「馬幼常。巡察の勅命を受け、益州刺史を成都に訪問させて頂きました」
こんな会話をしているのが、見た目は美少女2人。
後漢末から次の王朝までは、そんな時代だった。
「それにしても「天の国」では、1生の内で只1人に恋する事が幸福か。
まさにそうじゃったのう。こうして共に落ちて参るとは」
「霧花様」
ニコッと笑いながら返した。
例え何処かで聞いていた場合でも、本人自らが名乗る前に「真名」を呼べば、まして腰に剣を付けた武人相手なら剣を抜かれかねない。
あえて、そういう無礼に及んだ機知は、幸いにして相手に通じた。
「ざれ事じゃよ。馬幼常どの」
まあ、この程度の冗句ぐらいは言われるだろう。
今回の私こと馬謖(真名希望(のぞみ))が、今回巡察の為に中華の各地を回っているのは「産休」の影響に他ならなかった。
実際「三国」の王を筆頭に文官・武将の“トップ”集団の内、大半が「産休」の上、最高責任者の筈の「皇帝」までが実質「育児休暇」状態とあっては「産休」に成りたくても成れない”あの”人、簡雍(真名絆(きずな))や司馬仲達の「惨状」たるや、大惨事の手前には成っていただろう。
私の本来の官職は、皇帝である「天の御遣い」の傍仕えである絆の補佐官なのだが、その皇帝から、
「御免。絆と引き離すみたいだけど、本当に人手不足なんだ」
と頭を下げられて送り出されていた。
”あの”泰山決戦から、早くも数年。
帝国のトップたちの大半が「産休」でも、天下は既に太平だった。
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俺こと簡雍(真名絆)は帝都で忙殺されつつ、それでも何人かの酒の相手もしていた。
その中の年長者の1人から、どうも厄介に成りそうな話を持ち掛けられた。
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19世紀のヨーロッパに、こんな人物が居た。
皇帝の息子である。
兄は皇帝を継いだ。
弟も他の国で皇帝に迎えられた。
兄の後を継いで皇帝に成ったのは自分の息子だった。
だがしかし、彼自身は只の貴族だった。
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夏侯翁(夏侯家の老人)と「後年」の「講釈」「演義」では呼ばれる事が多い「この」人物の場合はどうだろう。
母親は『恋姫』の時代の先駆けと言って良い大いなる”女官”の曹騰である。
故郷の名家である夏侯家から婿に取られた父親との間に生まれた。
曹家を継いだ姉は、当時は臣下の最高位とされた3公まで兎に角(とにかく)出世している。
その姉の娘こそ”あの”曹操だった。
片や、弟の夏侯翁は父親の実家の夏侯家を継いだが、その娘の夏侯惇・夏侯淵は曹操陣営でも譜代の宿将として有名である。
それで夏侯翁本人だが、どうやら故郷沛国の豪族である曹夏侯1族の保守に専念しており、しかもその沛国からも戦乱に追い立てられて、曹操が急派した救出部隊に助けられる有様だった。
だがしかし、乱世は思いもかけない程急速に収束された。
「現在」姪の曹操(真名華琳)は、天下こそ取り損なったものの「三国」の1つ魏王であり、数多ある皇帝の妃の中でも筆頭3人の内の1人である。
何より、魏王をふくめた「三国」の王が「後宮」入りするという形で、乱世は収束されている。
その「後宮」には、夏侯翁の娘の夏侯惇(真名春蘭)夏侯淵(真名秋蘭)姉妹も入っていた。
あれだけ外戚が跋扈した後漢に取って代わった王朝で、これほどの「コネ」の持ち主がVIPでない筈も無い。
「現在」の夏侯翁当人の立場は、曹夏侯1族の年長者ないしは長老といった処が妥当だった。
その立ち位置から、あれこれと近付いて来る者が居たが、その中に俺こと簡雍と年齢差を越えた飲み仲間に成っていることに注目する者も居た。
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実の処、俺は皇帝個人の相談相手という地位を占めている。
すでに「数多」の後宮に娘を入れ損なった地方の名家にしてみれば、格好の婿候補だろう。
当然ながら、俺には迷惑でしかなかった。
俺には希望が居る。
それに1夫1妻の「天の国」で生涯を共にした伴侶だった。
俺の妻は、希望1人しか要らない。
だがしかし、古代中国は地主階級以上は1夫多妻である。
希望の存在は、障害として重要視されていなかった。
馬謖という「第1夫人」が居ても、第2とか第3とかは狙える。
後継ぎでも先に産んでしまえば、勝ち。
そんな思惑を持った”やつら”がウザッたいことを仕掛けてくる、という未来までは、俺も予想していなかった。
その上「天の国」は1夫1妻、と主張しても説得力が無かった。
肝腎の「天の御遣い」が”あの”有様なのだから。