「今日も華琳様は、関羽を呼んだのか」
秋蘭の見る限り、姉の春蘭の態度は焼き餅にしか見えない。
しかし、無理も無いとも思う。最近の主君である華琳の態度たるや関羽べったりといって好い。
「おや、ボチボチでんな」
こういう時に限って、何故か愛紗の接待役みたいに成っていた霞(しあ)に出くわした。
「また、関羽の「お見送り」か」
「ちゃう。お礼参りの応対や。
関はんたら、華琳様から頂いた金銀財宝の類を、右から左に寄付してしまいよる。
おまけに華琳様の御名前で寄付するから怒れへん。
寄付されたもんの御礼が華琳様の方へ来てしまいまんねん」
「それで華琳様は」
「ニコニコしてはるわ。
ただし、関はんが手元に置く気になる贈り物を何か考えろと、命令されましたわ」
霞は微笑と苦笑をした………。
……。
…桃香や北郷一刀たちが許昌に滞在していた時に与えられていた邸宅。
現在、愛紗は此の邸の門番小屋で生活していた。1人暮らしである。
霞が訪問した時も、自分で応対した。その事を霞に指摘されると困惑するそぶりを見せた。
「華琳様は、関はんを邸も使用人も無しにする積もりも、そんな事で蜀の方から文句を付けられる積もりも有りまへん」
「だがしかし、主君持ちの身で、主君以外から身に余る待遇を受ける訳にも参りません。
ご無礼をお許し願いたい」
帰りかけた時、ふと、門番小屋に戻らず奥へ向かおうとしている事に気付いた。
「いや、これは…弁明する積もりではないが、厩(うまや)だけは使わせて頂いている」
「武将なら、当たり前でっしゃろ。馬の世話人くらい手配しまっせ」
「ご容赦を」
あくまで、武人の礼を保つ愛紗だった………。
……。
…その次に、華琳に呼び出された時。
帰りかけた時、華琳自身が馬場まで見送りに来た。
「あの馬に見覚えが無い?」
徐州の戦いの時、愛紗自身が取り押さえた馬だ。
何より手綱を引いて来たのは「メイド」姿の恋だった。
「あの馬に乗ってみたくは無いの?」
「あの「汗血」の名馬に、私がですか?」
先ず隣の華琳に聞き、それから馬を引いている恋に視線を移した。
「今の恋は“めいど”。もう「赤兎」と1緒に走れない。新しい友だちが「赤兎」にはまだ居ない」
「されば1度だけでも」
と言って、愛紗は赤兎馬に騎乗し何周か馬場を回った。
「気にいったのなら、そのまま乗って帰っても好いわよ。ただし、手放さない事が条件」
「真ですか」
「2言は無いわ」
「感謝致します。この「千里の名馬」ならば、成都まででもひと駆けで帰れるでしょう」
流石の華琳も憮然とした。
*
追いかけるように訪問した霞に対し「旧」劉備邸の門番小屋で応対した愛紗は明言した。
「私の信念で行動させて頂いている。
無礼は承知。
その無礼の御詫びの分と、これまでの御厚意のお礼の分は、必ず御返しする。
我が主君を敵としない限り存分に戦い、いわば「義理」を果たした上で、退散させて頂く積もりだ」
*
「申し訳ありまへん」
「完敗ね」
華琳はむしろ、何処か爽やかだった。
「ここまで見事だと、いよいよ手元に置いておきたいけど、無理ね。劉備には嫉妬するけれど」
そこへ、桂花が軍師としての報告を持って来た。
「袁紹軍が動き始めました。
ただ、なまじ4州もの広い領土から、兵を総動員するには時間がかかります。
その時間を稼ぐ為、自分の直属の精鋭を先ず出動させました」
「という事は、指揮は顔良か文醜ね。
何れにしろ、こっちが総動員数で負けている以上、最初から先手を取られるわけにはいかないわ。
その意味で悪い戦術では無いわね。
だから、そのまま実行させたくないわ」
華琳は「乱世の奸雄」曹操に戻った。
*
黄河は大河である。そして、この時代の水運の地位は高い。
だから、黄河の岸には幾つもの港が在る。
勿論、それぞれの港は黄河の北岸と南岸で向かい合い、渡渉点を兼ねている。
黄河南岸の港の1つ、白馬津。
袁紹(真名麗羽)の側近でもある文醜(真名猪々子)と顔良(真名斗詩)は、黄河を南へ渡渉し白馬津を占領していた。
先ずは、最初に先手を取れた。だがしかし、斗詩は憂鬱であり猪々子に疑問に思われていた。
憂鬱の原因は「船頭が多くして船が山に上がる」自陣営の体質である。
自分たちが、というより自分が居なくて、あの主君に常態化している大論戦を捌けるか?
