スリザリンの末裔 ~Silver-Haired Wizard’s Legacy~ 作:如月斎
試験前夜、湖底にて
春の学期末が近付き、スリザリン寮の談話室では重々しい空気が漂っていた。湖底から差し込む薄明かりの中、1年生たちが各教科のノートや教科書を広げて、ぐったりした様子で勉強に励んでいる。窓の外では、春の暖かさに誘われた湖の水面が静かに揺れていた。
「変身術の……第三法則が覚えられない……。えっと、なんだっけ? 質量がどうとか……保存の……あー、もう分からん……!」
グラハム・モンタギューが頭を抱えながらぼやく。
「僕は魔法薬学の分量が不安だ。忘却の川の水を2滴、カノコソウの小枝を2つ、ヤドリギの実を4つ……数字が頭の中でごちゃごちゃになる」
エイドリアン・ピュシーが蒼い顔で呟く。
「規則正しく復習すれば大丈夫です。計画を立てて取り組みましょう。あとグラハム君、それは『変身術では質量保存の法則が働く』、つまり『何も失われず、何も新たに生じない』というやつだったはずです」
「おお! マイルズ、サンキュー!」
マイルズ・ブレッチリーが几帳面に励ましの言葉を掛けているが、彼自身も眉間に皺を寄せて憔悴している様子だった。
カシウス・ワリントンはもう何も言えず、白目を向いて天井を仰いでいる。それに対してもブレッチリーは、彼の肩を揺さぶって意識を取り戻させようと健闘していた。
「みんな! 勉強
「うわっ、ジェマ先輩! びっくりした!」
「赤点なんて取ったら承知しないからね」
「……は、はい」
集まって勉強していた1年生に発破を掛けたのは、5年の監督生であるジェマ・ファーレイだった。いきなり真後ろから声を掛けられたヒッグスは、せっかく詰め込んでいた魔法薬学の分量が全て吹っ飛んでしまったらしい。絶望したように頭を抱えている。
「誇り高きスリザリンが、赤点取って留年とか絶対許さないんだから!」
「はいはい。ジェマ。いたいけな1年生の邪魔しないの。行くよ」
「ハーマン! あんたも音楽ばっかじゃなくて勉強しなさいよ! 私たち今年
「はいはいはいはい」
カッカしているファーレイを、ウィントリンガムが引っ張って行った。ピュシーたちはポカンとそれを見送る。
「……ジェマ先輩って悪い人じゃないんだけどさ。ちょっとな」
「分かる。ナチュラルに圧が強いし、期待が重いよな……」
「あー……。僕の頭から零れた『忘れ薬』のレシピ、そこらへんに転がってない?」
「ないですねぇ」
皆げんなりしながらも気を取り直して、教科書に向き合っている。──ワリントン以外。
そんな中、セリクスはテーブルの端に1人座り、『古代ルーンによる記録魔法の変遷』という、明らかに試験とは関係なさそうな専門書を静かに読んでいる。星屑のラメが入った濃い藍色のインクで、何やらメモを取りながら、まるで試験の存在など忘れているかのようだった。
その様子を横目で見ていたブレッチリーが、遂に我慢出来なくなった。
「ゴーント君、それは……試験には関係ないと思いますが?」
敬語で丁寧に、しかし明らかに苛立ちを含んだ声で声を掛ける。その声には、必死に努力している自分たちとは違う、セリクスの余裕に対する苛立ちが滲み出ていた。
セリクスは本から顔を上げることもなく、悪気のない口調で答えた。
「そもそも君たちはなんで今更そんなに必死に勉強しているんだ? 授業で起きていたら分かる範囲だろう?」
その無邪気な正論に、ブレッチリーのこめかみに血管が浮き上がる。コーウェンが「……っ」と小さく息を呑み、蒼白な顔でその場の空気を察知する。
(どうしてそういう言い方をするんだろう……)
コーウェンは内心でうめいた。セリクスにはまったく悪意がないことは分かっている。その純粋な悪意のなさが、かえって周りの神経を逆撫でることを、彼はきっと分かっていないのだ。
「まぁまぁ、皆違うやり方で備えてるってことで……ね?」
その場を見ていたテレンス・ヒッグスが、優等生らしい配慮でやんわりと空気を和ませようとする。
セリクスはページを捲る手を止めず、さらっと言った。
「そう。錬金術にも関係がある」
談話室に一瞬、静寂が流れた。1年生たちが一様に硬直する。
(錬金術にも……? 嘘でしょ……?)
