白と紅色が鮮やかな楕円状の小ぶりな花弁が風にそよいで一斉に頭を垂れ、草緑との斑模様のカーペットのように舗装されていない砂利道の脇を彩っていた。
更に隣ではその愛らしい景色とは似つかわしくない棕櫚と黄色と橙色をしたチグリジア、サンダーソニア、ポピーが群生しており、一見すると南国のような湿度を感じさせる。
それを肯定するかのように空はセルリアンブルーの彩度が高い色をして雲までもが白の蛍光塗料を筆で一塗りしたようだ。
奥に生えている背の高い針葉樹群の木漏れ日からは優しい光が漏れ、暖かさを包み込むようにガビチョウやソシチョウの囀りが木霊している。
その隙間を埋めるようにツバキ、エノキ、ヒサギ、ヒイラギが色を鮮やかにした。
どこか長閑で現実味のない景色を轍で踏み躙りタイヤ痕で分断するように一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が走り抜けていった。
モトラドは可憐なレンゲソウの花を散らしながら排気ガスを吹き鳴らしてエンジン音を轟かせる。
「ねえキノ、随分と見慣れたような景色が続くと思わない?」
キノと呼ばれたモトラドの運転手は裾の長いベストを着用し、腰をベルトで締めて後ろにハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)を一丁収め、右腿にも一丁収めていることから武装していることが分かる。
「エルメス、一見すると確かによくある景色だけれど、人の手が入っているよ」
キノの短い黒髪が吹き抜ける風に乱され、端正な顔つきには似合つかわしくない銀色のフレームが光るゴーグルから前方を見据えた。
エルメスと呼ばれたモトラドには後部座席が無く、キャリアの上に鞄とコート、及び備品が括り付けてあり、その下には荷を詰める箱が両脇の後輪に設置されている。
「どうして?」
エルメスは短く疑問を呈するとキノが小さく呟いた。
「咲いている花が……少し気になる」
そうは言いつつ駆動のスピードを上げると灰色の瓦礫のような街並みが地平線から顔をのぞかせた。
「花?よくある組み合わせじゃない?」
アクセルを踏み込むと街を取り囲む有刺鉄線の柵がぼんやりとした像からハッキリとした輪郭を持ち始める。
「見えてきた。次の国ではたっぷりと休息を取りたいね」
暫く走り続けるとお座なりな有刺鉄線の柵とは相反するように大きな鉄な門扉が現れて、その前で停止するとキノはエルメスを手で押して様子を窺いながら近づいた。
「あら?お客様ですか」
声のする方を向くと有刺鉄線の向こう側から栗毛の少女が駆け寄り、網目の隙間に顔を覗かせる。
「キミは門番さんかな。ボクはキノ。こちらは相棒のエルメス。観光と休養で入国させて下さい」
キノが少女に語りかけると少女は目を細めて手を叩いた。
「はい!私達は国民全員が国の代表ですから!」
コンクリートのような素材で出来た門扉がハの字に開くと少女が駆け寄ってきてキノの白い手のひらを自身の手のひらで包みこんだ。
「えっと、手を離してくれないかな」
キノは少女に敵意が無いことを承知していたが、会って間もない者に身体的な接触を図られることが将来的に火種を生むことを知っている。
「ごめんなさい……嬉しさを表すことにかこつけて、私は罪を犯してしまった。不同意猥褻罪ならびに暴行罪。旅人さんは事件番号R歴86年第00108号の被害者となりました」
少女は深々と頭を下げてワンピースのポケットから腕時計を取り出すと右上にカチッと嵌めて何やら操作をし始めた。
「待ってくれないか。ボクは何もそこまで……」
細い腕に巻き付いた腕時計には先ほど述べた罪状と事件番号がデジタルモニターに表示され、その下には通常の時計盤がコツコツ時を刻んでいる。
「事件番号R歴86年第00108号の被害者さんは何泊していかれる予定ですか?パースエイダーをお持ちですか?」
キノは涼しい顔を歪ませて顰めっ面をしそうになりかかるが、眉を顰めるだけに留めた。
「キノ、用事を思い出したとかで引き返さない?」
エルメスがぼやくと、キノも手の甲を顎につけて暫く考え込んだ。
