『三国志』に名高い「5虎大将軍」の1人、黄忠の子である黄叙についての「正史」の記述は簡単である。
「若くして黄忠より先立ち、他の子も無かった為に家系は断絶した」
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この”史実”の知識がある「天の御遣い」は、璃々に何かある度に華佗とかを呼び付けたものだったが……
「好い加減にした方が好いんじゃ無いのか」
とうとう、そんな事を言われ出した。
「そもそも「天の御遣い」が「天の国」で知っていたとか言う通りだったら、とっくに死んでいる筈の誰とか、彼とかが大手を振って生きているそうじゃ無いか」
「だけど華佗…それは、乱世の為で、言わば“殺された”人物たちだ」
「そうかもな」
「俺が「天の御遣い」として、その歴史を改変したから生きていると言う事も。
俺の思い上がりかも知れんが」
「黄叙が夭折したのも、その乱世の中だろう。
「天のお告げ」通りだったら、中国全土の戸籍人口が5000万から500万になる様な」
「それはそうだけど」
「その4500万の1人だったんじゃないか。黄叙も。
別に病死したとも「天の国」聞いたことには無かったんだろう」
「全く不明だな」
「あの子は健康だよ。むしろ、これ以上に過保護に育てたら、それこそ、ひ弱に育ちかねない」
ここまで華佗に断言されて、ようやっと過保護な父親代わりは納得した様だった………。
……。
…後年、といっても明治以前の日本でなら「元服」と言われただろう儀式が行われている。
真名、つまりは幼い日の間は1つだけだった名は璃々、今日よりは黄叙。
「正史」には不詳だった字もしっかり名付けられた。
名付けたのは「天の御遣い」
生母の後宮入りに伴って皇帝の義子と成っており、また主君でもある。
他の「名付け」など存在しないだろう。
しっかりと健康に成長した「黄叙」は、帝都警備の武官職に、意気揚々と就任した。
軽い官職では無い。
実際、成人した黄叙に与えられた官職は「執金吾」だった。
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後に後漢王朝の初代皇帝に成る青年が、まだ無名の地方豪族の子弟だった頃、こう公言して憧(あこが)れていたと伝えられる。
「仕官するなら執金吾。妻を娶らば(彼の初恋の人で後の第2代皇帝の母)」
この「執金吾」とは其れ程華やかな官職でもあり、大げさに言えば王朝の威信を示す官職でもあった。
帝都の巡察・警備を司る官であり、その「パトロール」はそのまま、帝国の威信を示す「パレード」でもあった。
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その執金吾の「パトロール」が都の大路を「パレード」して行く、その執金吾が黄叙であること自体、彼女が皇帝でもある「天の御遣い」を父親として育てられた「娘」である事を、そのまま見せていた。