性別が変わってしまった親友の背中を押したら大事故を起こした話   作:かりほのいおり

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ここで一旦一区切り


彼女の話

 

 0

 

 人の感情に気づけない朴念仁というわけでもない。判断を先延ばしにする優柔不断というわけでもない。

 山下君って、相手の気持ちを読めるのにあえて読まない、もしくは自分のいいように屈折させてしまう。

 もしかしたら、自分が受け取りやすいように、飲み込みやすいように勝手に変換してるのかもしれないけど、それって本当にいい事だと思ってる?

 削ぎ落としちゃいけない大事な部分も切り落としてるんじゃないかな?

 

 そうだとすると悠が語った通り、山下君にはやっぱり誰も救えないんだと思う。

 ちゃんと自分が何をできるか認識しなきゃいけない、それを意識してなきゃ周りを振り回すだけ振り回して、ただみんな傷付くだけ。

 

 悠が自分のことを振り回していた、と今でも思ってるでしょ?

 傍若無人な奴が好き勝手に暴れ狂って、ただ隣にいた自分が巻き込まれただけだって、そう思い込もうとしてるでしょ。

 

 どう考えても、私からしてみれば、それは違う。

 山下君が、あの夏休みに悠を好き勝手に振り回してるようにしか見えない。

 手の届く範囲のところに留め置いて、至極当然噛みつかれて、それも所詮必要経費でしかなかったでしょ?

 選択肢は山下君の目の前にあったんじゃないの? その選択に悠は乗って、だからあの夏休みがあったんじゃないの?

 

 それなのに、夏休みが終わったら行き先なんて知らんとばかりに、今まで掴んでた手を切り離してさ、今に至ってまだ悠の感情に向き合うとしない。

 

 でも、それって、すごく残酷な事じゃない?

 ずっと隣にいるって約束したんじゃないの?

 隣にいるってそういうことなの?

 何も知ろうとしないで、その感情は間違いだと決めつけて、そういう『親友』っていう枠に押し込めて……本当酷いことしてる。

 

 責任は取らなきゃいけない。

 山下君は悠の背中を押した、だけなんて事はないんだから、その責任をちゃんと見なきゃいけない。

 

 まあでも、そのおかげで自分の前にお鉢が回ってきたんだけど。

 ある程度予測がついた上で見逃していた私も同罪だし、共犯者なのかもしれないけれど。

 私の話、僕の話を聞いて、その上でもう一回よく考えなきゃいけない。

 

 今年は、三人とも同じクラスなんだから。

 

 1

 

 小川 千春の個人の体験談として、全員に一貫する答えではないと言う前置きの上で、性別が男から女に変わってしまったとして、恋愛対象が女から男に変わるのかと言われたら、僕の答えは「そんなことはない」である。

 性転換手術を受けたわけでもないし、変わってしまった当人が女になりたいと願望を抱えていたから、運命的にそうなってしまうというのは、どこまで行っても都市伝説でしかない。それなら僕よりずっとふさわしい人がなっていたんじゃないかと思う。

 なる人はなるし、ならない人はならない。

 

 だから、僕の性別が変わったとしても相変わらず、好きなのは女の子だった。

 経験を経て、いくつもの出会いと別れを重ねたら変わっていたのかもしれない。

 この人となら一緒にいたいと思えるかもしれない、この人のことをもっと知りたい、この人と同じものを見てみたいとか……そういう感情を経た結果として、あんまり想像できないけれど、そういうふうな思考の蓄積として男と付き合う事になるのかもしれない。

 まあ、少なくとも、それは今ではないのだけれども。

 この短期間で僕の恋愛観念が変わる事はなかったから。

 で、僕の親友だと思っていた相手から告白された時の返答はというと、こうだ。

 

「え……きもちわるい」

 

 放課後の空き教室で二人っきりのあの時間、心のひび割れるような音が聞こえた気がした。

 まったく、気持ち悪いって、単純な心境の吐露してどうするんだ。

 OKするでもなく断るでもなく、ただその時思ってしまったことを真っ直ぐに相手の胸中に突き刺して、それをやった結果何がどうなるんだ。

 でも、その時の僕はそう思ったのだから仕方ない、あいつはとんでもなく傷ついた顔をしてたけど仕方がない。

 