「滞在は三日です。明後日には必ず出発します」
そう苦渋の選択を伝えると少女は再び腕時計のリユーズ、ではなく周りに配置された通常の時計盤とは異なる細やかなつまみ群を器用に操作して入力を始めた。
「もしかしてモールス?」
エルメスが少女に尋ねると少女はエルメスではなくキノに向かって申し訳なさそうに答えた。
「打刻式の信号通信です。未知の情報という疎外感を負わせてしまい申し訳ありません」
エルメスはため息をつき、キノはそれを隠すようにコートを脱いでエルメスに掛けた。
「パースエイダーは二丁持っています。」
キノが腰の後ろから細身のニニLR弾縁打ち薬莢式・単発自動作動パースエイダー『森の人』を取り出すと、流れるように右腿のホルスターから弾頭と液体火薬を別個に詰める単手動作式リヴォルバー『カノン』を引き抜いて両手に持って見せた。
「そうですか、我々は銃器即ち殺人用途と短絡的に捉えていません」
キノも安堵なのか呆れなのか分からないため息をついた。
「キノ、先が思いやられるね」
「パスカードを見せていないけど、いいのかな」
キノは少女に案内されるがままエルメスを押して歩いた。
「パスカードは国民になる際に使用しますから」
少女は歩幅を合わせるように足元をチラチラと見ながら中央にある瓦礫の山に向かっていった。
「なるべく安価で、エルメスを駐車出来るスペースがあるシャワー付きの宿泊施設はあるかい?」
ピタリと歩みが止まると少女はまた時計を弄りながら儚げな笑みを浮かべて首を傾げた。
「もちろんありますよ?我々……私達は他者に不利益を被らせたりはしません」
あまりにも仰々しい言い方にキノとエルメスは同時にため息をついた。
「こちらが宿泊施設です。何かあれば部屋にあるプッシュボタンから7000514を押してください。私に繋がります」
少女はそう端的に述べると白亜の壁で出来たしっかりとした造りの宿泊施設を後にした。
「とりあえずシャワーを浴びようかな。少しの間エルメスは待っていてくれる?」
エルメスが不満を漏らそうとするのを聞き流し、キノが古びた木製の扉を開けると恰幅のいい青毛の婦人がにこやかに出迎えてロビーを案内した。
「あなたが事件番号R歴86年第00108号の被害者さんですね?可哀想に、私達は痛みを分かち合いますから、貴方は一人ではありません」
キノは婦人の大袈裟な言い回しに眉を動かすことなく客室まで黙っている事にした。
「外にあるモトラドは隣の倉庫に置いてください。玄関先の蛇口栓からホースを取って洗っていただいて構いません。石鹸とタオルとブラシは無償ですが、オイルとパーツを使う場合は整備となりますので倉庫の役職にお尋ねください」
部屋の扉を開けて室内を見回すが、清潔なシーツに柔らかな光が漏れるカーテンとドレッサーが用意されており、特段不備は無いように見受けられる。
「わかりました。……ところで、お名前は?」
婦人は微笑んで腕にある時計盤をキノに見せた。
「あたしは事件番号R歴45年第114004号の被害者です。」
キノはため息を付くと婦人が腕時計を外して飾り棚に置き、ゆっくりとキノに近づいて耳元で囁いた。
「この施設内のみでならシンばあと呼んでください。あたしも旅人さんとお呼びします」
シンばあはくるりと踵を翻して腕時計を拾い上げてキノに再び顔を向けた。
「旅人さんは食物アレルギーをお持ちですか?宗教上食べられないものはありますか?体調が悪くなる食べ物があれば教えてください。」
キノは少しの驚きを浮かべて、笑顔で返した。
「毒以外なら何でも食べます」
「食事はどう?美味しかった?」
キノが部屋でシャワーを浴びて着替えた後、食堂で出た食事は魚の切り身であった。
シンばあに何の魚かを尋ねるとサワラ、フグ、カジカ、コノシロと簡素な説明を受けて、形容しがたい気分になったことを思い出す。
「美味しかったけど……」
エルメスにホースから水をかけて柔らかいブラシで磨きながら脳裏に引っかかっている元に思いを馳せた。
「感想と感情が一致してないよ!キノ、明日は瓦礫の周りを歩かない?」
キノはエルメスの金属部分をタオルで磨きながら頷いた。