コーウェンは冷や汗をかいた。つまり、セリクスはまだ履修すら始まっていない高等課程の内容まで、当然のように読み込んでいるということだ。彼の天才ぶりを改めて突きつけられた気がして、コーウェンは胃がキリキリと痛み出すのを感じた。
ブレッチリーは不満を隠そうともせず、声を震わせて言った。
「錬金術って6年生からの選択科目の? なんの冗談ですか? あなたは、6年までの全ての学習を既に終えているとでも言いたいんですか? ……では、それを証明してください。次の試験で結果を競いましょう」
ブレッチリーの声は、その強い台詞とは裏腹に僅かに震えていた。その言葉は、セリクスの圧倒的な才能に対する、彼なりの精一杯の抵抗だった。
セリクスは相変わらず本に視線を落としたまま、興味なさげに答える。
「……お好きに」
その淡々とした返答が、ブレッチリーの心に深く突き刺さる。彼の顔は羞恥と怒りで真っ赤になった。目尻に微かに涙すら滲んでいる。彼はこれ以上、惨めな自分を晒すことは出来なかった。悔しさを押し殺して自分の勉強に戻る。握りしめた羽根ペンが震えていた。
コーウェンは内心で(胃が痛い……)とぼやきながらも、さりげなくフォローする姿勢を見せる。
「セリクスの言う通り、授業をしっかり聞いていればきっと大丈夫だよ。僕たちも頑張ろう。ね?」
しかし、その言葉も空しく響くだけ──誰からも反応はなかった。
セリクスは淡々と本を読み進める。古代ルーンの解釈について何かを発見したのか、万年筆でメモを取る手が若干速くなった。
ブレッチリーは羽根ペンを握りしめ、必死に変身術のノートを見つめている。そして、羊皮紙が削れてしまいそうなくらい力を込めて文章を綴り出した。
(君って本当に、試験すらも超越してるんだな……)
コーウェンは心の中で溜息をついた。
静かな夜の談話室に、羽根ペンの音と教科書をパラパラとめくる音だけが響いている。湖底の窓からは、月光が揺らめきながら差し込んでいた。
1年生の春は、こうして静かに、しかし緊張感に満ちた夜を迎えていた。
◆ ◆ ◆
夜も更け2人は寝室へ下がった。恒例のナイトティー──本日はアップルシナモンティーだった──を屋敷しもべ妖精に淹れてもらい2人で味わっていた。
「セリクス……。さっきの言い方はさすがにちょっとどうかと思うよ……?」
コーウェンはセリクスの顔色を窺いながらも、恐る恐る進言した。自分の言葉が棘のように受け取られないように、慎重に慎重を重ねて。セリクスの表情は変わらないが、僅かに首を傾げた。さっきの言葉のどこに問題があるのか、本当に分かっていないようだった。
「ほら、君は頭がいいから授業さえ聞いていれば理解出来るんだろうけど……。普通の人たちはそうじゃないんだ。だからああいう"なんでそんなに必死に〜"みたいな言い方したら、みんなカチンときちゃうよ……」
「……」
セリクスは無言でコーウェンの言い分を聞いていたが、ふとまぶたを伏せて目線を下げた。その瞳の色に、一瞬だけ翳りが宿ったように見えた。
「……君も……」
「え……?」
「……君も、嫌だったか……?」
「え? 僕……? うーん、まぁ、ちょっとは……ね。すごくムカつくって訳じゃないけど、聞いてて気まずいというか胃が痛くなったというか……」
「そうか……」
セリクスは珍しく茫洋とした眼差しでコーウェンを見ていた。その沈黙の間に、彼の内側ではいくつもの思考が巡っているようだった──自分の言葉がどう響いたのか、何故コーウェンは僅かに傷付いたのか、自分はどう振る舞うべきだったのか。やがて考えがまとまったかのように、セリクスはゆっくりとコーウェンと視線を合わせてきた。
ほんの一瞬だけ、彼の頭にしょんぼりと犬耳が垂れた幻を見た気がした。
「気を付ける」
セリクスの言葉に、コーウェンは胸の奥が温かくなるのを感じた。彼は言葉を繕ったり、言い訳をしたりしない。ただ、事実として受け止め、次の行動に活かそうとしてくれている。その純粋さに、コーウェンは救われるようだった。
「う、うん。ありがとう……。君が本当は優しい人間だってことは、きっといつかみんなにも伝わると思うから……」
「私を優しいと形容する人間はそういないと思うが」
「君は自分で気が付いてないだけだよ」
その後はぽつぽつと他愛ない話が続いていく。セリクスがほんの僅かでも頷いてくれると、それだけで大きく肩の力が抜けた。機嫌を損ねずに済んだという安堵が、胸の奥で静かに膨らんでいく。
コーウェンは紅茶の香りと、親友との会話を憂いなく心から楽しんだのだった。彼の視界に、満月が湖に映し出されてキラキラと揺らめく光が見えた。まるで、2人の間に流れる穏やかな時間を祝福しているかのようだった。
【あとがき】
試験勉強してるだけなのに、なんでこんなに殺伐としちゃうんですかね。まあおおむね対人能力の低すぎるセリクスのせい。セリクスってなまじ能力が高すぎるのと共感能力が低いせいで、出来ない人の気持ちが全く分からないし、空気読んだり忖度したりとか一切しないんですよね。そりゃあぶつかる(笑)
しかも本人はコーウェンに突っ込まれるまで、ブレッチリーが怒ってることを全然気にしていませんでした。本当にコーウェンがスリザリンに入らなかったら、ぼっち一直線だった気がします。
今回も加筆修正して、pixiv掲載版にはいないジェマ先輩とハーマン先輩を追加しました。ジェマ先輩ってちょっとウザいかもしれませんが、全然悪い人じゃありません。癖が強いだけなんです(>ω<;)
この2人は本筋には絡まないモブキャラなんですけど、出すと空気が軽くなる気がするし、使い勝手がいいので、これからもちょこちょこ出すかもしれません。