スリザリンの末裔 ~Silver-Haired Wizard’s Legacy~ 作:如月斎
※本編主人公のセリクスは登場しません。セリクスの時代より約100年前を舞台にした番外編です。
※ゲーム『ホグワーツ・レガシー』の登場人物、オミニス・ゴーントを中心とした話です。作中設定では、オミニスはセリクスの曾祖父にあたります。
※オミニス・ゴーントの家族構成および過去について、大幅な独自設定があります。
忠誠心の行方
マッドは、ゴーント家で生を受けた屋敷しもべ妖精だ。
気が付いた時には、誰かの足元に
「薄汚いな。お前の名はマッドだ。今日からゴーント邸の掃除を担当しろ」
ご主人様──モルカント様──から
無駄に広いゴーント邸には、もう1体だけ仲間の屋敷しもべ妖精がいた。働く場所が違ったので、マッドはほとんど接したことはなかった。彼はマッドより断然年上で、今にも寿命を迎えそうに見えた。それでも彼もマッドも何も言わずに黙々と働いた。
ある時、屋敷中がバタバタしている日があった。普段ほとんど来客などない陰気な屋敷に、何人もの人間が出入りしていた。
仲間の年老いた屋敷しもべ妖精から教えられた通りに、客人の前にマッドが出ることはなかったが、その人たちが何をしているのかは覗き見て知っていた。
「奥様に赤ちゃんが……」
マッドは不思議な気分だった。人間が
マッドが奥様の部屋に掃除に入ると、いつも奥様はイライラして、大抵ティーポットを投げ付けられた。それをちゃんと頭で受けるのも、マッドの仕事の一部だった。でも奥様が倒れたマッドのことを見ても、全然スッキリした顔はしてくれなかった。奥様はマッドなんかじゃなくて、ご主人様に会いたいのだ。でもそれだけはマッドの力では叶えてあげられない。
普段の掃除には魔法を使うことを禁じられていたが、さすがに修復魔法だけは許されていた。マッドが修復魔法を使って直したティーセットの数は数えきれない。掃除担当なのに清掃魔法よりも、よほど修復魔法の方が上手だった。
奥様は4人目の子供を産んだ後、ますますガリガリに痩せてしまった。最後はマッドにティーカップを投げる元気もなくて、そんな自分に愕然としていた。マッドは悲しくなった。ゴーント家の女は、皆短命なのだ。
奥様を看取ったのは
4人目のお子様であるオミニス坊っちゃまは、可愛らしい顔立ちをしているらしい。屋敷しもべ妖精のマッドには、いまいち分からないが。ご主人様は、ゴーント家の子供としては珍しく整った顔で生まれたオミニス坊っちゃまを、当初それはそれは可愛がっていた。他のご子息にはあまりしないような表情を向けていた。
しかしそれも、オミニス坊っちゃまの盲目が分かるまでだった。坊っちゃまの目が全く見えず、
坊っちゃまが無事に育ったのは、面倒を見た2体の屋敷しもべ妖精と、お嬢様のおかげだった。
坊っちゃまのご飯は仲間が用意した。マッドも幼児の世話など門外漢もいいところだったが、世話をしないと2歳の人間の子供などすぐに死んでしまう。だから懸命に世話をした。お嬢様も半分お人形遊びの感覚だったが、坊っちゃまのお世話をしてくれた。自分のフリフリのドレスを着せて、キャッキャと喜んでいたのは微笑ましかった。坊っちゃま自身は、頭につけられた真紅のリボンを、不思議そうな顔で
「ねぇね。だっこぉ」
「うふふ。本当に可愛い。よしよし。お前が女だったら、殺しているところだったわ。男の子で助かったわね」
「んむぅ?」
坊っちゃまがまだ言葉を解する前で良かったと、マッドは心底思ったのだった。
マールヴォロ様と次男のヴァレリアン坊っちゃまは、ご主人様同様にオミニス坊っちゃまのことは見えていないようだった。オミニス坊っちゃまがよちよちとマールヴォロ様に近寄ると、路傍の石のように蹴っ飛ばして避けていたのだ。
マッドはいつも、泣いているオミニス坊っちゃまのことを回収してベッドに寝かせていた。マッドは、坊っちゃまの白濁したエメラルドグリーンの大きな瞳を見つめるのが好きだった。坊っちゃまは、マッドを醜いと言わないからだ。
