呪術の世界に迷い込んだ、パラディ島の悪魔   作:ブァッファイ小五郎

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三話目

 静寂が下りた病室で、エレン・イェーガーはふと、疑問を口にした。

 

「そういえば、ここには他にどんな奴がいるんだ?」

 

 この「東京都立呪術高等専門学校」とやらが、どれほどの規模の組織であり、どのような戦力を有しているのか。純粋な戦術的観点からの問いだった。

 伏黒恵は少し視線を彷徨わせた後、短く答えた。

 

「……そのうち会える。会えばわかる」

 

 その言葉が落ちた瞬間、病室の空気がひどく重く、淀んだものに変わった。

 歴戦の兵士であるエレンが、その明確な空気の変容を見逃すはずがなかった。二人の間にある、何か決定的な喪失感。

 

「……何だ? 俺が何か不味いことでも言ったか?」

 

 鋭い視線で問い詰めるエレンに対し、釘崎野薔薇がぽつりと、伏し目がちに口を開いた。

 

「……つい先日、私たちの同学年の仲間が死んだのよ。虎杖、悠仁っていうんだけどね」

 

(虎杖……悠仁?)

 

 エレンの脳裏に、先ほど五条悟が飄々と言い放った言葉がフラッシュバックする。

 

『彼は今、世間的には死んだことになってる。サプライズだよ、サプライズ!』

 

 目の前で友の死を悼む同級生たちをよそに、教師がそんな悪ふざけを仕組んでいるとは。エレンは僅かに眉をひそめたが、彼らの悲痛な表情は紛れもない本物だった。

 

「……そうか。知らなかったとはいえ、悪いことを聞いたな」

 

 エレンは短く謝罪した。

 だが、その「仲間が死んだ」という言葉が引き金となり、エレンの脳奥深くに封じ込めていた記憶の蓋がこじ開けられてしまった。

 

 

『サシャが……死んだ……』

 

 

 マーレ急襲を終え、撤退する飛行船の中。床に座り込んだコニー・スプリンガーの、涙に濡れた顔。ガビ・ブラウンの放った凶弾によって命を奪われた、かけがえのない同期。

 それだけではない。壁外調査で巨人に喰い殺されていった先輩たち、ウォール・マリア奪還作戦で獣の巨人の投石に散っていった新兵たち。そして何より――自分自身が「地鳴らし」によって無慈悲に踏み潰した、幾千、幾万もの罪なき人々の断末魔の叫び。血の海。肉の潰れる音。

 

「…………ッ」

 

 無意識のうちに、エレンの形相が険しく歪んでいく。瞳から光が消え、底なしの暗黒と、おぞましいほどの暴力の気配が全身から滲み出し始めた。

 その異様なまでのプレッシャーに、釘崎と伏黒は息を呑んだ。

 呪力ではない。だが、それは間違いなく「死」を撒き散らしてきた者の放つ、濃密な血の匂いだった。室内が急速に冷え込み、肌がピリピリと粟立つ。

 

「あんた……」

 

 釘崎が警戒の声を上げようとしたその時、エレンは自らが放っている空気に気づき、すっと表情を緩めた。

 

「……悪い、少し考え事をしていただけだ」

 

 静かに告げられたその言葉に、二人は安堵よりもさらなる不気味さを覚えた。

 

 その重苦しい沈黙を切り裂いたのは、伏黒の制服のポケットから鳴り響いたスマートフォンの無機質な電子音だった。

 

「……五条先生からだ」

 

 伏黒がため息混じりに画面をタップし、耳に当てる。数秒の無言の後、彼の眉間により深い皺が刻まれた。

 

「は? 三級から二級の呪霊発生? 俺たち三人で……? いや、こいつはまだ……」

 

 電話の向こうで五条が何かをまくしたてているのが、漏れ聞こえる声色でわかる。

 

「仲を深めるためって……アンタな、こいつは呪霊を祓えるかどうかもわからないんですよ! 一般人を連れて行くのと同じだ!」

 

 伏黒の至極真っ当な抗議に対し、電話口の五条はあっけらかんと言い放った。

 

