呪術の世界に迷い込んだ、パラディ島の悪魔 作:ブァッファイ小五郎
――ズゴゴゴゴォォォォォォォォンッ!!!!
森の奥深くから響き渡った大音響は、単なる物理的な破壊音ではなかった。大気そのものを震わせるような、桁外れの呪力の衝突。エレン・イェーガーは、倒れ伏した禪院真依を一瞥することもなく、音の発生源に向かって鬱蒼とした森の中を弾丸のような速度で駆け抜けていた。
木々の間を縫うように疾走しながら、エレンの五感は研ぎ澄まされていく。風に乗って運ばれてくるのは、焦げた木の葉の匂い、抉られた土の匂い、そして、先程自分が相手にしていた三級呪霊とは比べ物にならない、悍ましくも強大な「呪い」の気配だった。
視界が開けた先、広大な空間がぽっかりと空いていた。
そこは、周囲の巨木が根こそぎなぎ倒され、クレーターのように抉り返された凄惨な戦場だった。
その中央で対峙していたのは、ピンク色の髪の少年・虎杖悠仁と、京都校の巨漢・東堂葵。二人は息を合わせ、凄まじい連携で一体の呪霊を追い詰めているようだった。
しかし、その呪霊、特級相当の『花御』は、追い詰められながらも全く底を見せていなかった。
両腕に布を巻き、頭部から樹木の角を生やした異形の姿。花御は、両手を体の前にかざし、森中の植物から微量の生命力を吸い上げ、それを呪力に変換して一点に集束させていた。
『
周囲の木々が枯れ落ち、莫大な呪力が花御の両手の間に凝縮されていく。太陽のような眩い光を放つそのエネルギーの塊は、放たれればこの森一帯を消し飛ばすほどの威力を秘めていることは明白だった。
「ブラザー! 来るぞ!!」
東堂が叫び、虎杖が両腕をクロスさせて防御の態勢をとる。
花御が、限界まで圧縮された呪力の極太の光線を、二人に向けて放とうとした、まさにその刹那だった。
――ザッ。
一歩。
ただ、落ち葉を踏みしめる乾いた足音が一つ、戦場に響いた。
その音は、轟音渦巻く戦場において、本来なら掻き消されて聞こえるはずのないほど微かなものだった。しかし、その足音は、その場にいた三人の鼓膜を通り越し、直接「魂」を撫で斬りにするような、言い表すことのできない異様な『圧』を伴っていた。
ピタリ、と。
花御が放とうとしていた呪力の光線が、間一髪でその収束を止めた。
虎杖悠仁、東堂葵、そして花御の三人が、まるで不可視の重力に首を掴まれたかのように、一斉に足音の方向、森の入り口へと目を向けた。
そこには、深緑色の瞳に一切の感情を宿さず、ただ静かに戦場を見据えるエレン・イェーガーが立っていた。
呪力はほとんどない。術式の気配もない。
しかし、その肉体から滲み出る、おぞましいほどの血の匂いと、何千万という命を踏み躙ってきた絶対的な「死」の気配。
花御の頭部に生えた枝が、微かに震えた。
(……間違いない。この者が、漏瑚と夏油が言っていた『イレギュラー』)
花御は一瞬で悟った。呪力という理の外側にありながら、特級呪霊である漏瑚の半身を一撃で粉砕した未知の化け物。自然を愛し、星の命を守ろうとする花御の純粋な本能が、目の前の男を「星を滅ぼす存在」として強烈に警戒している。
エレンは、三人の視線を一身に浴びながらも、歩調を変えることなく、ゆっくりと花御の方へと歩を進めた。
その行く手を阻むように、ズンッ、と巨大な肉の壁が立ち塞がった。東堂葵だ。
東堂は、先程エレンが見せた異常な気配に微かに汗を滲ませながらも、闘争心剥き出しの顔でエレンを見下ろした。
「おい。エレンと言ったな。どこから湧いて出たか知らんが、ここは俺たち
東堂の声には、自らの最高の舞台を汚されることへの強い憤りがあった。
エレンは歩みを止めず、東堂の胸板の前にまで接近すると、ただ無機質な声で返した。
