性別が変わってしまった親友の背中を押したら大事故を起こした話   作:かりほのいおり

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一番好きな映画
クソボケ 友達と一緒に見る映画(本旨無視)
悠 多すぎて選べない
千春 マイフェアレディ


あいつの話 映画を見に行った件について

 

 1

 

 初めて彼女ができた。

 

 本当は喜ぶべき事なのだろうけれども、諸手を挙げるべきなのだろうけれども、どうにもしっくりこないというのが現状だった。

 

 おっかなびっくり連絡先の交換をして、ぎこちなく一緒にお昼を食べて、何となく一緒に通学下校をしたりして。

 彼女ができたことで何か、学校生活が変わったかと言われれば、別にそんなことはなかった。

 

 そこにいた誰かが、何かに置き換わっただけでしかない。

 達也のいう通りに選択肢は増えたけれど、今まで夢見てみた生活がようやく訪れたのだろうけれども、期待を上回るほどではない。

 

 だから彼女がいたって別にそこまで何も変わらないんだよ、なんて、夢見るあいつに教えてあげる事も出来たけれど、結局の所はそれはもってる側の余裕しかならないし、言ったところで達也にはきっと納得されない様な気がした。

 

 本当はどうだったのだろうか?

 喉元まで込み上げた言葉を言わなかったのは、もっと別の理由があったのではなかろうか。

 

 もっと、積極的に邪魔しようとしてはいなかったか。

 あいつが彼女を作ることで、俺が見つけられなかったものを見つけるんじゃないか、そう恐れてはいなかったか?

 

 それを一足先に見つけられたら、きっと決定的に何かが変わってしまう様な気がして。

 だから、そうならない様に希望を手折ろうとしたけれど。

 

 でも、それを言ったらおしまいだ。

 お前は変わらないでくれよ、なんて。

 俺がそんな人でなしのセリフを吐けるはずがなかった。

 

 変わらなくていいのに、ずっとそのままでいいのに。

 それでも、あいつはどこかに行こうとしてしまう。

 

 ずっと隣にいてくれるはずなのに。

 

 2

 

「ほら、信号が変わったよ」

 

 視界外から千春が顔を覗き込んできて、思わず飛び上がる。とっくに信号は青へ切り替わっていた。

 慌てて足を動かすと、それを追うように彼女の足音がする。

 

 放課後、夕方、帰宅途中。

 

 今となっては帰宅部であったから、同じく帰宅部であった千春と連れ添って歩く道。

 

 そっと、隣に追いついてきた彼女の顔を伺う。特に感情の色も見られない至って平静な様子。

 今だに自分が彼女と付き合っていることが信じられないけれど、こうやって二人で歩いているのが事実。

 

 宝くじの一等賞を当たった様なことのはずなのに、いまだに夢を見ているんじゃないかと思う時がある。もしかしたらとんでもない裏事情が潜んでいるんじゃないかとも思う。

 

 疑心暗鬼で過ごしつつ、結局盤面はひっくり返されないまま、二週間以上が経とうとしていた。

 この身体になって学校生活が始まって、慣れないと思った女子の制服もすっかり着こなしているのだから、全く人は適応する生き物なのだろう。

 

 目の前に迫り来る電柱に気づいて、慌ててターンして躱わす。

 隣にいる千春にぶつからなかったのは、きっと彼女が俺の動きを予期して一歩後ろに下がっていたから。

 

「ねえ、さっきから何ぼーっとしてんの?」

 

 何事もなかったかの様に歩き直そうとしたけれども、そうは問屋が卸さない。呆れた様な目線を突き刺しながら、彼女は俺のことを問い詰めてくる。

 

「何も、ナイデスヨ?」

「何でカタコトなの?」

「まあ、気にするなって。こういうのには度胸が必要なんだよ」

 

 少なくともあの時と違って、背中を押してくれる奴はここには居ないから。自分一人で形を決めてジャンプするしかないと分かっているからこそ、気もそぞろになってしまう。

 

 結局、早く話を進めてと言わんばかりに千春が足を止めた。やっぱり俺は誰かにアシストされなければ、何も踏み出せないのかもしれない。

 情けないなと思いつつ、とにかく口を開いた。

 

