性別が変わってしまった親友の背中を押したら大事故を起こした話   作:かりほのいおり

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春の短編週間
俺とあいつと彼女の話



俺の話 友人の性別が変わった件について

 

 0

 

 性別が変わる、ということの大変さを俺はよくわかっちゃいない。

 俺の周りにはそういう奴が一人だけいるけれども、というかそいつは俺の友人ではあるのだけれども、そこら辺の踏み入った話をした事は一度もない。

 

 だって、そうだろう?

 

 それを聞いたところで平穏に生きている俺が『はえーそれは大変でしたね』、なんてことを言ったところで薄っぺらすぎてどうしようもない。

 きっと共感はできないし、可哀想だな……なんて同情を寄せることぐらいだ。まあそんな同情を見せたらボコボコにされるのだろうけど。

 

 だから、俺はあいつが話したいと思わない限り、身の上話を聴く気はない。言いたければ悠の方からそのうち話してくれるだろうし、その時に何とも言えない反応を示して、タコ殴りにされるぐらいであいつが救われるならやぶさかではない。

 

 まあ結局、あれからもうすぐ一年経つけれど話を聞いたことがないって時点で、あいつがそういうやり方を求めていないということなのだろう。

 多分、自分が何をしたところで、あいつが救われるわけではないような気がしている。

 

 元に戻りたいとかいう願いを叶えるのは、医者か……医者ではないか。多分研究者か、マッドサイエンティストの仕事だろう。

 今の俺が出来ることと言えば隣にいてやることぐらい、今となってはその仕事もお役目御免って感じではある。

 

 つまり、お前が聞きたかったことの俺のあいつとの関係性を言うとすれば、山下 達也はあいつのことを『親友』だと思っている。

 何とかしてやりたいとは思っているが、俺には魔法の杖はない、当然魔法の剣も持っていない。

 ただ、親友として、あいつのことを少しでも支えられたらいいなと思っているだけ。

 

 まあその答えで、お前はきっと納得しないんだろうけれど。

 

 だから、あの夏の出来事を話すしかないんだろうな。あの夏何があって、なんで井上 悠がお前に告白したのかという答え合わせをしなきゃきっと納得してくれないんだろう。

 

 といっても、俺は何もしなかったのだけれども。だからこそ俺は、何とかしたかったけどどうしようもなかったとしか言いようがないのだけれども。

 唯一俺がやったと言えることは、あいつの背中を軽く押しただけなのだ。

 

 軽く背中を押したつもりが勝手に凄い爆走していっただけなんだ。きっとこの話を聞いたら、納得してくれるんじゃないかと思っている。

 

 1

 

 ことの発端は夏休みのことである。

 平日であったから両親は仕事に出かけ、一人でそうめんをゆでた後の昼下がり。

 風雲急を告げる通知が一つ、飛んできた。

 

『今暇?』

 

 暇ではあるけれども、大分唐突なメッセージ。

 個人的には親友であると思っていた井上 悠からの久しぶりの連絡だった。

 

 その一つ前にメッセージは、夏休み前に自分が送った『大丈夫か?』という一文。

 既読はついたけれども、結局今日に至るまで返事はなかった。

 

 悠は一学期の最終日に姿を見せなかった。そして俺以外の生徒大多数にその影響も特にないまま、終業式はつつがなく終了していた。

 そもそも当たり前と言えば当たり前なのだけれども、俺も影響はないはずなのだけれども。

 

 問題なのはいつも登校を一緒にしていた俺ぐらいだろう。

 ただあいつがいつもの登校の待ち合わせの時間に姿を見せず、蝉時雨を浴びながら無駄に待っていたせいで遅刻をかましたぐらいではあるのだけれども。

 

 まあ見切りをつけなかった俺が悪いと言われればそうで、だから悠を責める気はないのだけれども、それでも休むなら休むと言って欲しいものだ。

 

 というか悠の人となりからして終業式をぶっちするようなやつとは思えなかったから、無駄に待ちぼうけをしていたという話。

 もしかして俺を置いて先に行ったのだろうかという当たる気のしない予想は、わざわざ他クラスまで赴いた調査の結果、その予想はさっくり否定されている。

 

 不良としての萌芽とでもいうのだろうか?

