お悔やみを言うべき時にまで「好々」で、流石に奥さんに叱られると「好々」と褒めたと伝えられます。
もしかしたら、これが乱世の知識人の生き方だったのでしょうか。
洛陽「北宮」
北郷一刀は「聖フランチェスカ学園」を思い出していた。
何せ、男女比がほぼ1クラス分などというのだから、何処の「美少女ゲーム」の「ハーレム設定」だと、ツッコまれる様な学園だった。
そして、目前に在るのは其の「乙女の園」を思い出す光景だった。
「旧」蜀から、桃香、愛紗、鈴々、朱里、雛里、星、紫苑、翠、蒲公英、桔梗、焔耶、璃々……
「旧」魏から、華琳、春蘭、秋蘭、桂花、季衣、流琉、稟、風、凪、真桜、沙和、霞……
「旧」呉から、雪蓮、蓮華、小蓮、冥琳、穏、思春、亞莎、明命……
その他にも、月、詠、恋、音々音、猫、麗羽、美羽、猪々子、斗詩、七乃、白蓮……。
この時点で、このうちのどれだけが「御手付き」だったかは、後世から結果を見ればヤボとすら言えた。
この「北宮」は「後宮」としての、本来の機能を取り戻したかの様だった。
ただし「まだ」形式上は「正式」の後宮では無い。
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洛陽全体の城壁の更に内側で“2つ”の「内城」の外側を包み込む様に廻らされ、その城壁の間に都市が広がる。
それが、漢帝国の「帝都」の基本形だった。
主に「後宮」としての機能を受け持つ「北宮」と、それ以外の「官邸」と「公邸」の機能を持つ「南宮」である。
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そして現在「南宮」もまた、無人では無かった。“公式”の住人である皇帝が帰還していた………。
……。
…江東から洛陽への「帰路」は「往路」みたいな“お忍び”はもはや不要であり、堂々の凱旋行軍だった。
そして、その途上「当時」は皇帝の所在地だった許昌に立ち寄り、皇帝に報告した。
劉備玄徳。曹操孟徳。孫策伯符。
「三国」の英雄たちが揃って、少女である皇帝(真名白湯(ぱいたん))の御前に進み出た。
そして、言明したのである。
「本来」の帝都である洛陽から此の許昌へ陛下をお移し頂いていたのは、洛陽を帝都として成立させていた天下太平が失われていたからです。
しかし、今回の江東の戦によって乱世は終わろうとしています。
その通りだった。
所詮、許昌は予州潁川郡の地方軍閥の拠点に過ぎない。
その地方軍閥が皇帝を「保護」していたのも、乱世が為の「緊急処置」だったのだ。
だがしかし、天下はほぼ統一されたのである。
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こうして、洛陽への「凱旋」は「帝都」に帰還する皇帝の「お供」をするという形式に成った。
「帝都」警備責任者の焔耶などは、許昌と洛陽「北宮」の間で桃香から引き離されずに、この注目される職務を続けられる、と素直に喜んでいたが………。
……。
…皇帝は「帝都」の「南宮」に入った。
確かに「自分の」後宮を持たない少女である皇帝だから、当面は「北宮」は必要ないかも知れないが。
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洛陽は、帝都としての繁栄を取り戻しつつある様に見えた。
その賑わう市内で、一刀は「制服デート」を楽しんでいた。
と、言っても、一刀が着ているのは光り輝く「オリジナル」の制服で無い。
“ぽりえすてる”の無いこの時代では、代えの無い貴重品に成ってしまった為「天の御遣い」として、例えば兵士に演説する時とか以外は、この時代の布地でつくった「レプリカ」を着ている。
光り輝いていない「レプリカ」にしろ「正体」がバレるかも知れない格好で出かけてきた理由は、隣りの桃香だ。
一刀の「レプリカ」と同じ布地で作った、フランチェスカの女子用制服らしきものを、桃香は着ていた。
細かい事に、リボンの色とかが一刀の同級生のものだったりする。
「天の国」に居た頃、人並みに憧れていて、遂に出来なかった事である。
そして、それを他の誰でもなく桃香にする辺り、一刀の根幹では変わっていない処も在った。
1個の肉まんを半分に割って買い食いしている処などは、ここが「天の国」と錯覚しそうな光景に違いなかった。
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荊州襄陽城。
「赤壁」直前の1時の混乱も過ぎ去り、城内も城外も「水鏡女学院」も変わらず平和だった。
「好々ね。好くやったわ」
水鏡先生は、愛弟子たちが誇らしかった。
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一刀と桃香の「制服デート」が、華琳と雪蓮にバレてしまった。
華琳の『九蒕春酒法』の実験を一刀は手伝わされ、今度は桃香が河豚に成った。
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長城。
馬商人である張世平・蘇双は、馬の買い付けにやって来ていた。
どうやら、自分の「投資」は成功した様だ。
幽州州牧が帝都の「北宮」に行ってしまっても、長城の向こう側が妙な気配も見せないのだから。
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雪蓮に泳ぎに誘われた。それは好いだろう。いかにも長江育ちらしい。
それに、帝都の城外に出るまでも無い。
流石に「北宮」には“プール”の役に立つ様な人工池ぐらい在る。
けれども、雪蓮の泳ぐ姿は、どう見ても「ビキニ」に見えるのだが?