「あー、千春さん。今週末、暇?」

「逆に私の週末に何か予定が入ってると思う?」

「なさそうだけど、念の為に」

 

 ご名答。千春はそう答えて、ツカツカと先を歩き始めた。慌てて後を追いながら、追撃を掛ける。

 

「それなら、一緒に映画を見に行かない?」

「面白い映画なら何でも良いよ」

「見る映画の面白さは保証できないな」

「そうならないためにセンスを磨いてよ」

 

 センスで映画見る前に判断するとか無理すぎるだろ。

 特大の腐敗臭がするつまらない映画ならともかく。

 まあ、そういう匂いを信じていたら面白い映画を見逃すこともままあるから、やっぱり自分で見るしかないのだが。

 

「それにしてもほんとだいぶ唐突な誘い」

 

 何でこのタイミングなの?

 顔も向けずに疑問を呈されるもの、苦笑して誤魔化すしかない。9月も半ば通り過ぎ、告白してからしばらく経ってから。

 付き合ったとはいえ、それらしい行動は何もしなかったからこれが初めての誘いの様な気がした。

 

「そっちから告白して来たくせに、てっきりこっちの事なんてどうでもいいもんだと思ってた」

「そんなことあるはずないだろ。めちゃくちゃ可愛いなって思ってるし、付き合えてうれしーと思ってるし、もっと千春のことをたくさん知りたいなーって思ってる」

 

 少なくとも夏休み前に付き合いたいな、と憧れるぐらいには好きなのだから。

 

 彼女はどうしようもなく高嶺の花で、手が届かないからこそ、大っぴらに好きという感情を友人に打ち明けられたというのもあるけれど。

 たまたま手が届いてしまったから。俺が隣に入ってしまったから、その程度の人なんだ、なんて失礼な幻滅をかましているわけではない。

 彼女が色褪せて見えるなんてことは、一度もない。

 

 クラスのみんなと壁を作って誰とも話さなかった彼女は、本当のところは寡黙というわけでもなかった。

 ただそういう相手が居なかっただけ。

 

 そして、なぜか俺が選ばれた。

 理由はいまだに判らない。性別が変わるなんて珍しいから、なんて、結局のところシンプルな理由なのかもしれない。

 選ばれたからには犠牲にならなければならない。

 何の? 彼女の壁打ちの。

 

 おはようを皮切りにして、おやすみを締めくくりになる様に一緒にいない時は合間を縫ってメッセージが飛んでくる。

 とりあえず朝と夜食べたものの写真を撮って送ってくるのはマストだ、昼は学校で一緒に食べるからキャンセル。

 代わりに土日は三食きっちり送ってくる、何ならおやつも送ってくる。

 いらないからやめろと拒否したけれども、彼女は一向に構いやしない。ただの飯テロモンスターとして変わらずに暴れ狂っている。

 

 本当のところ結構な寂しがり屋なのではなかろうか、とは彼女の送ってくる写真を見ながら思ったけれど、それを口に出すことはなかった。

 極度の人見知りの寂しがり屋、乗算で人生ハードモードだなと思いつつ、『美味しそうですね』と定型文を打ち返す日々。

 

 悪くはない。

 きっと俺は、あの頃に夢見た生活を送れているはずだ。

 

 でも、そのはずなのにどこか満足できない。

 何が欠けている様な気がする。

 

 念の為に一度全体を見回して、問題ないことを再確認する日々。

 そう、なにも問題は無いはず。

 千春が期待外れだった、なんて事はない。

 だから変わったとするなら、きっと俺の方。

 

「映画前にお昼を一緒に食べて、映画を見て、感想を互いに言い合ってさ。――そう、友達から花火を分けて貰ったんだ、もう夏も終わるし、締めくくりに、花火で夏を送り出そう」

「ふーん……」

 

 何かを探る様に彼女に見つめられるが、特にやましいことはない。

 一切無いはずだ。

 

 ……本当に?

 

 千春より先に、映画を一緒に見に行かないかと達也を誘ったことは、やましくないと胸を張って言える?