「そうだね。……あの子を呼んだほうがいいかな」
エルメスは困惑した声を出した。
「うーん、あんまり気が進まないけど新しいトラブルは困るから……キノに任せるよ」
部屋に戻ってベッドに腰掛けてシャツを脱ぐと、キノは飾り棚にある食器類に目をやった。
食器類は4つセットで細かな装飾が施され、図柄はそれぞれが異なっている。
「沈丁花、梔子、金木犀、蝋梅……」
ふと壁にかけてある絵に目をやると、同じように4種の絵が飾ってあった。
「そういえば……街中に木や花、水路が無かったな」
次の日の朝、キノは夜明けの陽射しが窓辺に差し込む前に目を覚ました。
そしてパースエイダーの訓練と整備をした後、食堂に足を運んだ。
「シンばあ、この国には木や水路が見当たらなかったけれど」
シンばあは困ったように食事をキノの前に運んだ。
「我々は常に一定でなければならないのです」
キノは不審に思って疑惑の目を向け、声を出した。
「なら、どうして四季に関するモチーフばかりがあるんですか?」
シンばあは黙り込んだ後、一言だけ答えた。
「四季があることを忘れたわけではないからです」
「事件番号R歴86年第00108号の被害者さんは快適な居住空間を得ることができましたか?」
キノが客室でプッシュボタンを押しておいたためか、少女は宿泊施設の扉を開けると背中に腕を回して手を組むポーズで佇んでいた。
「おかげさまで……ボクはせめて旅人さんと呼ばれたいかな」
キノはエルメスを手押ししながら眉を下げて口角を上げた。
「申し訳ありません。不快な思いを……」
「それはいいから、キミの名前を教えてほしい。事件番号以外の名前」
少女は目を丸くして人差し指を顎につけて考える仕草をした後、何かを思いついたかのように手のひらに握りこぶしをトンとぶつけた。
「私は事件番号R歴70年第00514号の被害者です。……名前は……確か……うーん、コイシと呼んでください」
キノは頬を掻きながら慎重に言葉を選ぶ。
「この国の人達は名前が無いのかな?」
コイシはタッと走り出すと有刺鉄線に囲まれた聳え立つ瓦礫の山の麓で手を振った。
「ちゃんとありますよ!……ただ、必要が無いので忘れてしまうんです」
エルメスはキノにだけ聞こえるよう、小声で呟いた。
「名前を呼ぶ必要が無いってどういう事だろうね」
キノも囁くようにそれに答えた。
「番号制なら、事件番号として扱われる前の仮番号が必要だと思うから、なんだろうね」
「これが対等の山です」
コイシは山頂が雲に触れそうなほど高く瓦礫が積み重なった山を指さした。
「対等の山?」
瓦礫の山は廃材の山というよりも家財や資材等の生活から出た破片で出来ており、どちらかというとコンクリや土砂の蓄積よりもゴミの集積場に近しい山姿をしている。
「対等っていうより一点突破の方が相応しいんじゃ」
キノは慌ててエルメスに人差し指を向けて「静かに」というジェスチャーをした。
「この対等の山は国の特定文化遺産に指定されているほど、国の歴史が積み重なっているものなんです」
コイシが山を見上げるのでキノも見上げてみたが、積み木のように重なっていて風が吹けば忽ち崩れ落ちてきそうなくらいギィと不気味な音を立てて微かに揺れていた。
「国の歴史について教えてほしい」
キノは低く、しかし優しい声色で問い掛けた。
「この国は昔、沢山の罪で溢れていました。戦火による略奪、強姦、殺人、ありとあらゆる全ての罪があったのです」
コイシは有刺鉄線を指でなぞると、針に触れて血の雫が膨らんで垂れ、地面に落ちて線香花火のように弾けた。
「戦火……戦争をしていたのか」
確かに国を囲っていた外の有刺鉄線は途方もない距離まで伸びていたので大国であることが窺い知れる。
「今は戦争なんてありませんから、ご安心ください……旅人さん」
「対等の山を一周するだけで日が暮れるとは」
キノはコイシと別れた後、エルメスに乗って瓦礫の山をグルリと廻った。
国の中の景色は平凡たるもので、民家や学校、個人商店が建ち並んでいた。
ただし、水路や木々、花鉢や水槽のような類は見当たらなかった。