 確かに性別が男から女に変わった事によって自己評価のマイナスを込みにしても、とんでもない可愛さだな、と思えるほど、外見の何から何まで全てが変わってしまった。

 その素材を生かさないのは勿体ないと、姉が勝手に奮起していたのも悪かっただろう。

 そういう、女の子らしくあろうとするやり方が相手の勘違いを誘っていた、というのもあるかもしれない。

 

 でも、少なくともこいつなら僕の気持ちを理解していてくれてるんだろうなぁと勝手に勘違いをして、少し寄りかかってこの惨事。

 その読み違えた心がどうだったのか、今の相手が僕のことをどう思ってるのか、全く見えなくなってしまった。見えているつもりだったのに、何もわかっちゃ居なかった。

 

 僕とお前は友達だと思ってたんじゃないのか?

 外見が変わったとして僕の中身が変わるでもないのに、それに気づかないまま、性欲だけで付き合いたいって言ったんじゃないのか?

 そこに僕の気持ちは含まれているのか? 

 

 まあ、それを言ったら相手の気持ちを考えず、お前は気持ち悪いと純情な中学生のメンタルをぶっ壊す奴も大概悪いような気がするけれど。

 それが僕の友人関係を吹き飛ばした出来事、小川 千春が、中三の夏休みに入る直前のことだった。

 

 タイミングよく冷却期間が来た、と思った。

 めちゃくちゃ夏だけど。

 

 この我が家に残る気はさらさら無かった、しばらくどっかにいってほとぼりでも冷ました方がいい。

 しばらく都会にある母方のおばあちゃん家に行かせて欲しいと両親に提案して、あっさりと了承を得た。代わりにちゃんと勉強はしとけよ、なんて縛りにもならない約束だけを決めて。

 もしかしたら田舎ゆえに近所の風聞を気にしたのかもしれない、あの家の子が性別が変わっちゃったのよ〜なんて噂されるのを嫌ったのかもしれない。

 もしくは性別が変わってしまった事を哀れに思って、できるだけ僕のお願いを聞いてあげようと思ってくれたのかもしれない。

 実際のところの答えは知らない、知る気もない。

 とにかく僕はその夏休み中ずっと地元を離れて、おばあちゃん家に行く事になった。

 

 とりあえず僕は真っ先に出された宿題をテキパキと片付けて、それと並行して受験に備えた勉強を積み重ねつつ、その合間に母親が子供の頃に溜めて込んで置きっぱなしの少女漫画を読んで時間を潰した。

 で、七月は終わり。

 

 八月はどうしたか。

 無、無である。母親の貯蓄である漫画は読み切ってゲーム機なんて娯楽はこの家にはない。

 スマホ用のルーターは置いてあるけれど、PCがないから頼れるのは自分のスマホだけ。

 外に出る気力もない、外に出て遊ぶ相手もいない。

 だってここは異邦の地、僕の友人はいないのだから。

 まあ、地元に帰っても親友が消滅してはいるのだけれども。

 メッセージは途絶えたっきり、ちょっとだけ哀れに思えるけれど、こちらからリカバリーする気もなかった。

 

 したところで、ちょっと望みあるかもよ、ワンチャンあるかもよ、みたいなか細い希望を抱かれても困る。できれば立ち直ってほしいけど、自分からちょうどいい関係性を見つけてほしい、というのは僕の我が儘だっただろうか?

 

 それはともかく、宿題は終えたけれども受験に備えて勉強は継続中。漫画の代わりに毎日二本くらい映画を見る事にした。一人で、スマホの小さい画面で。

 お婆が録画したドラマでテレビを占有していたから仕方がない。わざわざ趣味に合わせる気もなく、付き合わせる気もなかった。

 

 そうしてみた映画の名前をメモ帳に書き、その下に面白かった点を3点に絞ってまとめる。

 これ、僕一人でやるべき事なのかな、そう思いながら夏休みは過ぎていき、家に引きこもっているから肌はいよいよ白くなりつつあった頃。

 

 その日、僕は夏祭りに向けて、一人で歩いていた。

 財布にはお婆からのお小遣い、たまには外にでんしゃいと追い出された結果だった。

 こんな知らない土地で一人で夏祭りとか、食べる以外にやる事ないじゃん。

 

 まあでも、はあと嘆息しつつ空を見上げれば、今日も星が綺麗だった。

 まあ、うん、でも、りんご飴とか食べたいよな、やっぱり。

 去年は友人と、地元の阿波踊りに行った。

 今年のあいつは他の友人といっているのだろうか?

