呪術の世界に迷い込んだ、パラディ島の悪魔   作:ブァッファイ小五郎

6 / 12
六話目

 雷鳴の余韻が空気を震わせ、周囲に散らばった土塊がパラパラとグラウンドに降り注ぐ。

 もうもうと立ち込めていた高熱の砂煙と白煙が、夕暮れの冷たい風に流されて徐々に薄れていく中、爆心地に立つエレン・イェーガーの全貌がゆっくりとその姿を現した。

 

「……マジかよ」

 

 パンダが、毛皮に覆われた目を限界まで見開いて呆然と呟いた。

 そこにあったのは、異形の姿だった。

 エレンの身体自体は人間のままである。しかし、彼の右肩から先が、異常なまでの質量と熱量を伴って肥大化していた。

 衣服を突き破り、幾重にも重なる赤黒い筋繊維が剥き出しになった、全長数メートルにも及ぶ『巨人の右腕』。ドクン、ドクンと、巨大な心臓の拍動に合わせて太い血管が波打ち、その表面からはシュウゥゥゥと絶え間なく高温の蒸気が噴き出している。

 人間サイズの身体に、巨大な建造物のような腕が接続されているという、アンバランスでグロテスク、それでいて圧倒的な暴力の美しさを内包した光景。

 

「うわぁ……」

 

「しゃけ……!」

 

 釘崎野薔薇と狗巻棘もまた、その現実離れした光景に感嘆の声を漏らした。

 禪院真希は薙刀の柄を強く握りしめ、額に一筋の汗を流しながらも、その光景を食い入るように見つめていた。呪力とは全く異なる、純粋な生命の塊のようなプレッシャー。

 

「すげえ!! おい、これどうなってんだ!? 触っていいか!?」

 

「ちょっと私も近くで見たい!!」

 

 恐怖よりも好奇心が勝ったパンダと釘崎が、目を輝かせながらエレンの方へと駆け寄ろうとした。

 

「待て!! 近づくな!!」

 

 その二人の前に、伏黒恵が鋭い声を上げて立ち塞がった。

 伏黒の顔には、かつてないほどの強い緊張が走っていた。彼は両手を広げ、二人を牽制しながら、油断なくエレンの緑色の瞳を見据える。

 

「一見、部分的な顕現に成功しているように見える。だが、あの腕の質量だ。もしかしたら、強大すぎる力に引っ張られて、エレン自身の自我を制御できていないかもしれない。暴走の危険がある!」

 

 伏黒のその言葉に、はしゃいでいた釘崎とパンダの足がピタリと止まり、真希と狗巻も再び身構えた。

 あの時、廃病院で見せた一切の感情を欠いた殺戮者の目。もしあの状態で自我を失い、このグラウンドで暴れ出せば、呪術高専そのものが消し飛ぶかもしれない。

 張り詰めた空気が、五人を包み込む。

 

「……問題ない」

 

 静寂を破ったのは、蒸気の向こう側から響く、エレンのひどく落ち着いた声だった。

 彼は巨大な右腕をゆっくりと持ち上げ、その丸太のような五本の指を、グーパーと器用に動かしてみせた。

 

「ぶっつけ本番だったし、不確定要素はあったが……なんとか一部分だけの巨人化も成功した。感覚は、普通に手足を動かすのと同じだ。自我も普段通り保てている。全然問題ない」

 

 エレンは自身の巨大な右腕を見上げながら、淡々と状況を報告した。その声色には、狂気も、暴走の兆候も微塵も感じられなかった。

 その確かな理性の響きに、伏黒は張り詰めていた肩の力をふっと抜いた。

 

「……よかった」

 

「ツナマヨ……」

 

 伏黒、狗巻、そして真希の三人は、最悪の事態が避けられ、実験がしっかりと成功したことに深く安堵のため息をついた。

 

 しかし、安全が確認されたとたん、釘崎とパンダの好奇心は再び爆発した。

 

「よっしゃあ!! 成功じゃん!!」

 

「すげえすげえ!! なあなあ、触ってもいいか!? な!?」

 

 二人は伏黒の制止をすり抜け、喜び勇んでエレンの巨大な右腕の傍へと駆け寄った。見上げるほどの筋肉の壁。

 

「おい、やめとけ。火傷するぞ」

 

 エレンが呆れたように忠告する。巨人の体温は異常に高く、顕現した直後や蒸気を発している時は、人間の皮膚など簡単に焼き爛れさせてしまうのだ。

 しかし、そんな忠告も二人の耳には届かない。

 

