性別が変わってしまった親友の背中を押したら大事故を起こした話   作:かりほのいおり

9 / 9
すべての人間を破壊する。
それらは再生できない。


Love is over

 

 1

 

 言葉は連想ゲームみたいなものだ。

「お腹が減った」と先に理由がきて「飯を食おう」と行動に繋がる、これが基本的な会話の流れだろう。

 そこに更に情報を付け足して会話を複雑にしていく。

 いつの話なのか、どこでなのか、誰がなのか、どのようにしてなのか。

 そこら辺は別に全部を書き連ねる必要はない、コミュニケーションにおいて一番大事なことはその意味がちゃんと伝わるかどうかだから。最小のセンテンスだろうと、それさえ踏まえていれば何の問題もない。

 

 告白に関してもそうだ。

 これを最小の文にするならきっと「好きです、付き合ってください」になるだろう。

 もしかしたら「付き合ってください」だけで伝わります、と川柳のおばさんに添削されるかもしれないが、俺にとっては好きという主張を前面に押し出してから、付き合ってほしいと言って欲しいなとは思っている。

 

 それさえあればいい、それだけでいい。

 別に、他人がどういう理由で俺を好きになったのかなんて、興味はないのだから相手から俺をどう思ってるかの大雑把な形さえ把握し解けばいいと思っている。

 

 嘘だ。

 本当はめちゃくちゃ興味があるにきまってる。

 俺を好きになってくれた人が、俺のどういうところを好きになったのかを知りたいという気持ちは確かにある。

 

 けれども、俺が知ってしまったのであれば、きっとそうあれかしと努力してしまうだろうし、そうなったらきっと息が詰まるような生活になってしまうような気がするから。

 だからやっぱり、告白されると仮定したら「好きです、付き合ってください」ぐらいのシンプルな文にまとめてくれた方が嬉しいと思ってしまうのだ。

 

 2

 

 そのシチュエーションが俺に訪れたのはある休日の夕方、駅のホームだった。花火の彼女に映画に誘われて、何となくダラダラと映画を見て、ウィンドウショッピングをして、その帰り道。

 結局何事もなくこのまま終わりかと思っていた時に、耳がおかしくなって幻聴を聞いたのでもなければ、確かに俺はその言葉を聞いた。

 

 風に乗せて、ともすればかき消されてしまうぐらいの小さな声で「好きです」と。それを聞いて俺は隣へ向き直れば、彼女はもう一度同じ言葉を繰り返した。

 

 彼女は間違いなくそう言った。

 それに対して俺は慌てるでもなく、喜ぶでもなく、拒否感を示すわけでもなく、淡々と現状を把握して何がこれから起こるんだろうと考えていた。

 

 そこから先に繋がる言葉は何だろうか、と。

 俺が知らない、知りたくもない彼女が好きになった理由に繋がるのか、それともそのまま「付き合ってください」と繋げられるのか、どっちなんだろうと待ち構える余裕すらあった。

 

 そもそも今日、彼女に告白されるんじゃないかという予感はあった。

 映画を一緒に観に行こうと誘われている時点で、脈アリなのはどんな朴念仁だろうとわかることだろう。

 

 これで何もなければ匂わせるだけ匂わせて置いて、無闇矢鱈に男を勘違いさせる魔性の女に付き纏われたことになってしまう。

 まあ、それはそれで話のネタにはなるのだけれども。

 

 そもそも今日の映画の話を抜きにしても、映画に誘ってきた彼女は花火の下りの件もあった。

 それを踏まえて上で、この人はただ一緒に映画を見る相手が欲しかったんだろうな〜なんてほざいたりしたら、脳無しと酷く罵倒されても仕方がない。明日からクラスメイト全員から白眼視されて村八分待ったなしだ。

 

 予定調和といえば予定調和である。

 そして俺がなんて答えるかも当然決まっていた。

 

 決まってなければ、こんな誘いに乗るはずがない。

 何が起こるかわかって向かってるのに、まさかあなたが俺のことをそう思ってるとは思わなかったんです、ごめんなさい。なんていって、彼女の苦しむ顔を眺めていたいなんていう特殊な性癖があるわけでもない。

 少なくとも俺は女性は常に笑っていて欲しいのだ、常に幸せであってほしいのだ。正直男は別にどうでもいいけれど。

 

 とにかく、俺が来たということはそういうことだった。

 そうする事でOKだというサインでもあったし、そこまできたらあとはただの確認作業に過ぎない。

 これで、全部一区切りつけられると思っていた。

 

「好きです、でも君とは付き合えません」

 

 じゃあ、これは何?

