呪術の世界に迷い込んだ、パラディ島の悪魔   作:ブァッファイ小五郎

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五話目

 夕暮れの空気が徐々に冷気を帯び始める中、高専の石段に腰を下ろしていた禪院真希が、長柄の薙刀を肩に担ぎ直しながら不敵な笑みを浮かべた。

 

「となれば、まずは手合わせするぞ」

 

 その唐突な提案に、伏黒恵、釘崎野薔薇、狗巻棘、そしてパンダの四人は特に驚く様子もなく、当然の流れだと言わんばかりに立ち上がり、グラウンドの方角へと歩き出し始めた。彼らにとって、実力を測るための手合わせは日常茶飯事なのだ。

 しかし、エレン・イェーガーはその輪に加わろうとせず、石段に座り込んだまま、じっと足元の石畳を見つめていた。彼の脳裏を支配していたのは、先ほどの「特級」という言葉が引き金となってフラッシュバックした、逃れられない過去の記憶だった。

 地鳴らしによって大地を平らにし、無数の命を踏み躙った感触。足の裏から伝わる骨の砕ける振動、耳にこびりついて離れない人々の絶望の悲鳴。どんなに第二の人生を与えられようとも、どれだけこの見知らぬ平和な世界で新たな仲間のような存在ができようとも、その罪が消えることは決してない。その事実に、エレンは深い虚無感と苛立ちを感じていた。

 

「おい、何してるんだ。お前も行くぞ」

 

 足を止めた真希が、振り返ってエレンを見下ろした。その声には、有無を言わせぬ響きがあった。

 エレンはゆっくりと顔を上げ、自身の血塗られた両手を一度見つめてから、短く息を吐いた。

 

「……俺もか」

 

 重い腰を上げ、立ち上がるエレンに対し、真希は当然だというように鼻を鳴らした。

 

「当たり前だ。術式がどうであれ、身体能力が高ければそれに越したことはねえし。そうじゃなくても、なんせお前は『特級』なんだからな。どんな規格外の力を持ってるのか、頼りにしてるんだぜ」

 

 真希の言葉には、皮肉や嫌味ではなく、純粋な戦士としての好奇心と期待が込められていた。エレンはそれに対し、特に表情を変えることもなく、ただ無言で彼らの後に続いた。

 六人は、高専の敷地内に広がる木々や古い木造建築の間を抜けながら、他愛のない駄弁りを交わしつつグラウンドへと向かった。釘崎とパンダが言い合いをし、狗巻がそれに「しゃけ」「おかか」と合いの手を入れ、伏黒が呆れたようにため息をつく。その光景は、かつてエレンが訓練兵団にいた頃の、ジャンやコニー、サシャたちと過ごした騒がしくも温かい日常を、ほんの少しだけ思い起こさせた。

 

 グラウンドに到着すると、真希は担いでいた薙刀を傍らの木に立てかけ、呪具を一切持たない素手の状態になった。軽く準備運動として肩を回し、首の骨を鳴らす。

 

「よし、それじゃあ始めようか。エレン、お前の実力、見せてもらおうじゃねえか」

 

 真希がエレンに向かって手合わせを願う。その瞳には、強者との闘争を求める鋭い光が宿っていた。

 エレンは少し離れた位置に立ち、静かに構えの姿勢に入りながら、かつての記憶の扉を叩いた。

 第104期訓練兵団時代、泥にまみれて繰り返した対人格闘訓練。あの頃の自分は、ただひたすらに巨人を駆逐することだけを夢見て、がむしゃらに体を動かしていた。

 特に印象深く脳裏に焼き付いているのは、ライナー・ブラウンに唆され、アニ・レオンハートに挑んだ時の記憶だ。

 

『兵士の責任ってやつを教えてやれよ』

 

 ライナーのそんな無責任な言葉に乗せられ、木製のダミーナイフを持ってアニに飛びかかった瞬間。彼女の独特な構えから繰り出された、流れるような、それでいて岩をも砕くような一撃。視界が天地逆転し、空が一回転したかと思うと、次の瞬間には背中から思い切り硬い地面に叩きつけられていた。肺から空気が搾り出され、激痛に顔を歪めるエレンを見下ろす、アニの氷のように冷たい視線。

 しかし、エレンはその痛みをただの敗北で終わらせはしなかった。アニの無駄のない体捌き、相手の力を利用して重心を崩す技術、そしてあの鋭利な足技。エレンはそれを身をもって学び、自らの血肉としていった。その後もミカサやライナーたちと必死に訓練を重ね、人間同士の戦闘においても決して引けを取らない技術を身につけたのだ。

 

「遠慮はいらねえ。本気で来い」

 

 真希の挑発的な声が、エレンの意識を現在へと引き戻した。

 

「……言われなくても」

 

 エレンは、かつてアニがとっていたあの独特の戦闘態勢をとった。両拳を顔の前に掲げ、重心を低く落とし、構える。その瞬間、エレンの纏う空気が一変した。先ほどまでの虚無感は消え失せ、冷徹な殺気を孕んだ戦士のそれへと変貌したのだ。

 

 ――ダッ!!