 

 そういう訳でなんとも言えない気持ちのまま、夏休み突入。

 それからかれこれ一週間ほど経って8月である。

 悠と連絡は取れないが夏休みが何か変わるという訳でもなく、少しずつあいつの影を薄れていく日々。

 

 一度だけ、そういやあいつどうしているんだろうと通話でもかけようかと思ったが、おっくうになって後回しにして、今更思い出す始末。

 

『暇』とだけメッセージを送り、自分が使った皿の洗い物にはいったところで、ピンポンと来客を告げる音。

 もう来たのかよ、家の前から直接連絡したレベルじゃないか。

 ちょっと早めに連絡してくれればいいのに、濡れた手のまま、念のためにとインターホンを覗き込んだ。

 

 予想に反して知らない女子がカメラの向こうで団扇を仰いでいた。

 この時期とずれただぼだぼの長袖のパーカーにジーパン、鍔付き帽子を深くかぶってる。あまり髪に頓着しないのか目が隠れるまで伸びた髪のせいで視線はあまり見えないけれど、少なくとも顔立ちは整っており、それなりにかわいい雰囲気ではある。

 

 しかし、あまりに心当たりがない。

 

 本当にだれだこいつ、一通り記憶の引き出しを漁るも合致する姿は発見できず。

 中学校だか小学校だかの昔の知り合いだろうか、男子三日会わざれば刮目してみよというぐらいだし、まあ男ではなさそうだけれども、俺に会いに来る道理がわからないのだけれども。

 三日と言わず、数年経っていれば原型の形も残らないのではなかろうか。

 

 応答もせずにそんな戯言を考えていると、痺れを切らしたのか、彼女は一度手に持ったスマホに目を落とし、ふっとカメラの左手前へとフェードアウトしていった。

 それに合わせるように画面がブラックアウト。

 

 彼女の行き先はおそらく家の玄関の方だろうとあたりがついた。

 門はないからそのまま玄関の扉までは素通り、相手の素性を予測する先にやるべきことがあったのではなかろうか。

 

 慌てて自分も玄関の方へと向かう、不用心なことに玄関の鍵が閉められていない事はままよくある事だった。

 彼女がドアノブを勝手に回すなんてことはないだろうけれども、誰でも歓迎のフリーアクセス状態なのは不味い。我が家の勝手知ったる誰かさんはそれを利用して入り込んでくるのだが。

 

 とりあえず彼女とさっさと対面して、要件を聞いて悠の来訪に備えなければいけない。

 この状況をあいつに見られたら無駄に勘違いされて弄られること間違いなし、せっかく待ちぼうけを食わされた被害者という有利な立場が吹っ飛びかねない。

 

『おうおうにいちゃんいい思いをしてんじゃねーか』、そんなあいつの声が脳内再生される、本当に知らないっていうのに。

 そんなこっちの未来予想図を蹴っ飛ばして、廊下を急ぐ俺を急かすように、不用心な玄関扉ががちゃりと音を立て、それを追って蝉の声が家の中にさっと滑り込んだのを感じた。

 

 基本的に空いてるのだから文句は言えないとはいえ、他人の家に少しの逡巡も見せることなく入ってこようとするなんて。

 

 ようやく玄関先へと辿り着く。

 真夏の雰囲気を背負って、おおよそ夏とはいえない格好をした彼女が、キョロキョロと何かを探すかのように周りを見渡している。

 インターホン越しで見たときより、庇護欲を誘うような小柄な背丈だと情報がアップデートされる。

 

 不意に視線が俺のところでピタッと止まる。家主との遭遇。視線と視線がぶつかって火が踊るような爛々と輝く濁りのない瞳、それを俺はどこかで見たような気がした。

 数瞬の硬直、けれども一向に怯む様子を見せないまま。やっぱりいるじゃねーかと彼女は大きなため息をついた。

 

「前から言ってるけどさぁ、あまりに不用心すぎるだろ。いい加減玄関の鍵ぐらいは閉めとけよ、というか暇っていうならさっさとインターホンにでろ、天気予報見てないのか? 35℃越えだぞ35℃、ほぼサウナだろこれ、サウナと世界が裏表ひっくり返っちまってるよ」

 

 あたかも知り合いかのように次々と言葉をぶつけられて立ちすくむ、やけに玄関の外の空が青く見えて、わけもなくああ夏なんだなと現実逃避をしていた。

 

「……どちらさま?」

「あぁ、そりゃわかんないか」

 

 答えを出さないまま、後ろ手に玄関の扉を閉めた。

 無惨に断ち切られた蝉の声、ぱぱっと彼女の指が閃いて「送信」と彼女がつぶやくと同時に自分のポケットに入れたスマホがぴこんと音を立てた。

 