 

 はあ?と失礼な言葉を漏らしてしまったのも、きっと今だけなら彼女も許してくれるはず。

 きっとそういうランキングがあるなら、告白から振られるまでの最速のタイムを刻んだに違いない。本当に瞬きほどの一瞬の出来事だった。

 

 もしかしたら俺の体感では一瞬だったけれども、他人にとってはそうでもなかったのかもしれない。

 

 告白されるとは思っていたけれど、初めて告白されるという衝撃に心が耐え切れずに呆然と立ち尽す醜態を晒したから、彼女も失望したのかもしれない。

 ノミの心臓だった俺に呆れて、こいつやっぱ無理だと思ったのかもしれない。

 

 それか若しくは、どこかで誰かが世界のリモコンを操作して、スキップボタンを押したのかもしれない。

 でも、どうにも周りの時間が飛んだ様子はなかったから、どうやらその二つの可能性はないらしい。

 

 世界記録達成おめでとう!

 ドンドンドンパフパフパフと脳内で失礼なファンファーレが鳴り響いていた。

 そう茶化すことにより、ある程度の理性は保つことに成功していた。自分の頰軽く叩いて気を取り直して目前の彼女に向き直る。

 

「もう一回言ってくれるか?」

「山下君のことは好きだけど、やっぱり付き合えないなーって思っちゃってさ」

 

 どうやらこれが現実らしい。

 好きと付き合えないはどうやって繋がるのか教えてくれよ、やっぱりって何なんだよ。

 笑顔にピクピクと痙攣する頬。

 理由と行動の間に、更に理由が挟まるはずなのに、そこが空白のまま致命的に抜けているから、どうしても頭が理解を拒んでいた。

 

「だってさ、山下君は私のことをずーっと見てくれないじゃん?」

「見てるよ、今だってちゃんとまっすぐ見てる」

「そーゆうことじゃないんだって、山下君もわかってるでしょ? 言わなきゃわかんないなら好きから嫌いにランクダウンしちゃうよ」

 

 そう言いながら、彼女は鞄を軽く振り回す。

 避けもせず防御もせず、俺はそれを甘んじて受け入れることにした。ちゃんと見ているつもりなのに、彼女はそうじゃないという。

 

 じゃあ、俺は何を見ているっていうんだ。

 現実から目を背けているとでもいうのだろうか。

 

「山下君が無性に恋に焦がれてさ、彼女欲しいーってのたうちまわってたの馬鹿だなーって思ってたんだ」

 

 俺の気も知らないで、彼女は勝手なことを言う。

「どうせ馬鹿ですよ」と口を尖らせれば、言わなくてもわかると思うけど当然褒め言葉だよ、彼女は慌てて手を振って勘違いしないでよねと訂正しながら言葉を続けた。

 

「そういうのを側から見ててさ、いいなーって私は思っちゃったんだ。馬鹿だなーって笑ってたけど、山下君がそういう馬鹿馬鹿しさを素直に口に出せちゃうのが眩しくて、青春をがむしゃらに追いかけようとしてるのが何となく好きで、それなら私が相手でもいいんじゃないかって思っちゃった」

 

 馬鹿馬鹿しく振る舞うのは簡単だ、少なくとも俺にとっては。箍をちょっと緩めるだけでそう振る舞うことができる、正確にいえばちょっと緩めたと思えばいい。

 そう振る舞って欲しいのであれば、俺は簡単にそうできる。

 

「でもさ、山下君は彼女ができるなら誰でもいいってわけじゃないんでしょ?」

 

 電車がホームに来て、俺たちを取り残してそのまま走って行く。七面倒な会話も全部ここに捨てて逃げたかったけれども、彼女が動かないのだから仕方がない。

 

 そういう風に、思考をずらすことしか俺には出来ない。

 

「それって、酷くない? 私を勘違いさせないでよ。誰でもいいのならよかったのに、そうであるのなら私に夢中になってくれたかもしれないのに」

「……そりゃ、誰でもいいなんてことはないよ」

 