 

 地面を強く蹴り、エレンが瞬時に真希の懐へと飛び込む。その初速は、常人の視力を置き去りにするほど鋭かった。

 エレンは踏み込みと同時に、顔面を狙った強烈な右のジャブを放つ。しかし、真希はそれを最小限の首の動きだけでスリップし、微塵も動揺することなくエレンの左脇腹へと鋭い手刀を突き込んできた。

 

(速い……!)

 

 エレンは咄嗟に左腕でそれをガードし、そのまま体を回転させてアニ譲りの重いミドルキックを真希の胴体へと叩き込もうとする。空気を引き裂くような鋭い蹴り。

 だが、真希はその蹴りを受けるでも躱すでもなく、信じられないほどの反応速度でエレンの蹴り足の軌道に自身の腕を添え、その力のベクトルを完全に受け流した。

 

「なっ……」

 

 エレンの身体が、宙で一瞬だけ制御を失う。真希はそのまま合気道のような円の動きでエレンの重心を完全に奪い、足をすくって見事に彼を地面へと投げ飛ばした。

 

 ――ドサァッ!!

 

 背中から砂埃を上げてグラウンドに叩きつけられるエレン。しかし彼は即座に受身を取り、バネのように跳ね起きて再び攻撃に転じた。

 左フック、右ストレート、そして膝蹴り。エレンは急所を的確に狙い、殺す気で本気の打撃を連続して繰り出していく。彼の体術は洗練されており、並の呪術師であれば数秒で沈められているだろう猛攻だった。

 しかし、真希はいとも容易くそれをいなしていく。彼女は呪力を持たない「天与呪縛」によって、全人類のトップクラスほどの異常な身体能力と動体視力を持っていた。エレンの攻撃の予備動作、筋肉の微細な動き、視線の向かう先。真希はそれらを全て先読みし、紙一重で躱しながら、確実にエレンの体力を削るようなカウンターを的確に当てていく。

 数分間の激しい打ち合いの後、エレンの放った渾身の右拳を真希が掌で受け止め、そのままエレンの腕をねじり上げて背中に回し、完全に制圧した。

 

「……そこまでだな」

 

 真希が息一つ乱さずに宣言し、エレンの腕を解放した。

 エレンは地面に膝をつき、荒い息を吐きながら己の拳を見つめた。

 

(対人スキルにおいては、そこそこに自信があったんだけどな……)

 

 巨人化能力に頼らずとも、人間相手の格闘術であれば負ける気はしなかった。しかし、目の前の女は全く底が見えない。

 

(もしかして……ミカサ・アッカーマンと同等か、あるいはそれ以上に強いのか? あのアッカーマン一族特有の異常な身体能力と同じものを感じる……)

 

 エレンが内心で驚愕していると、少し離れた場所で手合わせを見ていた狗巻とパンダが声を上げて近づいてきた。

 

「ツナマヨ! しゃけしゃけ!」

 

「おいおい、すげえな新入り! あの真希に呪具なしとはいえ、ここまで善戦できる奴なんて高専にはそうそういねえぞ! 大したもんだ!」

 

 パンダが感心したようにエレンの肩をバシバシと叩く。

 エレンは膝についた砂を払いながらゆっくりと立ち上がり、あまり嬉しくなさそうな、どこか不完全燃焼の表情で短く答えた。

 

「……どうも」

 

 真希もまた、自身の道着の乱れを直しつつ、エレンを評価するような視線を向けた。

 

「ああ。対人スキルに関しては、そこそこで悪いほうじゃない。基礎がしっかりしてるし、迷いがない。なんせ殺気がいい。……だが」

 

 真希は目を細め、核心を突くように問いかけた。

 

「お前、本当に『特級』なのか? 体術が優れてるのはわかったが、それだけで特級になれるほど呪術界は甘くねえぞ。なんか、とんでもない術式でも使えるのか?」

 