生活が変わったのは、オミニス坊っちゃまが5歳の頃だ。生まれて初めて魔力が発動したのだ。坊っちゃまは指先に赤い魔力の光を灯らせた。それは一見少し変わった《
「……マッドってこんなおかおだったんだね」
「……坊っちゃま……」
マッドは恐ろしくなった。もし醜いからもう来るななんて言われたら──。しかし坊っちゃまには、それ以上の感想はないようだった。「ふうん」と言った後、部屋中の物に光を当てて「これはなんだ。あれはなんだ」と楽しそうに探検するだけだった。
マッドの胸はいっぱいになった。嬉しくて、そのまま遊びに来たお嬢様に報告した。お嬢様も、またそのままご主人様に伝えたらしい。ご主人様が慌てた様子で、坊っちゃまの部屋に駆け込んできた。部屋に置いてあるチェストの形を確かめていた坊っちゃまの前に膝をつき、顔を覗き込んでいた。
「オミニス。目が見えるようになったのか?」
「……そのこえはとうさま? とうさまはそんなおかおだったの?」
「見えている訳ではないが、魔法で分かるようになったのか! お前には魔法使いの才能がある!」
「さいのう?」
ご主人様にとっては、4人目にしてようやく、ゴーント家にふさわしい魔法使いが生まれたのだ。ご主人様の喜びようはすごかった。まるでもう、オミニス坊っちゃまを後継者に
面白くないのはマールヴォロ様だ。20年以上嫡男として育てられたのに、まるで父親は末の盲目の弟を大事にしているように見える。
その日から、マールヴォロ様からの『しつけ』という名の虐待が始まった。
ゴーント家の兄弟たちはオミニス坊っちゃま以外、あまり魔法の才能がなかった。しかし性格のせいか、
坊っちゃまが苦しんで
「にいさま……。たしゅけて……」
「助けて欲しいのかい? でもそしたらゴーント家の後継者ではいられないよ?」
「こうけいしゃには、ならないです……。くるしいのは、やだ……」
「ふうん。ふふふ。僕の靴を舐めたらいいよ。そしたら兄上に言ってあげる」
苦しみに喘いだオミニス坊っちゃまが、ヴァレリアン坊っちゃまの靴に顔を近付けると、なんとヴァレリアン坊っちゃまはオミニス坊っちゃまの顎をそのまま蹴り上げた。小さな坊っちゃまの体が、まるでボールのように転がった。
「あはは! 汚いなぁ! 舐めないでよね!」
オミニス坊っちゃまは、丸まってしくしくと泣くことしか出来なかった。飽きた兄弟たちが部屋を出て行ってから、やっとマッドは坊っちゃまのそばに行くことが出来た。
「坊っちゃま……。大丈夫ですか?」
「いちゃい……。もうやだ……。こうけいしゃになりたいなんて、おもってないのに……」
マッドは枝のような手で坊っちゃまの頭を撫でた。恐れ多いことだが、そうした方がいいと思ったのだ。もちろん後で自罰を与えたが。
坊っちゃまが、お嬢様以外で素直に懐いた人物がいた。ご主人様の姉君である、ノクチュア様だ。
たまにご主人様が留守の時を見計らっては、遊びに来て坊っちゃまの面倒を見てくれた。ノクチュア様は世にも珍しい、屋敷しもべ妖精にも優しい人間だった。たまに持って来てくれるバタークッキーは、マッドの大好物だった。
ある時、ノクチュア様は坊っちゃまに、『スリザリンの書斎』の話をしていた。そこにはサラザール様が遺した記録があるはずで、それを見つければ、世間や家族が信じているのとは違う一面を証明出来るかもしれないと、しきりに語っていた。ただ同時に、『書斎』には強力な闇の魔術や危険な試練も遺されているだろう、と考えていたようだった。
稀にご主人様とノクチュア様が会うと、闇の魔術についての見解の相違でいつも言い争いになっていた。ノクチュア様は言葉を尽くして説得を試みていたようだが、ご主人様も一歩も譲らず、いつまで経っても平行線であった。マッドは、いつも部屋のクローゼットに隠れて耳を塞いでいる坊っちゃまのそばにいることしか出来なかった。