 でも、俺はお前でよかったんだよ。

 そう言えれば良かったのだけれども、そんな粗雑な言葉を言えるはずがなかった。

 代わりにお前が良いって言えればよかったのに、そういう時に限って俺は嘘をつきたくないなと躊躇ってしまう。

 

 建前でいいのに、お世辞でいいのに。

 それらを器用に使いこなせればもっと世の中をうまく渡れるのに、どうにも俺は不器用なのだから仕方がない。

 

 ただ、お前は大事なところを勘違いしているよ。

 彼女で良いのは事実なのだから。

 あいつ以外なら誰でも良かった。

 

「山下君は矛盾してるよ。今日のデート中も私じゃない誰かを探してる、そのくせ、直接そっちに向かうでもなく違う誰かに逃げようとしている」

 

 俺が言うまでもなく、ちゃんと彼女には見抜かれていた。

 彼女はちゃんと俺のことを見ているのだろう。

 俺と違って、俺は彼女のことを何も知らないのに。

 それはきっと酷いことをしているような気がした。

 

「山下君は、誰かから逃げるために恋に焦がれてたんでしょ? 胸に抱えた恋を忘れるために、新しい恋で上書きしようとしたんでしょ?」

「……俺は」

 

 素直に頷ければ楽だったのに。

 曖昧に笑って彼女から目を逸らすばかりなのだから、全く始末に追えない。

 

「でも、私はそういう山下君の愚直なところに惹かれちゃったから。だから救われない、だから付き合えない」

 

 俺が彼女が欲しいとのたうちまわっていなければ、彼女がデートに誘ってくれることも、花火の匂わせもなかったのだから、確かに救われない話。

 初めからゴールのない迷路に入り込んでしまっていた。

 ふと、一つ気になって声をかける。

 

「これって、俺が振られたことになるの?」

「そこら辺はどうでもいいと思うけど……私が振られたんじゃない?」

 

 冗談めかした台詞、再び賑わってきたホームでぼんやり話す。

 彼女は俺に見切りをつけたけれども、俺は彼女をどう思っているのだろうか、あまりよくわからなかった。

 

 好ましい、とは思う。可愛い、とも思う。

 でも振られるなんてありえないと未練がましく引きずるほどでもない。

 それは、やっぱり彼女のことを好きではなかったと言われているような気がして、何だか少しだけ嫌な気分だった。

 ふと閉口して物思いに耽る俺を見て、彼女は「何ショックを受けてるのよ!」の強く俺の背中を叩いた。

 

「正直さ、山下君のことはまだ諦められてないよ。きっとさ、付き合ってっていったら二つ返事で返してくれるんじゃないかって思うしね」

 

 否定できなかった。

 きっとそういう分岐を経ていたら、俺は何の疑問も思わずに理想の彼氏であろうと努力をしていたに違いない。

 

「でも、それじゃダメなんだってわかるんだ。きっとさ、山下君は優しいから、そこから先も幸せな時間が続くような気がするんだ」

 

「でも、私は耐えられない。きっといつかは諦めてくれるんだろうけれど、付き合ってる彼氏がずっと誰かのことを諦めずに思っていたら、許すことはできてもきっと耐えられないんだ」

 

 彼女は結局、俺のことをどこまで見抜いていたんだろう。

 

 この休日のリザルトは、

 得たのは女性に対するほんの少しの畏怖。

 そして俺に対する嫌悪感。

 

 3

 

 ずっと昔、滑らかプリンのブームの火付け役になったらしい店がある。

 といっても俺はその時代を生きていないからそういう情報が付着していることしか知らないし、そこになんら感慨も抱かないのだけれども、本当に病気をしてるのかしてないのかわからない悠に対するお見舞い品には何となく適してような気がした。

 

 その帰り道に我が道をひた走る二人組を見かけた。

 彼氏彼女で自転車の2ケツとかとんでもない青春濃度で胸焼けをしてしまう、声をかけるのも野暮な気がして俺は黙って通り過ぎた。

 

 結局小川さんに告げた通りに、俺がいなくても世の中は勝手に回っていく。

 ただみんなが自分には何にもできないと勘違いしているだけなのだから、それさえ覚めさせてしまえばどうにでもなる。

 

 冷蔵庫にプリンを放り込んでから、別にあいつが家にいなかろうと先に届けておけばよかったなと少しの後悔。

 無意識のうちにわざわざ悠に手渡ししようとしていた、あいつが家にいないなら後で届ければいいやと恩着せがましい思考。

 よくないなことをしている、そう分かっていたけれど結局これからまた家を出る気力もなく、そのまま二階でスマホをぼんやり弄っていた。

 