「結局、罪状と事件番号で呼び合うだけの国なのかな?軽食も無償でサービスされたし、皆ルールを守っているし」
エルメスはつまらなそうに呟いた。
「無償……宿代について確認しておこう」
キノは宿泊施設に着くと倉庫前にエルメスを手押しした。
すると、シャッターが半開きになっていたので屈んで覗き込んで見るとシャッターの向かいから同じようにキノを覗き込む芦毛の青年の顔があった。
「おっと失礼……エンジン音が聞こえたもので」
青年は整備士のような出で立ちで、ツナギのベルトには工具類とホルスターが吊り下げてあり、パースエイダーが一丁収納してありグリップがチラリと見えた。
「あの、あなたが倉庫の……」
キノはその時に「倉庫の役職」としかシンばあから聞かされていなかった事を思い出し、口籠って後に続く言葉を探した。
「あはは、俺が倉庫の長役の倉庫長。事件番号R歴66年第11414号の被害者。……倉庫長でいいよ」
倉庫長は金属部分をジャラジャラと鳴らして伸びをするとフワァと欠伸をして倉庫内の革張りのソファにドカッと腰掛ると肘掛けに肘をついてキノとエルメスをボーッと眺めた。
エルメスは急にタメ口になった事を咎めようと声を出そうとしたが、キノに制止されたため沈黙を余儀なくされた。
「倉庫長さん、プラグを交換したいのですが品はありますか?」
キノが頭を下げつつ尋ねると倉庫長はゆっくりと立ち上がって壁際のスチールキャビネットの棚を開けてプラグ類を取り出して指に挟んで見せた。
「ありますよ。そのモトラドだったらこれかな。」
エルメスは彼の指を見ると、歓喜の声を漏らした。
「話が分かる人だ!」
キノは手のひらを返したエルメスに苦笑しながら倉庫長に近寄って手を差し出すと、倉庫長は部品類を宙からキノの白い手のひらに落とした。
「すみませんね、男女の不用意な接触は罪に問われるもんで」
キノはエルメスの整備を終えるとソファで微睡む倉庫長に声を掛けた。
「代金はおいくらですか?」
もしかしたら大金を吹っ掛けられる可能性があり、事前に確認しておけばよかったと自省をしつつ、不安気に体を傾けた。
「代金?要りませんよ。この国では支払いをする必要などありませんから」
キノは流石に訝しげな顔をして倉庫長に問い掛けた。
「もしよければこの国について教えてくれませんか?」
「昔、この国は四つの国に別れていたんです。それぞれが春のような暖かさ、夏のような新鮮さ、秋のような豊作さ、冬のような静けさを持って個を主張しては交流したり物流を交わしたり、時には小競り合いをしていたと聞きます」
キノは凡その見当がついたものの、倉庫長の話に耳を傾けた。
「やがて戦争が始まり戦敗国は戦勝国に物資と人材と優越感をもたらす代わりに戦勝国は戦敗国に賠償し競争心を芽生えさせ、次の戦争では戦敗国と戦勝国が入れ替わり、更に次の戦争では……」
エルメスは傾聴しているというよりは、半ばうたた寝をして夢見心地で流し聴いている。
「そしてある時、大規模な国土の隆起が起こり四つの国に甚大な被害を与えると、国同士が連立して助け合うようになりました」
キノも瞼が重くなっているようだ。
「復興間近という時に今度はそれを上回る陥没が起こって再び混乱を招き、復興する間もなく二度目の隆起が発生すると家や建物をすべて飲み込んだ山が四つの国の境、つまり中央部に発生したんです」
倉庫長はそこまで話すと水道から水をコップに汲んでキノに渡した。
「安心して、今から俺が先に飲むから」
彼はゴクリと喉を鳴らして水を飲むと袖で口元を拭いた。
「では、いただきます」
キノも匂いと色から異常が確認できなかったため、口に含み、ゴクリと飲んだ。
「それが対等の山?」
エルメスが眠たげな声を出して話に割り込む。
「そ。それが対等の山の原型」
キノはコップの縁を指でなぞると波紋が立った水面を見た。
「原型ということは、その後に人工的に手が加わったんですか?」
倉庫長はコクッと頷くと水を飲み干した。
「平等にするには必ず人の手を必要としますから」
「シンばあ、この国ではどうやって平等にしているか教えてほしい」
キノは曖昧な質問ではなく、確信を突く一石を投じた。