 

 汗が頬を一筋伝うも、流石にそこまでは見通せなかったのか、彼女はこちらから視線を逸らした。

 ほっと息を吐き、ひと段落。

 

 ようやく辿り着いた分岐路で、千春と道を別れた。

 

 また後で、そういって彼女は振り返らず去っていく。

 今日もまた晩御飯の写真を送るつもりかよと思いつつ、彼女の後ろ姿が見えなくなったのを確認してから漸く歩き始めた。

 

 何でも見抜きそうな彼女にだって、人のスマホのトーク履歴を知る術はないのだから。

 俺とあいつのやり取りを知るはずがない。

 

『映画』と一言で言葉は通じる。

 達也と俺はそういうもの。

 

 ツーカーの仲。どの映画を観たいとか、そう言うのを詳しく言う必要は無かった。だって見にいこうと誘う映画は封切り直後の映画ばっかりだったし、そうじゃないのであればさらに情報が付け加えられるだろう。

 

 試しに今週末上映開始の映画を確認すれば、真っ先に目に入るのは海外巨匠のSF大作。

 海外よりだいぶ遅れて日本上映となったけれども、ノリに遅れたからってこれを見ない選択肢はないだろう。

 

 何を見たいのか、当然伝わると思ってた。

 伝わったのであれば、断られるはずがないと思ってた。

 

『パス、というかお前は彼女と行け』

 

 その返答は軽い衝撃だった。

 というか、至極当然ではあった。

 けれども、まさかあいつにそういう対応されるとは、俺は夢にも思わなかった。

 

『前のお礼に奢ってやろうと思ったんだけどな』

 

 負け惜しみの台詞だけ吐き捨てて、返す言葉も見ずに俺はアプリを落とした。

 ずるいな、と思った。

 お前は好き勝手に距離を詰めることができるのに、俺にはそうはさせてくれないのか。

 

 だって、俺と違ってお前には彼女がいるじゃないか。

 あいつならいけしゃあしゃあと言う様な気がきた。

 俺は独り身だから好き勝手やれるけど、お前は違うだろうと当たり前の正論を突きつけてくるのだろう。

 

 自分を支えてくれる支柱を見つけろとあいつは言った、そしてその言葉に俺は納得していた。

 でも、本当のところはただ俺をそこに縛り付けたかっただけじゃないか?

 

 彼女が出来ても、結局何も変わらない。

 ただ選択肢が増えた様に見えて、しかもその代わりに一部が削れた。

 自由さは、そこにはない。

 

 家にたどり着いて、ふと空を見上げるも曇り空。

 どれだけ眼が良くなろうとも、間に障害物があるのだから、星なんて到底見えそうも無かった。

 

 見えそうだったものは今でもそこにあるのだろうか。

 遠ざかっていたりしないだろうか。

 もしかして、とっくになくなってたりしないだろうか。

 

「そういえば、あいつ彼女が欲しいとまだ思ってるのかな」

 

 きっと変わらないのだろうと思った。

 彼女が出来るまで、きっとあいつはそう思い続けるのだろう。

 

 現実を知ることでしか飢えは満たされない。

 そこで満足するか、大したもんじゃないなと落胆するのか、どっちに転がるかもわからない。

 

 俺の知らない誰かと、そういう経験をするのだろう。

 ほら、きっと花火をくれた彼女とか。

 モヤっとした気持ちをぎゅっと握り潰せば、ふと、疑念が鎌首をもたげる。

 

 どうしてあいつはいきなり彼女が欲しいと思ったんだろう?

 そんなに彼女が欲しいと思う様なきっかけはあったのだろうか?

 

 冷静に考えればどうして彼女が欲しいのか、聞けなかったな。

 鞄を放り出して、制服も着替えないまま、ベッドに体を投げ出しながらうーんと考え込む。

 

 もしかして、俺に彼女が出来たから?