 起動したのはナンプレのアプリ。

 頭の中を空っぽにして、ひたすら法則に従って数字を埋めていく。細かい雑念が湧かないように意味のない数字の羅列で忙殺させる。

 

 ただのロジックに従った反復作業。

 そうしてひたすら指を動かしていると、扉をノック音とほぼ同時に扉が開く軋む音がした。

 

「達也、悠君知らない? そっちに行ってないかって連絡が来たんだけど」

 

 振り返れば扉の隙間から母親が部屋を覗き込んでいた。

 素直に入ってくればいいのに、何でそんなことをしているのかと首を傾げる。

 まるで俺が何かいかがわしいことをしていて、それを目撃した時に即座に逃げれるようにしているかのようじゃないか?

 まあ、何もないのだけど。

 

「今日は来てない、というか夏休み明けてからあいつはこの部屋に来てないよ」

「そう、じゃあそう伝えておくわ」

 

 はなからここに居るなんて対して期待もしてなかったのか、すぐに扉は閉まった。まあ、そこら辺は靴を確認すればわかる事だし、もしかしたら悠が居なくなったことを俺に教えてくれたのかもしれない。

 

 ナンプレから思考をずらして少し思い返す。

 というか、あいつまだ帰ってないのか。

 

 スマホの時計を見れば九時を回っているから、最後に見かけてから結構な時間が経っている。

 何事もない、ということはないような気がした。

 彼女の家にお邪魔しているのならば、それはそれで連絡をよこすだろう。

 

 パーカーを羽織って「ちょっと探してくる」と母親に声を掛けて、外に出る。母親から呆れたような目線を感じたけれど無視、あてどなく探すわけではなくある程度の当てがある。

 

 といっても、最終的には運頼みなのだけれども。

 頭の中でここから今日最後に見かけた場所を結びつけ、それを徒歩で辿っていく。

 

 心当たりがあるとはいえ、始点と通過点しか俺にはわからない。

 悠が小川さんを送り迎えしたのであれば終点は確定するのだけれども、俺が小川さんの家がどこにあるのか知っているはずもなかった。

 連絡先も知らないままだったから、答え合わせもできない。

 

 だから結局、最後は運頼み。

 もしかしたらとっくに悠は既に家に辿り着いているのかもしれない、俺は無駄足をくっているだけなのかもしれない。

 

 ありもしないゴールに向けてひたすら歩いているだけ、そう自嘲はすれど、不思議と足は止まらなかった。

 

 それでもきっと、俺は辿り着けるような気がした。

 もし運命というものがあるのならば、間違いなく自分はそこに導かれるように辿り着いてしまうんじゃないかと思えていた。

 

 だから、これは運ではなく必然。

 

 遠くに見える人影に、次第に足の運びは早くなって、しまいには走り始めていた。その足音も確かに届いているはずなのに、あいつは街路灯の下でハンドルに顔を突っ伏せてピクリとも動かない。

 

「……こんなところで何してるんだよ」

「おー、達也じゃねえか」

 

 顔を上げないまま、悠はそう呟いた。

 スマホ持ってないのかよと尋ねれば、そういえば家に置きっぱなしだわとゆっくりと顔を上げる。

 

 剥がれ掛けの冷えピタに汗でぐちゃぐちゃの酷いツラ、いっそのこと剥がしてしまえと冷えピタを奪い、額に手を当てれば酷い熱だった。

 何やってるんだこいつ、青春なんていつでも拾えるんだから素直に家で寝とけよとは思ったけれど、それを口に出すことはなかった。

 

 スマホを操作して母親に悠を見つけたと送れば即座に既読がついた、後は見なくてもいいようにやってくれるだろうと返事を見る必要もなくポケットに落とし込む。

 

「今度はちゃんと来てくれたんだな」

「……小川さんは?」

「あいつはちゃんと帰ったよ、うん……俺も帰らなきゃな」

 

 そう言いながらも悠は足を動かそうとしなかった。いや、よくよく見ればちゃんとペダルを踏み込もうとしているのはわかるのに、不思議なことにちゃんと動かない。

 

 パントマイムの実演か、器用だな。

 そう茶化しながら見守っていると、やれることは全部やったと言わんばかりに悠はまた顔をハンドルに伏せた。

 

