スリザリンの末裔 ~Silver-Haired Wizard’s Legacy~ 作:如月斎
閉ざす心の奥
閉心術の練習はコーウェンの番になった。
セドリックの苦しむ様子を見ていたコーウェンは、顔色を失いながらも覚悟を決めたように深く息を吸い込んだ。それから、珍しくキッと眉を吊り上げてレオを見返す。普段の柔らかな表情とは違う、静かな決意が滲んでいた。
レオはそんなコーウェンを笑顔で見下ろした後、ゆっくりと杖を向ける。
「さあいくよ。……《
杖先から放たれる見えない力が、コーウェンの心へと侵入していく。
「ああぁっ……」
術が掛かった瞬間、コーウェンの表情は一変した。目を見開き、口をハクハクとさせながら呼吸が乱れている。しかし視線だけはレオから外せないようだった。まるで見えない糸で繋がれているかのように、2人は動かない。
レオは真剣な表情でコーウェンの瞳を見つめていたが、途中でふと何かに気付いたかのように瞬きをした。灰青色の瞳に、僅かな驚きの色が浮かぶ。
「うん? ──これは……」
「はあ! はあ! はあ! や、やめて……!」
コーウェンの声が震えている。額に汗が浮かび、ソファの肘掛けを掴む手が白くなるほどの力が入っていた。
「コーウェン君。その調子だよ。私を拒絶して。平常心で、心を閉じるんだ」
レオの声が静かに響く。励ますような、しかしどこか厳しさも含んだ声だった。
「あああ! だめっ!」
「──おっと」
コーウェンが限界を迎えたように叫び、椅子から立ち上がって前に倒れ込んでしまった。レオはそれを咄嗟に抱き留める。コーウェンの細い体が、レオの腕の中で小刻みに震えていた。
セリクスは静かに息をついた。感心したような、それでいてどこか複雑な表情を浮かべている。
「ほう。1回目から
「うん、すごいね。最初はやっぱり普通に見えたけど、心の奥底に行こうとしたら最後は拒絶されたよ」
レオの声には、明らかな驚きと称賛が混じっていた。
「えっえっ、どういうこと? もう成功したの?」
セドリックがセリクスとレオを交互に見て、慌てたように身を乗り出した。コーウェンはレオの腕の中でまだ息が整わず、返事も出来ない。荒い呼吸だけが部屋に響いている。
まさか閉心術なんてよく分からない難しい魔法を、たった1回で習得してしまうなんて。セドリックの胸に、焦りと羨望が入り混じった複雑な感情が芽生えた。
「うーん。まあ成功したと言えばしたかな? 最後の記憶だけは読めなかった。それまでは断片的に見えたよ。あっ、内容は秘密だけどね」
レオが茶目っ気たっぷりにウインクすると、コーウェンはやっと息が整ったようだった。レオの腕の中から顔を上げ、小さくお礼を言う。声はまだ震えていた。
力なくソファに座り込んだコーウェンの額には、まだ汗が浮かんでいる。
「コーウェン、大丈夫か?」
セリクスが静かに尋ねると、コーウェンは弱々しく頷いた。
「うん……。これめちゃくちゃ疲れるね……。覚えてるものも忘れてたものも、色々見られちゃった」
「レオさんは本来は、開心術を掛けられたとは分からないように掛けることも出来る。最初だから分かりやすいように強く掛けたんだ」
セリクスの淡々とした説明に、2人の顔が蒼褪めた。掛けられたのが分からなければ、日常のどこで何がバレてしまうか分からないではないか。
「そこまで心配しなくていい。開心術なんて習得してる魔法使いなど、ほとんどいない。ダンブルドアも今まで君たちに掛けたことはおそらくないだろう」
「そこは断言して欲しかったな……」
セドリックが小さく呟く。特に隠し事などはないが、やはり他人に心の中を読まれるなんて生理的な嫌悪感を覚える。校長なぞ食事の時間くらいしか見ることはないが、これからはなるべく会いたくないなとセドリックは思った。
「うーん。コーウェン君の心の奥に、何か強固に閉ざされてる記憶があるね。あれだけは私がいくらノックしても入れなかったよ」
レオの言葉に、セドリックと何故かコーウェンまで興味深そうな顔をした。コーウェン自身にそんな自覚はなかったからだ。
「何か思い出したくない記憶があるのかもね。そういうのは普通の開心術じゃ見られないし、無理に思い出さない方がいい」
「分かりました……」
コーウェンの声は小さく、どこか不安げだった。
