後漢王朝、4代の皇帝と後宮の后妃たちに仕えた曹騰は、遂に「後宮長官」とも言うべき「大長秋」にまで昇進した。
その曹騰が仕えた歴代の皇后の中には「贈り物は紙と墨に限る」と公言して、賢夫人と讃えられた人も居た。
やはり宦官で、皇宮内の「備品工場」の監督職だった蔡倫が紙を発明した、と伝えられる頃である。
さて、帝都「北宮」が「天の御遣い」の後宮として実質を伴う様になると、当然ながら大長秋以下の仕える側の組織や、その組織の為の人材も必要になる。
とは言え10常時とかの記憶も新しい「天の御遣い」たちは其れなりに頭を悩ました。
先ず「天の国」には居なかったから、と言う理由で宦官は無用とされた。
更に、曹騰(”この”外史では華彬の祖母で真名華恋)の1時的ながら大長秋への復帰が要請された。
華恋が同郷の夏侯家から迎えた婿との間の長女の子が曹操(真名華琳)であり、夏侯家を継いだ、後世では夏侯翁(夏侯家の長老)と呼ばれる次子の子が春秋姉妹だった。
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そんなひと頃のある時、ふとした雑談のついでに「天の御遣い」は華恋に訊(たず)ねてみた。
蔡倫についての思い出話である。
「ああ。それからだけど。もう1つ、お願い出来ないかな。
朱里や真桜も、この話を喜ぶと思うよ」
当然(?)蔡倫が就(つ)いていた職の現職は真桜だった。
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後宮の運営で不可欠な事項の1つが、寵愛の当番を割り振る事だ。真面目な話で。
まして「天の御遣い」の後宮は、毎晩の寵愛が2人組とか3人組に成るのが普通だった。
そうなると「後宮長官」とも言うべき大長秋が「第2妃」や他に複数の孫娘を後宮入りさせている祖母、というのは10常時時代の悪夢に繋(つな)がる危険が在った。
本人たちの悪意、善意に関係無く。
そのため華恋は、後宮運営のKnowHow伝授に専念し「当番」の方は、妃たち当人の話し合いに任せる事に成ったのだが。
古代中国の官吏は「洗沐(沐浴して髪を洗う)」と言う名目で、5日交代の休日を取る。
何時の間にか「髪を洗う」順番の官吏が異常に少なくなる日が、月に1度か2度、発生する様に成った。
と言うのも、官吏たちの自衛策である。
何せ「この日」は、上官たちが「最重要会議」だったから。
後世で言う処の「休日シフト」を偏在させてまで「会議中」の上官の分まで、仕事を片付けていたのだ。
簡雍とか司馬仲達とかの「やれやれ」が聞こえそうである。
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「天の御遣い」は皇帝としての後宮生活に、物心ついた頃から慣れている訳でも無い。
その事も有って、普段は経験豊富な“大長秋”を信頼していたのだが、ある時に問い合わせてみた。
「華恋さん。「北宮」の人手は大丈夫なの?」
「何とか成っては居りまする」
「だったら…税金を無駄に使うのは論外だけど、仕事が有って不足している人手の補充なら認めるよ」
そつなく1礼して退出すると、さて、皇帝の意志を実務化した、積もりだったのだが………。
……。
…伝手をたどって募集してみれば、
「何を感ちがいしたのやら」
人から世話された経験しか無さそうな名家の箱入り娘とか、祟(たた)っている邪教の神への貢ぎ物みたいにガタガタ震えて居たりとか。
「主上の御困りに成られた笑い顔は、恐れ多くも可愛かったな」
後宮を取り仕切る「大長秋」の1人言としては、不敬なのか貫禄なのか微妙な発言だった。
大長秋としての華恋にしてみれば、実は大真面目な話なのだが。
「まあ、この程度の不測の事態なんぞ、昔も何とかしたわ」
今度こそ、誤解も10戒(?)も無い様に募集した積もりだったが、そうして遣って来たメイドたち、あくまで純粋な意味でのメイドだが、彼女たちが見分したり関係したりした「後宮の小ばなし」は、また別の講釈である。
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政治家としての曹操は、実父よりも、その父親を養子にした血の繋(つな)がらない祖父からの「遺伝」が指摘される。
科学的には「ホモ・サピエンス」という種属は、DNAよりもケタちがいの情報を、神経回路に書き込める様に進化している。
曹氏の家族で論じるような、人の資質・個性・才能・性格・内面と言ったものは遺伝ではなく、学習するものなのだ。
幼少の曹操の脳と心が創り上げられた時、育てる責任者は祖父だった。
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”この”外史に於いても、華琳に最も影響を与えていたのは、祖母の華恋だった。それだけに……
「大ムジナ」
俺こと簡雍(真名絆(きずな))の「大長秋」として接する様に成って以来の華恋に対する評価は1言に尽(つ)きる。
尤も、面と向かって言わないだけの礼は心得ている。
恋人の希望と「天の御遣い」要は「天の国」の価値観を共有している相手にしか明かしては居ない。
設定と致しましては『真・恋姫†無双』公式キャラクターは後宮入りさせて、他では無体な事はしていない、と言う積もりです。
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