 井上 悠からの通知、内容は一文。『俺だよ』と。

 今更ながらあの眼を見た時の既視感の正体に気づいた。確かにそうだ、あれはあいつの眼だ。

 

 もうずいぶん外見も、というかそもそも性別が変わっているように見えるけれど、確かにあの眼は変わっていない。絶え間なく動く、あの燃えるような瞳を俺は確かに見たことがあった。

 

「とりあえずなんか飲みものでも入れてくれよ。麦茶あるだろ、麦茶。氷は切らしてないよな? 今まであったことを説明するからさ」

 

 そう言いながら、彼女は自分の隣を通り過ぎていく。まるで我が家の構造なんて知り尽くしてるかのようにリビングに向けてトコトコと。

 そうめん用に氷を使ったから、一人分しか製氷皿には残ってないような気がした。現実逃避気味にそんなことを考える。

 早くこいよー、という声を聞いて仕方なく歩き始める。

 念の為に一度、自分の頬を抓てもここは廊下のまま。どうやらこれは、夢ではないらしい。

 

 2

 

「っていうわけでさぁ、終業式直前の土日にちんこなくなっちゃったんだよねー」

 

 イヤー参った参ったと、よくあることかのように声が飛んでくる。

 ノートPCから目線をあげると、性別 変わる 病気と調べこんでいるこっちに一切興味がないかのように、テレビのチャンネルをガチャガチャと回している。

 一番見たかった高校野球は、悠の選択肢に入る価値もなかったのか一瞬で飛ばされた。

 

 まあ、今はそれどころでは無いのだけれども。

 確かに性別が変わってしまうという病気はあるらしい、人に移るとかそういうのは無いけれども、人のバランスを保つために、種としてそうなっているらしいという説もあるが、とにかく病気として認定されている。

 

 コップを手に取って喉を潤す。

 氷も無しに入れたからもうとっくに温み切った麦茶。あいつの目の前にあるのは氷入り、きっとまだ冷えているだろう。

 

「学校には?」

「連絡済み、秋からの制服はどっちでもいいらしいぜ」

 

 LGBTってやつなんだろうな、がははという発言はなんとなくリアクションがしにくい。

 

「ってか客が来てるんだから一人で調べ物してないではやく隣に着けよ」

「ん、あぁ」

 

 ふと悠の目の前に置かれたコップが氷を残してすっかりからになっていることに今更気付いた。

 冷蔵庫からピッチャーを取り出して注ぎ、自分の方にも追加で注ぎ足す。

 

「で、終業式の時に連絡がなかった理由もそれが原因か?」

「まぁ、それもあるけど? ちょっと説明も面倒でさ、まあ達也なら後回しでも良いかと思って……ややっ、そのリモコンは人を叩くための道具ではなくて!?」

「そのせいでこっちは遅刻したんだよバカヤロー」

「あー、そうなの? そりゃ悪いことしたな」

 

 すまん、とあっさり頭を下げる悠を見て毒気を抜かれる。まあ、仕方ないのだろう。

 朝起きて性別が変わっていたなんて、そんな経験は当然俺には無いのだけども、少なくともきっと平常ではいられないのは確かだろうから。

 

「お前が元気ならなんでも良いよ、で今日はなんのようで?」

 

 全くデリカシーのない発言。

 この状況を元気と言えるのだろうかと内心で罰を付けるが、その様子に気がつく様子もない。彼はリモコンも取り上げられ手持ち無沙汰に、持ってきた帽子を指でクルクルと回していた。

 

「まぁ、そんなわけで性別も変わっちゃって夏休みの予定も色々パーって訳なんだよ、そう言う訳でクッソ暇、どうせお前もクッソ暇だろうから付き合ってやんよ」

 

 傲岸不遜に上から目線でそんなことを言う。暇ではある、暇ではあるが、そう言われるのも癪ではある。事実は時として人を容易く傷つけるのだった。

 ソファにどっかりと腰を下ろして入力切替のボタンを押す。

 

「まあ、ゲームでもするか」

 

 とにかく身の上話から話を逸らすべく、俺はそう提案したのだ。

 

 3

 

 夏休みに変化が加わった。

 井上 悠が我が家に入り浸るようになっていた。

 

 と言っても毎日ではない、そこらへんは弁えているつもりだと悠は言う。

 いや、土日以外全部いるじゃねえかと、朝から夕方までみちみちじゃねえかと思うのだけれども。

 