しばらくして、ノクチュア様が屋敷に来ることがなくなってしまった。坊っちゃまはしばらくソワソワと待っていたが、数年経つうちに、遂に諦めたようだった。坊っちゃまが悲しそうに「もしかして死んじゃったのかな……。『書斎』になんて行ったから……」と呟いていたのが印象的だった。
坊っちゃまが11歳になって、ホグワーツから入学許可証が届いた。ご主人様は大いに喜んで、珍しくワインを開けていた。マールヴォロ様の顔は、恐ろしくてとても見ることが出来なかった。マールヴォロ様の元へは、ついぞ入学許可証が来なかったらしいのだ。
「よくやった。オミニス。お前はホグワーツで問題など起こすな」
「問題ですか?」
「ヴァレリアンなど問題だらけだった。毎週のように保護者たちから抗議の『吠えメール』が来て、対応が大変だった。身の程知らず共め。ゴーント家に盾突くなど……。ともかくお前はスリザリンに入れ。側近や奴隷を育てるんだ。分かったな」
「……はい」
坊っちゃまには半分も理解出来なかった、というより理解したくもなかったのだろう。無表情で機械的に食事を続けていた。同じテーブルで批判されたヴァレリアン坊っちゃまは、何も感じていないようにニコニコしている。ヴァレリアン坊っちゃまは、笑っていないことの方が珍しいが。
ヴァレリアン坊っちゃまは、数年間だけホグワーツに通っていた。しかしあまりにも問題ばかり起こすので、遂に退学処分が下されたらしい。ヴァレリアン坊っちゃまは、マッドにはよく分からないお方だった。
「ホグワーツなんてよく行く気になるわね。私は絶対嫌だわ」
「お前というやつは……。メリサンドラ。お前にもせっかく許可証が来たというのに、何が不満だったんだ」
「だってホグワーツには、私よりも可愛い子がたくさんいるんでしょう!? 絶対に見たくない! ムカついて片っ端から
「……」
ご主人様は深い溜息をついただけだった。
「メリサンドラ。兄様はお前のことが可愛いと思うけど?」
「まあ。ヴァレリアン兄様。そう言ってくれるのは兄様だけよ。大好き」
「僕は好きって感情、よく分からないけど」
「……それでもいいわ。もっと可愛いって言って」
「可愛いよ」
「うふふふ」
ヴァレリアン坊っちゃまとメリサンドラお嬢様は仲が良い。だが、そんな2人の様子をオミニス坊っちゃまは、まるで何も聞こえていないかのような顔で無視していた。
ホグワーツに入学してからは、マッドは途端に暇になった。やることが掃除しかない。たまに坊っちゃまたちからの『痛い遊び』に付き合うくらいだ。まぁ暇になったと言っても、全て手作業での掃除なので、結局朝から晩まで雑巾がけをしていることは変わりなかったが。
入学して半年ぶりに帰宅した坊っちゃまは、家にいた時よりずっと健康そうに見えた。美味しい物をたらふく食べ、禁じられた呪文にも晒されず、夜もぐっすりと眠り、気の置けない親友も出来たらしい。
楽しそうに穏やかな顔でそう教えてくれた。マッドが坊っちゃまの部屋に掃除しに来る時だけは、ひそかに魔法の使用を許可された。そして余った時間で坊っちゃまとお茶をするのが、マッドの唯一の楽しみだった。
坊っちゃまが16歳の夏季休暇。坊っちゃまは丸々2ヶ月帰ってこなかった。ご主人様は大層お怒りになっていたし、マッドはとても寂しかった。坊っちゃまの成長を感じるのが、生き甲斐だったのに。坊っちゃまは1年間学校で大変な思いをしたらしい。坊っちゃまはマッドにだけ手紙を送ってくれた。それで、学校での状況を知ることが出来た。文字が読めないマッドのために、手紙は音声で再生された。坊っちゃまの静かで聞き心地の良い声が流れた。
坊っちゃまの親友だったセバスチャン様との友情が壊れ、アン様とも以前のようには会えなくなったと聞いて、マッドの胸は張り裂けそうに痛くなった。きっとこの件のこともあって、坊っちゃまは家を出ることを決心されたのだと思う。
そして7年生が終わった6月末、坊っちゃまは屋敷に帰ってきてくださった。卒業のお祝いに、その日は豪勢な食事が供された。楽しそうに笑っていたのは、ご主人様だけだったが。