「……つーか、これが限界」

「限界とかそういう問題じゃないだろ馬鹿」

 

 そんな自転車を漕ぐ体力もないぐらいなら家から出てこないでいればいいのに、悪態を吐きつつ悠をどかして代わりにサドルに跨った。

 

「ほんと、切符切られても知らんからな」

「さっきは切られなかったからへーきだよ」

 

 自転車の軋む音と同時に、悠の腕が腹を巻きついてくる。荷台を掴んでくれれば十分なのに、それじゃ安心できないと言わんばかりに。

 

 別にそれ自体は問題ないのだけれども、問題はやわらかいものが背中にふんにゃりと密着していることだ。

 胸当たってますよ、おっぱい当たってますよ、なんて指摘できるはずがない。というか、悠がわざわざ意識しているはずがないのだから。

 ただ、熱に浮かされて無意識でそうしているだけ。

 それを言葉にして仕舞えば即座に八つ裂きにされること間違いなし。

 

 意識するな、意識するな。

 煩悩退散、背中に背負っているのは人ではなく熱量の塊だ。そう自分に言い聞かせて、しばらくしてようやく俺は自転車を漕ぎ始めた。

 

「中学校の頃を思い出すなぁ」

 

 自転車を漕ぎながら背後に向かって言葉を投げかけるも、悠の返事は無い。

 代わりに抱きしめる強さが少しだけ強くなったから、まだ意識を取り落としたとかそういうわけでは無いのだろう。

 

 あの懐かしい時期を思い出す。

 

 悠の乗る自転車の架台に腰掛けて、馬鹿をやっていたあの中学時代の頃のことを。

 あの頃は今と違って俺は悠に振り回される側だった、今も半分そうだけれども少しずつパワーバランスは移り変わっている。

 

 少なくとも今の局面を作ったのは俺なのだから、大局から見たら振り回しているのは俺ではある。

 まあ、この自転車二人乗りという状況を引き起こしたのは自分の体力も考慮しなかった馬鹿一人のせいだから、全部が全部そうというわけでは無いのだけれども。

 

 でも大体が大体、逆になっていた。

 

 それは少しだけ、大手を振って歓迎できない状況だった。

 ずっと受け身でいたい、他人の行動を眺めて楽をしたいというのが結局のところ俺の本質だった。

 

 他人が引っ張ってくれる方がどうにも気楽だよ、俺は。

 やりたいようにやれる自由を捨ててでも、責任を負いたくなかった。

 

 そのくせ、悠のなるべく遠回りして行けよという小声のオーダーをさっくり無視する勝手さを持っている。

 どんな経路を辿ろうが、背後の病人が気づくはずがないのだから、そう理由を付けながら他人が俺を振り回そうとするのを拒絶していた。

 

 身勝手で無責任、そんなふうにやっていきたかった。

 それが許されるはずがないと分かってはいるけれど。

 

 それが分かっているからこそ、他人にルールで縛られたかった。

 

 4

 

 背中に病人を背負って玄関を開ければ、悠の母親が上り框に腰掛けて待っていた。

 背中にいる悠に気付いたのだろう、表情が和らいだのを見て、「このまま部屋で寝かせて来ますよ」と声を掛けた。

 

 悠にしてもその母親にしても、だいぶグロッキーな様子。そのままフラフラと母親が寝室に向かうのを見送って、俺は悠の部屋へと向かった。

 

 久しぶりにやって来た悠の部屋は特に何の変わり映えもなかった。特筆するべきところは、机の上に食べさしのインスタントラーメンらしきものが置いてあることぐらい。

 

 まあ、そんなもんだろう。

 性別が変わったからと言って、部屋内が劇的に変わるなんてこともない。

 

 悠をベッドに下ろして、わざわざ掛け布団を掛けて仕事は終わり。

 さっさと帰ろうとベッドから離れようとすると、服をぐいっと引っ張るような感じがした。

 

 視線を下せば服の端を白い綺麗な指がはっしと掴んでいた。誰がなんて言うまでもないだろう、この部屋に二人しかいないのだから。

 

「……まだなんか用か?」

「何も、ないけど……まだここにいて欲しいから」

 

 思わずため息をつく。

 病人だから、気が弱っているから、悠は一人になるのが怖いだけ。理由をつけるのは簡単なことだし、ただ俺は考え込まずに選択すればいい。

 