「……悪いが、ここからは俺がやらせてもらう」
「あぁ?」
東堂の額に青筋が浮かぶ。
「俺とブラザーの超親友合体の邪魔を、それが許されると思うか?」
東堂はエレンの目前まで顔を近づけ、一級呪術師としての圧倒的な殺気を叩きつけた。並の術師であれば、これだけで気絶してもおかしくないほどの圧力。
しかし、エレンは瞬き一つせず、東堂の目を見つめ返し、静かに、だが絶対の拒絶をもって一言だけ告げた。
「邪魔だ」
その瞳を見た瞬間。
東堂葵の心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。
東堂は、これまで数え切れないほどの強者と戦い、退屈な世界を嘆いてきた。だが、目の前のこの男の瞳の奥にあるものは、強さなどという次元の言葉では語れない。
底なしの絶望。焼き尽くされた世界。そして、自らの意思で全てを終わらせようとする、神のような、あるいは悪魔のような圧倒的なエゴ。
(こいつは……!!)
東堂の背筋に、ゾクゾクと歓喜の悪寒が走った。
退屈が裏返る。この男が戦う姿を見れば、俺の魂はさらに高みに昇れるのではないかという、直感的な予感。
東堂は、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべ、バッと道を空けた。
「……いいだろう。なら、楽しませてみろ」
東堂は戦いの盤上を、いとも容易くエレンへと明け渡した。
「東堂!? いいのかよ!」
虎杖が慌てて声を上げるが、東堂は手でそれを制し、「見ておけブラザー。あいつは、化け物だ」と低く呟いた。
エレンと花御。
荒れ果てた大地の中心で、両者は数メートルの距離を置いて向かい合った。
花御の全身から、ギリギリと木々が軋むような威嚇の音が鳴る。
エレンは、軽く首の骨を鳴らすと、無表情のまま花御に問いかけた。
「……おい。お前と、あの火山頭。どっちが強いんだ?」
その問いは、挑発ではない。純粋な戦力分析のための確認だった。
花御の脳内に、エレンの言葉が響くのと同時に、花御自身の意思がテレパシーのようにエレンの脳内に直接流れ込んできた。
『関係のないことです。どうせ貴方は、ここで星の養分となって死ぬのですから』
「……そうだな」
エレンは小さく頷いた。
次の瞬間。
――ドパァァァンッ!!!!
エレンの立っていた場所の地面が、すり鉢状に爆発して抉れ飛んだ。
巨人の力を解放するまでもない、純粋な身体能力の限界点。エレンは音速を超えるスピードで一瞬にして花御の懐へと間合いを詰め、その顔面に向かって右ストレートを放った。
「シッ!!」
鋭い呼気と共に放たれた拳。しかし、花御も特級相当の呪霊。その反応速度は東堂や虎杖を凌駕する。花御は咄嗟に左腕を盾にしてその拳を受け止めた。
――ガギィィィンッ!!
という、鋼鉄同士が激突したような硬質な音が森に響き渡る。
エレンの拳が直撃した花御の左腕の表皮、呪力で硬化された極めて頑丈な樹木が、ひび割れ、木片を撒き散らした。
『ムッ……!!』
花御が驚愕に目を丸くする。呪力による強化が一切ない純粋な物理打撃で、自らの装甲にヒビを入れられたのだ。
だが、驚いている暇はない。エレンの猛攻はここからが本番だった。
右ストレートを防がれたエレンは、そのまま左手で花御の左腕を掴み、無理やり引き寄せながら、強烈な右の膝蹴りを花御の鳩尾へと叩き込んだ。
――ドゴォッ!!
花御の体が「く」の字に折れ曲がる。
さらにエレンは、空中で体を捻り、アニ・レオンハートから叩き込まれたあの鋭利な回し蹴りを、花御の側頭部へとお見舞いした。
――バァァンッ!!