セリクスは何か考え込んでいるコーウェンの横顔を見つめた。窓から差し込む夏の光が、コーウェンの薄いミルクティー色の髪を柔らかく照らしている。震える睫毛が、彼の戸惑いと不安を表しているようだった。
何かしらのトラウマを抱えるコーウェンの心の奥。知りたくないとは言わないが、セリクスはそれ以上気にしないことにした。親友の心に土足で踏み込むべきではないと、直感的に理解していた。
「さあ。じゃあもう1回セドリック君いくかい?」
「うっ……。はい」
セドリックの肩が強張ったように跳ねた。
「疲れちゃうからね。あと1回ずつやったら、今日はもうおしまいしよう。閉心術は難しい魔法だ。1ヶ月の間に習得出来なくても、私は全然驚かないよ。だから思いつめないでね」
「……はい!」
レオの優しい言葉に、セドリックは腹をくくった。先程以上に恥ずかしい思い出を見られても、もう気にしないようにしよう。いや、これ以上覗かれないように頑張ろう──ハッフルパフらしい精神で覚悟を決めたのだった。
◆ ◆ ◆
それからの1ヶ月は、光の矢のような速さで過ぎていった。
朝は閉心術の訓練から始まり、午後は宿題に取り組む。合間にはオルクスの世話をしたり、
夏の陽光が湖面を金色に染める夕暮れ時には、3人でティータイムを楽しんだ。ノクティが淹れてくれる紅茶の香りが部屋に満ち、穏やかな時間が流れる。
結果的に、セリクスの予想通りコーウェンはほぼ完璧に閉心術を習得した。レオが全力で開心術を掛けても、もう心の中はほとんど見えない。一方、セドリックは残念ながらレオが分かりやすく掛けた場合のみ、ほんの少し拒むことが出来るようになっただけだった。
「セドリック君、充分才能があるよ。この年齢での習得は普通ではないからね」
レオがそう言ってくれたことで、セドリックも少しは救われた様子だった。
ちなみにコーウェンは少しだけ時間が余ったので、セリクスから《
「まあ、4年生で閉心術を習得出来ただけでも充分だ」
セリクスがそう言うと、コーウェンは少し安心したように頷いた。
◆ ◆ ◆
ゴーント邸の応接室。
夏休みはまだあと3週間ほどあるので、各々で過ごすことにしたのだ。また新学期の特急での同席のために、待ち合わせの約束をする。そろそろ別れの時間になる頃、コーウェンが突然声を上げた。
「あっ!」
「どうした? コーウェン」
「ミレヴィエル湖! なんか秘密の探索しようって約束してたのに忘れてた!」
コーウェンの声には焦りと後悔が混じっていた。
「ああ、そういえば」
セドリックも思い出したようだ。しかしセリクスは静かに首を横に振った。
「忘れていた訳ではない。だが誰にもバレないようにというハードルが、思ったより高かっただけだ。レオさんと父上が不在の日も、ノクティがずっといたからな」
「えっ? ノクティってハウスエルフだよね? いたの?」
「ああ。いつなんどき主人から要望がくるか分からないから、基本的にハウスエルフはずっと陰ながら待機しているんだ」
「ハウスエルフってそういうもんなんだ……」
ずっと見えないところで待機されていたという事実を知り、2人は複雑な表情になった。着替えやら何やらまで見られていたのだろうか。お年頃である2人には、いくら屋敷しもべ妖精でもちょっと遠慮したい思いだった。
「来年の夏季休暇までには、ノクティを出し抜く方法を考えておく。まぁ逆に協力を取り付けるという手もある。黙っていろと命じれば、父上が確信を持って問いたださない限り黙っているはずだ」
「強要するのはちょっと可哀想な気もするけど……」
コーウェンは以前のマルフォイ邸でのクリスマスパーティで、ドラコに
「虐待と使役は違う。ハウスエルフは主人の命令を遂行するのが使命であり喜びでもあるんだ。──そういうことだから、黙っていてくれるな? ノクティ」
セリクスがその名を呼んだ瞬間には、3人の前にノクティが姿を現していた。前触れがなかったせいで、コーウェンとセドリックの心臓に大いに負担がかかった。
「かしこまりました、坊っちゃま。ゴーント家ご当主のマウリシオ様からのご命令がない限り、ノクティは決して言いません」
セリクスに話し掛けられるだけで嬉しそうに破顔したノクティは、それだけ言うとまた姿くらましで消えてしまった。