「ちょっとだけ! ちょっとだけだから!」

 

 釘崎とパンダは、恐る恐る、指先を伸ばしてその巨大な赤黒い筋肉の表面に触れた。

 

「あっつ!!!!」

 

「あちちちちっ!!!!」

 

 触れた瞬間、ジュッという音と共に凄まじい熱さが伝わり、二人は弾かれたように手を引っ込めた。

 

「痛っ! なによこれ、沸騰したヤカンより熱いじゃない!!」

 

「でもすげえ! この筋肉の張り、マジで生きてるって感じがする!!」

 

 指先を真っ赤にして涙目になりながらも、二人はキャッキャと楽しそうにはしゃぎ回っている。

 少し離れた場所からその様子を見ていた伏黒、狗巻、真希の三人は、同時に深々と頭を抱えた。

 

「……あいつら、本当に危機感ってものがないな」

 

 伏黒が呆れ果てた声で呟く。

 

「おかか……」

 

 狗巻も同情するように頷いた。

 しかし、真希は呆れながらも、その口角をニヤリと吊り上げていた。彼女の目には、戦力としての冷徹な計算と、強烈な高揚感が浮かんでいた。

 

「まあ、いいんじゃねえの。とりあえず、あの『巨人』になれる規格外の化け物が、私たちの仲間になったんだ。これから始まる京都校との交流会に向けても、これ以上心強いことはねえだろ」

 

 真希のその頼もしい言葉に、伏黒と狗巻も顔を見合わせ、小さく頷いた。

 

「そうだな」

 

 その後、エレンが巨人の右腕を解除し、蒸気と共に元の体へと戻るのを待ってから、彼らの本格的な特訓が再開された。

 先日、同級生である虎杖悠仁を失った悲しみと無力感。京都校の連中に舐められ、負けるわけにはいかないという強い意志。

 六人全員が、己の限界を超えるために、日が沈み、空が群青色に染まるまで必死に手合わせを繰り返した。

 真希の容赦ない呪具の猛攻、パンダの変幻自在の体術、狗巻の呪言による巧妙な制圧、伏黒の式神を用いた連携攻撃、釘崎の遠距離からの釘の牽制。

 そしてエレンは、巨人化の力こそ使わないながらも、対人格闘術の粋を集めて彼らに応戦した。互いの手札を晒しながらの濃密な戦闘訓練。

 やがて完全に日が落ち、グラウンドに設置されたナイター照明が点灯する頃には、全員が心身ともにボロボロになり、芝生の上に大の字に寝転がっていた。

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

「……今日は、これまでだな」

 

 息も絶え絶えになりながら、真希が薙刀を地面に突き立てて終了を宣言した。

 

「お疲れ……マジで死ぬかと思った……」

 

 釘崎が地面に突っ伏したまま呻く。

 激しい運動の後の、心地よい疲労感。エレンもまた、荒い息を吐きながら夜空の星を見上げていた。これほど純粋に、殺し合いではない「特訓」で汗を流したのは、調査兵団の時代以来かもしれない。

 

「あー……お腹減った!!」

 

 不意に、釘崎がバネのように跳ね起きて叫んだ。

 

「ねえ、こんなに頑張ったんだから、みんなでどっか美味しいもの食べに行こうよ! 打ち上げ! 決起集会!」

 

 楽しそうに提案する釘崎。

 しかし、先輩陣の反応は冷ややかだった。

 

「悪い、私はこれから呪具の手入れがあるからパスだ」

 

「しゃけ」

 

「俺も、学長に呼ばれてるんだ。また今度な」

 

 真希、狗巻、パンダの三人は、それぞれの用事を理由にすげなく断り、手を振りながら寮の方へと去っていった。

 

「えぇー……そんなぁ」

 

 釘崎は肩を落とし、物凄く残念そうに唇を尖らせた。

 すると、エレンが立ち上がり、服の砂を払いながら口を開いた。

 

「俺は行くぞ。ここの世界のご飯がどんなものなのか、気になっていたところだ」

 

 昼間、医務室のベッドで食べた「白米」と「味噌汁」の衝撃的な美味さが、エレンの記憶に強烈に焼き付いていたのだ。

 それを聞いた釘崎の顔が、パッと明るく輝いた。

 

「ほんと!? やった! エレン、あんた話がわかるやつだね! 見た目はアレだけど、実は結構いいやつじゃん!」

 

 釘崎はエレンの背中をバンバンと叩いて喜ぶ。

 そして、その勢いのまま、グラウンドの隅で帰り支度をしていた伏黒へとターゲットを向けた。

 