 どうにも、俺が思うにあいつは俺の親との接触を極力避けているようだった。

 というか、俺以外の人物との接触を絶っていたのかもしれない。

 少なくともあいつがこんな頻度でここにいる以上、俺以外の友人関係が成り立っているようには思えなかったし、逆説的にいえばこの夏休みの間、俺はあいつ以外との友人関係が壊滅的だったとも言えるのだけれども。

 

 とにかく、この夏休みを振り返った時、井上 悠といる時間がとんでもない比重を占めていた。

 その意味を、俺はあんまり考えたくない。

 

 家にいてやる事の選択肢はあんまり無い。

 まあ、ゲームでもして映画でも眺めていれば時間は潰れるのだけれども、あいつはそれで満足していたのだけれども。

 

 でも、本当に満足していたのか? と言われると首を傾げてしまう。

 もっと、あいつはどこかに行くことを提案する奴ではなかったか?

 

 映画は劇場で見てこそとやかましく主張するような奴だったし、去年なんて海に行きたいと唐突に騒ぎ立てた挙句、親を徴用し俺をも連行して海に突撃していたし、肉焼きてえなーと思い立ったや否やBBQに俺を連行して全く火力の足りない炭に文句を垂れてはいなかったか?

 

 そして、それらのイベントは今年一度でもあっただろうか。

 

 ない、あいつからのどこへ行っても何をしたいという提案も一度もなかった。

 それはあまりにも『あいつらしくない』ことだと俺は思ってしまうのだ。

 

 だから、あの日、本当に珍しいことに俺から提案をしたのだ。

 一夏の締めくくりに夏祭りにいくかと、それを聞いて悠はしばらく悩んでいたけれども、観念したかのように「お前が行きたいなら、仕方ねえな」と言ったのだ。

 

 それはやっぱり、らしくないことで。

 嫌なら嫌と即断即決だったはずなのだ、理由に他人を出すような奴ではなかったはずなのだ。

 本当に勝手なことにそれを聞いて、俺はいつも通りに戻れば良いのにな、なんて思っていた。

 

 夏休みの最終日曜日。

 日中は親がいるから来ないという法則は、昨日今日と律儀に守られている。

『外に出てこい』というメッセージに連れられて、慌てて出てくれば、いつものように男物の服をそのまま流用して着込んでいる悠の姿があった。

 いい加減髪を切ればいいのに、そこすらもほったらかしなのだから勿体無いことではある。

 それ以外にも服もちゃんと選んで、化粧とかすればくっそモテるんだろうなと思うけれど、別に悠はそれを求めてはいないのだろうから、俺は何も言えなかった。

 結局、無言で視線をやりとりして、どちらも何もいうことなく、ぶらぶらと夏祭りに向かって歩き始める。

 

 日は沈んだというのに地面に籠った熱は発散される事はなく、じめっと蒸した夏の風が身を撫でていくのが気持ち悪かった。

 目的地が一緒なのだろう。歩く道の先を母親に連れられて浴衣を着た子供が歩いていた。

 悠がそれをぼんやりと眺めているのに気づいて声をかける。

 

「そんなに着たいなら、家にある甚平をやろうか? 俺が寝巻きとして使ってる奴だけど」

「いらねえよ! プレゼントとして貰うとしても何でお前の中古品なんだよ、そもそも甚平と浴衣は全然違うじゃねえか、あと浴衣を着たい訳でもねーよ!!」

 

 否定を重ねるたびにパンパンパンとローキックが飛んできてダメージが蓄積されるが、特にかわす気もなかった。

 普通に受け入れる必要はなかったなと後悔はするけれど。ふんと鼻を鳴らしてズカズカと前を行く悠の背中を、びっこを引きながら必死に追う。

 

 日が沈み、祭りの気配がいよいよ迫ってくる。

 駅前の大通りを避けて、迂回して細道へと入りこみ、少し進むと屋台の行列の真っ只中に出ていた。

 何はともあれラムネを二本買って、悠に一本渡す。どこに行く?と聞かれてさあと返す。

 

 目的地に着いたとは言え、ここに来て何がやりたい訳でもなかった。というか、夏祭りの楽しみ方なんて食べること以外思いつかない。

 それ以外にも強いて言うなれば「打ち上げ花火を見たい」と思っていたぐらいで、おそらくそれまでまだ少しの時間が空くだろう。

 

(もうちょっと目的を立てろよ)とラムネを飲みながら、ちくちく責めるような視線飛ばしてくるのを無視して周りを見渡す。

 りんご飴、綿飴、チョコバナナ、ベビーカステラ、パッと目につくものが甘いものだらけで、視線を戻すと悠の手元には新しく水風船が装備されていた。

 