 

 まさか。

 

 彼女が出来ると人生楽しいよ、バラ色の日々が待っているよ、なんてセールスをかました記憶はない。

 だから、あいつがそう思っているのであれば、きっとそれは勘違い。

 

 もしかしたら、彼女を作ることで成長できると思ってるんじゃないだろうか。あいつバカだしな。

 なんとなく、そんな気がした。

 

 でも、何も変わらない。

 お前は何も変えられない。

 

 正確にいえば、俺は、お前に何も変わってほしくないと思っている。

 

 変わってしまったら、きっと今度こそ、手が届かない位置に行ってしまう様な気がした。

 

 3

 

 日程に予定を差し込んで、少し日が経てばデート当日。

 

 駅の時計台、よくある待ち合わせスポット。

 その前には周りから隔絶された、カジュアルな服装に身を包んだ美少女が居た。

 近付き辛いったらありゃしない。

 ナンパすら遠ざけるその威光に思わず自分もスルーしてそのまま電車に乗り込むべきか、一考の余地が生まれるレベル。

 

 なんか隣にいたら、バチが当たりそうだし。

 そのまま前を通り過ぎようとして、腕をガシッと掴まれた。

 

「……どこ行こうと?」

「……トイレに」

「じゃあ、一緒に行きましょうか」

 

 同性同士だから逃げられなかった。

 というか、個室の前でガン待ちしてるのは流石にどうかと思うけれども。

 電車に乗って数駅行けば映画館が付属したショッピングモール。

 

 二人揃って真っ先に向かうのはフードコート。

 適当にハンバーガーのセットを頼んで映画前に腹拵え。

 一足先に食べ終えて、彼女が食べるのをぼんやりと眺めていた。

 

 俺が食べるペースが早すぎるというより、どう考えたって彼女の食べるペースが遅すぎる。ぼんやり眺めているとハンバーガーを漸く食べ終えて、彼女は自信満々にこう言った。

 

「ねえ、焦ったってまだ映画は始まらないよ?」

「わかったから、喋らないで食べるのに集中しろって」

 

 わぷっと声を漏らすのも無視して、彼女の口の端についたソースをナプキンで拭きとる。

 思わずため息をつく。

 これが生来の可愛い女の子というものなのだろうか。

 

 視線を下せば、まだLサイズのポテトが残っている。

 何とも理解し難い食べる順の様な気がした、先にポテトを飲み物で処理して、最後にバーガーを詰め込むのが自分の今も昔も変わらないやり方。

 

「ほら、一緒に食べながら少しお話をしよう」

「……完全に女子力で負けている」

 

 思わず身震いするほどのあざとさだった。

 まあ、もともと男ではあったから、負けるのは当然といえば当然ではあったけれども当然ではあるけれど。

 

 わざわざバーガーを齧る一口が小さすぎるのも、元来の食べ方はそうではなく可愛く見せるため。

 尚且つ最後に食べ物をシェアすることにより、こんなか弱い生き物なんですよとアピールする一貫した戦略とでもいうのだろうか。

 

 ここまで考えて可愛い女の子を振る舞うのか。

 女子高生というより軍師だな、と戦慄していると。

 彼女は一口ポテトを口に運び、

 

「私、お腹いっぱいだからあとは全部食べていいよ」

「えぇ……」

 

 分け合うんじゃないのかよ。

 というか全部押し付けかよ。

 そもそも、何でLサイズにアップグレードしたんだ。

 

 意外と、今の俺のこの体は燃費がいい。

 そもそも胃が小さいのだろう、容量がこんなんじゃ足りないと思うぐらいには小さい様な気がした。

 今も一セット食べただけだというのに、十分お腹いっぱいだった。前なら二セット余裕だったというのに、まあ、そういう食べ方をすると最後らへんは全く味を楽しめていなかったけれど。

 

 とにかく、お腹いっぱいなのはわかる。

 正直、もう無理だと断りたい。

 だが、これを捨てることは許されない。

 

 どうしようもなく、フードロスが許せない人間だった。

 一口コーラで喉を潤して、数本纏めて口にポテトを詰め込んでいると千春から呆れた様な声が飛んできた。

 

「いい食べっぷりね、そんなに食べると太るわよ」

「わかってるならわざわざLにするなよ、もしくはサイドメニューを変えろ!」

「もー、貧相な体を変えてあげようと思ったのに」

 

 失礼な物言いに思わず睨みつけるが、彼女が堪える様子はなかった。

 胸囲の差は明らかだった。

 このままでは勝てない、事実をベースにした言い争いでは勝ち目がないと矛先を探るべく話題を移す。

 

「千春は映画を結構見るのか?」

「まあ、暇だから」

「友達居ないもんな、千春」

「……こんなすごい急角度で罵倒されることあるんだ」

 

