簡雍酔夢   作:高島智明

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第46席 苦肉之策 赤壁へのCount Down

長江の北岸に在る烏林。曹魏軍は着々と陣地を建設していた。

軍中に病兵が続出して此れ以上の進撃が困難に成っているとは、そのために労働力が不足しているとは、思えない程の強固な陣地だ。

流石は、官渡では「孫氏」よりも「墨子」の如く戦った華琳だけはある。

 

尤(もっと)も「孫氏の兵法」も「軍形篇」では、こうも言う。

勝機で無ければ守備。勝機ならば攻撃せよ。余裕が無ければ守備。余裕が在れば攻撃せよ。

名将は守備ならばまるで地底に隠れる様であり、攻撃ならば天上を動く様に動く。

水上に関しても手抜きは無い。ただし、華琳たち曹魏軍の主力には、水軍が此れまで無かった。

接収した荊州水軍を信任するしか無いのだが、成程、蔡瑁・張允たちは旧劉表軍閥の実力者だけあって水軍の指揮では有能だった。

 

ただし、水軍とか軍船を守備に利用した場合の常套(じょうとう)手段とはいえ、大型艦船を鉄の鎖で繋いで烏林の岸辺を封鎖した事が、実は災厄を招待するのだが……

これが『演義』だと、鳳統が「連環の計」で暗躍するのだが、やはり創作だった様だ。

「雛里にわざわざ、間者の真似をして貰うまでも無かったな」

北郷一刀は心中で思った。

 

なまじ大軍だと、しかも降伏させたばかりの軍が混じっていると、隠しきれない情報も在る。

曹魏軍が烏林で停止している事、そしてその原因は、呉蜀連合軍に結局はつきとめられた。

しかし「真相」がこんなものだったとは。

確かに、予防注射やらワクチンやらを子供のころから接種させられて育っていては、却って気付かなかっただろう。

 

「”この”世界に華佗先生が居て、こうなのかな?」

勿論「五斗米道」の華佗とて、何処までも時代を超えられる訳でも無い。

如何に華佗が「神医」と呼ばれていても、近代細菌学の知識まで持っているとは限らなかった。

ほぼ、蔡・張の水上陣地が出来上がった頃、朝霧に紛れて接近する小規模な船団が在った。

偵察や遊撃、大型艦船の護衛等に多用される快速船、後年いうところの駆逐艦か、が20隻ほど。

 

まさか、孫呉水軍の総帥が自ら敵状を自分の目で確かめに来るとまでは見抜けなかっただろうが、防御にはぬかりも油断も無かった。

20隻の「駆逐艦」はまるで海栗(うに)の様に成るまで矢を浴びせられた。

無論、冥琳とて、水上陣地の防御力を舐めて等していたら、そもそも偵察にもやって来ない。

20隻それぞれの両舷側には、ワラ人形をズラリと並べて乗せて来た。

そうして置いて矢を受け止めたが、その人形も20隻の「駆逐艦」全体も海栗に成っていた………。

 

……。

 

…晴れかかる朝霧に逃げ込む様にして、冥琳の小船団は南岸に戻った。

「使い物に成りそうな矢だけでも、10万本は進呈して貰った」

などと冗句を飛ばしながら冥琳は帰還して来たが、だがしかし、心中には決意するものが在った。

 

その冥琳を密かに訪問するものが居た。

孫呉の先々代である孫堅(真名炎蓮)以来の譜代の宿将の黄蓋(真名祭)である。

 

「冥琳どの。心中で決心している事があるであろう。儂(わし)では、打ち明けられんか?」

「祭どの程の宿将ならお分かりであろう。あの敵陣には1つの手しか無い」

 

火砲が発明されて居ないこの時代、戦艦の艦砲射撃で敵艦を撃沈する、という形式の艦隊決戦などは存在しない。

したがって、冥琳や祭も思い付きもしない。

 

この時代の水上戦といえば、敵船に乗り込んで斬り合い占領する。

あるいは船そのもので体当たりする。その何方かだ。

何方にせよ、接近する事が前提であり、接近する前に海栗では水戦自体が成立しない。

 

「火攻めしか無い」

幸い、この時代なら当然だが木造船であり、しかもそれならば、わざわざ密集するだけでは無く、互いに逃げられない様にしてくれている。

「だが、それでもある程度は、敵を欺(あざむ)いて近付かなければ成功しない。

騙す相手があの曹操だからな。何か策は無いか。それを思っていた」

 

「では、何故皆に、特に軍師である穏や亞莎に相談しない?」

「実は1つ策は在るのだが、余りに汚い手なのだ。誰なら泥を被って貰えるか……」

「ならば何故、儂には“ここ”まで打ち明けた?」

むしろ、慈母のような微笑だった………。

 

……。

 

…その夜、孫呉軍および来援した蜀軍も招待して、軍議が開催された。

だがしかし、冥琳の偵察した結果が報告され、従来の水戦の攻撃法が成立しないと言われて座がざわめき始めた。

 

「話が違うであろう。蓮華様の御前では、いったい何を大言した」

祭が冥琳に噛み付き、冥琳も反論した。

「違わん。必ず敵は撃滅する。ただし、いささか策が必要に成った。それ故(ゆえ)の軍議だ」

「何を今更。

これではまるで雷火どのの方に理があった様では無いか。

お主は主君を謀(はばか)ったのか」

「聞き逃せん。祭どのこそお分かりであろう。今の発言が軍規に抵触する事を」

「ほう、軍規を盾に相手の口を封じるか?偉く成ったものだな」

「今は私が蓮華様からこの軍を預かっているのだ。それゆえの軍規では無いか。

撤回なされないなら…穏。亞莎」

「ふぁい」

「は…はっ」

「この場合、軍規ではどう成っている」

ガチガチに適用すれば、晒(さら)し首である。

けれども、どう見ても、只の、いや、下らないケンカでしかない。

孫呉軍の同席者たちは、もはや軍議より仲裁に必死に成った。

ところが、当事者同士が聞く耳を持たない。

「斬れるものならやってみろ」

の態度の祭も祭なら、あくまで総帥の権威を振り回す冥琳も冥琳だった。

 