シンばあは食堂から顔を覗かせると手招きをした。
「はい、いいですよ」
シンばあが食料庫の扉を開けると地下に続く廊下が見え、キノは入ることを拒んだ。
「無理にとは言いません。ただ、地下にインフラがあり水路があるとお伝えしたくて」
キノはその場で立ち止まって話を聞いた。
「それが平等に繋がると?」
シンばあは食堂の椅子に座って話を始めた。
「我々は全員が被害者なのです。戦争被害、災害被害という国の被害と打たれた罵られた犯されたといった個の被害」
キノも対面するように椅子に腰掛けた。
「国の被害では国から生活保障を、個の被害では加害者から賠償を受ける。ですから、私達は被害に賠償するために『職務』を与えられ無償で『自分が出来ること』をして償いをしながら加害者からの誠意ある謝罪を受ける。全員が罪人であり、全員が無辜の民なのです」
シンばあは語り終わると腕時計を外して見せた。
「そしてこの打刻式の通信装置が付いた腕時計で互いを監視し合っている。新たな罪が発生したか、正しく申告したかなど、必要な情報はすべて」
腕時計にはデジタルモニターと共に時計盤の秒針が動いている。
「新たな罪が発生した場合はどうなりますか?」
シンばあが説明する前に『事件番号R歴66年第11414号の新規の罪状について』という文字列が目に飛び込んだ。
「彼は迷惑行為等防止法を犯したようです。でもまあ、地下に行くことはないでしょう」
キノはその番号から先ほどまで会っていた倉庫長だと気づき、思わず腕時計に手が伸びた。
が、触れずに手を引っ込めて話を続ける。
「地下に行く……?水路と関係ありますか?」
シンばあはニコリと笑って腕時計を腕に嵌め直した。
「罪状が重い者は罪が軽くなるまで地下で労働をするのです。我々が『自分が出来ること』以外に必要となるインフラやマンパワーを要する業務を地下の国民が担っているんです。罪が減刑されれば地上に出ることが出来、晴れて地上の国民、被害者になれる」
そう言って壁に立てかけられた絵に目を向けた。
「新たな罪が生まれないように差をなるべく無くすために四季を司る実物は目に見えないようにしているのです。寒暖差、作物の収量差。つまりは『隣の芝生は青い』を無くすため」
額縁に飾られた絵には四季折々の花のブーケが四つ、水彩絵の具の繊細なタッチで描かれていた。
「差を無くせば罪が無くなる……ですか」
キノは水彩画を見てポツリと言われた事実を要約して述べた。
次の日の朝、夜明けの薄く色づいた頃にキノは起きて出発の準備を始めようとベッドから立ち上がって伸びをした。
その直後、廊下から気配を消した足音が近づいていることに気づいてベッドの脇に身を屈めると、相手の出方をうかがった。
ガチャガチャという鍵穴を弄る音がした後、ギィと扉が開くと見知った顔が室内を見渡している。
「朝っぱらから何の用かな?……コイシ」
コイシは猫のように驚いて飛び上がった。
「い、起きていらしていたんですね!」
キノは彼女の服装を見るがワンピースに靴、背中には何かを隠し持っている。
「強盗は結構重い罪だと思うのだけれど」
冷たい指摘にますます慌ててコイシは後ろ手に持っていた花を突き出した。
「これ!花……です」
彼女の手には真っ赤なチグリジアが1輪茎を握りしめてあった。
キノは警戒を解かずにパースエイダーに手を伸ばして引き寄せた。
「まさか、花を手渡すためだけに侵入したわけではないよね」
コイシは黙った後、キノに飛び掛ってベッドに押し倒すとワンピースを捲り上げ始めた。
「コイシ……ボクは男じゃないよ」
そう告げるとコイシは固まり、声を震わせた。
「え?え?そんな……私の役職は花売りなのに……」
ギィと再び音がして扉を見るとシンばあが険しい顔で二人を見下ろして腕時計の打刻信号をカチカチカチカチと鳴らしている。
「待って!!待ってください!!事件番号R歴45年第114004号の被害者さん!!」
コイシの絶叫も虚しくシンばあとコイシの腕時計のデジタルモニターに『事件番号R歴70年第00514号の被害者の新規の罪状について』と映し出された後『禁固刑』との赤文字が表示された。