凄まじい衝撃に、花御の巨体が数メートル真横へと吹き飛ばされ、地面を抉りながら転がった。
「すげえ……! なんだあの体術! 呪力なんかほとんどないのに、あいつを力で押し込んでるぞ!」
虎杖が目を輝かせて叫ぶ。
東堂も腕を組みながら、その淀みない連携に目を細めていた。
しかし、特級呪霊の耐久力は伊達ではない。
花御は地面を滑りながらもすぐに体勢を立て直し、両手を地面に突き立てた。
『……愚かな人間よ。森の怒りを知りなさい』
――ズゴゴゴゴォォォッ!!
エレンの足元の地面が突如として隆起し、そこから先端が鋭く尖った無数の巨大な木の根が、槍の雨のように突き出してきた。
「チッ!」
エレンは舌打ちをし、前傾姿勢のまま連続でバックステップを踏んでそれを回避する。しかし、木の根はまるで生き物のようにエレンを追尾し、四方八方から襲い掛かってくる。
エレンは、迫り来る木の根を素手で弾き飛ばし、時にはへし折りながら、森の立体的な地形を利用して高速で駆け回った。
巨大な幹を蹴って宙に舞い、頭上から襲い来る根を躱し、死角からの一撃を紙一重で見切る。立体機動装置で巨人の森を飛び回っていた頃の、極限の三次元戦闘の感覚が、エレンの肉体を完璧に制御していた。
「シァッ!!」
エレンは、自身に向かって伸びてきた極太の根を腕で挟み込み、そのまま強引にへし折ると、その折れた先端の尖った木材を即席の武器として握りしめ、花御に向かって投擲した。
――ヒュゴォッ!!
空気を切り裂いて飛来する木の槍。
花御はそれを右腕で弾き落としたが、その視界の死角、上空から、太陽を背にしたエレンが急降下してきていた。
――ドゴォォォォンッ!!
エレンの両足による強烈な踏みつけが、花御の肩を捉える。地面が陥没し、花御の足首までが土の中にめり込んだ。
『ガァァッ!!』
花御が怒りの咆哮を上げ、両腕を振り回してエレンを払いのけようとする。
エレンはそれを身軽にバク転で躱し、再び構えを取った。
序盤の攻防は、エレンの圧倒的な格闘センスとスピードが花御を翻弄しているように見えた。
しかし、戦いが長引くにつれ、徐々に形勢が逆転し始めていた。
花御の最大の武器は、その異常なまでの「タフネス」と「回復力」である。
エレンがどれだけ本気で殴り、蹴りを入れても、花御の装甲である樹皮は砕ける端から再生し、呪力による防御が致命傷を防いでしまう。
一方で、エレンの肉体はあくまで「人間サイズ」の域を出ない。巨人の力を引き出しているとはいえ、特級呪霊の硬すぎる肉体を全力で殴り続ければ、エレン自身の拳の骨や筋肉への反動が蓄積していく。
「ハァッ……ハァッ……」
エレンの呼吸が荒くなり、両手の甲からは血が滲み出していた。
対する花御は、全く疲労の様子を見せず、静かに両手を合わせた。
『貴方の生命力は異常です。呪力がないにも関わらず、これほどの肉体強度。……ですが、それもいずれは尽きるもの』
花御の肩から、奇妙な形状をした無数の「呪いの種子」が射出された。
『呪いの種子』。本来であれば、術師の呪力を吸って成長する植物だが、花御はエレンに呪力がほとんどないことを見抜き、この種子の性質を「生命力(血液)」を吸って発芽するものへと咄嗟に変換していた。
――プツプツプツッ!
エレンの腕や足に、弾丸のように種子が突き刺さる。
「……なんだこれは!」
エレンが種子を引き抜こうとした瞬間、種子はエレンの体内に宿る圧倒的な生命エネルギー、巨人の力を感知し、異常な速度で発芽を始めた。
――バキバキバキッ!!
