簡雍酔夢   作:高島智明

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第22席 益州侵掠(その5)いざ成都

後漢帝国の人口は5000万前後だったと、これは「正史」に明記してある。

だがしかし、三国の人口は合計しても、ある学者の説によると500万そこそこだった。

その学者の説では其の原因はこう説明されている。

この人口を養っていたのは黄河や長江の灌漑(かんがい)農業だったからと。

 

皇帝の責任と強大な「リーダーシップ」の下で治水と灌漑が行われていれば、これだけの人口を此の時代の技術でも養いうる。

それが大河の恵み。

だがしかし、皇帝が放棄すれば「恵みの大河」は恐るべき暴竜へと変化し、この王朝から既に天命が去った事を思い知らせる。

まさしく、飢餓(きが)も大洪水も天災などでは無い。

天命を失った帝王による「人災」なのが中華帝国だった。

 

益州の主要部、四川盆地も例外では無い。

いや、むしろ「モデルケース」とすらいえる。

「四川」の名の通りに4方の山脈から流れ出る幾(いく)本もの流れが、この盆地のあちらこちらで長江に合流していた。

幽州や荊州の出身者には珍しい程の長雨の中で、何時しか不安を感じていた。

そして、その不安は当たりかけた。

劉備軍の駐屯している近くで堤防が悲鳴を上げ始めたのだ。

地元の狭霧たちは其れを見越して高目の土地を選んで劉備軍を駐屯させていた。

 

桃香や北郷一刀たちは迷わなかった。

劉備軍のほぼ全軍を挙げて堤防の補強工事を始めたのである。

 

その工事の最中、成都から使者が来た。

成都に居る益州軍も補強工事に参加させて欲しい。と。

「「これって、もしかして」」

桃香と一刀の声が揃った。

「ええ、認められたようです」

狭霧が答える。

(…て、誰かが報(しら)せた?)

一刀は、少しだけ疑ってみたが。

俺こと簡雍は、現在の成都の責任者である賈龍と、すっかり飲み友達に成っていた。

そして賈龍の本音を、酒の話に託(かこつ)けて聞き出すまでに成っていた。

当然ながら、桃香が何の為に益州に来たのか、も吹き込んでおいた。

何れにせよ、益州の支配者なら当然の責任。

それを果たそうとしていると認められた。

 

劉備玄徳が「蜀王」と成る、その時がついに来る………。

 

……。

 

…その時。

久し振りの晴天の下、もはや抵抗勢力も無く劉備軍は成都へ進軍する。

 

開け放たれた成都の城門を前に、益州刺史の補佐官だった賈龍が出迎えていた。

その賈龍が桃香の前に膝をつき、両の手のひらに錦(にしき)を広げ其の上に乗せた或るものを差し出す。

益州刺史の「印綬(いんじゅ)」―印章とそれを身に付けるためのひもを組み合わせて、皇帝から与えられる。

無論のこと、桃香は「益州州牧」の印綬を新たに与えられている。

すなわち、その新しい印綬のみが、これより有効である事を儀式によって示しているのだ。

 

その「印綬」を桃香が受け取った瞬間、劉備軍の全軍が1斉に歓声を上げた。

その時、劉備玄徳は「蜀の王」と成った。

その情報は、中華を駆け巡った。

 

トンデモない陰謀から身をかわすように、ひと先ず撤収中の曹操軍へも。

 

孫呉の復興を信じて、袁術陣営の「保護」下で好機を待ち続ける孫姉妹へも。

前任の州牧劉焉が、今だ滞在中の荊州の公安にも届いた。

いや、わざわざ知らせて来たのである。

その使者にたった胡蝶と俺は、ある人物を伴(ともな)って行った。

 

たとえ今は「メイド」でも、同じ「董」姓から1度は相国まで昇った相手に対しての礼は失しない、如何にも当代の儒学者らしい此の人物が董扶である。

劉焉に対し「西南に天子の気がある」と予言した占者はこの人物だ。

 

元々、この益州の名士出身である。

迷走を繰り返す皇宮に仕え続ける気が元々無く、故郷に「天子の気」などという「占」が出たのを幸い、帝都から逃げ帰ろうとしたのが真相だった。

 

それだけに、人望仁徳だけは余るほど在った。

トドメに光り輝く「天の御遣い」を連れている「劉」氏の“お姫様”に対面して、あっさりと自分の「占」が予言したのはこの方だ、と認めてしまった。

 

「前の牧は、私が説得して帝都に帰らせましょう。

ただ、私めに故郷で平穏に引退する事をお許し下さい」

 

賈龍も、全く同じ事を申し出た。

「これを最後の任務としてお与え下さい」

「でも…これからこの「蜀」にみんなが笑顔で暮らせる国を作って行きたい。

1人でも多くの人に手伝って欲しい」

「お言葉を信じたいと思います。だからこそ、お邪魔をしたくありません」

賈龍は権力になど、未練は無さそうだった………。

 

……。

 

…それから暫く後のこと。

ここは益州の州都、いや、もはや実質は「蜀王国」の王都かもしれない成都。

董扶とちがい、賈龍はあっさりお役御免とは、現実にはいかなかった。

政務の引き継ぎ、1州に相応しい規模の量になる書類を引き渡し、その内容を説明しておいて始めてその責任が終了するのである。

 