『だーいじょうぶ、多分そこは問題ないから! とりあえず祓えるか確認して、そのまま頑張ってきてね〜! じゃ!』

 

「おい、待て……ッ!」

 

 ツーツーという冷酷な切断音が響く。伏黒は頭を抱え、深々とため息をついた。

 

「……任務だ。行くぞ。お前もだ、エレン」

 

 伏黒の言葉に、エレンは無言のまま立ち上がった。

 

 数十分後。彼らは補助監督・伊地知潔高が運転する黒いセダンに揺られ、東京郊外の山間部へと向かっていた。

 車窓から流れる見知らぬ景色を眺めながら、エレンは静かに状況を整理していた。伊地知というこの神経質そうなスーツの男は、呪術師たちのサポート役らしい。

 

「到着しました。……あの場所です」

 

 伊地知が車を止め、指差した先には、周囲の木々に飲み込まれそうになっている古びた廃病院があった。外壁は黒ずみ、窓ガラスは割れ、建物全体からどんよりとした嫌な空気が漂っている。

 

「……いかにも幽霊が出そうな、ベタな廃墟ね」

 

 釘崎が忌々しそうに顔をしかめる。

 

「では、私が帳を下ろします。皆様、お気をつけて」

 

 伊地知が印を結び、呪文を詠唱する。

 

『闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え』

 

 空からドーム状の黒い結界が降り注ぎ、瞬く間に廃病院一帯を覆い尽くした。昼間だというのに、帳の内部は夕暮れのような薄暗さに包まれる。

 

(これも呪術なのか……?)

 

 本来エレンがいた場所では、到底考起えない現象を目の当たりにし、ほんの少しの高揚感を覚えた。

 門をくぐる前、伏黒が足を止め、振り返ってエレンを真っ直ぐに見据えた。

 

「いいか、エレン。五条先生はお前が呪霊を祓えると言っていたが、俺にはお前から微弱な呪力しか感じられない。それに、お前は呪力の操作も術式も知らない。祓えない可能性の方が遥かに高い」

 

 伏黒の目は真剣だった。

 

「もし攻撃が通じないとわかったら、意地を張らずに迷わず俺たちを呼べ。死にたくなければな」

 

「……分かった」

 

 エレンは静かに頷いた。

 だが、彼の胸中は複雑だった。前の世界で、自分は文字通り「神」のような力を行使し、幾千、幾万もの命を一方的に蹂躙した。その圧倒的な暴力が、この世界の「呪霊」という化け物には通じないというのか。

 考えれば考えるほどに、滑稽で情けない気分に苛まれるようだった。

 

 三人は、軋む扉を押し開けて廃病院の内部へと足を踏み入れた。

 (かび)と血が混ざったような悪臭。廊下の奥は闇に沈んでおり、ただならぬ気配が充満している。

 その時だった。

 

『ギャ……ギャァアアア……』

 

 天井から、四つん這いになった異形の化け物が這い出てきた。人間の腕を無数につなぎ合わせたような気色悪い姿をした、三級相当の呪霊。

 

「出たわね。こんな低級呪霊、私が一発で……」

 

 釘崎が腰のハンマーを抜こうとした瞬間、伏黒が手を出してそれを制止した。

 

「待て。まずはこいつが、呪霊を倒せるのかを見なければならない。五条先生の指示でもある」

 

「はあ!? 本気!?」

 

 二人のやり取りの隙を突き、呪霊が壁を蹴って猛烈なスピードでエレンへと突進してきた。その口から滴る涎が、エレンの顔に迫る。

 

(速い……が!)

 

 だが、エレンの身体能力は常人のそれを遥かに凌駕している。立体機動装置で宙を舞い、巨人と幾度も死闘を繰り広げてきた彼にとって、この程度の直線的な動きなど止まって見える。

 エレンはわずかに上体を逸らし、迫り来る呪霊の牙をミリ単位で回避した。

 そして、その流れるような回避の動作から、一切のタメを作らずに右脚を跳ね上げた。

 かつて、アニ・レオンハートから幾度も地に叩きつけられ、その身体に叩き込まれた対人格闘術――その鋭利な足技。

 

 ――ドォンッ!!