「こういうことだ。今年もノクティにさっさと言って、探索すればよかったな」
セリクスは自身の思慮の浅さに、内心で苦々しく思った。もっと早く気付くべきだった。
コーウェンとセドリックはしばらくノクティの姿を探して部屋中をキョロキョロ見回していたが、最後は諦めてセリクスに向き直った。
「じゃあ来年の夏休みにノクティ入れて4人で探索だね!」
「どんなお宝があるんだろう? 楽しみだな」
2人の声には期待が満ちていた。
「まだ1年もある。君たちはお宝より先に閉心術と忘却術だな」
セリクスが僅かに意地悪げな表情をして言うと、2人の顔が嫌そうに歪んだ。しかし次の瞬間にはまた笑顔になって手を振る。
「頑張るよ。じゃあねセリクス」
「また新学期に!」
「あぁ」
2人の姿が緑の炎に包まれて消えていく。
セリクスは静かにその場に立ち尽くした。応接室には再び静寂が戻り、暖炉には緑の炎の名残が微かに揺らめいている。
ほんの少しの寂しさに、セリクスは
窓の外では、夏の夕日がミレヴィエル湖を金色に染めている。友人たちと過ごした1か月が、まるで夢のように感じられた。
左手首のバングルが、僅かに温かく光っていた。
◆ ◆ ◆
セリクスの愛犬
滞在から約半分の日数が過ぎた頃、ディナーの後にセドリックはコーウェンと共にセリクスの私室へと向かっていた。寝る前に少しチェスでもしようかという話になったのだ。
セドリックが扉をノックすると、すぐにセリクスの返事が聞こえた。ドアを開けると、まだ寝巻きには着替えていないセリクスが出迎えてくれる。
「何かあったのか?」
「いや、寝る前にチェスでもどうかなって」
「あぁ……」
珍しくセリクスが歯切れの悪い返事をして、チラリと部屋の中央のテーブルに視線をやった。視線の先にあるアンティークテーブルの上には、いつもセリクスが持っている鞄が置かれている。
「魔法薬の調合でもするのかい? さっきもやってたのに」
「違う。……そろそろ紹介してもいいか」
独り言のように呟くと、セリクスは鞄を床に置いて開いた。そしてそのまま鞄の中へ入っていく。セドリックとコーウェンも慌ててついていった。
中は以前見た時とほぼ同じ様子で、書棚や調合台などが見える。しかしセリクスはそのまま部屋についている扉へ向かっていく。
「そんなドアあったっけ?」
「最近付けた」
「ふーん?」
セリクスの後をついて扉の外に出た途端、2人は揃って絶句してしまった。
扉の外側は、紛うことなき外であった。天井などなく突き抜けるような晴天──今は夜のはずなのに。見渡す限りの草原が広がり、ところどころに咲いている花が風に揺れている。後ろを振り返ると、遠くの方に森らしき木々が見えた。
「セ、セリクス……。ここ、なに?」
コーウェンの声が震えている。
「鞄の中を更に拡張したんだ。最近ペットを飼い始めたからな」
「ペット? この広さが必要な?」
セドリックは何故か嫌な予感がした。彼に予知の才能はないはずなのだが──4年生からセドリックは『占い学』と『数占い学』の受講をやめることにしている──そしてその予感は早速当たってしまったらしかった。
遠くの森の方から、巨大な何かが猛スピードで走ってくるのが見えたからだ。
「なになになに!? なにか来るよ!?」
「う、うわあああああ!!」
それは奇妙な生き物だった。見上げるほどの巨体。黒くて短い被毛。なんと言っても頭が3つもある。それが牙を剥き出してセドリックたちの方へ飛び込んできた。
セドリックは咄嗟に隣にいたコーウェンを背に庇い、その生物に杖を向けた。
「コーウェン、下がって! こっちに来るな! 《
「待て、セドリック。大丈夫だから落ち着け」
セリクスがセドリックを慌てて制止した。杖腕を下げさせられて、セドリックは思わず口をつぐむ。
巨獣はセリクスの前ギリギリで止まっていた。大人しく座り込み、尻尾を激しく振っている。尻尾の周りにあった雑草が、ちぎれて舞っていた。
「……ま、まさか、これがペット……?」
「そうだ。三頭犬。別名、ケルベロス。こいつにはオルクスと名付けた。地獄の番犬には、冥府の神の名が相応しいだろう」
「セリクス、正気……?」