 ぱぱっと腕を振り払ってそのまま帰ってしまえばいいと分かっている、そのはずなのに、気がつけば自分の欲求に従って動いていた。

 

「本当に、仕方ないな」なんて、悠に責任を押し付けて、ベッドの隣の床にどっかりと腰を落としてベッドの縁に頭を預ける。

 それを見て、悠はちょっと頰を緩めた。

 

「……てっきり、断られてそのまま帰るんじゃねえかと思った」

「……なんで?」

「ずっと隣にいてくれるって約束したのに、お前が嘘をついたから」

 

 原義通り、ずっと隣にいる事が無理なことぐらい悠はわかっているはずなのに、そんなことを言う。

 無理だとわかっていながら、そうしなかったのが罪だと言わんばかりに。

 

 そう約束した俺が悪いと言われたらそうなのかもしれないけれど、お前には俺がいなくても彼女がいるんじゃないかと思うのだ。

 

 俺にはいないのに、告白されたと思ったらそのまま振られたと言うのに。

 このまま、その話をぶつければひと笑い取れるような気がしたけれど、それより先に悠の手が俺の頭に伸びていた。

 

「でも、今日はちゃんと来てくれたから及第点だな」

「……あざーす」

 

 さすさすとまるで子供を褒めるように、悠は俺の頭を撫でていた。

 全く正気とは思えなかったし、どれだけ熱に侵されているんだとは思ったけれど、出来た抵抗は気恥ずかしさから顔をそっぽに逸らすぐらいだった。

 

「お前さー、せっかく俺が撫でてやってんだからもっと喜べよなー」

 

 そう言いながらぺしりと頭を叩かれるが、全く恐ろしくて心が落ち着かない。

 お前、正気に戻った時本当に大丈夫か? 思い返して自分の行動に煩悶として、突発的に家出とかしない様に祈るばかり。

 その行動の危うさに気付いたのか、頭からスッと腕が引いていった。

 

 その感触さえ無くなって仕舞えば、ただの明かりのつけられていない寂しい部屋だった。

 今は隣に悠がいてその呼吸の音も聞こえるけれど、それがなかったら微かな耳鳴りしか残らない静かな部屋。

 

 ふと、窓から差し込む光に気がついて窓の外を眺めればちょうど月が浮かんでいふ。

 月光も意外と明るいものだと思いつつ、何となく俺は「今日も夜空が綺麗だな」と呟いた。

 

 俺には酷く輝くものしか見えないけれど、きっと悠なら何か見えるんじゃないかと思って、何となく、そう声を掛けたのだ。

 

「……なあ達也」

「……なんだ?」

「俺は、結構、お前のこと好きだぜ」

 

 その言葉を聞いても俺は悠の顔を見れなかった、見たくなかった。それを知ってしまったのなら引き返せない気がした。

 素直じゃない、結構なんて予防線すら張った台詞なのに、どういう感情を込めてその言葉を言ったのかありありと分かってしまったから。

 

 それを直視してしまったのならば、もうどうしようもなくなってしまう。

 緩和して、濁して、それでも好意を隠しきれていない言葉に、既に思いっきり胸を突き飛ばされた気がしてるのだから。

 それを見てしまったのならば、きっと何も見えなくなってしまうような気がしたのだ。

 

 だから、俺は言葉を返せない。

 ひたすら沈黙を保って一方的に拒絶を突きつけることしかできない。

 それがはっきりと間違いだと分かっているから、いっときの気の迷いに過ぎないと分かっていた。

 俺が聞かなかったことにすれば、それ以上踏み込まないで、ただ悠が戯言を呻いただけと形を決めて仕舞えばいい。

 

 だってそれは気のせいだから。

 きっと気のせい、ただの勘違いなんだ、それは。

 

 悠が俺を好きになったことなんて分かり切っていた、それに気が付かないほどクソボケでも朴念仁でも無かった。

 

 でもさ、それを素直に喜んじゃダメなんだってことぐらい俺にすらわかるんだ。

 だってそんなの、刷り込みでしかない。

 俺が偶然弱みに漬け込んで寄り添えただけなんだよ。お前が俺のことを特別に思う必要はないんだ、誰だってそうしなきゃいけない状況ならそう振る舞えてしまえるのだから。

 