 

 エレンの踵が、呪霊の醜い顔面を正確に打ち抜いた。

 

『ギャアッ!?』

 

 強烈な衝撃に呪霊の首がへし折れ、そのまま凄まじい勢いで廊下の壁へと吹き飛ばされる。壁のコンクリートが蜘蛛の巣状にひび割れた。

 

「……ッ!!」

 

 釘崎と伏黒は目を見張った。呪力による強化もなしに、純粋な身体能力だけで呪霊を吹き飛ばしたのだ。

 だが、真の驚愕はここからだった。

 エレンは呪霊が壁に叩きつけられると同時、いや、それよりも早く地面を蹴り、壁際に崩れ落ちた呪霊の眼前に肉薄していた。

 呪霊が体勢を立て直そうと蠢く間も与えず、エレンはその身体の上に馬乗りになった。

 

「俺は……」

 

 低い声が漏れる。それは、自分自身への確認のようでもあった。

 右拳を高く振り上げる。

 

「俺は……全てを壊した!! なのに!!」

 

 ――ドゴォォォンッ!!!

 

 渾身の力が込められた拳が、呪霊の顔面を粉砕した。

 悲鳴を上げる隙すら与えない。左、右、左。エレンの拳が、まるで機械のように無慈悲に、そして尋常ではない速度と重さで呪霊の頭部へと叩き込まれていく。

 今までの全ての想い。ミカサが殺してくれた時の感触。地鳴らしで踏み潰した者たちの悲鳴。世界への憎悪、そして自分自身へのやり場のない怒り。

 それら全てを乗せた拳が、ただひたすらに異形を挽肉に変えていく。

 

『ギィ……ガァ……』

 

 呪霊は最初こそ激しい悲鳴を上げていたが、エレンの容赦ない撲殺の嵐の前に、次第に声を上げることもできなくなっていった。

 

「……な、何よ、あれ……」

 

 背後で見守っていた釘崎の顔から、血の気が引いていく。

 伏黒もまた、額に冷や汗を滲ませていた。

 ただの戦闘ではない。あれは純粋な「殺戮」だ。呪霊に対する恐怖や嫌悪感ではなく、ただ目の前の存在を消し去るための、機械的で暴力的な儀式。

 数分間にも及ぶ執拗なマウントパンチの末、呪霊の頭部は完全に原型を留めない肉塊と化していた。

 エレンがようやく血に染まった手を止め、荒い息を吐いた。

 

「……おい。いくら物理的に殴っても、呪力で祓えなければ呪霊は再生して――」

 

 伏黒が言いかけたその時。

 

 ――シュウゥゥゥ……。

 

 原型を留めなくなった呪霊の肉体が、紫色の煙を上げ、そのまま跡形もなく消滅していったのだ。

 

「……は?」

 

 伏黒は呆然と声を漏らした。

 呪力を込めているわけではない。あの打撃には、呪術師特有の負の感情、呪力は微塵も乗っていなかった。それなのになぜ、呪霊が『祓われた』のか。

 伏黒の知る呪術の法則から完全に逸脱している。

 

 その理由を、エレン自身も、伏黒たちも知る由はなかった。

 エレン・イェーガーの魂、そして肉体の奥底には、巨人の力の源泉である「有機生物の起源」、通称・光るムカデの因子が深く刻み込まれている。

 それは「生きたい」「増えたい」という、生命の純粋なまでの根源的欲求。極めて濃密で、圧倒的な生命力。

 呪力が人間の「負の感情」から生まれるエネルギーであるならば、エレンの宿す生命力は、それと対極をなす究極の「正のエネルギー」へと変換されていた。

 ゆえに、エレンの拳が呪霊の肉体に打ち込まれるたび、そこへ膨大な正のエネルギーが流し込まれ、負の存在である呪霊の体を細胞レベルで中和し、崩壊させていたのである。それはある種、反転術式による治癒の力を、直接相手の体内に叩き込んで破壊しているのと同じ理屈だった。

 

「……とりあえず、倒すことはできるみたいだな」

 

 エレンは立ち上がり、振り返って二人に言った。

 その瞬間、釘崎はエレンの「拳」を見て、ヒッと短い悲鳴を上げて後ずさった。

 

