性別が変わってしまった親友の背中を押したら大事故を起こした話   作:かりほのいおり

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彼女の話 井上君が休んでる件について

 

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 どうしようもなく絡まって、こんがらがってしまった糸。

 そんなものを苦労してまでわざわざ解く必要があるのだろうか?

 

 いっそのこと全部リセットして、新しく糸を出せばいいんじゃないか。

 そういう煩わしい部分なんて全部捨ててしまえばいい、それが一番手っ取り早いのだから。要するに井上君が選んだのはそういうことだった。

 

 井上君は私が見えなかった何かに気づいて、それを解く解決策なんて方法も選ばず、とにかく全てを撫で斬りにしようとした。

 何を見たのか。もしかしたらこういうのじゃないかっていう推測はあるけれど、本当のところはわからない。

 私はそれを見てないし、井上君は見たとどれだけ主張しようが、実際のところ見たものがそのまんま真実、なんて保証はどこにもないのだから。

 

 まあ、それを僕が認めようとしてないだけと言われたら、もしかしたらそうなのかもしれないけれど。

 

 とにかく、どうしようもなくなった関係性が彼の井上君で。新しく繋ごうとした縁が井上君と私で。

 それを断ったのが、僕ということだった。

 

 結局、井上君から見た私は初めから終わりまで虚構でしかなかった。隠していることを何も明かしていないのだから、まあ至極当然ではあるのだけれども。

 自分も性別が変わってしまった一人なんだよ、なんて素直に告げられない、彼はまだそこまで踏み込めない。

 

 なら、なんで僕は井上君と付き合うことにしたのだろうか。

 そもそも踏み込ませる気はあったのだろうか。

 

 真っ向から向き合う気があるのならば、付き合い始めてさっさとネタバラシして仕舞えば良かった。そうして友達として付き合っていればよかったんじゃないのか。

 

 やっぱり、怖かったのだろう。

 結局他人を信用していなかった。同類だとしても彼がどういう人物なのか、全く読めていなかったから。

 とりあえず判断は保留にしよう、だらだらと関係を繋いでいるうちにどうすれば良いか決めれば良い。そんな風に悠長に思っていた。

 

 全くもってだらしない。

 踏み込まないなら、踏み込ませないなら、始めから一人のまんまでよかったのに。そうわかっていたはずなのに。

 

 思わず目先の餌に釣られていた。

 偶々、何も知らない井上君が僕の方に引き寄せられたのも、あの日、井上君の隣に彼がいたことも、そういう運命なんじゃないかと思ってしまったから。

 

 だから、付き合うことにした。

 きっと、そうすれば接する点が増えると思ったから。

 浅ましいことをしているとはわかっているけれど、別にそんなことはなかったという罰を受けているのだから許して欲しい。

 

 まあ、井上君はきっと許してくれないだろうけど。

 

 でも、信じて欲しいのだ。

 井上君の助けになってあげたいと思うのは真実。

 

 同じ仲間という誼もある、井上君はまだ僕のことを何も知らないけれど。

 それはそれとして、付き合っているという関係もある。

 そんな風に理由をつければいくらでも見つけられる。例えば付き合ってなかったとしても、教室で凹んでいる彼を見かけたら、多分手を差し出そうとしたに違いなかった。

 

 とにかく、彼にも笑っていて欲しいのだ。

 そうでもないと、僕たちは報われない。

 

 それぐらいの些細な幸福が無いと救われないということを、確かに僕は知っている。まあ、だからといって彼の恋のキューピットになる気はさらさらないのだけど。

 

 中途半端な親近感。

 僕が彼に向ける感情は一番タチが悪いものだったのかもしれない。そして一定のラインを超えることはいまだに無かった。

 

 でも、もしかしたら。

 もしかしたら、ほんの少し何かがボタンを掛け違っていたら、僕と井上君とキスしていた未来があったのかもしれない。

 全てを取り繕って、井上君の新しい依代として一緒に歩むこともあったのだろう。

 全部イミテーションに過ぎなかったと見破られる日まで、ずっとずっと。

 

 少なくともその場しのぎでしかないとわかっていても、いっときの救いになるんじゃないか。そういう献身ともいえない何かに殉じることもあったのかもしれない。

 