斗詩の苦労は、あの七乃だけが同意するかも知れない。
*
曹魏軍は、白馬津を占領され早くも先手を取られたことを知った。
「ならば、先手を取り返すわ。霞。貴女の涼州騎兵の出番よ」
只、霞1人に顔良、文醜が2人掛かりになる場合が問題だった。
加勢といっても、涼州騎兵より速くなくては、足手纏いだ………。
……。
…電撃戦。対応されるより速く状況を展開させ続ける事で、主導権を取り続ける。
この場合、後年の「戦車」役となる速さと強さを兼ね備えた雄将が陣頭で突破口を開き、後方や側面は後続に任せて、ひたすら突破し続ける。
赤い汗を流す快速の名馬に乗った、美髪を翻(ひるがえ)す雄将が「青龍偃月刀」で切り開いて行く。
斗詩たちは無能な将では無いが戦況の展開が速く、後1歩だけ対応が後手に回り後手に回っている間に敵将が目前に迫った。
「蜀の「五虎大将」がうち1の大刀、関羽雲長…参る―っ」
対応するには「赤兎馬」が速過ぎ、応戦するには愛紗が強過ぎた。
偃月刀の1撃目はかろうじて受け止めた斗詩だが、ほとんど同時に「赤兎馬」の体当たりで馬ごと跳(は)ね飛ばされた。
「斗詩―っ」
猪々子が斗詩を助け上げ、取り敢えず後退しようとしたが、霞はむしろ微笑した。
「アホかいな。赤兎馬から逃げられる訳無いやろ。それも2人乗りで1人は目を回していて」
追い付かれるどころか追い抜かれ、正面に立ち塞(ふさ)がれた。
「カウンター」にすら成った1撃で、2人揃って馬から叩き落される。
せめての事は斗詩が目を覚ました事だけだろう。
互いの背中を援護しあう体勢で立ち向かうが相手が強い。
愛紗に勝てるのは恋ぐらいだろう。しかも、今は赤兎馬に乗っている。
猪々子と斗詩の2人掛かりでも、討ち取られないだけで精1杯だった。
その間に霞の率いる騎兵が追い付き、周囲を取り囲まれた。
*
出陣した軍を見送った後、袁紹勢力の拠点では盟主の前で軍議が続いていた。
仲国皇帝の夢破れて亡命して来て以来、麗羽は美羽を手元から離さない。
純粋に妹が可愛いのだろうが、斗詩とか、軍師の誰それとかにしてみれば、未だ油断は出来ない七乃辺りへの人質を意識していたのか。
どちらにせよ、今日の軍議でも上座では妹を膝に乗せていた。
そこへ、前線から急報が届いた。
「白馬津にて両軍衝突」
当然、軍議の場が色めき立つ。だがしかし、何故か伝令は続きを躊躇(ためら)った。
催促されて伝令は続ける。
「曹魏軍の中から、蜀の関羽が呂布の乗っていた馬に乗って現れました」
「有り得るだろうな。曹魏と蜀の連合軍が呂布軍を破ったのは、この前だ」
軍議の座の誰かが納得する様に言う。
「そして…あの関羽が、あれだけの名馬に乗れば、あれほど恐るべき者とは…」
「苦戦でもしたと言うんですの。斗詩さんと猪々子さんが揃っていて」
麗羽が思わず口を出した。
「それが…関羽が強過ぎ、その上に乗っている馬が速過ぎました」
遠まわしな言い方に、少しばかりいら立ち初めて
「はっきりと、おっしゃいまし」
「は!何とか、関羽めに討ち取られ無い様に持ち堪(こた)えていたのですが、そこへ張遼めの騎兵が追い付き…周囲を取り囲まれて…」
「はっきり!おっしゃい」
「捕虜に成られました」
「そんな?そんな―!」
膝の上の妹を抱く腕に、思わずギューッと力が入った。
「ね?姉さま、苦し―い!」
……何時もは黙殺されている軍議の場に、急に呼び出されてみれば、
「七乃。そなたに何か有ったらと思うと、姉さまの気持ちも分る。何か策は無いかの?」
