私の共通の話題で盛り上がりそうなやつ……あ、一つあるかも。
そうだ…これなら……!
「や、ヤチヨってさ、ツキミのこと狙ってるの?」
「…………………………え?」
……………ん?私今何て言った?…………!?いま私なんて言ったっ!?は!?馬鹿なの!?幾ら何でもパニクリすぎでしょ!
や、やばい確実に引かれてる…べ、弁明しないと下手したら垢BANされるかも……!
「ち、違くて!!その…!私の友…達とそう言う感じの話をしてて!ヤチヨはツキミに特別優しいし!ふじゅ~ぺいも沢山送ってたし!藤の花とか色々ツキミにプレゼントしてるし!あと指輪とかアクセサリーとかもさ!服装もそっくりだし、ツキミも身体中撫で回されたって言ってたし!それでついつい変なこと言っちゃって!!ごめんなさい!!」
──怖くてヤチヨの顔が見れない……私、何でこんなこと言っちゃったんだろう……。
ヤチヨの小さなアバターを前にして、私はただ地面を見つめて硬直することしかできなかった。
私にとっての生き甲斐、救いそのものなヤチヨに拒絶されることがあったら……私は、本当に、もう立ち上がれなくなってしまう。
嫌われたかもしれない。軽蔑されたかもしれない。
そんな鬱屈としたネガティブな感情が心を支配していく中、視界が涙で歪みそうになった、その時。
ふと、手のひらに、小さな温もりを感じた。
それは、ハッキリとした肉体の感覚だった。
冷え切っていた私の指先を、それよりもずっとちいさくて、驚くほど柔らかい、温かい体温が、下からそっと包み込んでいく。
……これって……もしかして……。
ツクヨミの夜風に混じる、推しの微かな甘い香りが鼻腔をくすぐる。
恐る恐る、壊れ物を扱うような手つきで、俯いていた顔をゆっくりと上げる。
滲む視界の先、光の残光を背負って佇むそこには。
「はい。握手!ツキミ達はする前に帰っちゃったから、その分彩葉に多めにしてあげるね!」
──ヤチヨが、弾けるような満面の笑みで、私の手を両手でぎゅぎゅっと握りしめてくれていた。
小さな指に込められた、優しくて確かな力。そこには拒絶なんて冷たい色は微塵もなくて、ただただ、嬉しそうに微笑むヤチヨの姿があった。
「ふふ…大丈夫だよ彩葉。ヤッチョはね、確かにツキミのこと可愛いなーって思っちゃってるからね♪」
「う、え、あ……?」
く、口が回らない……!嫌われてない安堵と、微笑むヤチヨの可愛さによる歓喜で口角が機能を失ってしまっている……!
「まあ親心的なやつなのかな~?ツキミってヤッチョにそっくりだからさ!ついつい可愛がって贔屓にしちゃったんだよね!いやー、バレたら色々言われておよよ〜ってなっちゃうかもだから、ふじゅ~の件は是非とも黙秘健太郎でお願いしたいのです~」
「あ、う、うんそれは…はい……」
思わず妙な敬語になってしまった……ヤチヨって……こんなに饒舌に喋るんだっけ……?いや、元々配信でもたくさん話してるけど…何か…いつもと違うような……?
「それにそれに!ツキミって可愛いのに凄く無防備でさ、もっと自分を大切にして欲しいのに全然してくれないから心配でね!放って置けないって言うのかな~?ほら、私はツクヨミの管理者でもあるので、ああいう子もしっかり守ってあげるのも仕事のうちというかね!いや、仕事関係なく守りたくなる子なんだけどさ!」
「………う、うん……そう、だね……?」
何だろう……今のヤチヨの表情……何処かで見たことあるような……。
「でも困ったことにね~…ツキミって結構魔性の女の子なのに自覚ないからおね……や、ヤッチョは凄く大人として!管理人として心配なんだよね~…あんなに可愛くていい子他にいないでしょ!彩葉もそう思うよね!?」
「あ、はい…そうですね……」
ヤチヨって…案外親しみやすいというか…この感じ、私がヤチヨを推してるのと似てる気がする……何か、ちょっと親近感……い、いや何を考えてるんだ私……!ヤチヨは天の上の女神様で……!