「あ、あんた……その手……!」

 

 エレンが自身の両手を見下ろす。

 呪霊の硬い表皮や骨格を、素手で何百発も本気で殴り続けた結果だ。エレンの拳の肉は完全にひしゃげ、指の関節はあらぬ方向へ曲がり、ドロドロの血が止めどなく流れ落ちている。皮膚が削げ落ちた箇所からは、白い骨が剥き出しになっていた。

 激痛で気絶してもおかしくないほどの重傷。

 

「……おい、やりすぎだ。家入さんのところに戻って治してもらわないと――」

 

 伏黒が引き攣った顔で駆け寄ろうとしたが、エレンは全く痛痒を感じていないかのように、血まみれの拳をブラブラと振った。

 

「気にするな。こんなもの、そのうち治る」

 

「はあ!? 治るわけないでしょ!! 骨見えてんのよ!?」

 

 釘崎が叫ぶが、エレンの瞳には全く動揺がなかった。

 

『ギギギ……』『アァァ……』

 

 その騒ぎを聞きつけたのか、廊下の奥から新たに数体の呪霊が姿を現した。いずれも三〜四級の低級だが、数は五体ほどいる。

 

「……チッ。あとは俺たちでやる。エレン、お前は手を出さずに下がってろ」

 

 伏黒が両手を合わせ、影から一頭の式神、玉犬(渾)を召喚した。

 

「当たり前でしょ! 見てなさい新入り、これが本当の呪術師の戦いよ!」

 

 釘崎がハンマーと釘を構え、呪霊の群れへと躍り出る。

 

「芻霊呪法・『(かんざし)』!!」

 

 釘崎の打ち込んだ釘が呪霊に突き刺さり、そこから呪力が爆発して内部から破壊する。伏黒の玉犬も鋭い牙で呪霊の喉笛を噛み千切っていく。

 流れるような連携と、未知の不可思議な力の行使。

 

「……なるほど。これが呪術か。便利だな」

 

 エレンは壁に寄りかかりながら、血塗れの拳を垂らしつつ、感心したように呟いた。彼らの戦いは、立体機動装置での物理的な戦闘とは全く異なる次元のものだった。

 数分後、最後の呪霊が玉犬の顎に砕かれ、廊下は再び静寂を取り戻した。

 

「ふぅ……これで終わりみたいね」

 

 釘崎が額の汗を拭う。伏黒も息を整え、玉犬の影を解いた。二人は思いのほか数が多かったことで、体力をかなり消耗していた。

 

「よし、伊地知さんに連絡して帳を……」

 

 伏黒が言いながら、廃病院の裏口にあたる中庭へ通じる扉を開け、外の空気を吸おうと足を踏み出した。

 

 ――その瞬間。

 

 大気が、凍りついた。

 

「…………え?」

 

 釘崎の手から、ハンマーが滑り落ちそうになる。

 伏黒の目が、極限まで見開かれた。

 中庭に広がっていたのは、圧倒的な「死」の気配だった。

 

 ――ドスーン、ドスーン……。

 

 地響きを立ててそこに立っていたのは、これまで遭遇した呪霊とは次元が違うバケモノだった。

 体長は優に10メートルを超え、肥大化した肉塊のような胴体からは五本の太い腕が生えている。さらに恐ろしいことに、その全身の至る所に、苦悶の表情を浮かべた人間の顔面が無数に埋め込まれ、呻き声を上げているのだ。

 その存在が放つ呪力の密度は、周囲の空気を歪ませるほどだった。特級に限りなく近い一級、あるいは特級そのものかもしれない。

 

(なぜ……こんなバケモノが、こんなところに……!! 伊地知さんの観測では三級程度だったはずだ!)

 

 伏黒の思考が恐怖で白く染まる。一瞬の硬直。

 

 その時だった。

 

 ――ズゴオォォォォンッ!!!