「で、どうすんだ?」

 

 パンパンパンとバウンドさせた水風船が俺の体を叩く、りんご飴食べるか? という口を塞ぐための時間稼ぎの問いはいらんと切って捨てられる。

 とにかくここにいても仕方ない、少し移動すれば焼きそばなり何なり食べたいものが見つかるだろう。

 

 そうして人混みの流れに乗って進んでいって、バッタリとクラスメイトと出会った。

 至極当然、夏祭りに来ようと思うのは大体の高校生がそうだろう。となれば、こういう遭遇も想像できたはずで。

 

 お、山下じゃんという声に、俺は片腕をあげておうと返事をする。何お前、一人で夏祭りに来てるの? という返事に首を傾げる。

 そんなつもりはないけれど、と後ろを振り返ると一つも顔も知らない雑踏があるばかり、付いてきていたはずの人がいなくなっていた。

 

 まあ、そんなところだと返して、一緒に廻るかという誘いをこれから予定があるんだと言って踵を返す。

 居場所を尋ねるメッセージに返事が来るより先に、悠の姿を見つける方が早かった。

 ただ来た時に道を引き返しただけ、一番初めに出てきた細道の途中であいつは立ち竦んでいた。

 

「お前、どこ行ってんだよ」

「こっちのセリフだってーの、ばーか」

 

 お前、同級生に会いたくなくて逃げたろ? とは言えなかった。

 どんどんどんと花火の打ち上がる音と、それを見て感嘆する声が表から聞こえてくる。

 空を見上げても花火の色に滲んだ夜空が見えるばかりで、ビルの狭間のここらでは花火はどうにも見えなそうだった。

 

「……どうして俺はこうなったんだろうな」

 

 ビルの隙間の限られた空から、そこから無理をして何かを覗き込もうとしながら、悠はそんなことを言う。

 

「お前、ちゃんと二学期から学校に戻ってくるんだよな」

「多分、多分もどるよ」

 

 目線を合わせようともしないまま、ただただ空を見上げている。きっと帰ってくる気はないんだろうな、そんな気がした。

 あそこが息苦しい場所だから、きっと周りがそれを認めてくれるかわからないから。

 

「だって、お前がずっと隣にいてくれる訳じゃないんだろう?」

 

 きっと俺たちは夏休みの間、ずっといっしょに居すぎた、都合の良い空間で妥協し続けてしまった。

 

 多分、それはきっと良くないことだった。

 もうちょっと早く手を離すべきだった、俺にできることが友達として隣にいるだけなのならばなおさら。

 

 でも友達以上に踏み込みそうになってしまったから、何か出来るんじゃないかと希望を見出してしまったから、それに甘える余裕ができてしまった。

 一生野良猫に餌を与え続けられないのなら、はじめから餌をあげてはいけないとあれほど言われていたのに。

 

 そう、夏休みの間なら一緒にいることができるかもしれないけれど、二学期になれば別なのだ。

 悠はきっと別の支柱を作る必要があって、それをさせなかったのであれば、その目標を俺が見つけ出すことぐらいしかできない。

 

 それぐらいしか出来ないのではなく、それをしなければならないという義務がある。

 所詮たわごとだとわかっていても、俺は言う。

 

「悠、お前は……彼女を作れ」

 

 はあ? と大きく目を見開く悠を背に、大きな花火の音が一つなった。

 何を言ってるんだろう、俺は。

 でも。その言葉が一番正しいような気がした。

 

「お前はとにかく探さなきゃいけないんだよ。全部話していいと思える相手を、頼ってもいいと思える存在を、常に自分の味方であってくれる人を、お前は見つけなきゃいけない。じゃないとそのうちぽっきり折れちまうよ」

 

 はあ、と呆れたようにため息をついて悠はこっちを見つめる

 

「おまえじゃだめなの?」

 

 だらけた、気の抜けた言葉に俺は。

 

「何言ってるんだ、俺たちは親友だろ」

 

 瞬間、水風船が飛んできた。

 避けた、めちゃくちゃ必死に。そしてこの先に飛んだらどうするんだという少しの後悔。

 

 幸いにして水風船が通路に飛び出すことはなく、ビルの壁をパンという音と同時に少し湿らせるぐらい。ほっと肩を下ろす。

 ほんとわかってねえなこいつと言う視線を全力で受け流す、俺は勘違いしているかもしれないし、悠は錯覚をしているだけなのだから。

 