 まあでも、あいつの学力的にあの志望校を目指すなら、今も勉強してなきゃ結構危険域な気がするから、今年はそんな余裕はないかもだけど。

 

「……あの」

「ヒョッ……!?」

 

 電柱陰から突然、人影が飛び出してきて思わず変な声が出る。

 きっと同い年ぐらい、中学生ぐらいの男子だった。

 モテるかモテないかでいえば、普通の顔。どっちに区分するわけでもなく、なんとなくぼぬーんという顔をしている。

 

「なんというかその……可愛い、ですね」

「は、はあ……」

 

 なんだこいつ、と思って、半身で身構えて。

 そこでようやくハッと気づいた。

 どうやら僕はナンパをされているらしい。

 こいつに、人生で初めて。どこかで実績が解除されるような音が気がして、こんなしょうもない実績があるのかよとも思ったり。

 

「で、ちょっと一緒に夏祭りにいっちゃったり、なんて……ははっ」

「うーん……」

 

 やっぱりナンパの様で。それにしても、である。

 さっきから薄々気づいていたことを、もう一度再確認する。

 ざっと上から下まで見通して、うんと一つ頷く。

 やっぱり、そうなのだ。ないよ、全然ないよお前。

 何がないって、こいつの服装だ。ナンパするにも相応しい服装があるだろう、なんで寝巻きみたいなチェック柄のズボン履いて、上の服は富士山がバーンと描かれてるんだ。ミスマッチにも程があるだろう、どうしてその服装でナンパを、というかそもそも夏祭りに行けると思ったんだ。

 はーっと大きく一つため息をついて、口を開く。

 

「ごめん無理」

「ありがとうございますッ!」

 

 はあ? 思わず目を見開く、何をいってるんだこいつは。

 ひゃっほうと腕を掲げ、なぜかスキップまでしている。まるでokをもらったかのような喜びよう、もしかして言葉を違う意味で解釈する余地があっただろうか。

 頭にクエスチョンマークが浮かぶ僕の手をいきなり掴む。

 あまりの気色悪さにざっと鳥肌が立つが、こいつは一向に気がつかない様子だった。

 

「いやー本当に困ってたんですよ、ちょっと悠と互いにナンパしてから夏祭りに行こうって話になって、あっ悠ってのは友達のことなんですけどね」

「はぁ……」

 

 知らないよ、僕は聞いてないよ。

 

「俺らに彼女がいないのはおかしい、もしかしたら努力が足りないのかもしれない。それなら前へ進む意思を見せないといけないのではないか、といった感じでね、うおおおおって盛り上がってね、とりあえず売り言葉に買い言葉で俺もやってやるよっていっちゃったんですけど」

「それで、ナンパ」

「それで、ナンパです」

 

 わからない、男子中学生ってそういうものなのだろうか?

 少なくとも地元の田舎ではこんなものではなかったような気がする。

 

「家に帰ったらナンパに成功しちゃったらどうしようなんて思っちゃって、逆にナンパに成功しない服装にしたらいいんじゃないかって」

 

 どうですか、このくそださい服装と見せつけてくる。

 いや、と僕は首を振って。

 

「いや別に、服装を変にしなくても今の君なら誰でも断られたと思うけど」

 

 けれどもその言葉は彼には一向に響く様子はなく、なにやらやり尽くしたみたいな満足げな顔をしている。

 まあ確かに、彼の発言と服装と説明になんらおかしいことはないように思える。パーツは全部意味不明なのに、全部揃えるとなんかしっくりと筋道が通る話だった。

 頭痛を抑えようとこめかみを押さえながら冷静に状況を整理。

 つまり僕にナンパしてきたのも。

 

「つまり、誰でも良かったということ……?」

「まあ、そうですね。おめでとう、そしてありがとう! あなたは俺がここに立ち始めて一番目の通行者ですよ!」

 