 

 巨大呪霊の五本のうちの一本の腕が、凄まじい速度で薙ぎ払われた。

 標的となったのは、最も手前に立っていたエレン・イェーガー。

 

「!?」

 

 回避する暇すらなかった。丸太のような巨大な腕がエレンの胴体に直撃し、彼の身体はボールのように吹き飛ばされ、廃病院の分厚いコンクリートの壁を何枚もぶち抜きながら、遥か後方の瓦礫の中へと消えていった。

 

「エレンッ!!!」

 

 釘崎の悲痛な叫び声が中庭に響く。

 その声で、伏黒は強引に我に返った。絶望している暇はない。やるしかない。

 

「まずは倒し切る! 釘崎、死ぬ気で来い!!」

 

「言われなくても!!」

 

 伏黒が両手を合わせる。

 

「『鵺』!!」

 

 影から雷を纏った巨大な怪鳥が飛び立ち、呪霊の頭上から電撃を見舞う。

 

 ――バチィィィンッ!

 

 しかし、呪霊は鬱陶しそうに腕を振り上げるだけで、鵺の電撃をものともしない。

 

「舐めんじゃないわよ!!」

 

 釘崎が呪霊の足元に接近し、五寸釘を次々と打ち込む。

 

「芻霊呪法・『共鳴り』ッ!!」

 

 呪力による干渉波が呪霊の内部へと伝わる。だが――。

 

『オォォォォ……』

 

 呪霊は微かに顔をしかめただけだった。圧倒的な質量と呪力量の差。

 直後、呪霊の巨大な拳が二人を襲う。

 

「ぐあっ!」

 

「きゃあっ!」

 

 伏黒のガードごと吹き飛ばされ、釘崎も地面を転がる。鵺は呪霊の手によって握り潰されかけたが、ギリギリのところで式神を戻し、破壊は免れた。

 

 ――全く、歯が立たない。

 

 全身を打撲し、血を吐きながら伏黒は立ち上がろうとするが、足に力が入らない。釘崎も壁に叩きつけられ、意識が朦朧としている。

 巨大呪霊が、ゆっくりと二人の頭上に迫る。

 

(……ここまでか)

 

 伏黒の脳裏に、最悪の選択肢がよぎった。自分自身の命を引き換えにして呼び出す、最強にして制御不能の式神。

 これを出せば、呪霊は祓える。だが、自分も、釘崎も、そしてエレンまでも――死ぬ。

 それでも、為す術がない今、やるしかない。

 伏黒は震える手で、印を結びかけた。

 

「布瑠部……由良由良――」

 

 最強であり、最悪の式神をを喚び出そうとした、まさにその瞬間。

 

 シュウゥゥゥゥゥッ……!!!

 

 背後の、崩れ落ちた瓦礫の山から、高温の蒸気が噴き上がる音が響き渡った。

 伏黒の動きが止まる。

 巨大呪霊も、その異常な熱量と気配に反応し、振り返った。

 もうもうと立ち込める白い蒸気の中から、一人の影がゆっくりと歩み出てくる。

 

「な……に……?」

 

 釘崎が、信じられないものを見るように目を見開いた。

 壁を何枚もぶち抜かれ、全身の骨が砕け散って即死したはずのエレン・イェーガーが、そこに立っていた。

 だが、その姿は異様だった。

 直撃を受けたはずの胴体、ひしゃげていたはずの両腕。そこから凄まじい勢いで蒸気が立ち上り、筋肉が再生し、骨が繋がり、皮膚が覆っていく。

 文字通りの「超速再生」。反転術式ですらあり得ない速度で、失われた肉体が構築されていく。

 

「お前……まさか……」

 

 伏黒が唖然として声を漏らす。

 完全に再生を終えたエレンの瞳には、一切の光がなかった。ただ、目の前の巨大な敵に対する、純粋で暴力的な殺意だけが渦巻いていた。

 かつて彼が、世界の全てを敵に回してでも貫き通した、狂気にも似た闘争本能。

 エレンは、巨大呪霊を冷たく見上げながら、地を這うような声で一言だけ呟いた。

 

「殺す」

 

 そして、エレンは右手を持ち上げ、その手の甲を、自らの口の前に運んだ。

 躊躇いは、一切なかった。

 

 ――ガキィッ!!

 

 自らの肉を、思いっきり噛みちぎる。

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