 その直球の質問に、エレンは少し考え込んだ。自分の力は術式などというものではない。巨人の力だ。しかし、この世界でそれをどう説明すればいいのか。

 少しの沈黙の後、エレンは静かに口を開いた。

 

「……術式というものは分からない。だが……15メートル程度の『巨人』になることはできる」

 

「は……?」

 

 真希、狗巻、パンダの三人の動きがピタリと止まった。

 

「きょ、巨人……? 15メートル?」

 

 パンダがオウム返しにする。彼らの常識の範疇を完全に超えた単語に、三人は顔を見合わせて驚愕の表情を浮かべた。

 すかさず、横で見ていた釘崎が、先日の廃病院での任務の出来事を身振り手振りを交えて熱く語り始めた。

 

「そうよ! 真希さん聞いてくださいよ! こいつ、急に全身からシューシューと熱い蒸気を出したかと思ったら、ドカンッ!!って雷みたいなのと一緒に、15メートルもある筋骨隆々の化け物になったんです! しかも、特級クラスのこんなに馬鹿でかい呪霊を、地面から出した水晶みたいな棘で串刺しにして、巨大なハンマーを作って、そのままドゴォォォンッ!!ですよ! 病院ごと木端微塵!」

 

 釘崎のあまりにリアルで誇張されたような説明を聞き、真希の額に冷や汗がツーッと流れ落ちた。

 

「……おいおい。マジかよ。それが本当なら、そんなのが特級として入ってきたのか……。とんでもない化け物が入ってきたな」

 

 真希が呆れ半分、恐れ半分の声を漏らす。

 その時、パンダがパッと思いついたかのように、目をキラキラと輝かせながらエレンに詰め寄った。

 

「なあなあ! その『巨人』ってやつ、今ここでなることはできないのか!? 俺、すっげえ見てみたいんだけど!!」

 

「馬鹿野郎!!」

 

 真希と狗巻が同時にパンダの頭をはたいた。

 

「おかか!!」

 

「お前、頭に綿でも詰まってんのか!? 今ここでそんな15メートルの化け物になったら、高専のグラウンドはおろか、校舎まで壊れちまうかもしれないだろ!」

 

 真希の至極真っ当な怒られ方に、パンダは頭をさすりながら「あ、そうだった。ごめんごめん」と軽く謝った。

 彼らのやり取りを聞いていたエレンは、自身の右手をじっと見つめながら、ふと呟いた。

 

「……もしかしたら、一部分だけなら出来るかもしれない」

 

「一部分?」

 

 真希が眉をひそめる。

 

「ああ。だが、コントロールできる確実な保証はない。万が一のことがある……お前らは、少し離れてろ」

 

 エレンのその警告を聞き、真希は即座に顔をしかめた。

 

「おい、冗談だろ。そんな不確定で危ねえこと、今すぐやめておけ。遊びじゃねえんだぞ」

 

 しかし、パンダがここぞとばかりに真希の前に立ち塞がり、尤もらしい理由をつけて説得を始めた。

 

「いやいや真希! これからの交流会や任務で連携を取るためにも、エレンのその『巨人化』ってのがどういう過程で巨人になって、どんな質量とスピードで現れるのか、今のうちに実際に見てもらった方が早いだろ! たった一部分であっても情報共有は大事だぜ!」

 

「……お前、ただ単に見たいだけだろ」

 

 真希がジト目でパンダを睨みつける。

 それに対し、パンダは一歩も引かず、ものすごい熱意と圧を込めて真希と狗巻に迫った。

 

「男のロマンだろ!! 15メートルの化け物に変身するんだぞ!? 真希と棘は、本当に見たくないのか!? 嘘をつけ! 心の奥底ではワクワクしてるはずだ!!」

 

 あまりのパンダの勢いと圧に押され、真希と狗巻は顔を見合わせた後、観念したようにため息をついた。

 

「……まあ、そりゃあ見たいけどよ」

 

「ツナマヨ」

 

 それを聞いたパンダは「っしゃあ!」とガッツポーズを決め、「それじゃあ見ようぜ!」と嬉々として叫んだ。

 真希、狗巻、パンダ、そして釘崎の四人は、エレンから十分な距離を取るためにグラウンドの端の方へと足早に離れていった。

 

 ただ一人、伏黒だけがエレンの傍に残り、深刻な表情で問い詰めた。

 

「エレン、本当に大丈夫なのか? 一歩間違えれば、ここ一帯が吹き飛ぶぞ」

 