その日の深夜、廊下のどん詰まりの隅でマッドが寝ていると、誰かの気配を感じて目が覚めた。坊っちゃまが静かにマッドを覗き込んでいた。坊っちゃまの持つ杖の先で、赤い光がチカチカと瞬いていた。マッドは驚いた。坊っちゃまが寝間着ではなく外出着を着込み、大きなボストンバッグを下げていたからだ。
「ぼ、坊っちゃま? オミニス坊っちゃま……。まさかお出掛けですか? こんな真夜中に?」
「……そうだ。お出掛けだ。少し遠くにな」
「……遠く……。行ってらっしゃいませ……」
「…………」
「坊っちゃま……?」
「……お前も行くか?」
「え……?」
マッドは耳を疑った。坊っちゃまは眉尻を下げ、悲しそうな表情をしていた。それでなんとなく察してしまったのだ。坊っちゃまはもうここに帰る気はないのかもしれないと。マッドは迷った。気持ち的にはついていきたい。ゴーント家の人々のことは勿論大事だが、マッドが一番大切で大好きなのはオミニス坊っちゃまだけだからだ。
だからどこまでもついていきたい──だけど……。
「……申し訳ございません。ご主人様を残しては行けないのです……。マッドはゴーント家のハウスエルフですから……」
「……分かっていた。でも寂しいよ。元気でな。マッド」
「はい。坊っちゃまも……」
「……ハウスエルフって寿命が長いんだったな。いつかお前のことを、迎えに来られるかもしれない」
「──! はい! お待ちしております。いつまででも!」
「ああ」
そのままそこで見送ることなんて出来ず、マッドは慌てて坊っちゃまの後ろをついていった。坊っちゃまは玄関ホールの扉を開け、静かに外に出た。玄関前の馬車寄せのところに、1人の人間が立っていた。初めて見る顔ではない。去年の冬季休暇にもゴーント邸に来たことがある、坊っちゃまの新しいご友人だ。坊っちゃまはあの人と共に行くのだろう。
「こんばんは、オミニス。良い夜だね」
「ふん。俺には見えないがな」
「あはは! 確かに! お別れはちゃんと済ませた? ──君はオミニスのハウスエルフだね。君も来るの?」
いきなり話し掛けられて、マッドは飛び上がってしまった。そうだった。この人は屋敷しもべ妖精にも優しい人だった。しかしマッドは、声も出せずに首をプルプルと振った。来客には本来姿を見せてはいけないし、ましてや話すなど
「マッドを困らせるな。……彼は来ない。優秀で心優しい、忠義者のハウスエルフなんだ。父さんたちを裏切れない」
「ぼ、坊っちゃま……」
「マッド。父さんたちを頼むよ。最後まで俺とは相入れなかったが。……君がいればきっと大丈夫だ」
「……坊っちゃま……どうかお元気で……」
坊っちゃまは穏やかな笑みだけを置いて、去って行ってしまわれた。その日からマッドの胸には、大きな大きな穴がぽっかり開くことになった。だけど、坊っちゃまは言ってくださった。迎えに来ると。マッドの楽しみが一つ増えた。その、来るかも分からない"いつか"を夢見て、来る日も来る日も床を磨いた。
坊っちゃまが出奔されてから、ご主人様の怒りが爆発した。部屋をめちゃくちゃに壊し、叫んで暴れた。ホグワーツを無事卒業出来た坊っちゃまのことは、ご主人様の大いなる自慢だったから。家族は皆、息を潜めて生活するようになった。マールヴォロ様だけは、大喜びでニヤニヤと笑っていたが。
坊っちゃまは身の回り品と、ゴーント家の金目の物やご主人様が大事に保管していた家宝の懐中時計を盗んで行ったらしい。きっと生活費の足しにするつもりだろう。しかしご主人様にはそんなこと関係ない。あんなに可愛がっていた坊っちゃまに対し、ご主人様は憎悪を募らせていた。
それからしばらくして、ヴァレリアン坊っちゃまが死んだ。死因は魔法薬調合の失敗による爆死だった。ヴァレリアン坊っちゃまは杖を使う魔法はあまり得意ではなかったが、魔法薬の調合だけは好んでいた。こだわりの強い性格も、精密な作業には向いていたらしい。その日も屋敷の片隅で調合していたが、何かの拍子に大爆発を起こしたのだ。