 彼女の眼がどんより濁るのを見て慌ててフォローする。

 というか、割とその発言でダメージを受けるんだ。てっきり気にしてないかと思ったけれど。

 少し凹んだ用の彼女の目の前にポテトを一本差し出すと、うさぎの様にちょびちょびと食べ始めた。少しずつ視線が元通りになってくるのを見て、地産地消とはこういうことなんだなぁと思う。

 

 このまま頑張れば、千春に全部食べさせることも可能かもしれない。

 まあ、このペースで全部消化させたら映画の上映に遅れてしまうからそんなことをしてる場合ではないが。

 

「映画を見るのは好きって言ってもお金は限られてるから、今日来たみたいにそんなに映画館に来ることはないの。基本はサブスクにはいってる古い映画ばっかり」

 

 このお昼で映画0.5本分……と悲しそうに眉を顰めるのを見て、思わず笑う。切実な問題かもしれないけれど、わざわざそこまで換算しなくても良いのに。

 

「最近見た映画は? おすすめがあれば後で見るよ」

「……マイフェアレディって知ってる?」

「いや、名前は聞いたことある様な気がするけれど」

 

 見たことがないと素直に首を横に振ると、千春は映画のあらすじに関して大雑把に説明をしてくれた。

 

 下町の花売りの少女がとある教授に出会い、言葉と振る舞いを矯正されて一人前のレディを目指すという話。

 少女は舞踏会で成功を収めるが、教授が自分のことを実験動物としてしか見ていなかったことに気づき、失望し、彼の元から逃げる。

 

「これがまあ、この教授がミソジニーの塊みたいな人間で。実際見てみたら嫌いになること間違いなしと断言出来るぐらい。そうだとわかってるのに少女は教授に惹かれちゃうんだ」

「ふーん……話聞く限りだとえぐみが強いけど、映画ってそういうとっかかりがある方が面白いからなぁ」

 

 試しに調べてみたところ、上映時間2時間50分と出てきて思わず呻く。

 まあ、お勧めされたからには見るしかない。メモ帳に忘れない様に書き入れると「井上くんって、理想のレディになりたくないの?」と声が飛んできた。

 

 意図が分からずに思わず、彼女の顔を見返す。

 彼女はただ、じっと俺の顔を見つめていた。

 

「もう自分は元に戻れないってちゃんとわかってるでしょ」

「だから、俺が元に戻れないからって何がどうなるんだよ」

「井上君はね、可愛いよ」

 

 彼女は歌う様に呟いた。

 飾りっ気のないシンプルな言葉は凶器だ。

 思わず顔を赤んで来るのを感じるけれど、どうしようもない。

 

「可愛いなら、それを活かさなきゃ。使えるものは使わなきゃ損じゃない? 私は可愛くなるのは嫌いじゃないし、そうなれるのであればそうしなきゃいけないと思ってる」 

 

 でも、井上君はそうは思ってないでしょ。

 

「だってものすごい中途半端だもの、今日だって全然女の子らしい格好をしてない」

 

 指差した先は俺の服装だった。

 前のを流用した変わらないファッションは、自分を中性的なものとして扱ってくれる様な気がした。

 

「なのに学校ではちゃんと女子用の制服を着てくる。なんかおかしいよね、それって矛盾してない?

 今日みたいな服装をするならさ、学校の制服も男子用のままでよかったんじゃないかな」

「……」

 

 グッと、身体を前に乗り出して彼女は笑い掛けてきた。

 

「ね、井上君はさ――女子用の制服を着た姿を誰かに見せたかったんじゃないの?」

 

 言葉より先に手が動いた。

 ポテトを数本まとめて千春の口に勢いよく突っ込み、それより先の言葉を封じる。

 目を白黒させながら口をもごつかせている彼女を見て、思わずハッと笑い声が漏れた。

 

 千春は、少し怖い。

 こちらのことを見通して、ズバッと切り裂いてくる。

 

 でも、強くはない。

 ただ、どこに立ってるのか教えてくるだけだ。

 逃げたくなる様な眩しさは持ってない。

 そこのところが、あいつとの違いなのだろう。

 

「好き勝手に俺のことを語るんじゃねーよ、全部お前の妄想だ」

「……そうだと良いけれど」

 

 それ以上、彼女は言及しようとしなかった。

 黙々と二人でポテトをつまみながら、ふと気になって彼女に尋ねかける。

 

「この映画ってハッピーエンドか?」

「個人的には。実際、原作とラストが違うらしいけど、でも聞く限りだと私は映画の締め方の方が好きかな」

 

 どういう話のオチなのかは、観て確かめろと言わんばかりに彼女は何も言おうとしなかった。

 

 一人前になった少女は幸せになれたのだろうか?