「事件番号R歴70年第00514号の被害者、いや不同意性交未遂と強制わいせつ罪の加害者……地下行きだよ」
コイシは半狂乱になって泣きじゃくり始めたが、キノにはどうすることもできない。
「ヤダ!!ヤダ!!地下には行きたくない!!……そうだ、そうだ旅人さん!私を殴って!!怪我をさせて!!そうすれば新しい事件の被害者になれる!!」
キノが何かを言おうとするとシンばあが人差し指を口元に立て、コイシの首根っこを引きずって廊下に連れ出した。
「私は被害者なの!!誤解なの!!」
けたたましい抵抗があったであろう騒音の後には、踏みにじられたチグリジアが花弁を散らして落ちていた。
「この花……」
「最後の最後で国民がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
出国の際に、倉庫長が見送りに来てくれていた。
「倉庫長、寂しくなるよ」
エルメスはすっかり倉庫長を贔屓にしていたようで、倉庫長もウインクをした。
「俺も、寂しいよ」
キノはそれよりも倉庫長がチグリジアの花を持っている事の方が気がかりだった。
「倉庫長、その花は国花ですか?」
倉庫長は花に目をやるとスッと目を伏せた。
「これはチグリジア。……国民の総意だよ」
キノとエルメスは出国し、門扉の前で手を振る倉庫長が豆粒になるまで走り続けた。
「キノ、総意ってなんだろうね」
キノは何も答えなかった。
―――
暫く経ってキノは立ち寄った新たな国の新聞記事を何気なく買ってエルメスに寄りかかりながら広げて読んだ。
『某国が再び陥没か!?対等の山が崩れ去り国民の半数以上が死亡!!』
目を引く記事に添付してある写真のビフォーアフターには見覚えのある瓦礫の山と、その瓦礫が国土を覆いかぶさるように崩壊している様子が鮮明に映っていた。
「今の国民たちは……おもてなし……なのかな」
エルメスは意味がわからないといった様子でため息をついた。
「おもてなし?トンチ?」
キノは新聞を畳んで水平にした後、ひっくり返して見せた。
「こういう事だよ」
エルメスは興味がなかったので適当に相槌を打った。
「成る程!それよりも次の予定を考えようよ」
キノは新聞を街のゴミ箱に捨て、エルメスを手押しして歩き始めた。
「そうだね、次は……」
無辜の国—A Blameless Country—
幕間劇
「どうしてコイシはキノを襲ったのかな、流石に犯罪でしょ?」
エルメスは懐いている倉庫長に手押されながら純粋な疑問を呈した。
「男性なら、ほとんどの男は花売りサービスを受け入れて新たな売春の加害者となって『新しい国民』になるし、拒否されても無理やり襲って抵抗された事実を何らかしらの理由……色をつけてコイシ自身の被害者としての罪状が軽くなるからね。どちらにしろ彼女はやるしか無かった」
倉庫長は前を見据えて教科書を読み聞かせる教員のように語って聞かせる。
「だから早朝を狙ったんだね」
キノは倉庫長の方を見たが、倉庫長は目を合わせなかった。
「俺たちみたいにパースエイダーを持っている男……おっと、君を男性と見なしているわけではなく概念の話。男が一番油断するのは夜ではなく出発の朝だからさ」
キノは倉庫長の腰に下がっているパースエイダーをチラリと見た。
「キノが女の子だったばかりに」
エルメスが不謹慎なことを言うので、キノは軽くキャリアを叩いた。
「君が女の子だと分かっていてもシンばあが居なかったら今頃君も『罪人』として『新しい国民』になっていたかもしれないね。俺はそのほうが良かったたりして」
キノは改めて倉庫長を見あげたが、目線は混じり合わないままだ。
「えーと」
エルメスは空気を読んだ。
「ごめんごめん、冗談だよ。また遊びに来てね……キノ、エルメス……待ってるから」
倉庫長はエルメスの車体をキノに委ねると目を細めて手を振った。
「バイバイ!倉庫長!」
エルメスは元気よく別れの挨拶をして、見送りを感謝した。
「……さようなら」
キノは最後まで合うことのなかった瞳の微かな光をただただ見つめた。
「さようなら、旅人さん」