「ツキミとチュートリアルで会った時にね、私にそっくりだなーって思ってちょっとテンション上がったんだ。それで話てみたら凄くいい子で……いい子すぎて……少し可哀想だなーって感じちゃった。……もっと、自分の幸せを考えてもいいのになって。……あの子が幸せになって欲しくて、色々贈っちゃった。……ヤッチョは悪い子なのです、贔屓なんて…良くないのにね。えへへ……」
──ああ、そっか。ヤチヨは…ヤチヨも普通の女の子なんだ。……少しだけ、分かった気がする。ヤチヨもヤチヨで、色々あるんだ。
……神聖視、しすぎてたのかな。……でも、私にとってヤチヨは本当に救いで…神様みたいな人で……だけどこうして話してると……本当に、普通の女の子みたい。
……誰かに、似てる気がする。何だろう、この違和感と既視感は。
「あ…ごめんね彩葉。ヤッチョばっかり話しちゃって…退屈じゃなかった?」
「……ううん、全然。寧ろ…嬉しかった。ヤチヨの事、ちょっとだけ分かった気がして」
「!……そっか。でもでも~?ヤチヨは謎多き女の子なので、そう簡単には理解出来ぬのですよ。案外、重大な秘密があるかもよー?実は元海洋生物だったーとか!!……なーんてね☆」
「あはは…!なにそれ……!」
──普通に話せてる。あのヤチヨと、こんな風に話せるなんて思わなかった。あんなに緊張してたのに……どうしてだろう?
……何かが、引っかかってる。何かが……。それが何か分かれば…もっとヤチヨの事が知れるのにな。
「でもさ、彩葉が私にツキミを狙ってるって言ったって事は……彩葉ももしかして狙ってたり……?そういう発想があるってことだよね……?」
……突然何を言い出したんだ、この人は。……ハッ!?私はヤチヨに何て不敬な呼び方を!?この人だなんて……さっきから私、ヤチヨに対して失礼すぎでは……?
……いや、今はそれより…私がツキミを狙ってる?そんなわけ……。
「………ね、狙ってるとかないから。普通に…心配ではあるけど……それだけ」
「……ふ~ん?そっか。……でもツキミは魔性だからね?彩葉も油断してたら……あっという間に虜になっちゃうからね。気をつけないと!ツキミは本当に自覚なしの爆弾だからね!チュートリアルで話しただけでもヤッチョは痛感しました!あの子は心のブレーキがないの!好きって思ったらすぐ伝えるし、逃がさないとか言うし、おまけに…………!」
──ヤチヨがツキミに対して話してる姿は、配信やライブでは全く見れない、等身大のヤチヨって感じがする。私はこんなヤチヨは知らない。知らなかった。……ヤチヨって、こんな風に笑うんだ。こんな表情するんだ。……こんな、表情?あれ…この感じ……やっぱりどこかで……。
『もう…ツキミは、しょうがないんだから……』
『んー……そっか!ありがと、さっすが私の妹だね〜!私もツキミの事好きだよ!!』
『んへへぇ…つきみー……すかー』
『……ツキミが一番好きなのは私だよね?』
『私はかぐや!こっちは妹のツキミ!!可愛いでしょ〜?』
「──かぐや?」
「……………………………え?」
思わず、私の口から零れ落ちてしまったのは、今のヤチヨと同じくらいの熱量でツキミについて語っている少女の名前だった。
「あ……ご、ごめん……また変なこと言っちゃって……」
先ほどまで楽しそうに喋っていたヤチヨの表情が、氷のように固まってしまっているのを見て、私はまた失言をしてしまったのだと理解した。
……ヤチヨが、かぐやなわけないのにね。
そんな私にヤチヨは。
「……どうして、そう思ったの?」
──静かな声色で、そう尋ねてきた。少し声が震えていたのは、気のせいだろうか。
「えっと…ツキミについて話してる時の表情が……かぐや……さっきの子ね。あの子にそっくりだったから……つい」
「っ…………そっ…か。あはは……かぐやとはいい友達になれそうだね☆色々語りたいなー……」
──どうしてだろう。どうしてこんなにも……胸が苦しいんだろう。ヤチヨはいつものように、おどけた調子で笑っている。