 今の僕は、その選択を選べない。

 わかってる。最後まで全部隠し通せるなんて事はありえないのだ。悪は滅びるのだから、いつかはちゃんと向き合わなければいけない時が来る。

 その時、元男だという事実を隠していたことを突っつかれたら、全く目も当てられないことになるだろう。

 

 そんな時が来たら、繋がりを放棄せざるをえなくなるかもしれない。そしたら井上君のように、こっちの関係もチョキンと切って仕舞えば良い、なんて結論に同じように至るかもしれない。

 

 ただの仮定、ただし十分あり得るリスク。

 まあ付き合ってる時点で一線は踏み越えたのかもしれないけれど、ある程度のラインに留めておけばなんとかなると信じようとしていた。だからこそ、もうこうなったら行くところまで行ってしまえ、みたいに前を進むことを僕は選べなかった。

 

 関係の放棄なんて選択は、既に僕が一度経験したことではあるけれど、経験したからこそ、それはごめんだと思ってしまう。

 

 それが中学校の頃に起きた話。

 そうして一人になって、また二人になったのが今。

 

 知らないうちに、僕は人間関係に飢えていた。

 なんだかんだ一人で生きていけるとは自惚れていたけれど、一度満たされて仕舞えば、寂しいものは寂しいということに気づくのも早かった。

 

 そのまま忘れていればよかったのに、思い出してしまった。気付かなければ、きっとそのまま何事もなく生きていけたのに、知ったからにはもう手放せない。

 

 夏祭りの日に、彼と出会って。

 そして、井上君という確かなつながりを得てしまったから。

 

 両立なんて、無理なのかもしれない。

 二兎を追っていることなんて分かっていた。

 土台、はじめに井上君と付き合うことを了承した時点で、糸は絡みに絡みまくって絡め取られて、もうどうしようもなくなっていたのだろう。

 

 そうだとわかっているのに、いまだに僕は一人で糸を解こうと四苦八苦している。

 だから、キスされるのも断った。

 

 断ったぐらいなら、僕と彼の関係もまだ何も変わらない。

 そして、その一線を守っていればきっと引き返せる。

 

 後ろ指を指されるようなことだとしても、なにも変わらなければ良いと思っていた。何も変わらないと信じていた。

 そう思っているのは、僕だけだってことに気づかないまま。

 

 駅で井上君と別れて、また学校に向かう日々が始まって。

 月曜日になっても、彼は教室に姿を見せなかった。

 体調不良だと教師は言っていた、彼曰く今日は調子が悪いから休む。簡素なメッセージでそう告げられた。

 

 たった一日の休みに決まっている。

 跳ねる心臓を抑えて、無駄な心配をしているだけだと自分を落ち着かせることは、それはもう簡単なことだった。

 

 一人っきりのなんとなく物寂しい学校生活。

 きっと杞憂だ、明日になればまたいつもの元気な姿を見せてくれると信じていた。

 

 火曜日も彼は姿を見せなかった。

 水曜日になっても彼は来なかった。

 

 そこに至って、ようやく僕は認めるしかなかった。

 何も変わらないなんてことはない。

 

 あの日、あの時、全てがずれてしまった。

 そのずれを治さなければ、何も始まらない。

 

 誰が悪いのだろう。

 きっと僕が悪いのだろう。

 

 そうわかってるなら、やるしかない。

 選択しなかった責任は、僕が取らなきゃいけない。

 

 1

 

 基本的にというか、僕と他のクラスとの関係は絶無だった。

 人間関係が希薄過ぎて、僕の周囲はほぼほぼ真空状態であったから。義務的な繋がり、事務的な会話のみで高校生活を組み立てていた。

 そんな簡素な骨組みだけで一学期を通り過ぎ。

 

 モノクロだった学校生活も二学期になって少しだけ改善。

 同類だった彼が隣にいるようになった。その唯一の繋がりと言える井上君は今日も今日とて学校を休み、本日をもってとうとう五連休に突入である。

 

 全く、至って健康体である他人からしてみれば羨ましい事この上ないだろう。裏の事情を知っている身からすれば、そんなこと言ってられないのだけれども。

 

 彼の個人の事情はさておいて、こちらの話である。

 

 昔、なんもなかった地球にシアノバクテリアが出現したことにより、大量の酸素が発生して、生命が進歩して単細胞生物の大型化や複雑化を進んだけれども、その影響で環境に適応できなかった原始生命体はどんどん絶滅していった。