 怒りを通り越して呆れに至りつつあったが、このバカはなんも気付いてないようだった。

 唐突にぶん殴ってびっくりさせたい衝動に駆られるが、そこまで強い衝動でもないから脳内で鎮圧されるのも一瞬だった。

 

「まあ、そんな感じでお時間煩わせたんで自販機で一本奢りますよ」

「……じゃあコーヒーで」

 

 差し出されたのはカフェオレだった、なんか突っ込みたくなったけど、別に甘いものが嫌いなわけでもなかったからぐっと我慢。まるでいいことをしたとばかりにニコニコの笑顔をみて、こいつ人生大分楽しそうだなーと僕は思っていた。

 楽しそうと言うより、なんかつらいことがあってもそれに気づかないような気がする。

 鈍感力とでもいうのだろうか、多分。

 プルタブを開けることなく、久しぶりに他人と話したせいか、顔が熱かった。ちょうどよく缶が手元にあるのだからと、それを首に当てて冷気を堪能する。

 

 夏祭りに行く筈が、僕はここでなにをしてるんだろうか。

 ナンパされて、体だけだったと釈明されて、しかもカフェオレを奢られる。

 事の下手人が自販機でなにを買おうか悩む横顔を、僕はじっ眺めていた。

 名前すら知らないのに、そのまま祭りに向かえばいいのに、こいつの行動をなんとなく待っていた。

 

 よし決めたと指が動いて、それがゴールにつくより先に、夜の闇を一瞬明るく照らし出して、すぐにどんという音が身を叩く。

 それを二人並んで見上げていた。

 一瞬で火花がかき消えて、ナンパ野郎が慌ててスマホを取り出した。

 

「やっべ、さすがに時間か」

 

 そんな時間にギリギリなもんなのだろうか?と首を傾げる。

 知らない土地だけど、そんなに人通りが少ないとは思えない。もちろん、女性一人っていうのが選択肢を狭めていたのかもしれないけれど、僕が一番初めにきた通行人なら、猶予はある程度作っているのではなかろうか。

 

「それじゃあ、俺は行くから、夏祭り楽しんでなー」

 

 返事も待たずにくるりと身を翻して、そのまま僕が進もうとしていた方向へ走り去っていってしまった。

 あいつ、あの服装のまま夏祭りに行くのか。馬鹿みたいだな、プルタブを開けて一口流し込む。

 

 ああ、でも、歩き始めてからちょっとした後悔。

 あいつの名前、聞いておけば良かったな。

 それがなんの役に立つかは知らないけれど。

 

 もしかしたら、ナンパじゃなくても。

 あいつなら、誘えば夏祭りを一緒に回ってくれたような気がした。

 もし、あいつの名前を知っていたのなら、きっとそこまで踏み込めたような気がして。

 

 それだけが、ほんの少しだけ残念だった。

 

 2

 

 結局、僕は地元を離れる事にした。

 

 あそこはあまりに居心地が悪かった。

 もしかしたら友人とまともな縁の切れ方をしていたのなら、きっと庇ってくれたのかもしれない、もしくは縁を繋ぐこともあったのかもしれないけれど、そんな終わり方ではなかったし、今更助けを求める事も僕には出来なかったから。

 

 どうにもあいつはメンタルのリカバリーができず、僕から距離を取ることでバランスを取る事にしたらしい。

 それが良いことなのか、悪いことなのか、僕が判断できることではない。

 結果としてただ僕が一人、ぽっかりと孤立してしまった、ただそれだけ。

 

 だから、またおばあちゃん家に帰ってきて、こっちがわの高校を受験する事にした。

 誰も僕のことを知らない場所に行けばいい。

 誰も昔のことを知らない場所に行けばいい。

 

 受験に失敗するなんてこともなく、あっさりと僕は地元を離れた。誰にもそうすることは告げなかったし、誰も見送りに来る事になかった。

 そうして新しい高校での生活は少しだけ疲れるものだったけれど、あそこにいるよりは全然楽だった。

 

 腫れ物を触るように、相手の対応を探る探るやってる様を見せつけられるよりは全然楽だった。

 

 もちろんこっち側では僕は男扱いされない。

 学校は僕が元は男であることを知っているけれど、守備義務から漏らすこともないのだから、僕が自分から全部バラさなければ、みんな何も知らないままだ。

 