 ほんの少しの睨み合いの後、痺れを切らせたのは俺ではなかった。呆れたようにため息をついて、悠はばーかと呟いた。

 

「卑怯だよ、お前は」

 

 全く悠が何言ってるかわからないけど、きっと俺は卑怯者なんだろう。

 

「ほんでさ、俺が告白して盛大に爆散したらどうしてくれるの?」

 

 何も、という言葉に悠は目をスッと細めた。

 

「何も変わらない、俺はずっと隣にいる、お前がどう変わろうと、ずっと変わらずそこにいるよ。お前に拒否される日がいつかくるだろうけど」

 

 その言葉があいつにどれだけ響いたのか、わからない。

 ただ、さっきよりは少し雰囲気が和らいだ気がした。

 

「ばっかじゃねーの、そんな保証もない言葉、誰が信用するかっつーの」

 

 ただ、悠が距離を詰めてトントンと俺の胸を突っついた。信じてるからな、そんな声が聞こえた気がするけれど、本当のところは分からない。

 また何事もなかったようにくるっと振り向いて歌うように語る。

 

「はーあ、告白するならあいつだな、小川 千春」

 

 ギョッと目を剥いた、それは無理だろう。

 確かあいつのクラスにいた俺でも名前を知っているぐらいの美少女、鉄壁の防御を誇り一生告白を断り続けていると言う彼女。

 

 そういえば、あいつ可愛いよなと悠が話題に出してたこともあったような気がする。

 あの長い髪が良いよなぁとか、振り返った時にばさっと広がるのがかっこいいとか、直接的な好きに繋がる表現は少なかったけれど、確かに彼女に言及する言葉は多かったから、冗談めかした発言ではなくて、それが本命でもおかしくないような気はする。

 

 が、行けるのか? ただの玉砕覚悟の突撃ではないのか?

 そんな考えを肯定するように、

 

「どうせならとびっきりの失恋をみせてやるよ、どうなってもお前は隣にいてくれるんだろ?」

 

 とびっきりの笑顔で悠はそんなことを言うのだ。もう勝てるはずもなかった、仕方なく頷いて、段階を踏んだ告白をするように祈ることしか俺には出来ない。

 

「来年も一緒に夏祭りにこれるかな」

「お前に一緒に来る相手がいなかったらな」

 

 ハッと笑って、悠が距離をとる。

 お前はいつになったら彼女出来るんだよと情け容赦ないツッコミが体を抉る。

 ぐっと胃を抑えた俺を置いて、うんと背を伸ばし、ほっぺたをパンパンと軽く叩いてよしっと一言。

 

「俺、先帰るわ」

 

 あまりにも早い帰宅、ラムネと今は残骸となった水風船ぐらいしか楽しめてないはずなのに、それでも満足しきったみたいな疲労感に満ちた笑顔。

 

 それが見えたのも一瞬でもう悠は背を向けて歩き始めていた。慌てて後を追おうとして「ついてくるんじゃねーよ」と振り返ることすらせず、跳ね除けられる。

 身動きを止めてしまった俺に首だけ向けて言うのだ。

 

「お前が夏祭りにきたかったんだろ。ちゃんと満喫して帰れ、そして食べたやつは写真に撮って食レポまとめて共有しろ、10枚はやれ」

 

 正論を突きつけて、追加に宿題も増やして、それで話は終わりと言わんばかりにあいつはスタスタと去っていった。

 悠の背中を見送りながら呆然と立ち竦んで、彼女の背中がようやく見えなくなったところで、ようやく俺は動き始めた。

 

 仕方なく俺はあの喧騒の中に戻ることにした。今から合流したいと言ったら、あの友人は許してくれるだろうか。

 出店の群れを行く、さっきよりビルの隙間よりずっと広い空に、今も花火は上がり続けている。

 

 あいつもまた、この花火を見上げているだろうか?

 

 4

 

 ことの終わりの始りは、夏休み明けの始業式の日だった。

 

『明日から色々準備するから』というメッセージを受けて、ちゃんと学校に戻ってくるんだなぁと一息つきつつ、ため置いた宿題を必死に処理する最後の追い込み期間。

 

 そういえばと、登校前の待ち合わせはいつも通りなのかと聞けば当たり前だと返ってきた。

 そうなのか、てっきり家に来ないからと縁も遠ざかったものかと思っていたけれどそうではないらしい。

 

 とにかく、あの一日は清々しいほど快晴で始まった。

 

 まずおかしい点は、悠が男子用の制服ではなく、女子用のブレザーを着てきたことから始まった。

 いや確かに、男子用でも女子用でもどっちでもいいらしいという話を聞いたけれども。

 

「逆にだ、女子が男子用の制服を着ていたら浮くだろうが」

 と、熱弁する悠の話を右から左へ受け流す。

 

 そういうものだろうか?