(…いったい全体、誰が関わっているんだ?…)
更には、この件で又華琳から問い詰められた。
そのオチが「スクール水着」だったりした。
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益州永昌郡。南蛮との国境の郡である。
「しょんなところはしゃむいのにゃ」
南蛮王である美以の返答はこうだった。
帝都の皇帝から南蛮王の「金印」を受け取る様、益州を預かる狭霧たちが勧めていたのだが。
尤(もっと)も、見た目とか、しゃべり方とか、蛮王らしい振る舞いとかの割には漢人の考える事をお見通しらしいから、疑えば”どの”皇帝から「金印」を貰うべきか、まで考えていた?かも知れなかった。
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「正史」や『演義』では、孔明が来るまでは糜竺、孫乾、簡擁が劉備陣営における、文官トリオだった。
俺こと簡雍そして雷々と美花は地方を巡察していた。
問題は無いとは言い切れないが、あれだけ急激に「三国」が接収されれば、この程度は当然だろう。
むしろ、急速に安定化に向いつつあるといえた。
ひと目見れば呆れる様な、帝都の「北宮」という解決法はどうやら正解だったらしい。
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「北宮」でも、まさか「制服デート」とか「酒造」とか「プール」とかばかりをしているわけでない。
むしろ、政務の合間にやっている。当然だ。
幸いにして、文官にしても治安面を任せる武官にしても「三国」から動員すれば人手に事欠かない。
だから、合間が作れるのである。
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本来、最高権力者の「官邸」は「南宮」である。
その機能が「北宮」に移っていた事が、最終的にはこの乱世を招いたとも言える。
そして、見方によれば、それ以上に現状は不自然かも知れない。
その「不自然」を解決する方法は在る。だがしかし、それは形式上の大問題でもあった。
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何れにせよ、形式上であれ、本来の「官邸」は「南宮」である以上は公式の「国事行為」は「南宮」で行われるし、ようやっと機能を取り戻しつつある帝都の「官僚システム」を稼動させる為にも「南宮」には、いわば「皇帝官房」というべきものが置かれる。
その「官房長官」の人事が微妙だった。
流石に「旧」蜀だけでは、これ以上は人手不足だった。
だが「旧」魏や「旧」呉で、なまじ「名前」が知られている人物だと、未だ妙な誤解をされるかも知れなかった。
その意味では、微妙な時期だった。
「だから、そういう意味で、下手に名前が知られてはいないけど、実績とか経験は、今から積めば期待出来そうな誰か」
について「参考意見」を、華琳にも求めてみたのだが。
推薦された人名は、一刀に思わず「正史」の知識を思い出させるものだった。
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まるで「“黄巾の乱”も無かった様に」“只の”「アイドル」に戻っていた『数え役萬☆しすたぁず』の「舞台裏」に、「怪人物」が出現していた。
「「「南華老師?!」」」
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「まさか、ここでこの名前が出るとは」
司馬懿仲達
「三国志」を終わらせる人物だった。
『演義』は「死せる孔明、生ける仲達を走らせる」で実質上は終わり「正史」の三国時代は、司馬氏の息子や孫たちが、蜀を侵掠し、魏を簒奪し、そして呉を侵掠して終わった。
「この“三国志”も終わろうとしているんだろうか」
もはや『三国志演義』では無く『恋姫』ファンストーリーに成り切ってしまいましたが、何とか“第3部”の「完」あるいは「起承転結」の「転」までは、辿り着くことが出来た様です。