「ほら、伏黒も行くわよ!」

 

「……俺はいい。部屋にある適当なもので済ませるから」

 

 伏黒は面倒くさそうに背を向けて断ろうとした。

 しかし、釘崎がそんな拒絶を許すはずがなかった。

 

「はあ!? アンタねえ、同期の親睦を深めるってことも大事な任務のうちなのよ! ほら、行くわよ!」

 

「おい、引っ張るな! 自分で歩ける!」

 

 釘崎は伏黒の制服の襟首をガッツリと掴み、有無を言わさずズンズンと歩き出した。

 結局、不服そうな伏黒を引きずりながら、釘崎、伏黒、エレンの三人で高専の敷地を出て、ご飯を食べに行くことになった。

 

 夜の冷気が心地よい道を歩きながら、釘崎が鼻歌交じりにエレンに尋ねた。

 

「で? エレンは何を食べたいの?」

 

「……俺か?」

 

 エレンは少し困惑した。この世界に来てからまだ数日しか経っていない。白米という存在は知ったが、それ以外にどのような食事が存在するのか、メニューの概念すら全くわからなかった。

 

「どんなものがあるのか、俺には全くわからない。とりあえず、お前らに任せる」

 

「えー、つまんないの。じゃあ伏黒、アンタは何が食べたいのよ」

 

 釘崎に矛先を向けられ、伏黒はため息をつきながら答えた。

 

「……豚の生姜焼きが食べたい」

 

「はあ!? 豚の生姜焼き!?」

 

 釘崎が大袈裟に顔をしかめる。

 

「ちょっと、こういう時の相場はラーメンとかお寿司とか、焼肉でしょ! なんでそんな定食屋の定番みたいな地味なメニューなのよ!」

 

「別に何だっていいだろ。俺は米と肉が食いたいんだよ」

 

「だーかーらー! もっとこう、華があるものをね……」

 

 釘崎はエレンを振り返り、同意を求めるように言った。

 

「ねえエレン! 豚の生姜焼きと、ラーメンかお寿司、どっちが食べたい!?」

 

 突然の究極の二択に加え、エレンにとっては全て未知の単語を突きつけられ、エレンは真顔で考え込んだ。

 

「……ショウガヤキ……ラーメン……スシ……」

 

 全く想像がつかない。しかし、伏黒が「米と肉」と言っていたのは分かった。昼に食べたあの白い米と肉の組み合わせなら、間違いはないだろう。

 

「わからないから、とりあえず伏黒の好きな『豚の生姜焼き』でいい」

 

「ええええええっ!?」

 

 釘崎は絶望したように頭を抱えた。

 

「信じらんない……男ってやつはこれだから……。あーあ、せっかくお寿司の気分だったのに」

 

 ブツブツと文句を言いながらも、釘崎は「しょうがないわね」とポケットからスマートフォンを取り出し、画面を素早くタップし始めた。

 

「えーっと、近くの定食屋、定食屋……あ、ここから徒歩三分くらいのところに、口コミがいいお店があるわ。ここに行きましょ」

 

 エレンは、釘崎の手に握られた小さな光る板(スマートフォン)を、不思議そうに見つめた。

 

「……そんな小さな板で、近くの飯屋までわかるのか。魔法のようだな。便利なモノだ」

 

 感心するエレンを見て、伏黒が隣で小さく息を吐きながら言った。

 

「エレンが言う『外の世界』がどういうところかはよく分からないが、ここはこういうのが当たり前の世界なんだ。焦らなくてもいい、ここから一つずつ覚えていけばいい」

 

「……ああ、そうだな」

 

 伏黒の静かで不器用な気遣いに、エレンは素直に頷いた。

 

 徒歩三分ほどの場所にあったのは、赤提灯がぶら下がり、ガラス張りの引き戸から漏れるオレンジ色の光が温かい、昔ながらの大衆定食屋だった。

 店内に入ると、油と醤油が焦げる香ばしい匂いが充満しており、エレンの胃袋が限界を訴えるように大きく鳴った。

 三人はテーブル席につき、メニューを開く。

 

「私は唐揚げ定食!」

 

 釘崎が即座に注文を決める。

 

「俺は予定通り、生姜焼き定食で」

 

 伏黒も店員に告げる。

 エレンは、写真付きのメニューに並ぶ色鮮やかな料理の数々に圧倒され、完全に目を回していた。どれも見たことがない。

 

「……二人のオススメは何だ?」

 