エレンの皮膚を突き破り、腕や足から赤い花を咲かせた植物が急激に成長していく。植物が筋肉に根を張り、血管を圧迫し、エレンの動きを著しく鈍らせた。
「グッ……!!」
エレンの顔が苦痛に歪む。
『終わりです』
その隙を見逃す花御ではない。
花御の右腕が巨大な樹木の塊へと変形し、動けなくなったエレンの胴体に向かって、本気の薙ぎ払いが放たれた。
――ドバァァァァァァンッ!!!!
「エレンッ!!」
虎杖の悲鳴が響く。
特級呪霊の渾身の一撃をモロに食らったエレンの体は、大木を何本もへし折りながら数十メートルも吹き飛ばされ、岩壁に激突してようやく停止した。
凄まじい土煙が舞い上がる。
「おいおい、いくらなんでも今のはヤバいぞ……!」
虎杖が助けに入ろうと身を乗り出す。
だが、土煙の中から、ボロボロになったエレンが立ち上がってきた。
全身は打撲と切り傷だらけ。腕や足に根を張っていた植物は、エレン自身が自らの肉ごと引きちぎり、地面に投げ捨てていた。傷口からはシュウゥゥと蒸気が上がり、治癒が始まっているが、人間の姿のままでは回復速度に限界がある。
「……ハァ……ハァ……」
エレンは口から血を吐き捨て、花御を睨みつけた。
(……クソッ。人間サイズの身体能力じゃ、こいつの装甲を完全にブチ抜くことはできないか。小細工がすぎる)
巨人の力を解放せず、純粋な格闘術だけで特級呪霊を祓うのは、やはり無謀だった。打撃を与えても与えても、際限なく再生し、森の地の利を活かして攻撃してくる。
このままジリ貧になれば、いずれ完全に押し切られる。
エレンは、自らの両腕の傷跡から立ち上る蒸気を見つめ、そして、後方で心配そうに見守っている高専組、虎杖と東堂へと視線を向けた。
「おい!! お前ら!!」
エレンの、森全体を震わせるほどの巨大な怒声が響き渡った。
「そこから、極力離れてろ!!」
その言葉の響きに、虎杖と東堂は直感的に「危険」を察知した。
「東堂! 下がるぞ!」
「……チッ、特等席はここまでか」
二人は一斉に後方へと跳躍し、エレンから大きく距離を置いた。
エレンは、邪魔者がいなくなったことを確認すると、ゆっくりと右手を持ち上げ、その手の甲を自らの口元へと近づけた。
その動作を見た花御の全身の樹皮が、粟立つように震えた。
(来る……!! 漏瑚の半身を吹き飛ばしたという、あの力が……!!)
花御は咄嗟に防御のために最大出力の呪力を練り上げ、幾重にも重なる木々のドームを自身の周囲に展開した。
エレンの深緑の瞳が、黄金色に発光する。
「……駆逐してやる」
低く呟き、エレンは思いっきり、自身の右手の甲に歯を突き立て、肉を噛み砕いた。
――ガキィッ!!!!
その瞬間。
分厚い暗雲を突き破り、天から一条の黄金の落雷が、一直線にエレンの体へと突き刺さった。
――ピシャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!
鼓膜を破壊せんばかりの、世界がひび割れるような究極の轟音。
閃光が森を白昼のように照らし出し、それに続く爆発的な熱風と衝撃波が、周囲の木々を根こそぎ吹き飛ばしていく。
地面がクレーター状に陥没し、高熱の蒸気が間欠泉のように噴き上がる。
そして、そのもうもうと立ち込める蒸気の壁を突き破り。
天を突くような咆哮と共に、全高15メートルにも及ぶ、筋骨隆々の悪魔――『進撃の巨人』が、特級呪霊の前にその圧倒的な威容を現した。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!』
大気が震え、森が泣き叫ぶ。
次元の違う戦いの、幕開けであった。