 

 別にそういうふうになってしまったのだから仕方ないし、前の制服にこだわりがあると言ったら許されるような気がするけれど。

 失礼なぐらい上から下までジロジロと見渡して、けれどもいつまでもそこに突っ立っていることもできず、ようやく高校に向けて歩き始めて数分、ああっとようやくいつもと違う点に気づく。

 

 そうだ、髪がいつもの適当な感じではないのだ、悠がそれを綺麗に整えていた。

 

 今となっては手遅れだ。気づかなかったことが不満なのか、不機嫌そうに歩く背中を追って、ただただ歩いていく。

 

 俺の隣にいる美少女が井上 悠であることに気づく奴はいないだろう、もしかしたら俺たちがいつも二人連れ立って登校してるから推察することはできるかもしれないけれど、薬でも決めてなければ夏休み前と同じ登校風景だと見抜けるはずがなかった。

 

 それならまだ、山下 達也にとんでもなく可愛い彼女ができたとか、そういうあり得ない妄想を立てるに決まってる。

 

「おい、達也」

「……はい、なんでしょう」

 

 信号待ちの小休止時間。ぶっきらぼうな声を投げかけられ、思わず背筋を伸ばす。

 

「お前、ちゃんと俺の教室までこいよな」

「……何ででしょうか」

 

 下駄箱から俺たちのクラスまで経路を結んだ時、先にクラスに到着するのが自分でさらに隣の隣に悠のクラスがある。わざわざそこまでいく必要がないというのに、何で当たり前のことを聞くのかと悠は白い目で俺のことを見ている。

 

「俺が、小川 千春に、告白する、意味はわかるか?」

「え、本当に告白するの?」

 

 その状態で? いや、女子用の制服に身を包んでるのが悪いとかではなく、なら男子用の制服に身を包んでるもんじゃないのか?

 なんというか、相手に適切な服装じゃないという微妙な違和感は。

 

「お前が彼女を作れって言ったんだろうが!!!!」

 

 とんでもない衝撃が臀部に走ったことで吹き飛んでしまった。思わずケツが四つに割れてしまったのではないかと危惧するぐらいの、そんな痛みにウミガメの気持ちを知る。

 

「まったく……とびっきりの失恋を見せてやるって言ったの忘れたのかよ」

「ああ……そういうこと……」

 

 けつを抑えながらフラフラと歩く。確かにそんなことを言っていた、あれって告白見届け人になれとか、そういう意味だったのか。

 

 知らなかったし気付かなかった、こんな涙目では、そんな様は直視できないような気がするけれど。

 

 そんな珍道中は終わりを告げる時が来る。

 校門を通り、下駄箱を抜け、いつもの廊下を行き、俺の教室をも過ぎて、あいつの教室の前である。

 

 スッパーン!と勢いよく教室を開け放ち、ぐるりと周囲を睥睨、目標の小川 千春を目にするや否や、ツカツカと歩み寄る。

 扉が勢いよく開け放たれたことに教室内の耳目を一身に集め、それが誰も知らない少女であったことからクラス全員に疑問をばら撒いて、それを回収することなく悠は進んでいく。

 

 小川 千春は教室の最後方で一人で椅子に腰掛けていた。周囲には誰もおらず、誰も寄せ付けることなく、いつもの一日を送る予定だったのだろう。

 その神聖不可侵の領域をズカズカと踏み荒らして、そうしてようやく悠が立ち止まった。

 

 何が起こったのかわからないと目を瞬かせる彼女の目前で、水を打ったように静まり返る教室の中で井上 悠は言ったのだ。

 

「俺は井上 悠だ、名前は知ってるよな? クラスメイトだし。でも、小川とはあんまり話したこともないから俺がどんな奴だったか夏休み開けで忘れてるかもしれないな。まあ正直小川が俺のことを覚えていようが、覚えていまいが、正直そんなことはどうでもいいんだ。俺も前の自分の顔を忘れそうになってるんだから仕方ないことだと納得できるしな。とにかく、そういうことなんだ」

 

 相手に理解させたいわけでもない、そんなあいつの義務的な説明が教室の中にただひとつ流れていく。

 