 それと同じように隣にに井上君がいたことによって、それに適応するように僕も前に進んだつもりだったし、確かに何かが変わったのだろう。

 

 そう、変わってしまった。

 もう元には戻れない。

 

 とっくのとうに僕は前の環境で生きていけなくはなってしまった。もしかしたら、また適応するようになるのかもしれないけれど、とにかく今は酸素を求めて右往左往せざるを得ない。

 

 本当に悲しいことではある。

 結局、僕がこの教室にいたところで何も変わらない、何も起こらない。ここからやれることといったら、スマホで井上君に心配のメッセージとスタンプを爆撃することぐらいで、そうしたところで世界の何かを変えられると信じてしまうぐらい無知な子供というわけでもなかった。

 世界は行動でしか変わらないけれども、益のない行動も当然ある。

 

 だから、ようやく重い腰を上げることにした。

 四限目が終わって、鞄からお弁当を取り出すより先にタスクを終わらせるために仕方なく動き始めた。と言っても、ほんの少し会話をしてお願いをするだけではある。

 

 初めてのお使いよりずっと簡単なこと、お釣りの計算をする必要すらないのだから。

 そう自分を勇気付けて、教室の外に踏み出す。

 ちょっとした冒険。冒険というより遠足。

 遠足というより散歩。散歩というより……なんだろう。

 

 そんな無駄なことを考えてるうちにあっという間に目的地について、そっと教室を覗き込む。

 わざわざ探すまでもなく、一際目を引く集団を見れば目的の人物を発見。またなんか馬鹿をしている、そんな周りの奇異の視線を一向に介さず、目の前の二人の友人らしき男子生徒の死んだ目も一切無視し、何かを一席ぶっていた。

 

 観察も途中で切り上げ、通りすがりの女子生徒に声を掛ける。「ちょっと山下君を呼んでくれない?」とお願いすれば、彼女は彼の背後からスタスタと歩み寄り、そのまま頭上に割と容赦のないチョップを叩き込んだ。

 

 果たして僕は声を掛ける相手を間違えたのだろうか?

 それとも彼の扱いが共通してそういうものなのか、僕にはちょっと判断ができなかった。

 

 しかしながら、こちらからしてみれば思わずギョッとするような振る舞いではあったけれども、周りはその対応に何の疑問も挟ばずに平然と変わらない昼休みを送っていたから、きっとそれが通常運用なのだろう。

 頭を抑えつつ、彼は教室の入り口に立つ僕の方を振り返る。自身のことを指差して「俺?」と口が動いているのが見えた。

 

 一つ頷きを返せば、彼は素直にやってきた。

 女子生徒と山下君の会話を聞いたのか、また何かをやったのかという視線を一身に浴びながら。

 

「……俺、またなんかやっちゃいました?」

 

 来るなり恐る恐る口を開けば、吐き出されるのはそんな言葉。

 

 またって、なんなのだろうか?

 それって過去に何かがないと出てこない台詞じゃないか?

 ムクムクと胸に疑問が湧き出でるけれども、今はそれを深掘りしてる場合じゃないと自制。思わず口をついて出そうな言葉を笑顔で封じ込める。

 

「ちょっと山下君に話があるの、着いてきてもらえる?」

 

 

 

 言うほど遠く離れた場所に行く気はなかった。

 体育館裏とか、本当に人が来ないような場所じゃなきゃできない話をする気もない。ちょっと簡単なお願いをするだけだ、それもたまたま他人に聞かれても良いぐらいの会話。

 

 そうして辿り着いたのは階段の踊り場。

 みんなが通り過ぎる場所、何かに気付いてもわざわざ足を止めようとも思わない所。

 くるりと振り返って、僕の後を追ってきてくれた山下君に尋ねかける。

 

「まずは質問なんだけど、最近井上君が学校を休んでるって知ってる? 今日で三日連続、土日含めて五連休」

「いや……知らない。知らなかったな」

 

 鳩が豆鉄砲を食ったよう顔を一瞬浮かべたけれども、ぱっと元の表情に戻るのも早かった。

 本当に何も知らないのか。一瞬落胆しそうになるも、まあそれが普通かと気を取り直す。知っていたら、彼ならきっと何か行動していたに違いない。

 