 迷った末にエレンが聞くと、釘崎が自信満々にメニューの一箇所を指差した。

 

「定食屋といったら、やっぱり『チキン南蛮』でしょ! 甘酸っぱいタレと、濃厚なタルタルソースの組み合わせが最高なんだから!」

 

「……チキンナンバン。よし、それにしよう」

 

 エレンは言われるがままに、チキン南蛮定食を注文した。

 

 数分後。目の前に運ばれてきたお盆には、大盛りの白米、湯気を立てる味噌汁、そして、黄金色に揚がった鶏肉に甘酢ダレが絡み、白いタルタルソースがたっぷりと掛かったチキン南蛮が鎮座していた。

 エレンは箸を割り、一口大に切られたチキン南蛮を口に運んだ。

 サクッとした衣の食感。その直後に、鶏肉のジューシーな肉汁、甘酢の爽やかな酸味、そしてタルタルソースのまろやかなコクが一気に口の中で弾けた。

 

「…………ッ!!」

 

 エレンの瞳孔が開いた。

 美味い。想定を遥かに超えている。パラディ島の質素な食事や、マーレで食べた屋台の料理とも全く違う、緻密に計算された暴力的なまでの「旨味」の奔流。

 エレンは無言のまま、猛然と白米をかき込み、チキン南蛮を頬張った。

 

「あははっ、いい食べっぷりね! お寿司じゃなくて文句言ってたけど、たまにはこういうガッツリ定食も悪くないわね」

 

 釘崎も唐揚げを頬張りながら、満足そうに笑う。

 

「……やっぱり、ここの世界のご飯は美味いな。信じられないくらいだ」

 

 エレンが心底からの称賛を口にすると、向かいの席で生姜焼きを食べていた伏黒が、ふと気になったように箸を止めた。

 

「そういえば……エレンは、元いた場所では何を食べていたんだ?」

 

 エレンは味噌汁で喉を潤し、少し遠くを見るような目をした。

 

「……小さい頃は、硬いパンと、具が少ししか入っていないスープばかりだった。特別な日や、配給があった時だけ、ほんの少しの肉を食べていたな。調査兵団に入ってからは、遠征中は干し肉と固焼きビスケットだけだ」

 

 その淡々とした言葉に、釘崎が目を丸くして箸を落としそうになった。

 

「ちょ、ちょっと……何それ。戦時中か、開拓時代のアメリカの食事じゃん! アンタ、どんだけ過酷なところで育ったのよ……」

 

 驚愕する釘崎に対し、エレンは特に悲観するでもなく、当然のことのように言った。

 

「……そんなもんだ。壁の中では、それが普通だった」

 

 食事を終え、満腹感と心地よい疲労感に包まれながら、三人は夜の高専へと続く坂道を歩いていた。

 街灯に照らされた舗装路。木々の間から聞こえる虫の声。

 エレンは、少し前を歩きながら何やら他愛のないことで言い合っている釘崎野薔薇と、やれやれと呆れながらそれに付き合う伏黒恵の背中を、じっと見つめていた。

 オレンジ色の短い髪の勝気な少女と、黒髪で冷静沈着な少年。

 見た目も、性格も、性別以外全くもって似ても似つかない。

 それなのに。

 

(……なんだか)

 

 エレンの視界の中で、二人の姿が、かつての幼馴染たち、ミカサ・アッカーマンとアルミン・アルレルトの背中と、不意に重なって見えた。

 なんてことない帰り道、夕暮れのシガンシナ区を三人で歩いたあの日々。

 巨人の恐怖も、世界の残酷な真実も知らず、ただ壁の外の世界を夢見て語り合っていた、あの無垢で幸せだった時間。

 エレンの胸の奥底が、きゅっと締め付けられるような、温かくも切ない感覚に包まれる。

 

(昔に戻ったみたいだ……)

 

 自分が壊してしまった世界。自分が手放してしまった日常。

 もう二度と戻らないと思っていた、誰かと肩を並べて歩く「平和」な時間が、この異世界で、全く別の形をして目の前にある。

 永遠に続く闘争の運命に苛立っていた心に、一滴の温かい水が染み込んでいくのを感じた。

 

 夜風が、エレンの髪を優しく揺らす。

 前を歩いていた釘崎が振り返り、「ちょっとエレン! 早く歩きなさいよ!」と大声で急かした。

 伏黒も立ち止まり、静かにエレンを待っている。

 

 エレンは、彼らに向かって歩みを進めながら。

 この世界に来て初めて、フッと、穏やかな笑みをこぼした。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。