簡雍酔夢   作:高島智明

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今回は「虎」に例えるべき“2人”の“ヒロイン”が活躍する筈です。


第44席 長坂双虎 赤壁へと続く道(その2)

荊州襄陽を通り過ぎて以来、何日目かの夜営。

「このままでは危険です」

竜鳳の軍師で無くとも理解出来る。

蜀軍は余りにも多数の難民を抱えた結果、退却離脱しようとする軍事行動からすれば、ノロノロとしか言いようのない速度にまで落ち込んでいた。

 

「だけど…」

と、言い淀む桃香から引き取る様に、愛紗が断言した。

「ここで民を見捨てて逃げる桃香様では無い。無いからこそ、主君に選んだのだ」

それは愛紗だけでは無い。

「そうです。ですが、このまま無策で曹魏軍の追撃を迎える訳にもいきません」

「ですから、水軍に迎えに来て貰いましょう」

 

蜀の水軍は、長江の中流にある荊州水軍の「基地」江陵で待機している。

現在の蜀軍は江陵を退却目標にしていた。

「夏口に居た孫呉軍は撤収した様です。

それなら、漢水を遡(さかのぼ)って水軍に迎えに来て貰えます」

「後は、水軍を動かす命令を急いで届けるだけです」

それならば、赤兎馬に乗っている愛紗が最も早い。

 

「だけど、夏口の呉軍は本当に撤収したのか?」

「それでは、私が夏口に行ってみましょう」

朱里の発言に同志たちが驚いた。

「大丈夫です。護衛に騎兵の1隊も付けて頂ければ。

それで危険なら、水軍に迎えに来て貰えなく成ります。

そちらの方が遥かに危険な事に成ります」

 

「雛里ちゃん。後、お願いね」

「あぅ…任せて」

愛紗と朱里は出発した。

 

「もう1つ在ります」

雛里が更に言い出した。

「最悪の場合を考えて置かなければ成りません。

その場合、ご主人様と桃香様か、あるいは阿斗様の何方かに生き残って頂かねば成りません」

 

「その通りだな」

北郷一刀は雛里の言いたい事を理解した。

「阿斗と「五虎竜鳳」が生き残っていれば、たとえ阿斗が赤ん坊であっても蜀王国は維持出来る」

(…「正史」の阿斗はほとんど孔明1人だったから支えきれなかったんだし「北斗」の7人が揃っていれば…)

 

「ですから、誰か1人は阿斗様を守ることに専念して欲しいのです」

(…そうなると、やっぱり…)

「正史」の“長坂”を知っている一刀は、やはり星を見てしまった。

その視線を、阿斗を抱いたまま桃香が追いかける。

その視線の先に、何時もの様にメンマを齧(かじ)る星が居た。

 

「承知いたしました。例え…」

「肝脳、地に塗(まみ)れても、なんてのは無しだ。それでは阿斗を守れなく成るだろう」

「星ちゃん。お願いします。でも、無理はしないで下さい」

華琳は、荊州側の降伏で襄陽を占領しただけでは、不充分だと見抜いていた。

江陵を「基地」とする荊州水軍を接収しなければ、結局は長江で進撃は止まる。

襄陽は追走して来た「第2師団」に任せ、再び快速の「第1師団」による「電撃戦」を続行した。

目標は江陵。

「本当に「正史」通りに近付いて来たな」

「我々も、適当な処で流言を流したりしましたからね。劉表の側近とか襄陽の城内とかに」

「その程度で此れだけ効果があるのだからな。確かに恐るべき自己修復だ」

「それに、劉表も上手く「病死」してくれましたしね」

北郷一刀に取っては「これから」起きる事を知っている事自体が、辛かった。

「長坂」が近付きつつあるにつれて、桃香の手を握り締める力が強くなっていた………。

 

……。

 

…多数の難民を連れている事のもう1つの不利は、軍本体は踏みこたえていても、先に難民が「パニック」に成ってしまう事でもある。

この時は、まさしく其れが起こった。

その「パニック」が軍までも巻き込んでしまい、蜀軍の精鋭の筈が総崩れに成ってしまった。

予想していた筈の最悪の事態に成ったのである………。

 

……。

 

…一刀は、桃香を連れて逃げるだけで精1杯だった。

ある意味では誰よりも此の事態を予知出来たにも関わらず。

 

「「みんな、生きている?」」

一刀と桃香の呼びかけに同志たちが答える。

「全然平気なのだ―」

「まだまだ戦えるぜ」

「お姉さまらしいよ」

「さあ、もう大丈夫よ。どうしたの?」

「ふぇ~ん。阿斗ちゃんがいないよー」

一刀、桃香、鈴々、翠、蒲公英、紫苑、璃々…確かに、阿斗と星の姿が無い。

星は阿斗を乗せた婦人用馬車の側を離れたりはしなかった。

夜も又、その車輪に寄りかかって休んでいた。

だがしかし「パニック」を起こした難民が津波のように押し寄せた時、切り伏せることも出来ないままに、車を巻き込まれてしまったのである。

「これでは本当に、魏軍が罪も無い難民を虐殺しているみたいなものじゃ無いの!