「じゃ、その原因は何だと思う?」

「それは同じクラスの小川さんの方が知ってるんじゃないか? そもそもあいつと付き合ってるのは小川さんだろ?」

 

 長い話になりそうだと思ったのか、山下君は私の横を通り過ぎて、そのまま階段の端っこに腰掛けた。対して僕は壁際に手すりにもたれ掛かって彼を見下ろす構図。

 

「うん。教師からも、井上君からも体調不良で休んでるって聞いてる」

 

 毎朝律儀に飛んでくるメッセージはスタンプを押したように同じ言葉。きっとコピペして使いまわしてるのだろう、もしくは予測変換から出てくる言葉をなぞっているだけに違いない。

 

「でも、本当に体調が悪いだけなのかな?」

 

 軽く鎌をかけるも、彼は訝しげに首を傾げるばかりだった。

 

「なんか、井上君が休むような心当たりはない?」

「いや、ない。あるわけない、少なくとも土日はあいつと会わなかったし、メッセージもまともなやり取りが無いしな」

 

 死、っていう単純な呪いの一文字を受けたけれど、もしかして俺は知らないうちに呪詛返しでもしたのか。

 もしかして呪術師の才能でも互いにあったのだろうか。

 ぶつぶつと自分の世界に入り始めた山下君を見て、思わずため息をつくと彼はぴっと背筋を伸ばした。

 

 なんでこうも横道に逸れるのだろうか。

 

 そもそも、その言葉を受けた原因をまずは考えて欲しいのだけれども、とにかく彼はそうしようとしない。

 もうこれ以上の言及しても無理だろうと切り上げて、諦め混じりに「なら、いい」と吐き捨てると、まるで本当に悪いことをしましたと言わんばかりに、赤べこの如くぺこぺこ頭を上下に動かしている。

 

 ……なんかムカつくな。

 いまなら女子生徒がチョップした気持ちもわかるような気がした。こういう手合いは暴力で結論を突きつけた方が早い、そう思われても仕方がない。

 

 いっそのこと、土日に山下君は映画館に行っていたのかを尋ねて、全部爆破したい気持ちに襲われるけれども、あまりに匂わせがすぎるからそんなの選べるはずがない。

 今自分がやってることですらだいぶギリギリなのだから。

 

「それならさ、代わりに山下君にお願いがあるんだけど、井上君の家に届け物をしてくれないかな」

 

 だから、第二候補。

 割と直球な解決策ではある。

 恐らく問題の根本原因である山下君を動かすことにより、彼と井上君を向き合わせれば、化学反応が起きるんじゃないかと期待していた。

 100%、間違いなく何かは起きる。

 それが良い方向か悪い方かは別として。

 

 このまま、時間が全部を解決してくれるなんて悠長なことをしてられない。そもそも何も解決されないのかもしれない。

 

「私は、まだ井上君の家を知らないから。ずっと井上君と仲良くしてた山下君なら、きっと彼の家も知ってるでしょ?」

 

 知らない筈がない。

 彼から山下君についての話を聞かない日はないぐらい、この二人が縁の強い相手だと言うことを僕は知っている。

 

 そして、井上君が立て続けに休んでいることを知ったのであれば、彼から聞く山下君という人物なら、こちらの言葉を飲んで動いてくれるだろうということも想定が付いた。

 

 それは僕が想像している目前の彼とも大差は無い。

 仕方がない、と頷いて安く請け負ってくれる。

 

 その筈だった。

 

「あー、それは……」

 

 なんとも歯切れの悪いセリフだった。

 言って良いのか悪いのか、何を躊躇っているのか曖昧な困ったような顔をして、

 

「それって、俺がやるようなことなのか?」

 

 山下君は、そう言った。

 

 2

 

 予想が乖離する。

 目の前にいる人は、あの夏祭りの日に僕の手を引いてくれた彼と本当に同じなのだろうか。

 

「だって、体調不良なら俺にやることはないよ」

 

 聞きたくなかった当然の言葉。

 でも、そうじゃない。

 僕が求めてるのはそんな言葉じゃない。

 

 前提条件をすっ飛ばして、隣に寄り添ってやれるようなのが君じゃないのか?

 路地裏の見知らぬひとりぼっちの誰かに声を掛けて、一緒に回るような奇特な人物じゃなかったのか?