 その上で、お前が俺のことを好きだというのなら、お前はもっと世の中を知るべきだった。

 本当に世界の一片しか知らないまま判断したらきっと後々後悔する、本当は違かったんだって思われたくないから。

 

 だから、俺だけじゃダメだった。

 きっと住み心地のいい場所を提供する為ならば俺は努力を惜しまないけれども、もしかしたら悠にとって、もっと似合ってる場所があるのかもしれない。

 ここが一番幸福ですよなんて、口が裂けても言えなかった。

 

 そして、目論見通り全部うまく行った。

 悠は小川 千春という彼女を作って次第に遠ざかり、そして俺もまた前に進む為に彼女を作ろうと思って、あっさり失敗した。

 

 悠と彼女の中は、ちょっと見た限りならば上手く行きそうな感じがした。

 小川さんを送り迎えしたということは、ここにやって来たということだろう。そして何らかの話をして、きっとある程度纏まることができた。

 

 それはきっといいことだ。

 俺の隣ではないどこかで、悠はきっと幸せを見つける事ができたのだろう。

 

 まあ、その代わりに俺はその幸せとやらがどこにあるのかまだ見つかってないのだけれども。今度は彼女を探すのではなく、青い鳥を探しに行かないといけないかもしれない。

 

 俺と悠の違いは何だったのだろうか?

 やっぱり、誰かから告白されるだろうと受け身になっていたのが悪かったのだろうか。悠みたいに、自分から好意をぶつける事ができれば、きっと何かが変わったのかもしれない。

 

 好きだから、付き合ってくれなんて。

 もうとっくに手遅れなのに。

 

 ベッドの方を振り返れば、悠はもう眠りに着いていた。

 乱れた髪を軽く指で整えて、綺麗に整った顔を静かに眺める。ほんと呆れるぐらい可愛いのだから、始末に負えない。

 二学期初日に彼女ができていなかったら争奪戦になること間違い無かった。

 

 何となく鼻を指でつまみたくなるけれど、必死に抑えこみながら、どうしてここまで惹かれるのだろうかと自分の心の中を覗き込む。

 

 外見に惹かれている、まあそう。

 二人でいると楽しい、まあそう。

 庇護欲を誘うから、それもある。

 

 そんなふうに理由を小分けにして、一番最後に残るのは素直に認めたく無かったもの。

 それはきっと、他の誰かに渡すぐらいなら自分のものにしたいという醜い独占欲で。

 

 ほんと人を好きになる理由なんて、深掘りもしないで全部何となくで誤魔化してしまった方がいいに違いない。

 世の中でルッキズムが蔓延っているのは、そういう薄汚れた欲望から目を逸らす為なような気がした。

 

 でも、最後に残るのがそれならば、俺と悠が結ばれなかったのはきっと正解のような気がして、ほんの少しだけ気が楽になった。

 

 俺が遠ざかれば、全部うまくいく。

 悠は小川さんと仲良くやれるし、そのうち俺も悠のことを忘れて、他の誰かに結ばれる時が来る。

 それでいい、それが一番いい。

 

 それでも。

 

 あまりに馬鹿馬鹿しいことをした。

 思わず失笑してしまうぐらいのことを。

 

 そんな偶然、何度もありえないのだから。

 今日は何かに導かれるように悠の場所まで辿り着けたけれども、それは運命でも何でも無い。

 

 俺は王子様でも何でもないのだから、眠れるお姫様が目を覚ますこともない。

 

 さっきまで服をギュッと掴んでいた指も、軽くどかせば簡単に解けて離れていって、俺は今度こそ部屋から出る為に扉の方に向かって歩みを進めた。

 

 このままずっとここにいる事なんて出来ない、隣に居続けるなんて悠がいう通り嘘っぱちだ。

 

 でも、俺は嘘つきだから。

 そんな嘘つきの言葉なんて信用しちゃいけないし、騙される方が悪いに決まってる。

 

 ドアノブに手をかけて、最後に一度だけ部屋内を振り返る。悠はベッドに横たわったまんま、目を覚ます様子はなかった。

 

 きっと、もう二度とここには来ないような気がした。

 だからこそ、俺はさよならなんていえなかった。

 

 最後に見る風景は、こんな感じか。

 

 脳裏にきっちり焼き付けて、俺は静かに扉を閉じた。

 




ちょっと休憩します
前の作品をきっちり締めたいという気持ち
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