劉備たちは何処?!」

華琳の方も不本意だった。

「あぅ…星さんを信じましょう」

雛里は軍師の務めとして、主君たちを諫めていた。

「漢水を目指しましょう。愛紗さんと朱里ちゃんが、水軍で迎えに来ている筈です。ただし」

殿(しんがり)は必要だ。

「お任せなのだ―」

「へっへ。赤ん坊の産着にしちゃ、好いものを着せて貰っているじゃ無いか」

何処かで見たような3人組。

曹魏軍に追い散らされた難民が置き捨てていった荷物や荷車が散らばる中、微かに聞こえる泣き声に誘われる様に近付きつつあった。

 

「アニキ―。今の大将は、追い剥ぎとかがお嫌いですぜ」

「バーカ。考えてみろよ。

あんな好い産着を着せて貰っている赤ん坊なんて、きっと親が好い身分だぜ」

「ってことは」

「生かしたまま、大将の処へ持って行きゃあ、好い人質ってことよ」

「さぁすがぁ。あったま好いっすね」

「そうと決まったら、横取りされる前に………」

3人組を思わず絶句させ立ち止まらせる程の、凄まじい殺気が背中から襲い掛かって来た。

 

「寄るな」

「「「……」」」

「その御方(おかた)に近寄るなあ!」

「龍牙」の槍が1振り、2振りそして3振りされた。

 

「ふぎゃっ。ふぎゃっ」

「阿斗様…」

赤子の傍らに片膝をつき、

「ひぐっ」

「遅く成りました。申し訳御座いません」

あやす様に抱き上げる。

「きゃはっ」

「さあ、参りましょう。ご両親が御待ちですよ。ん…」

 

「と、冬蘭様。相手が悪過ぎます。あれは趙雲です」

「その趙雲が、あれほど大事そうに抱(かか)えている赤子を前にして後ろを見せられるか。

華琳様自らの御手から頂いた此の「青釭」の剣にかけて」

 

夏侯恩(真名冬蘭)本人は真剣である。

曹夏侯1族の若武者として期待され、初陣の餞(はまむけ)にと手渡された。

華琳自身が常に戦場に帯(お)びて行く其の剣と対の「青釭」の名剣を。

 

星の方は相手にする積もりも無い。

黙殺して白馬に騎乗したが、冬蘭の方が見逃さない。

追い縋って何騎かで取り囲もうとした。

何時もなら槍の1振りで追い払える処だが、今は片手に阿斗を抱いている。

 

長柄の武器は基本として両手で扱う。

更に馬上、両足だけで馬を操縦し全身のバランスを取って戦うと成れば、これはもはや雑技だ。

無論、何時もの星なら、その雑技も冬蘭等に引けは取らない。

だがしかし、片手では逆に得物の長さを持て余していた。

 

ならばと、あっさり星は愛用してきた「龍牙」の槍を諦めた。今は阿斗の方が大事だ。

投げ槍の構えに切り替えると、冬蘭の馬の足元を狙う。当然ながら棹(さお)立ちに成った。

その隙に片手を伸ばすと、冬蘭が背に斜めにしていた宝剣の柄を掴んで引き抜いた。

「役立たせて貰う。我が宝の為に」

言い終わる前に手綱を両断していた。当然ながら落馬した。

「このォ!曹夏侯1族の面汚し」

「姉者、止(や)めろ。冬蘭を絞め殺す積もりか」

積もりかも知れないと誰かが思った。

「生きて帰ったから報告も出来るわ。出来るだけ正確にして」

華琳は寛容だった。正直、相手が趙雲では剣の代わりに首を持って行かれている筈だった。

「趙雲は、その赤子が大事だったのね」

華琳は念を押す。

「おそらくあの子供ね。北斗に守らせようとしたとかの」

「では、やはり逃がしては」

「無用よ。あの趙雲が“乳虎”に成っているのよ」

 

古典的に中国では危険人物を例えて、

「あんなヤツに出会う位なら、乳飲み子を連れた母虎の方がマシだ」

等と言う。

 

「おまけに其の乳虎の爪が”あの”「青釭」では、無駄に兵士を死なせるだけよ」

「ですが」

「それより、その子供を連れて逃げていく先には、親が待っている筈よ。

全軍、追跡よ。追撃で無くね」

「行く手を遮(さえぎ)るな!」

ボキッ!

「命を捨てるな!」

ベキッ!