 男扱いされないということはつまり、女扱いされるということだ。僕はそれを甘んじて受け入れる事にした。

 なんてことはない。

 姉がいたから、なんだってどういう風にやればいいかちゃんと覚えることもできていた。

 

 そうらしく振る舞うのに、難易度をできるだけ低くする方法も知っている。

 極力他人と関わらなければいいのだ、友人関係も義務的なものに留めておいてしまえばいい。そうすればそもそも露見のリスクも減る、怪しまれないようにするコツは、行動しないということだ。

 

 新しい高校生活で浮かれた男子、たまに先輩を添えてからの告白も当然全てシャットアウト、そしてぼんやり過ごす日々。

 気づけば鉄壁の城壁なんてあだ名がつけられていた、女子につけるにはいささか酷なレッテルな気がする。フフッと思わず他人事のように笑ってしまっていた、まさに僕のことなのに。

 それをどこか他人事のように捉えていたのは、やっぱりそれを僕のことだと認めたくなかったからか?

 僕ではないと切り離していたからか?

 答えはわからない、深く考えない事にした。

 

 部活にも入らなかった、学校と家を往復する日々。

 家ではたくさん映画を見た、ひたすら見た、

 あの夏休みみたいに一人で映画をひたすらみて、その感想をTwitterに投げ続ける、そんな習慣があった。

 映画館にはそれほど行かなかった、学生には一回千円は負担が大きすぎたし、映画を見るためにお金を稼ごうにも、地方に残った親からバイトを禁止されている。

 

 代わりに自分用のノートpcを高校入学祝いで貰っていたから、それを使っていた。あの時とスマホの小さい画面で見るよりは少しの進歩。

 メモ帳もさらに大きめの手帳に変わって、少しずつ前に進んでいるけれども、本質的にはやることはなにも変わらない。

 

 交友関係はと言われると、友達と胸を張っていえる存在は居なかった。

 彼氏は当然、彼女も当然できる筈がない。

 誰も知らない、誰も僕がここにいることを知らない、誰も見つけてくれやしない。だって僕がそうしたのだから、僕が望んでここにやってきたのだから。

 退路はとっくに絶たれて、僕は一人この街にいる。

 

 祭囃子が大通りから流れてくる、僕はそれを聴きながら電柱の影でじっと膝を抱えしゃがみ込んでいた。

 対面にはビール瓶のケースが積み重ねられて、僕のことをじっと見下ろしている。

 

 尻を地面につけることはできない。

 浴衣を着せられていたから、どうせ女の子になったんだから着んしゃいというデリカシーのないお婆の発言を僕は止められない。

 

 というか、高校生活が順調だという嘘をついたのがことの発端だった。

 順調なら友達もいる筈で、それならお祭りにも行くだろう、それはもちろん友達と、それなら浴衣を着るべきだろう。

 

 お婆の中では完璧な理論が構築されて、僕はそれに口を挟めない。口を挟んだらバレてしまうから、だから何も言えなかった。

 

 そしてその結果、僕は路地裏にしゃがみ込んでいる。

 かなり惨めではある。屋台を数軒回ったけれども、なんとなく気持ち悪くなって、僕がどこにいるのかわからなくなりそうで、気がつけばここに居た。

 

 気がつけば花火の音がしなくなっていた。まだ上がるはずだけれども、一旦前半の分は区切りがついたのだろう。

 膝を抱えたこんだまま、よしと決めた。

 あともう少ししたら家に帰ろう、これぐらい居ればきっと夏休みを楽しんだというアリバイになる筈だ。

 その時、不意に近くで砂利を踏んだような音がした。

 

「あの……」

 

 なんというか、聞いたことがあるような声。

 顔をそっちに向けると通りの明かりを背に、そいつは「わっ」と声を上げて飛び退いた。なんだこいつはと思って、「ああ、なるほど」と額を叩く。

 コンと軽い音が響く。そう言えばおかめのお面をつけてるんだった、クラスメイトがいても僕に話しかけられないように。

 

 狭い視界の中、そちらに視線を向けるとやっぱり既視感がある人物がいた。答えはあっさり出た、同時期にあったと言うのも答えに辿り着けた理由だろう。

 去年が本来のファッションセンスじゃなかったらしいあいつ。

 結局名前を知らないまま、カフェオレだけ奢って去っていた奴。

 ほんと、どんな偶然だよと思うがそれを口に出すことはない。

 しゃがみ込んだまま、相手が話し始めるのを待つけれど、そいつはぼんやりしていて、しばらくしてようやく話し始めた。

 

「いや、てっきり……誰か一人で泣いてるのかと思って」

 

 ちょっと路地裏を覗き込んだら、なんかしゃがみ込んでる人がいるじゃん、って身振り手振りで慌てて説明しているのを、お面を外さないまま眺めている。

 なんというか、お人好しなのだろうか?