 きっと、幸せになれたら良いなと思った。

 

 そもそもの話、一人前のレディになることが幸せかどうかなんて、俺には分からないけれども。

 

 4

 

 エンドロールが流れ終わる。

 

 ガヤガヤと観客が席を立つのを見ながら、そのままぼんやり腰掛けていた。

 良くもなく、悪くもなく、毒にも薬にもならない普通の映画だった。まあ、この監督ならそういう時もあるよねレベルの映画。

 

 あいつならこの映画をどう評価するんだろうと思いながら、隣の客が移動するのを待っていると、カリカリと何かを書きつける音がした。

 隣を見ると、千春がノートに何かを書き付けている。

 

「映画の感想を纏めてるだけ、気にしないで」

 

 視線を感じたのか、ノートから顔も上げずに彼女は言った。

 1、2、3と数字を振って、その横に何やら色々書きつけている。眺めているうちに観客も捌け、更にしばらくして千春はパタリとノートを閉じた。

 

「こうやって感情が新鮮なうちに書きつけて置かないと、他の色に混じって濁っちゃうような気がするから」

「まめだなー、俺はそんなこと考えたことないな」

「正直、これが正解かも分からないけどね」

 

 そう言って彼女は薄く微笑んだ。

 

「ここだけは自分の場所だから。感情の隔離施設みたいなもん、どれだけ人の感想を見ようが影響を受けようが、これを読み返せば自分はこうだったと再確認できる」

「……タイムカプセルみたいなもん?」

「良い例えね、採用するわ」

 

 鞄にノートを仕舞い込み、彼女は立ち上がった。

 フロアスタッフが掃除するのを尻目にスクリーンから出ると、丁度他の映画も終わったのか、通路に人が溢れかえっている状態だった。

 

 さっさと出れば良かったなと思いつつ、千春の腕を引いて人混みを掻き分けて進んでいく。

 思わず舌打ちをしてしまうぐらいの量で。

 だから、それを見つけたのは偶然だった。

 

 本当にタイミング。

 千春がノートを書いているのを待ったから。

 わざわざ人混みを突っ切ろうと無駄に努力したから。

 

 だから、追いついてしまった。

 

 偶然視界の端に映った人影を見て、慌てて足を止める。背中に千春が追突してくるが、謝るより先に「あっ」と驚きの声が出た。

 

 斜め前方をゆっくり歩く、やたら見覚えの後ろ姿。

 声を掛けるまでもなく、あいつだと断定できた。

 

 何だよ。

 こっちの誘い断っておきながら、お前も結局映画を見に来てるのかよ。

 

 呆れてため息が出る。

 確かに映画館を見にくるなら一番手っ取り早いのはここだから、来る場所が被るのは当然っちゃ当然ではあるけれど、まさか時間まで被るとは。

 なかなかどうして運命的なんじゃなかろうか。

 

 まあ、いい。

 後ろから唐突に声をかけてびっくりさせてやろう。

 

 そのまま近づこうとして。

 また背中に体当たりをされて、思わず前につんのめる。

 

 流石にイラついたのか、背中をパンチする様な衝撃が続けて来るけれども、それどころではなかった。

 

 俺は何で都合よく、あいつが一人でここにきてると思ってたんだろう。

 冷静に考えれば、達也がここに一人で来たなんて誰も言ってないじゃないか。

 

 それっぽい相手は周囲に見えないか。

 ほら、わかるだろ。

 

 あの、あいつのすぐ隣にいる女子とか。

 達也の連れにピッタリに見えないか?

 あの女子に俺は見覚えはないか?