かくて、流浪の傭兵隊であった時には、想像もできなかった大量の書類に挑戦する事に成った。

もっとも実質的には、朱里や雛里、胡蝶たち、特に地元出身の狭霧たち、今はすっかり充実した文官たちが処理してくれたが………。

 

……。

 

…引き継ぎも無事に進み、賈龍は董扶ともども最後の任務に出発した。

 

更に、主君や文官も日常の政務に落ち着き軍の再編成もひと段落した。

この段階で、ある懸案事項が浮上した。

ある意味では公私混同かも知れないが、だがしかし、この「蜀」に国作りをするならその覚悟を示す事に成る。

 

つまり、幽州や荊州など益州以外の出身者たちがそれぞれの故郷にいる家族を引き取る事。

主君である桃香自身が楼桑村に母を残して来た。

無名の兵たちにも其々故郷に残してきた誰かがいる者も居る。

出来るだけそうした誰かがいる者は後に残してきたが。

それでも、故郷に誰かを残して此の「蜀」まで付いて来た者も居たのだ。

 

出発は流浪の傭兵隊だったが、ここに来て落ち着いて生活できる拠点を得た。

ならば、ここで家族とともに暮らす「家」を持つべきでは無いのか。

 

だがしかし、この懸案事項には「蜀」の外の事情が絡(から)んでいた。

ここ「蜀」は後漢も西南。

隣の荊州からならば兎も角(ともかく)ほぼ反対の東北の幽州から家族を呼ぶと成れば、その途中の各地方の情勢も考えなければ成らない。

例えば江東(長江下流)の治安状況とか。

 

なぜ江東かといえば、この時代の陸上交通と水運の地位に関係する。

長江は大河である。

東海岸沿いに南北に物流を運んでいる此の時代なら大型船が蜀の巴郡までそのまま遡(さかのぼ)れる。

ならば、その「大型船」で巴郡から幽州の最寄りの港まで往復してしまうのが、何かと面倒が無い。

増して、今のこの乱世に後漢13州の西南から東北までを往復するなら。

ただし、海賊とか妙なやつらが、水上にまでウロウロしていなければの話である。

 

「海賊なんか、ついでに退治してくるのだ」

と張り切ってみても、軍師たちから指摘された。

「残念ながら、鈴々ちゃんと愛紗さんには、治水工事の指揮で予定が詰まっています」

四「川」を守る軍なら、戦争の無い時には重要な任務である。間違い無い。

更に、愛紗と鈴々は劉備軍の武将の中でも最古参であり、何より桃香の「妹」であり、いわば「2枚看板」だけに、可能な限り速やかに蜀の兵にも民衆にも馴染(なじ)んで貰いたい。

その意味での共同作業でもある。

 

「ですから、護衛は当然付けますが、その指揮は桔梗さんにお願いします。

つまり、迎える蜀の側の代表でもあります」

「依存は無い。海賊相手になら、いくらでも豪天砲を使おうぞ。

じゃが、幽州で「顔」の通じていた者を連れていかんと、儂(わし)では先方が信用して付いて来てくれんかも知れんぞ。

なんせ、乱世じゃからのう」

 

「そのための証人は簡雍さんにお願いします」

ここで、俺が指名された。

どうせ俺自身、自分の家族を迎えに行く事に成っていた。

他にも、自分で自分の家族を迎えに行く者は、無名の兵まで含めて何10人かいた。

逆に桃香たちのような、責任ある立場の者が動けなかった。

その為に俺には手紙や伝言も託(たく)された。

さて話を戻して、長江の治安状態である。

かつての孫呉水軍が袁術陣営に横領されたとはいえ、解散した訳では無い。

袁術陣営とて、治安に関して手抜きしても支配する側の不利益だ、位は心得ているらしい。

少なくとも桔梗が護衛している限りは無事だろう。

 

後は、船を準備して迎えに行く事に成った………。

 

……。

 

…長江沿いの巴郡の港。益州水軍の軍港でもある。

桔梗が指揮し簡雍たちが乗り込んだ、堂々たる軍船が長江を下っていく。

 

見送る桃香が何処と無く未練が有り気に北郷一刀には見えた。

「桃香…」一刀は、部下たちに聞こえない様にして話しかけた。

「俺だけには弱音を見せても好いんじゃないか。

もう幽州へ帰らないという決心をするという事だったものな」

「これからは、この「蜀」が劉備玄徳の故郷です。

それにご主人様は「天の国」から落ちて来られて、只お1人」

「でも、桃香たちが居るさ。桃香にだって俺だけでは無く仲間たちが居るだろう」

「そうです。そして、これから「蜀」を本当に、故郷にして育っていく……私たちの子供…」

何故か桃色になる桃香。そして、何故か一刀まで……




ゲームならここで「拠点イベント」でしょうが『恋姫』なのに、なかなか“らぶらぶ”が無くて申し訳ありません。
それにしても「歴史」の暴走といいたい位「三国」のトップをきって「蜀」は建国されてしまいました。
ところで、後の「二国」はどう成っているでしょう。

『簡雍酔夢』という作品タイトルの割には簡雍が活躍しない、と御思いかも知れませんが、現在妄想中の最終席では、作品タイトルに相応しいラストに成る予定です。
どうか、それまで御付き合い下されば幸いです。
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