歴史のタブー、「IF」。しかしそれは誰もが考える。考えてしまう。この物語は三国志のそんな「IF」で紡ぐ物語。しかしこれは実際にあったかもしれない物語でもあるかもしれない。


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お久しぶりです。

一応復帰作として書き上げてみました。生暖かい目で読んでいただけると嬉しいです。

*「小説家になろう」にてマルチ投稿中


もしもの世界『漢の復権』

後漢末期。それは中国有数の戦乱期であり、多くの人が天に召された暗い時代とも言える。しかし、しかしだ。そんな歴史において「もし」が存在したら…?この物語は三国志を知る誰もが考える「もし」の物語であり、誰にも知られない「外史」の物語…。

 

場所は変わり、街亭(がいてい)(現:甘粛省定西市)。そこは蜀の最北端、最前線の城であり、魏を攻める唯一の拠点であった。この地にて、蜀の魏に対する反撃が行われようとしていた。

 

またまた場所は変わり、益州のとある城にて、諸葛亮は一回目である北伐の有用性と戦略を蜀の将兵に説明していた。

 

「この北伐は、蜀の北にある街亭の防衛線を押し上げる為の作戦でもあり、国力を増やすための作戦でもある。貴方たちには絶対にこの戦いには勝っていただきたい。ここを負ければ蜀は防衛線を失うことになりますので」

 

諸葛亮が言うように北の街亭を失えば、魏による侵略を防ぐことが出来ない。これは、街亭が山を抜けるために作られた二本の道の内北側に存在するためである。ここさえ押さえておけば魏が南側のもう一方の道も使用する事が出来ず、山を越えられないからだ。

 

諸葛亮が言い終えた後、一人の男が歩み寄り宣誓するように言いあげる。

 

「はっ、お任せください!先帝の掲げた理想に近づくため、全身全霊で挑ませていただきます!」

 

高らかに言ったのは馬謖(ばしょく)であった。馬謖の言う先帝、劉備はこの時すでに亡く息子の劉禅が後を継いでいた。劉備は、生前に衰退した漢王朝の復興を強く望んでいた。しかし、その志半ばで病に倒れ後事を諸葛亮に任せたのだった。その際、諸葛亮に遺言のように残した言葉の一つにこんなものがある。

 

『いいか諸葛亮、馬謖は知恵が回るがとんでもない失敗をやらかす事がある。気を付けろよ』

 

この言葉を受け諸葛亮は馬謖という人材の運用を慎重に行っていた。そしていつものように忠告とも呼べる言葉を馬謖に投げかける。

 

「いいですか馬謖。街亭は山で戦略の定石は山に布陣する事ですが、山に布陣してはいけませんよ?」

 

「はっ。丞相、その理由をうかがってもよろしいですか?」

 

丞相、諸葛亮は授業をするようにその理由を説いていく。

まず一つに山に布陣するのは敵中の領地に布陣するときだけで、後ろを気にする必要のない今は山の麓で陣を構える事。

もう一つに山に布陣してしまえば、知恵の回るものであれば山の麓の水路を断ちに来る事。

 

これらの事を諸葛亮は理路整然と述べる。理由をしっかりと聞いた馬謖は満足げな顔をして後ろに下がり戦列に加わった。この場面より歴史は大きくねじ曲がる事になる。

 

 

時は少し進み、場所は街亭。魏攻略の為の最北端に馬謖はいた。攻略軍の指揮官である馬謖は軍全体に号令を飛ばしていた。

 

「山の麓に布陣せよ!水路を何としても死守するんだ!」

 

馬謖としては山頂に布陣したかった。なぜならそれは山であれば敵の動向を目で直接見ることが出来るからだ。しかし馬謖は諸葛亮の忠告を忠実に守り軍事行動を起こしていた。

 

「戦略にはいかなる時も定石が付きまとうが、今回ばかりは捨てねばなるまい」

 

こうして馬謖率いる蜀軍は魏を睨み街亭に布陣したのであった。

 

 

対して魏は蜀に攻め入る為の拠点が無く攻めあぐねていた。そんな折、曹叡(そうえい)の下に蜀が動き出したという情報が入った。

 

「ほう、蜀が動きたしたか」

 

魏の軍の者により蜀の動きが曹叡に伝えられた。この時、着々と三国の英雄の世代交代が進んでいた。曹叡は曹操を継いで二代目皇帝として魏を治めていた。

 

「張コウ、防衛の対応は任せる」

 

曹叡は傍にあった張コウに短く命じる。張コウは曹操の代から仕える武将と指揮官を兼ねた有能な人物であった。その為軍を動かせる権限を有していた。

 

「はっ!」

 

こうして蜀軍と魏軍は街亭に睨み合い、蜀の行く先を決める戦が始まる。

 

 

 

「やはり魏は展開が早い…。次の一手はどうするか」

 

静かに呻く馬謖は展開された魏軍を見ながら次の展開を探していた。馬謖は街亭に布陣した際に水路の守りは徹底させていたため守りに関しては強いが、攻めに関しては決め手に欠けていた。そこで馬謖は一つの答えにたどり着く。

 

「街亭は蜀にとって重要拠点。なら速戦でしくじるより持久戦で確実に行った方が良いかもしれない」

 

この答えに行きつき、馬謖は少しずつ魏に攻め入る事を決めた。歴史では既に布陣の時点で張コウに水路を断たれ北伐に失敗していたが、この外史では馬謖が諸葛亮の忠告を聞き入れ堅実に攻めていたため着実に北伐は成功に近づいていた。

 

 

 

「くっ、守りにくい…。このままでは押し切られてしまう…」

 

張コウは攻めてきた馬謖の粗探しをしていた。しかし、堅実を旨として攻めてきた馬謖には攻めるような弱点のようなものは存在しない。水路を攻めようにも厳重に守られ到底攻められるような場所ではなかった。そのため張コウは常に後手に回ってしまっていた。

 

 

 

そして街亭の攻防戦は蜀陣営の有利なまま進められることになる。馬謖は山に布陣せず、張コウは水路を攻めることができない、という状況が戦いの終盤まで覆させることが無かった。これは諸葛亮が馬謖という人材を慎重に扱ってきた成果であり、馬謖が忠告を聞き入れ指揮官を全うした結果によってもたらされているものでもあった。

 

 

こうして蜀は、街亭より先の北の土地を編入していった。そして蜀の土地が広くなり安定した頃には、劉禅は部下の意見をよく聞き入れ政務に励み国力を上げ、諸葛亮は残りの土地に関する仕事に励むようになった。そして劉禅は父である劉備の夢てある漢王朝の復興に着手する事になる。

 

 

歴史にIFはタブーとよく聞くが、もし蜀が北伐に成功し国を安定させることが出来ていたなら、蜀が漢王朝となり歴史書に語られる前漢と後漢という呼び名は変わっていたかもしれない。




やっぱ小説って見てるのが一番だね!

難しいです。小説は。でもやっぱり短編のが性に合ってます。

次回はいつか分かりませんが、また会いましょう!では!

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