 

 でも、きっと気のせい。

 そんなわけ無いに決まってる。

 そんなすぐに彼女が出来るはずない。

 

 どれだけ彼女が興奮した様子で隣にいる達也に話しかけている様に見えようとも。ほら、達也もつれない返事を返すばかりで、まともに会話もしてないじゃないか。

 

 勢いよく進めた一歩が段々と小さくなって。

 他の観客が迷惑そうに俺たちのことを、どんどんと追い抜いていく。

 

 もう、あいつの姿は人混みに紛れてどっかに行ってしまった。

 

 気づけば、先ほどとは逆に千春に手を引かれていた。

 俺の手を強く握って、どこかへ連れ去ろうと引っ張る。

 

「こっちを見て」

 

 気が付けば劇場の端っこで、俺と千春は向き合っていた。

 

「何があったのか、教えて」

 

 一瞬視線を合わせるも、こちらを心配そうに見つめる顔を見てすぐさま逸らしてしまう。

 何もない、何もなかった。

 心配される様なことは何もない。

 

 黙って首を横に振る。

 そう、別に全然関係ない話なのだ。

 

 達也に彼女ができたって、俺には何の関係もない。

 そんなの人の勝手だ、俺が口を挟む筋合いどこにある。

 

 だって、俺にだって彼女がいるじゃないか。

 こうやって、俺の目の前で向かい合ってくれる人がいるじゃないか。

 

 そうわかっているのに、どうしても視界が滲むのだ。

 

 俺が我儘だから、全部思い通りになって欲しいと思っていた。一度もそうなったことはないのに、期待だけを積み重ねていた。

 

 ただ現実を受け入れればいい。

 それが一番難しいことではあるのだけれども。

 泥の様に重い口を動かして、俺は必死に言葉を吐き出す。

 

「……ただ、胸が死ぬほど痛いだけ」

 

 ただ、それだけだった。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 冗談めかして、言葉を付け加える。

 

「でも、うん、今はちょっと花火をする気にはなれない、かな」

「そう、じゃあ、家に帰ろっか」

 

 千春はそれ以上追求してくることはなかった。

 今はその冷たさが暖かった。

 

 電車に乗って、家に帰ろう。

 そうして全部忘れてしまえばいい。

 ベッドに入って、布団を被れば夢を見れる。

 

 そして、土日が終わったらあいつを揶揄えば良い。

 休みの間、彼女と映画見に行ってたろなんて、冷やかせば良い。

 笑い飛ばして、全部思い出に変えて仕舞えば良い。

 

 でも、そんなのありえない。

 俺には、無理だってわかってる。

 どうしたって、あいつの前で笑顔なんて取り繕えるはずがなかった。今みたいにポロポロと涙を溢して、ただ心配をかけるだけだ。

 

 蛇口を閉めるぐらい簡単に泣き辞めれば良いのに、それすらも壊れてしまったから。大元の心の止水栓を閉めるしかないのだけれど、どこにあるのかわかるはずもない。

 

 気が付けば、駅のホームで電車を待っていた。何処かへ飛んで行かない様に、千春が俺の腕をちゃんと握りしめている。

 

 視線を上げれば、彼女と視線がガッチリと合った。

 先ほどとは違い、今度こそ俺は視線を逸らさない。

 

「笑え」

 

 と、彼女は言った。

 そんな無茶な、と思うけれど、彼女は同じ言葉を壊れた様に繰り返すばかりで。

 

 ふっ、と気が付けば笑いが溢れていた。

 一人泣き続ける俺、壊れたロボットになった千春。

 

 客観的に見て狂っていた。

 どういう状況何だよ、これは。

 一度笑い始めたら、どうにもおかしくて止まらなかった。俺が笑ってるのを見て、彼女も嬉しそうに微笑んでいた。

 

 多分、そういうことなのだろう。

 彼女を作る理由って、こういうことなんだろうとようやく俺は気付いた。

 

「千春さ、一つだけお願いがあるんだけど良い?」

「……出来ることならね」

 

 電車がホームに滑り込んでくる。

 もう、誰もアシストしてくれない。

 だから自分で一歩、前に踏み出すしかない。

 

 乗車を促すメロディーが流れる中、俺は言った。

 

「一度だけ、キスして良い?」

 

 と。

 

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