星が手に入れた名剣「青釭」は、雑兵どもの鉄刀等とは材質からして違う。

正面衝突すれば折れるのだ。

片手に阿斗を抱いている事すら忘れさせる程の星の早業で、そんな代物を振り回されては確かに近寄れない。

 

ひと際体格の好い兵士が自分の頭ほどの自然石を振りかぶり、頭上に落ちて来る「青釭」の剣を受け止めた。

流石にひと度、剣を引く。

その兵士はニヤリとして、その石を投げ付ける積りに成ったか「バックスイング」したが、その拍子(ひょうし)に“2つに割れて”手元を外れてしまった。

唖然(あぜん)とした兵士どもの頭上で「青釭」をひと振りする。

首を竦(すく)めさせておいて、その上を白馬が飛び越えた。

戦場となった平野から見れば蜀軍が逃げる方向の行く手を、ひと筋の流れが横切り只1本の木橋が架かっていた。

その木橋の真ん中に立ち塞がった鈴々は元気1杯に「蛇矛」を振り回していた。

「ここは通さないのだ―」

「ぶ…ぶろ…」

とうとう、白馬が疲れを見せ始めた。

「頼む。走ってくれ。阿斗様の為だ」

いっそ、追って来る敵の馬でも奪うか?そんな考えも星が思った時、

「お―い!」

元気1杯な戦友の声が聞こえて来た。

 

「あれは……好し、もうひと駆けで好い。頼む」

星は、愛馬を励ました………。

 

……。

 

…遂に、白馬が木橋に走り着いた。

「大丈夫なのか―?阿斗ちゃんはどうしたのだ―?」

「ここにおいでだ。この場は任せた」

「お任せなのだ―」

「今度は張飛か?!」

最悪な事に、木橋の幅より「蛇矛」の方が長い。

つまりは、その有効範囲を通らずには向こう岸へ渡渉出来ない。

たった今、蜀の「5虎大将」がどれほど猛虎か、思い知らされたばかりの兵士たちは突撃する勇気も無かった。

それどころか…

「どうした―鈴々が怖いのか―!!」

橋の中央から跨った豚の鼻息も荒く何歩か前進されると、その1歩ごとに魏軍の兵士たちは10歩以上後退する有様。

華琳ですら、持病の頭痛がぶり返す気分だった。

 

無論のこと魏軍とて、これを「1騎打ち」の好機と考える雄将は何人か居るのだが、華琳は命じた。

「“1騎打ち”の間に、劉備たちに逃げられるじゃ無いの。それこそ張飛の思うツボよ。

上流と下流に分かれて、新しい橋を架けなさい。張飛の居ない処にね」

 

兵士たちの大部分は明らかにホッとしていた。

真ん中の橋の上で今も元気1杯に叫んでいる鈴々を見ない様にして、架橋作業に取りかかった………。

 

……。

 

…ようやっと、架橋作業が終わって魏軍が渡渉し始めた時には、当然に鈴々の姿も消えていた。

だがしかし、兵士たちは明らかにホッとしていた。

 

それでも、追撃体勢を立て直して進軍を再開したのだが………。

 

……。

 

…再び前方に蜀軍、というより、ここまで蜀軍に付いて逃げて来た難民が見え始めた。

しかも、その向こうに漢水が流れており、その岸辺で止まっている様に見えた。

だがしかし、その岸辺に船団が帆を降ろし、難民たちを既に乗船させ始めていた。

愛紗と朱里が江陵から夏口を経由して回航してきた蜀の水軍が、やっと到着していた。

何故か、江陵で留守と水軍を預かっていた俺こと簡雍が、愛紗の到着していた時には出港準備を整えていた、その理由は俺本人しか知らなかったが。

「急げ」

「弱いものが先だ」

「荷物は済まんが人が乗ってからだ」

「敵軍が来る前に乗船を終えるぞ」

…ガヤガヤ…

という状態だった。

「逃げられたわね。結局は趙雲と張飛に好い格好をされただけ」

華琳はそれでも冷静だった。現在の本来の目的を忘れては居ない。

「江陵へ急ぐわよ」

その転進の結果………。

 

……。

 

…長江本流の北岸にある江陵は曹魏軍に占領された。

江陵を「基地」としていた荊州水軍も、総帥である蔡瑁・張允の降伏に従った。

漢水から長江の本流に入った蜀水軍は本流の南に通じる洞庭湖に入っていた。

洞庭湖の周辺の荊州南部は、既に蜀の勢力圏である。脱出には成功した。

この時点で、長江下流の孫呉軍も始動していた。

彼女たちとて、魏と蜀の荊州争奪戦を指を咥えて見物する積りなど在り得なかった。




「原典」『三国志演義』通りならば、何処までも趙雲と張飛の大活躍の筈なのですが、そうで無ければ、ひたすら作者の力不足に責任が在ります。
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