 

「そもそもの話をすれば、悠には小川さんっていう彼女が居る。そう、君」

 

 こちらのことを見上げながら、指を指して言葉を続ける。

 

「家を知らないならLINEでも使って聞けば良い。『お見舞いに行きたいから教えてくれない?』、めちゃくちゃ簡単だ。優もそう言われたら断らない、あいつを知ってるからそれは断言できる」

 

 まあ、あいつに限らず男なんて誰でもそう言うもんだけどな。

 彼は笑いながらそう言った。

 彼女がお見舞いに来てくれる、なんて夢のシチュエーションをわざわざ自分から邪魔するはずがない。むしろこっちからお願いしたいぐらいだ。

 

 まあ、きっと確かに。

 見舞ってくれる誰かがいて欲しいというのはわかるし、ひとりぼっちだって現実に飲み込まれないように、隣に誰かにいて欲しいと思う気持ちは男だろうと女だろうと変わらないのだろう。

 

「そういうことなんだよ、直接聞く勇気がないのなら俺に悠の家を教えてって聞けば良い。そりゃもう喜んで教えるよ、あいつもきっと涙を流して喜ぶだろうしな。体調不良で水分も取れてないなら、その勢いで脱水症状で死んじゃうかもしれないけれど、そうなるとしてもきっと教えるよ」

「……それは流石に教えない方が良いんじゃない?」

「そうかもしれない、いや違くて。結局俺が言いたいのは小川さんと俺が行くのとじゃ天と地の差があるってことなんだ。適材適所じゃないんだよ、わざわざ俺が行く必要がない、その需要がない。なんで小川さんが俺を出張らせようとしてるのか、まったく意味がわからない。だから、俺はあいつの家には行かない」

 

 覆されることのない事実だと言わんばかりに、彼はキッパリ言い切った。そしてそのまま動かない。

 まるで僕の言葉を待っているかのように、どうして自分で行かないのか、その答えを待っているのだろう。

 

 どうしてだろう?

 どうして、僕は真っ先に山下君を頼ろうとしたのだろう。

 

 そう、そうなのだ。

 真っ先に自力での解決を探るべきと言われたら否定できない。それが正道の解決方法だってちゃんとわかっている。

 

 それでも、山下君なら全部解決してくれると思った。

 こんなややこしい関係も、全部投げ出して目の届かないように蓋を塞いでしまいたいようなものも、快刀乱麻を断つかのように、全部綺麗さっぱりとさせてくれるんじゃないかと思っていた。

 

 でも、そんなの全部言い訳か。

 思わずポツリと呟きが漏れたけど、彼はその言葉になんの反応もしなかった。結局、答えは一つに帰結している。

 

「私には、なんも出来ないと思ってるから」

 

 僕には何も救えない。

 

 あの中学校の頃、何も関係が変わらなかったように。

 僕がもし何かを変えられるのであれば、ここに流れ着くこともなかったのだから。

 

 どうしようもない無力感。結局、井上君とも繋がりができたのも、彼の誘いがあったから。

 たまたま通りかかった船に乗り込んだだけ、結局自分から前に進もうなんてことは一度もしていない。

 

 そして、その後もやることは船頭を励ますばかりで。

 倒れた船頭を助けてくれる誰かを求めて右往左往。この船が沈まないように、本当に居るかもわからない医者を探している。代わりに舵を取ることも、他人みたいにさっくりと他船に乗り換えることもできないから。

 

 僕の言葉を聞いて、山下君は口元を抑えていた。

 何かを堪えるかのように。抑え切ったと思ったのかまた手を外したけれど、どうしようもなく口角は釣り上がっていた。

 

「何も出来ないことなんてないだろう」

 

 何がわかると言うのか。

 こっちの気も知らないで、彼は自分のほっぺたを揉んで。

 人差し指を一本立てて、彼は何かをモノマネするかのように言った。

 

「ズバッと言わせてもらうよ、小川さんは何もやってないだけ!」

「ねえ、チャットbotみたいな喋り方はやめて」

「小川さんはただ楽をしようとしてるだけ!」

「なんも変わってなくない?」

 

 より冷たくなった言葉に、思わず笑ってしまった。

 的外れな意見ではなかった、むしろちゃんと真理を射抜いてる。酷い言葉を言ってるとわかってるはずなのに、彼は何も言葉を訂正しようとしないで、腰掛けたまま動かない。

 

 自分の言葉になんの疑いを持たずに居られるから、そうだと信じ抜いているから。

 でも、実際そうなのだから、まったく始末に追えない。

 

「本当に、小川さんがどうしようもないなら助けるさ。悠がそういう状況なら、俺は親友として真っ先に手を差し伸べるよ。そういう橋渡しなら俺でも出来る、誰でも出来る」

 

 例えば二人が喧嘩したとか、そういう時にね。

 なぜかキメ顔で、彼はそう言うのだ。

 

 ……?