なのに、繋がれたままのちいさな手のひらが、ほんの一瞬だけ、血の気が引くほど冷たく強張ったのを、五感が実装されたこの世界は残酷なほど正確に私に伝えてきた。
分からない、分からないけど……どうしようもなく、胸の奥がざわついている。
一度芽生えてしまった不協和音は、ツクヨミの心地よい夜風に吹かれても、どうしても消えてくれない。
「ヤチヨは……ヤチヨ、だよね……?」
すがるような私の問いかけに、ヤチヨは一拍、常夜の闇をその瞳に映すようにして静止し──次の瞬間、弾けたようにいつもの『電子の歌姫』の笑顔を咲かせた。
「────うん、そだよー♪ヤチヨはヤチヨだよ!電子の歌姫でー、ツクヨミの管理人!8000歳のAIライバー!!ツキミちゃんの隠れファンでーす!」
……そう、だよね。ヤチヨはヤチヨだよね。
一瞬、本当に一瞬だけ、愚かにも思ってしまったのだ。もしかしたらヤチヨは……かぐやなんじゃないかって。
でも、もしそうだとしたら……ツキミが側に居ないのは可笑しい。
そもそも、かぐやは今だって現実世界の私のボロアパートにちゃんと居るんだから、絶対に違う。
同じ人間が二人も同時に存在するわけがないし……ただの、偶然の既視感。それだけだ。そうだ、そうに決まっている。
──本当はただ、気付きたくなかっただけなのかもしれないが。
もしその仮説のパズルがカチリと噛み合ってしまったら、今私たちが過ごしている、あの騒がしくて愛おしい「当たり前の日常」の裏にある、あまりにも巨大で残酷な『何か』に触れてしまうような気がして、本能が思考のシャッターを下ろしていた。
「あはは…そうだよね。変なこと聞いてごめん。……そろそろ、戻らなきゃ。かぐや達が何しでかすか分からないし……」
どこか冷えてしまった右手のひらを隠すように、私はシステムメニューへと手を伸ばした。
これ以上ここにいてヤチヨの顔を見ていたら、自分の胸の奥のざわめきが、取り返しのつかない形になって溢れ出してしまいそうだったから。
「あっ、待って! 彩葉には色々聞いてもらったし……特別サービス!!」
「…………うえっ!? あ、え……はうっ!? やや、やち、やち……!?」
伸ばしかけた私の指先が、空中でピタリと止まる。
それよりも早く、ちいさな光の残光を纏った身体が、私の胸元へと迷いなく飛び込んできた。
──暖かな温もりが私の体を包み込む。安心する匂いと、心地良い幸せな感覚。
……抱きしめ、られてる……!?
現実と何一つ変わらない。いや、あらゆるノイズが削ぎ落とされたこの世界だからこそ、その「ハグ」の感触は、痛いくらいに鮮烈に私の五感を突き刺した。
身長百三十センチほどの、ちいさなヤチヨの頭が私の胸のあたりにすっぽりと収まっている。
細い、けれど驚くほど意思の籠った両腕が、私の腰のあたりをぎゅっと、優しく抱きしめていた。
鼻腔を満たすのは、ツクヨミの夜風の匂い。
……な、何これ…何が起きてるの!?私、ヤチヨに抱きしめられてるの!?何で!?
「いつも来てくれてありがとうね、彩葉」
い、いつも!?認知されてる!?そう言えば今更だけど名前まで把握されてるし!ふわあ~♡嬉し~♡
先程までのシリアスな気持ちが一瞬で消え去ってしまう程の大サービスであった。
考えても見て欲しい。人生を変えてくれたレベルの最推しが自分を抱きしめて認知してくれているのだ。
それはもう、飛ぶに決まっているだろう。
彩葉はもう、限界であった。
「あ、あの…!きょ、今日はっこれでっ!!ありがとうございました!!!!!」
頭を下げて、名残惜しさを感じながらもヤチヨと離れて、逃げるようにログアウトをした。
……顔が熱い…熱すぎる…感謝も羞恥も歓喜も焦燥も、あらゆる感情がごちゃ混ぜになって爆発しそうだった。
「…………ありがとうね、彩葉。名前、呼んでくれて。………大好き、だよ」
──その声が誰かに届く日は、いつかきっと……。
FUSHIさんの一人称が分からない…僕なのかボクなのか…本来の時は俺なのか…。
因みに彩葉の内心描写は小説準拠なのでキャラ崩壊じゃないです。割とはっちゃけてます。面白いので是非小説版も読んでみてください