 伏黒は廃病院での戦闘を間近で見ていたからこそ、あの巨人の力の圧倒的な暴力性と危険性を肌で理解していた。

 

「……偶然だが、今まで数回だけ、腕や上半身など、一部分だけを巨人化することが出来た経験がある。感覚は覚えている」

 

 エレンが答えるが、伏黒の懸念は晴れない。

 

「……あまりにも不確定で危なすぎる。それに、もしまたあの時のように、怒りに任せて全身が顕現して制御不能になったらどうするんだ。俺たちじゃ止められないかもしれないんだぞ」

 

「心配するな」

 

 エレンは伏黒の目を真っ直ぐに見据えた。

 

「別に巨人化したところで、俺の自我がなくなるわけじゃない。それに……万が一、俺が制御不能になって暴走したとしても、お前らのその『術式』とやらで、なんとかできるんだろ?」

 

 伏黒は息を呑んだ。

 

「術式はそんな便利なものじゃな――」

 

「信じろ」

 

 伏黒は現実的な反論を言いかけたが、エレンはその伏黒の言葉を遮るように、静かに、だが絶対の自信を込めて一言だけ告げた。

 その一言には、幾多の死線をくぐり抜け、自らの命を何度も秤にかけてきた者だけが持つ、重く、揺るぎない覚悟が込められていた。伏黒はそのエレンの瞳の奥底にある強烈な光に気圧され、反論の言葉を飲み込んだ。

 

「……分かった」

 

 伏黒はそれ以上何も言わず、踵を返して先に離れた四人の所へと向かった。

 

 グラウンドの中央に、エレンはただ一人取り残された。

 遠く離れた場所から、伏黒、釘崎、真希、狗巻、パンダの五人が、固唾を飲んで彼の一挙手一投足を見守っている。風が止み、周囲の木々のざわめきすらも消え失せたような、異様な静寂がグラウンドを包み込んだ。

 エレンは目を閉じ、一度、深く、ゆっくりと深呼吸をした。

 意識を、自らの内面深くへと潜らせる。

 巨人化の条件は二つ。自傷行為や攻撃された時、怪我をした時による痛みを伴う出血と、そして何よりも「明確な目的意識」。

 エレンは、あの日の記憶を詳細に呼び起こした。

 

 旧調査兵団本部の古城。薄暗い一室。リヴァイ班の面々と共にテーブルを囲み、紅茶を飲もうとしていた時のことだ。床に落としてしまった一本の小さなスプーン。それを拾おうと手を伸ばした瞬間。

 

 ――『スプーンを拾う』という、極めて限定的で明確な目的。

 

 その意識が引き金となり、意図せずして右腕だけが巨人化した。凄まじい熱と蒸気、そして突如として顕現した巨大な肉の腕。ペトラ、オルオ、エルド、グンタたちが即座に抜刀し、殺気を向けてきたあの凍りつくような空気。そして、リヴァイ兵長の冷静な制止。

 あの時、自分は確かに「一部分だけ」を顕現させた。その時の筋肉が爆発的に膨張する感覚、血液が沸騰し、細胞が急激に再構築される瞬間の熱の通り道を、エレンは全身の神経を研ぎ澄ませて思い出す。

 

(今回は、右腕だけだ。それ以上はいらない。完全に制御する)

 

 エレンはゆっくりと目を開けた。その瞳は、深緑色に妖しく光り輝いていた。

 右腕を、体の前に少しだけ浮かせる。

 そして、左手を口元に運び、自らの手の甲を、躊躇いなく思いっきり噛み砕いた。

 

 ――ガキィッ!!!

 

 肉を断ち、骨に達するほどの強烈な痛み。それがトリガーとなった。

 

 直後、抜けるような青空を切り裂いて、空から黄金の雷鳴が一直線にエレンへと落ちた。

 

 ――ピシャアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!

 

 鼓膜を破壊せんばかりの凄まじい轟音が、高専全体に響き渡った。

 雷と共に発生した爆発的なエネルギーの奔流が、エレンを中心に強烈な突風と高温の蒸気を巻き起こし、グラウンドの砂を円状に吹き飛ばす。

 

「うおっ!?」

 

「きゃああっ!」

 

 離れて見守っていた五人も、その凄まじい風圧と熱に腕で顔を庇い、思わず後ずさった。

 

 もうもうと立ち込める白い蒸気。それが徐々に晴れていく中、エレンの姿が再び現れた――。

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