 

 あれ、何が違くない?

 というか、休む理由をはじめに推察してって言ったはず。

 冷静に考えれば、僕に原因があるとわかってるのに、そんな質問をぶつけるはずがなくないか?

 

 何かを勘違いしてるのか、それとも心の底からそうだと思ってるのか判別がつかない。途中まで確実に芯を喰っていたはずなのに、どうしてそうなった?

 

「出来るだけのフォローは保証する。とにかく小川さんがまずは行きなよ」

 

 こっちの困惑の表情を一切無視して、彼はひたすら背中を押してくる。そのまま、笑顔で手を差し伸べられて、なるほどと頷く。

 

 ああ、やっぱりそうだ。

 多分こいつ、本気で勘違いしてるんだろうな、と気づいてしまった。きっと僕と井上君が休みの間に喧嘩をした、なんてトンチンカンな想定はコンクリートのようにカチカチに固まってしまった。

 

 思わず呆れた視線をぶつけるも、彼は気づかない。

 これって、僕が悪いのだろうか?

 まあ確かに悪いのだろう。そう思われるような行動になっていたのは間違いないことだった。思わせぶりな行動だったからこそ、こいつはわざわざ裏の裏まで読んでしまったに違いない。

 

 でも、そんなの人の勝手だ。

 そのまま表だけ受け取っておけば良いものを。

 

 それに、そもそも九分九厘間違いなく、全部お前のせいじゃないのか。

 

 突っ込みたくなるのを理性で抑え、僕は彼の手を取った。

 得たのは井上君の住所、それに少しの誤解。

 まあ、誤解に関してはきっと休み明けに親友である井上君の方からなんとかして貰おう。

 

 それぐらいはやって貰わなきゃ。

 その為にわざわざこちらから出向く労力を割いたし、こっちを一人にした罪もある。

 

 それに対するちょっとした罰。

 

 3

 

 アプリの地図にピンを刺してもらって。それを辿ってやってくれば、当然ながら表札には井上と書かれている。

 

 わざわざ持ってくるまでもない授業のノート、それにファイルに挟み込んだ授業で配られたプリントにアンケートの薄っぺらい紙。それをお守りにしてとうとうここまでやって来てしまった。

 

 何を話そう、なんて話そう。

 考えを取りまとめないまま、とにかく僕はインターホンを押した。そうだ、あらかじめお見舞いに行くとメッセージでも送っておけば良かったと思うけれど、もう後の祭り。

 

 反応がないまま、しばし待つ。

 居ないのだろうか? 居留守だろうか?

 まるで想定してなかった扱いにどうするべきが悩んでいると、玄関の扉が開く音がした。

 良かった、無駄足じゃなかった。

 そう思いながら視線を向けて、思わずギョッとする。

 

 出てきたのは確かに井上君だった。

 ただ、予想と全然違う格好。

 

 だらしなく着崩したジャージ、額には冷えピタ。

 赤らんだ頰に、耳にかけられたマスクは息苦しかったのか、もう顎下まで下げられてなんの意味もない。

 よせばいいのに、そのまま待ってれば良いのに、サンダルを突っかけて、息も絶え絶えふらふらとこちらに近づいてくる。

 鼻水を一回、ずっと啜って彼は口をゆっくり開く。

 

「……なんか、用?」と言った。

 

 

 井上君の部屋に上がったのは今日が初めて。

 だからといって別に記念日にする気にもなれないなと思いつつ、部屋をキョロキョロ見渡していると、別になんも面白いものはないだろと声が飛んできた。

 

 確かに、特段特徴のない、良くある男の子の部屋といった感じではある。そんな部屋まで案内して彼は体力も尽きたのか、汗びっしょりになりつつも、そのままベッドに吸い込まれていった。

 僕はそのまま、普段使いしてるであろう椅子に腰掛けて、背もたれに置かれていたクッションをなんとなく抱き抱える。

 