顔面蒼白のコーウェンが、セリクスに向かって鋭く切り込んだ。正気を疑われたセリクスはほんの少しむっとしたが、聞き流すことにしたらしい。三頭犬の胸あたりを、指で掻いてやっている。なかなか力強いが、三頭犬は気持ち良さそうだ。
「4階の南廊下が、1年間立ち入り禁止だっただろう。あそこで飼われていたらしい。不要になったが森番が処分に困っていたから引き取ってきた」
「え? あのハグリッドが? 殺すつもりだったの?」
「あぁ、いや。森番はそのまま飼い続けたかったらしいが、ダンブルドアが遠くにやりたがっていた。もったいないから貰うことにしたんだ」
「いやいやいやいや。それで普通は貰っちゃおうとはならないんだよ!」
コーウェンは今更恐ろしさを自覚してきたのか、足がガクガクと震え始めていた。セドリックは心配になり、コーウェンの背中をゆっくりとさすってやった。
「ありがと、セドリック」
「ううん。普通に怖いよね。それにしても大きいな」
「確かに巨体だが、まだ仔犬だぞ」
「「えぇ!?」」
「森番に聞いたところによると、まだ生後1歳半くらいらしい。三頭犬は普通の犬より寿命が長いから、それでもまだ成犬になっていないとのことだ」
「仔犬でこの大きさ……? 成犬になったらどうなるの?」
「さすがは地獄の番犬と言われるだけはある」
「変なとこで感心しないで!」
コーウェンは恐怖を通り越して、先程からキャンキャンと仔犬のように怒っていた。セリクスが少し面倒そうな顔になってきたので、セドリックは慌ててコーウェンを
「コーウェン、怖かったね。大丈夫、落ち着いて。セリクス、この子僕らのこと食べないよね」
「オルクスは大人しくて頭がいい。言い聞かせれば襲うことはないだろう。──オルクス、この2人は私の友人だ。餌じゃないから食べたら駄目だ。餌じゃない。分かったか?」
「ヴォン!」
「分かったらしい」
「本当に!?」
思わず突っ込んでしまったが、セリクスのことを信用することにした。セドリックは恐る恐る腕を三頭犬の方へ伸ばしてみる。三頭犬の真ん中の頭がセドリックの手の匂いを嗅いだ。
「えーと……。オルクス? 初めまして、僕はセドリック」
「くぅん」
三頭犬は数回尻尾を振った。その仕草は確かに犬らしく、少し愛らしくさえあった。コーウェンもその様子を見て、恐る恐る同じことをする。やはり三頭犬はコーウェンの匂いも覚えたようだった。
「オルクスの世話をするつもりだったんだ」
セリクスはそう言うと杖を振り、大きな塊肉を3つ出した。三頭犬はきちんと行儀良く待てをしてから食べ始めた。食べている最中の様子は、あまり行儀良くは見えなかったが。
その後は軽くブラッシングをした。短い被毛は艶やかで、触り心地も悪くない。
「うわぁ! セリクス、この子糞したよ!」
「三頭犬の排泄物は魔力が
「もったいない……?」
相変わらずセリクスは常人とは考え方がズレている気がする。セドリックは内心で首を傾げたが、三頭犬の世話をする内にだんだんと可愛く思えてきたのだった。どうやらコーウェンも三頭犬を気に入ったようだ。
3人と1頭は晴天の下、飽きるまで遊んだ。オルクスは意外と従順で、投げた枝を取ってきたり、お座りをしたりと、まるで普通の犬のように振る舞った。ただし、その体躯は圧倒的だったが。
それはノクティが呼びに来るまで続いた。
「坊っちゃま方! もうとっくに寝る時間ですよ!」
「あっ、そっか。今って夜なんだっけ」
「寝ようか」
セリクスが杖を振ると、空が陰り出しゆっくりと夜になっていった。鮮やかな夕焼けが空を染め、やがて深い藍色へと変わっていく。3人はその移りゆく空を、静かに眺めていた。満天の星空の真ん中に下弦の月が浮かんでいるのが見える。
オルクスは3人の足元に寝そべり、満足げに目を閉じていた。
【あとがき】
●魔法の実力
セドリックの方がコーウェンより劣っているということは、全然ありません。総合能力ではセドリックの方が圧倒的に上です。コーウェンは、得意不得意がめちゃくちゃはっきり分かれているだけです。
コーウェンは筆記と予知と記憶魔法と閉心術が得意で、攻撃魔法と飛行術が大の苦手。セドリックは筆記も実技も全般的に得意ですが、記憶魔法と閉心術が苦手で予知の才能はありません。
ちなみに2人とも治癒魔法はやったことがないので、使えるかは未知数です。