「何か在りませんの?この際、綺麗(きれい)汚いは問いませんわ」
「捕えたのは関羽ですね」
「それがどうした」
袁紹派閥の誰かが茶々を入れた。
「関羽の主君は、あくまでも劉備です。そして、劉備に対してならば、有効な人質が居た筈です」
数瞬の間、七乃の言った意味を考えた末、誰かが反論した。
「馬鹿な事を。公孫賛1人で、顔良・文醜の2人と交換だと。
関羽は兎も角(ともかく)相手は曹操だぞ」
「私でしたら、交渉してみますが」
「貴様は本初様の臣下では無いだろうが!」
「私の御主君は、姉君様の御膝の上。裏切る心配は無用です」
…数瞬の間、沈黙…
「そ、そうですわ。公孫賛さんを連れてらっしゃい!」
*
袁紹軍から、捕虜交換の申し入れが来た。
「我が曹魏の同盟者でも無い公孫賛1人と、顔良、文醜の2人だと」
等と言う者も居たが、華琳は愛紗に微笑みかけた。
「捕まえて来たのは貴女よ。それに、貴女の主君には、助ける理由が在ったわね」
「もう1働きさせて下され。某(それがし)は其れで構いません」
曹魏側からは、白馬津から黄河の対岸への撤退を追加で要求する、と回答された。
*
白馬津の袁紹軍は、白馬に乗った1騎だけを残して撤収した。
「公孫太守。これ以上、巻き込まれない内に、ここを立ち去り、成都に向かいなされ」
愛紗はそう勧めた。
*
「好いのですか。袁紹の側近を生還させて」
「そうよ。麗羽が自分の真名を許している程の側近。
でも、他の将が捕虜になる度にこんな事は繰り返せないわね。結局は不公平な贔屓に成るわ。
元々、袁家陣営の弱点は、居過ぎる人材の間にむしろ不和の種がある事よ。
そこに用間の使い処が在るのよ」
案の定、中級指揮官の1人が投降して来た。
自分が捕虜に成っても、顔・文の様に救われるとは信じられない。
なぜなら、顔・文以外の捕虜は返って来なかったが、その中には自分の知人も居る。と言って。
しかも、袁紹軍の作戦を漏らした。
白馬津から撤収した袁紹軍は他の渡渉地点を求めて、やはり黄河南岸の港である延津を狙っている。
この証言は他の情報からも確認された。
かくて、延津から上陸した袁紹軍と、待ち構えた曹魏軍が正面衝突した………。
……。
…水際作戦では、待ち構えていた方が有利である。
20世紀の戦艦が艦砲射撃でもしない限り。
遂に、曹魏軍は撃退に成功した。
愛紗は赤兎馬を駆けさせ、延津の戦場を巡って戦った。
遂に袁紹軍を水際に追い落とすまで「青龍偃月刀」を振るい続けた………。
……。
…袁紹軍は黄河の渡渉に当面は失敗した。それでもその勢力は大きい。再戦は可能だった。
尤(もっと)も、華琳が恐れていたのは此のまま戦い続けられる方だったが。
何方にせよ、袁紹軍が体勢の立て直しに入った機会に曹魏軍も戦線の建て直しにかかった。
その為、華琳は取り敢えず許昌に戻ったが、再び黄河の前線へ戻ろうとする前に霞を呼び出した。
*
実は、俺こと簡雍が「天の御遣い」の『三国志』知識を誘導して、蜀軍が許昌を立ち去る時に置き土産を残していた。
その置き土産の曹操への書簡に曰く、
「俺が「天の国」で聞いた話だったら、関羽は劉備の処へ帰るために、関所5ケ所を破って守備の武将6人を斬っている。
それでも貴女は関羽を許したらしいけれど、どうなのか?」
読んだ華琳は内心で思った。
(許すかもね。それほど関羽は…恋しいわ。認めるわよ…だけど、武将は無駄死にね)
「俺は、そんな大惨事を回避したいだけだ。貴女の決断は貴女次第」
置手紙は、そう結ばれていた。
(「天の御遣い」……貴方は何を知っているの?)