「好いだろう。晒し首は許してやる。

だがしかし、ここまできては兵士どもに示しがつかん。

鞭撃ち200の判決を下す」

 

本営の近くの兵士を集合させて演説を行うための広場に、少し離して2本の柱というか杭(くい)が立てられ、その中間に両手両足を広げるようにして祭が拘束された。

その衣装が破り捨てられる。

そして、躊躇う係の兵士に癇癪(かんしゃく)でも起こしたか、冥琳が鞭を取り上げて自分で祭の背中に回った。

(以下自粛。「残酷な描写」タグをクリックした作品になる危険性が在ります)

冥琳は容赦無く打ち据えた………。

 

……。

 

…そして、終わった。

「…199…200…ふぅっ……これで1昼夜、軍規の通りに晒(さら)す。

手当ても休息も其の後だ。これが軍規だ」

この間、蜀軍の面々はどうしていたか?

先ず、愛紗が憤慨して冥琳に抗議しようとしたが、先ず一刀が、続いて桃香、更には朱里と雛里が加勢して、結局は説得されてしまった。

だがしかし、もう軍議にも成らないという事で、自軍へ引き揚げてしまった………。

 

……。

 

…引き揚げた先の蜀軍本営。

「いったい、何をお考えか」

今度は、一刀たちに憤慨する愛紗だったが、

「はわわ…もう大丈夫ですよね」

「何が大丈夫なのだ」

「あう…呉のみなさんに、私たちのしゃべっている事が、聞かれないという意味です」

「桃香様は、何かにお気付きでしたか?」

「私はご主人様に加勢しただけなの。

でも、ご主人様は何かを決心していた事だけは分かったけど」

「俺は確かにある事を知っている。

ただし、それはこの戦の勝利。いや、それだけでなく「三国」の運命にかかわる秘密なんだ。

決して、大げさでも勿体(もったい)をつけている訳でもないよ」

深夜、冥琳はある1人だけと密談した。

「明命。

私は呉の為、蓮華様の為に、その御主君や戦友までも今回は騙さなければ為らない。

それでも、この策を成功させねば祭どのの忠誠を其れこそ無駄にする。

その為には、私は、祭どのと此のまま憎み合っている事にしなければ成らない。

直接に連絡を取って策を進めることが出来ないだけで無く、明命が両方に出入りしている事も隠さねば為らない。

困難な役目だが他に頼めるものが居ない」

 

明命の「忍者もどき」の活躍ないしは暗躍の開始である………。

 

……。

 

…この騒動は孫呉内部に動揺を齎(もたら)し、元々、曹魏側と既に連絡を取っていた降伏派の誰かが祭に接近するとともに、この「内情」を曹魏側に通報する結果を齎した。

あれほど「人を致して人に致され」無かった華琳と側近たちがこの「苦肉の策」にかかったのは、それほど、曹魏軍の「病状」が深刻だったのか。

それとも「戦わずして…善の善」の好機と思ったか。

何れにせよ、具体的な「脱出方法」の打ち合わせに入ってしまい、祭の回復を追いかける様に具体化されていった。

祭は曹魏軍との打ち合わせ通りに「脱出」の準備を整えた。

実は、冥琳と明命を通じての打ち合わせ通りの準備を整えた。

 

この段階になって初めて、冥琳は孫呉軍に「真相」を明かした。

具体的な出撃命令とともに。

 

正確には、作戦計画を立案し具体化して準備を整える軍師の穏や亞莎には、その時間だけ前に打ち明けた。

その他の、実際に出撃する武将には穏や亞莎の立てた作戦と同時だった。

もはや、出撃直前である。

「済まない。けれども、これで曹操も気が付く時間が無い筈だ」

 

「蜀軍にも通報」

そう、冥琳からは此の時に通報された。

“戦後”の荊州占領について、出し抜く積もりも確かに在ったが、だがしかし、この時、蜀軍も同時に軍議を開いていた。

長江の北岸、烏林。荊州水軍の守る岸辺から陸地に入った曹魏軍の本営。

その本営の中央に聳(そび)える楼閣上に華琳の姿が在った。

 

天才詩人でもある彼女は歌っていた。

後年「魏武」の代表作とされる「短歌行」と題する即興詩である。

華琳は歌う。その姿は「人間50年」を舞う織田信長を連想するかも知れない。

華琳は歌う。酒盃を手に高ぶる感情を。己(おのれ)の覇道を。

そう、彼女の最大の「叙事詩」は「クライマックス」へ向けてのCount Downを続けていた。

呉軍の出撃に合わせて蜀軍も軍議を持った。

その席上、北郷一刀は「天の御遣い」だけが知る事の出来る「決断」を迫られていた。

この時「歴史」が動こうとしていた。




近付いてくる「赤壁」ですが、それを前にして”ある”「決断」が為されます。

『簡雍酔夢』という作品タイトルの割には簡雍が活躍しない、と御思いかも知れませんが「赤壁」以降に、むしろ其の役割が出来て来ると思います。
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