 もしくは、ただ暇をしているだけなのかもしれない。

 去年こいつがいっていた友人は周りに見えないから、そいつを探して路地裏を彷徨っていたのかもしれない。

 

 なんかあったのか?という言葉に首を横に振る。

 このお面も勘違いを招く要素なのかもしれない、顔を見せないようにしてるから、まるで泣いてるのを隠してるように見えていたのかもしれない。

 

 まあ、外さない理由はそんなことじゃないんだけど。

 単純に目の前のこいつの名前を知らないけれど、なんとなく「小川 千春」として相手されるのは嫌な気がした。もしこいつが彼女を知っているのなら、そういう扱いになってしまうのは間違いないだろう。

 それは、なんとなく嫌だった。

 去年の僕として扱われる可能性と、彼女として扱われる可能性を天秤にかけて、僕はお面を取らない選択をしている。

 

「なんもないよ、僕は泣いてないし、ただ疲れてしゃがんでいただけで」

 

 それを聞いて、驚いたように目をくわっと見開いた。

 

「このご時世に……僕っ子だと……!?」

 

 思わず失敗した、つい中学の頃の癖が出た。高校生活だったら常に私で押し通していたのに。

 思わず舌打ちをするが、それに構う事なく目の前に手を差し出してくる。

 

「絶滅危惧種として、生きていてくれて、ありがとう」

「は、はあ……」

 

 なんだ、こいつ。

 なぜかこいつは目をキラキラと輝かせていた。そんなにありがたがられる存在なのだろうか、少なくとも男の感性がある僕には理解ができない。

 それなのに、理解できないというのに、思わずフッと笑いが漏れる。

 

 皮肉な事に、本当に皮肉な事に、今お面をつけて小川千春という仮面を隠したからこそ、僕なんて一人称が出たんじゃないかと思う。

 封印したはずのそれを、意図せず肯定されて。その状況がよくわからなくて。こいつはなんも考えてないだろうけれど、今この状況が少しだけ自分の存在を認めてくれたような気がした。

 僕が笑ってるのをくすくすと笑ってるのを見て、不思議そうにしながらも彼は手を離した。

 

「まあ、本当に大丈夫そうだな。で、友達は?」

「……?」

「友達じゃなかったか。ああ、彼氏か?」

 

 なにをいってるのかさっぱり理解できず、二人揃って首を傾げる。

 友達も彼氏もいないのに、何を言ってるんだろうか?

 しばらくの祭囃子が流れたあと、ようやく彼が動き始めた。

 ポンと手を叩く。

 

「ああ、お前ぼっちかぁ」

 

 真実は時に人を傷つける。

 またふらふらとしゃがみ込んで、上からおーい大丈夫かと安否を確認する声が飛んでくる。大丈夫じゃないよ、僕はちゃんと致命傷を負っているよ。

 

「……友達がいなくて悪かったね」

 

 ぶはっと噴き出す声がして、顔を上げると心底おかしそうに笑い転げていた。励まそうとしたり傷口を掘り出そうとしたり、本当にこいつはなにをしにきてるんだろうか?

 

「というか、僕はどうでもいいけどお前はぼっちじゃないの?」

 

 ようやく身を起こして腕を伸ばし、彼はぐーを出してパッと手を広げた。

 

「いや、一緒に来たんだけどあいつ先帰っちゃったんだよなぁ」

「本当かなぁ」

 

 本当本当、あいつにも事情があるんだよ、と言いながらじーっと僕のことを見つめてくる。

 なんか悠と似たような雰囲気があるんだよなぁと訳のわからないことを言われて、なんなんだよと掘り下げようとするもなんでもないと切り返される。僕と誰が似ているというのだろうか?