「休みの間に配布されたものはとりあえずファイルに纏めておいたから、とりあえずこの机の上に置いておくね」

「わりー……助かったわ」

 

 ノートに関しては写す余裕もなさそうか。

 これなら、コピーを取って持ってくるのが一番優しかったなと反省。

 といっても、まさかここまで本格的に体調を崩しているとは思わなかったから、そんなの無理に決まってる。ただメンタルを崩しているだけだろう、なんて最初から決めつけてしまった過去の自分を殴り飛ばしてやりたかった。

 

「映画見に行った帰りから、ちょっと体調が良くなくて。まあすぐ治るだろとは思ってたんだけど、全然熱が下がらないんだわ」

 

 身体的に特有の病気かと思ったけど、母さんも今は体調を崩してしまったからどうやら移る病気らしい。

 暗にさっさと帰れよと匂わせているような気がするけれど、そのまま帰る気はさらさらなかった。

 

「それだったら二人にお見舞いに、なにか買って来るべきだったわ」

「気にしなくて良いよ、調子悪いと休むぐらいしか俺も言ってなかったしな」

 

 弱々しく笑いながら、彼は言った。

 

「ほら、千春も俺が本当に体調を崩してるなんて思ってなかったろ?」

 

 即座に否定するべきだった。

 たとえ嘘だとしても、それが優しさだって。

 でも口が動かない。「う」なんて言葉を漏らして、それっきり。

 

 ほら、予想通りだろ。

 夕日が差し込む部屋の中、気まずい沈黙を破って熱に浮かされた様子でゆらゆらと彼は言う。

 

「うん。あの日は、どう考えても俺が悪いんだ」

「……なんも悪いことはしてないと思うけど」

「逃げ出したかったんだ。そうすれば全部忘れられると思った、そうしなきゃ前に進めないと思った」

 

 まったく返事になってない言葉。

 自分がそう決めたからには他人の意見を挟ませないという確たる意思。拒絶だ、会話なんて求めちゃいないのだ。

 ただ一方的に結論までを取りまとめて、それで一人納得してしまっている。

 

「多分、誰でもよかった。千春じゃなくても、他の誰でも良かった。代替品になってくれるなら、それで良い。誰も気付きやしないんだから、その向こうに誰を思い浮かべてるかなんて、そんなの知られるはずがない」

 

 多分、罰せられたいのだろうと思った。

 わざと露悪的な言い方をしている。

 そうすることできっと、私から嫌われたいのだ。

 

 嫌われて距離を取られれば、救われると信じている。

 まるで鏡。もし山下君がここに居たら、楽をしようとするなと一喝するに違いない。

 

「だから、断られて当然だった。千春がその事に気付いて断ったのかはなんてわからないけど、本当に助かったんだ。そうしたら、そうすることができたら、俺がどうしようもなく最低な人間になっちゃうから」

 

 最低な人間ならどうだというのか。

 生きてはいけないのか?

 それなら、秘密を抱えた僕はどうなるというのか。

 彼の基準で言えば、僕は最低なのだろうか。

 

 まあ、そうか。きっとそうだろう。

 それにしても長いな、話。

 

「気づいてたのかな。あの時、俺は千春のことをちゃんと見ちゃいなかっ」

「――流石に話が長い!」

 

 なんせ、最低だから何をしても許される。

 ストップ安だ、それならここから先は独壇場。

 

 手始めに宙を飛んだクッションは見事に彼の顔面に吸い込まれて、そこから先の言葉を紡がせなかった。

 ナイスショットと思わず自画自賛していると、クッションが対抗して飛来してきたのを頭だけ避けて躱わす。

 

「いきなり何するんだよッ!」

「病人は叫ばない方が良いと思うな」

「お前のせいだろ……ッ」

 

 ぜえぜえと青色吐息だが、こっちの知ったこっちゃではない。

 またクッションを胸にかき抱いて、尋ねかける。

 

「回りくどい話は嫌いなの、最短最速で決着をつけましょう」

「あいつも勝手だけど、お前も大概勝手だよ……」

 

 ふーっと深く息を吐いて、彼は言った。

 

「千春、別れよっか」

「え、いやだけど」

 

 ノータイムでの返答。

 

 飛んできた枕は、今度こそ躱わせない。

 




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