皇帝とは、帝国の政治に関する限り、全ての権力を1人で持っている。
それだけに、臣下に任せるべき仕事は任せないと、
「天秤に竹簡を乗せて、その日の仕事分を計量する」
等と言う笑い話を後世の歴史に残したりする。
「天の御遣い」は優秀な部下を信頼する主君であり、時と場合によっては「丸投げ」でもするのだが、本来の性質として真面目である事もあって「天秤に竹簡」の危険は日常的に存在した。
そんな某日、所管の官吏から提出された1通の人事案に、とある「正史」を連想させられた。
「兗(えん)州陳留郡の太守である張孟卓に対して、現職と兼任のまま朝廷における名誉職を併せ与える」
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北郷一刀の知る「正史」に於ける張孟卓は、曹操や袁紹が「花嫁泥棒」なんかをしでかした頃からの親友だった。
その縁も在ったか、袁紹や曹操が「反董卓連合」を起こした時、治めていた陳留を連合軍の集結地としている。
更に、董卓軍に返り討ちにされた曹操が出直すための勢力圏としたのが、張孟卓の居る陳留が在る兗州だった。
これだけの縁があったからだろう、曹操が父親の復讐のために徐州へと出陣する時には、残して行く家族に対して、
「自分に“もしも”の事があった場合は孟卓を頼れ」
と、言い残した。
だが、徐州大虐殺の報いか、曹操は留守の拠点を預けていた旧友の信頼を失ってしまった。
張孟卓と軍師陳宮は、涼州軍の残党を率いて落ち延びて来ていた、猛獣呂布を引き込んで挙兵したのだ。
勢力圏を失った曹操を迎え入れたのが、10年近く前に初陣を飾った予州潁川郡の名士、荀文若たちだった。
潁川郡の許昌に今度こそ拠点を確保した曹操は、旧友たちに反撃を開始。
呂布と陳宮は、劉備が譲(ゆず)られて治めていた徐州へと追い払われた。
そして、曹操と張孟卓の友情は、最悪のDead Endを迎えた。
*
だがしかし”この”外史においては”転生者”簡雍の「天の御遣い」の「お告げ」を借りた暗躍も在って、「徐州大虐殺」はスルーされた。
したがって、張孟卓は兗州陳留郡の太守のままだった………。
……。
…竹簡を見付けた「天の御遣い」は担当の官吏に確認した。当人は帝都に出頭して来ている。
「それから、華琳と麗羽は休憩する余裕が在るかな?」
広い皇宮の庭の隅にある亭(あずまや)。
そこにささやかな飲茶の席が設けられ、華琳と麗羽に「天の御遣い」そして、張孟卓が同席していた。
「それで、例の『花嫁泥棒』の時は、孟卓はどうしていたの?」
「私の役目は証言でした。問題の刻限には両名と共に酒席に居たと」
「成程「アリバイ」か」
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