「終業式のあの日、俺は学校を休んだ。理由は簡単、あの日性別が男から女に変わってしまったから、性別が変わってしまう病気があるって知ってるか? 知ってようが知ってまいが、まあどうでもいいんだけど、とにかく学校に行けるような気分でもなかったから休んだのも仕方ない。まあ今は落ち着いてるから、そこら辺もどうでもいいだろう」

 

 俺はここで何を聞かされているのだろうかと思っていたが、もう逃げ出せなかった。足の甲に釘を打たれたかのように地面へ縫い止められて、ただ悠の言葉をゆっくり食んでいる。

 

「で、だ。男だった時の俺への一つの区切りのためにやらなきゃいけないと思ってることが俺には一つあるんだよ、わかるか?」

 

 答えてみろと肩を叩くが、小川はわからないと首を横に振るばかり。そりゃそうだ、そもそもこの状況を飲み込むことが難しいんだ、まるで白昼夢を見ているかのようだ。

 みんなそう思っているのだろう。友人同士で顔を見つめあっているが、彼らは何も言い出せやしなかった。

 

「達也ぁ!!!!」

「はいッ!!」

 

 突然悠に名前を叫ばれて、思わず元気よく返事をしてしまう。一気に視線が集まり居ても立っても居られない気分。

 なんだよ、あの他クラスのやつと先ほどまでと打って変わってざわつき始めた教室。

 それを意に介さず、悠はいう。

 

「お前が答えを言ってみろ」

 

 しかたなく、本当にしかたなく、俺は唇を舐めて答えを出した。

 

「告白です!!」

 

 言った、言ってやった。

 何を言ってるんだとさらにざわつく教室にさらに顔が熱くなるのを感じる、どういう羞恥プレイをさせられてるんだ俺は。

 

「正解だッ!!!!!!」

 

 悠の咆哮に再度教室が静まり返る。

 もう完全にこの教室は井上 悠のワンマンショーとかしていた。もう一人で勝手にやっていてくれよと思うが、気づけば教室の出入り口に観客が押し寄せてきていて、もう逃げ出せそうにない。

 

「小川 千春、俺はお前のことが――好きだ」

 

 サッと教室に見えない衝撃が伝わるのを感じた。言った、井上 悠は言い切ったのだ。

 

「正直一目惚れだよ、でもお前に告白した奴がみんな玉砕していって、気付けば告白どころか性別も変わっちゃって、こんなの告白するのも無理だと思ってたけど」

 

 小川 千春の顔に浮かんでいる感情が、俺にはどういうものかわからなかった。ただ目前にいる悠の顔を見上げて、そこに何を見たのか、ひどく眩しいものを見るような顔をしているのだけがわかった。

 

「でも、こんな俺の背中を押してくれた奴がいるから、最後に区切りをつけようと思ったんだ」

 

 一つ大きく貯めて、悠は言う。

 

「俺は、お前のことが好きだ」

 

 そして、

 

「俺と、俺と付き合ってくれ」

 

 そして、今まで無言だった小川 千春の答えは。

 

「ええ、いいですよ」

 

 え? と言う言葉がそれを見てる全員の口から自然と発せられたのは何でだったろうか。

 

 それまで告白成功率0%だった相手に告白して、連続防衛数の更新は待ったなしだと思われてるのに。

 何故、彼女はそれを受け入れているのだろうか。そもそも論外の相手のはずなのに、いきなり性別が変わってしまったやつからの告白だと言うのに、何故。

 

 その他大勢と同じように「え?」と漏らした俺に向かって、井上 悠はギギギと首を向けた。

 

 ど・う・い・う・こ・と・だ

 

 ぱくぱくと口を動かして、それっきり。

 

 静寂を保っていた教室が一気に激動に飲み込まれる。今まで教室の主導権を握り切っていったあいつに向かって、時は今とばかりに全員が牙を向く!

 悠に向かって駆け寄っていくクラスメイトの群れ!

 

 気付けばあいつはもみくちゃにされ、知らないうちに胴上げに移行していた。やめろー!降ろせー!なんて言葉聞き入れられるはずがなかった。

 

 わっしょい! わっしょい! わっしょい!

 教室の中空を井上 悠が飛んでいる。

 

 スカートの内側は大丈夫なのだろうか?

 そういやパンツって男物なのかな?

 

 クラスの下世話な話を耳にしながら。

 それをぼんやり眺めながら、俺は思う。

 

『どういうことだ』って?

 

 しらねえよ。

 

 

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