 

「まあ、いいや」

 

 勝手に話を切り上げて、行儀悪く人のお面をピッと指さして一言。

 

「お前は友達を作れ」

「……はあ?」

「と、も、だ、ち、意味はわかるか?」

 

 そりゃ日本語の意味はわかるけれども。こいつが何を言ってるのか、わからない、わかるはずもない。

 それなのに一人で納得して、うんうんと頷いている。

 

「今日親友にさ、お前は彼女を作れって背中を押してきたんだよ」

「はぁ……」

 

 どういう状況だろうか?

 去年のナンパ云々カンヌンの彼のことを言ってるのだろうか。とすればなんでコイツが上から指示する立場になってるのが意味不明だけど、彼女ができたからそういう上に立てたのだろうか?

 まあいたとしても、この会話のつながり方なら早期崩壊はまった無しだろう。

 

「で、お前は友達を作れって言ってるの」

「僕にはちょっと繋がりが理解できなかったんだけど」

「お前友達作る、俺に紹介する、わかった?」

「doじゃなくてwhyを説明してよ!!」

「そういう流れだからだよ」

 

 どういう流れだよと僕は思った、お前はこの流れを理解してるのかよ。流れがあるとしたら、もっととんでもない流れに飲み込まれてるんじゃないのか。

 去年たまたまナンパした相手に、今年は友達を作れとかほざいてるなんて、どうしようもない大きな何かに飲み込まれてるんじゃないのか?

 

 まあ、でもこいつの自業自得か。「わかったよ」と返しながら、こういう奴だから流れを引いちゃうんだろうな、と思った。

 一回友人の背中を押すことに成功したからこそ、初対面の自分の背中を押せると勘違いして、そして僕もまたその流れに飲み込まれようとしている。この流れのいく先がどこなのかわからないけど、どうなるかを覗きたい気持ちは否定できない。

 

「ってか今更だけど同学年だよな、多分。俺は駅近くのあそこの一年生なんだけど」

「……僕も同じ」

「やっぱり? 俺はB組の山下って言うんだけど、まあ知らないよな」

「山下……ね、山下君か」

「君は?」

 

 小川、と答えようとして慌てて止まる。

 ここまで話せたのなら素直に答えてもいいかもしれない。でも、ふと思いついた考えが、僕でもびっくりするぐらいに一番綺麗な解な気がして。

 ほら、二学期の始業式の日に彼の教室に押しかけて、僕と友達になろうなんて声を掛けれたら、きっと楽しいことが起きるんじゃないか。

「黒田」と答えた。お婆の苗字を勝手に拝借。

 山下の教室に駆け込むなんてのは夢だ、きっと起こり得ない。

 

 例えば普通の女の子である「小川 千春」として行くことはきっと容易いことだった。でもそれは求めていることではなかったから。

 僕を僕として行きたかったのだ。そして今のままじゃ、きっと無理だということも分かっていた。

 いつか僕を見つけてくれる気がして、その願いを封印する。見つけてくれなかったとしても、いつかきっと目の前の彼に説明してあげようと思って。

 

 気がつけば、目の前に手を差し出されていた。

 

「……え?」

「なに考え込んでの、行こう」

 

「だから、一緒に夏祭り回ろうって話、もし黒田さんが嫌だったら断ってもいいけど」

 

 ぼんやりと僕はその手を眺めていた。

 ああ、この人は僕のことを見つけ出したのだ。

 誰も見つけてくれないと思ったのに、なにも知らないまま、運だけで見つけてしまった。

 伸ばされた手を掴んで、僕は引かれていく。

 

「そういや、そのお面いつになったら外すの?」

「これは……これは生命維持装置だから!」

 

 ありえない冗談に、それなら仕方ないなぁと振り向かず彼は前に進んでいく。ずっと手を引かれたまま、通りに出る。

 ああ、本当に、この人は僕のことを何も知らないのに。

 なにも知らないからこそ、いとも容易く手を差し出せてしまう。

 知ったらどう思うんだろうか、気持ち悪いと拒絶するんだろうか?

 

 きっと受け入れてくれるんじゃないか、そんな気がした。

 

 受け入れてほしいな、と思って。

 

 この胸にある感情の意味を、この人にちゃんと教えて欲しいと思ったのだ。

 

 

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