華琳は微かに疑惑を抱(いだ)いた。
徐州の件で暴走しかけたことを止められた件といい、この置手紙といい「天の御遣い」とは何者なのだろう。
*
華琳は、霞に1通の書類を手渡した。
「通行手形よ。貴女から関羽に渡して置いて欲しいの」
「それは構(かま)へんけど。お聞きしても、ええですか」
仮にも華琳の名前で出される正式書類だ。
「春蘭なんかは、また関羽ばかりエコヒイキするとか面倒な事を言いそうだから、貴女に頼むの。それと、突然、関羽が消えるかも知れないから」
「消えるかも知れへんですか」
霞は焼餅の件は笑って信じたが、消失の方は半信半疑の様だ。
「関羽本人は、これで義理は果たしたとばかり、蜀へ帰る積もりかもね。
手形を持たせなかったら、行先の関所なんかで大惨事を起こしかねないわ」
「ありそうでんな。ほな、お預かりします」
霞が其の書状を届けて間も無く………。
……。
…許昌の「旧」劉備邸。
愛紗が生活していた「門番小屋」だけで無く、邸宅全体が整頓され清められている。
そして、厩から赤兎馬1頭のみが持ち出されていた。
見事なまでに「立つ鳥跡を濁さず」だった。
「けしからぬ。追って捕らえるべきです」
春蘭などはそう主張したが、華琳は許さなかった。
「やめなさい。このまま行かせた方が、この曹操の名は傷付かないわ。
それに、無駄よ。赤兎馬に追い付ける?それに、勝てると言い切れる?…
それから、それどころでも無いわ。袁紹軍との決戦は、これからじゃないの」
*
愛紗は駆け続けた。
千里を行く「汗血」の名馬。運命の流転の結果、今は自分の愛馬となった赤兎馬を駆けさせて。
予州潁川郡の許昌から西南へ、予州と荊州を駆け抜けて長江に至る。
その中原の大平原を只ひたすら駆け続ける。蜀へ。
やがて、陸路は長江にさえぎられた。その長江に沿って遡(さかのぼ)る様に道を変え、三峡の大渓谷沿いの山道を尚も駆け続け、やがて道が開ければ其処はもう蜀の四川盆地。
四川の名の所縁(ゆかり)と成った幾本の流れと山脈に囲まれた盆地が織り成す風景。
ここは愛紗が生まれ育った地では無いのに、何故か懐かしい。
いや、その理由は分かっている。ここには自分を待つ人たちが居る。
「私には帰れる処がある。こんな嬉しい事はない……帰ろう。赤兎。私と1緒に」
「蜀の犬は太陽に吠える」
他国人はそうからかう。そんな雲や霧までが何もかも今はみんな懐かしい。
「原典」『三国志演義』では、何処までも関羽が恰好好い筈です。
そうで無ければ、ひたすら我が力不足に他なりません。