屋敷中大騒ぎであった。オミニス坊っちゃまの出産時とは比べ物にならないほどの人間がやってきて、屋敷を詳しく調べたりもした。マッドはその時初めて魔法省の人間を見た。魔法省の人間は、全員フードを目深に被っていて顔がよく見えなかった。そしてどうやら、皆がゴーント家の人々のことを好きではないようだった。屋敷自体はすぐに魔法で修復したが、もちろんヴァレリアン坊っちゃまは帰らぬ人になった。せめてバラバラになってしまったご遺体は、魔法省の人間が綺麗に修復してくれたのが救いだった。
オミニス坊っちゃまがいなくなった後で良かった。マッドはそう考えた。ヴァレリアン坊っちゃまとオミニス坊っちゃまはあまり仲良しではなかったが、それでも実の兄弟だ。オミニス坊っちゃまが悲しむ顔は見たくない。ご主人様もマールヴォロ様も、ヴァレリアン坊っちゃまの死自体は、あまり気にしていないようだった。ご主人様にとっては、トラブルメーカーのヴァレリアン坊っちゃまは悩みの種でもあった。清々したとまでは言わないが、明らかにほっとしているように見えた。
だが、メリサンドラお嬢様だけは違った。この2人は妙に馬が合ったのかとても仲が良く、よくマグルを屋敷しもべ妖精に
キーキー叫んではティーカップを屋敷しもべ妖精に投げ付け、かと思えば何時間でもベッドに突っ伏して泣いていた。屋敷しもべ妖精が慰めようと声を掛けると、逆に悪化した。それでもマッドの仲間は、根気強くお嬢様に付き添っていた。マッドはお嬢様のご飯を食べる量が激減したのが、とても心配だった。仲間は毎日お嬢様の好物ばかり出していた。
翌年、メリサンドラお嬢様は静かに消えるように亡くなった。自死だった。それを見届けたのは、マッドの仲間だった。仲間は、声を出して助けを呼ぶことも、魔法でお嬢様を助けることも禁じられていた。何時間も何も出来ず、お嬢様の前で座り込んでいたようだった。
お嬢様のご遺体の前で、声を押し殺してさめざめと泣いている仲間を見つけたのはマッドだった。お嬢様の命令に縛られていないマッドは、すぐに助けようとしたがもう間に合わなかった。お嬢様の細い体は固く冷たくなっていた。泣いている仲間の前で、お嬢様の小さな足が微かに揺れていた。仲間はお嬢様の足元に
眠るように棺に横たわっているお嬢様の死に顔を、ご主人様は静かに見下ろしていた。お嬢様は子供たちの中で、一番奥様に似ていた。それが関係しているかは分からないが、ご主人様は愛娘の死に嘆き悲しんだようだった。お嬢様が埋葬されるまで、ご主人様は一言も口を利かなかった。
思えばこの時から、一気にご主人様は老け込んだように思う。数ヶ月で歩くこともままならなくなり、ベッドに寝た切りになってしまった。最期はか細い呼吸で、マールヴォロ様を寝室に呼び、家宝の指輪を授けていた。マールヴォロ様はニヤケ笑いを抑え込み、厳粛な表情でそれを受け取っていた。それからすぐにご主人様は逝ってしまわれた。魔法族の寿命を考えると、早すぎる死だった。
マールヴォロ様が当主になっても、マッドたちの生活はすぐには変わらなかった。変わったことと言えば、マールヴォロ様が奥様を
マールヴォロ様が気付いた時には、既に手遅れだった。このままでは屋敷の維持すら出来ない。マールヴォロ様はそう判断されたようだ。そしてマールヴォロ様が下した決断は、マッドにとっては死刑よりもつらいものだった。
ある朝、マッドが目覚めた時には、既に世界は終わっていた。屋敷には誰もいなかった。マッドは驚いて、慌てて厨房まで走った。この時間は、仲間がいつも朝食を作っているはずだからだ。しかしそこには焼き立てのトーストの香りも、皿を洗うガシャガシャとした騒がしい音も何もなかった。
あったのは、首をくくっていた仲間の変わり果てた姿だけだった。
マッドには理解出来なかった。マールヴォロ様とヴェローナ様がいないのも意味が分からないが、仲間が自殺しているのも意味が分からない。分かるのは、マッドがたった1体でここに残されたという事実だけだった。
しばらく呆然と仲間を見上げていたが、厨房にこのままにしてはおけない。マッドは仲間をそっと下ろし、埋葬してあげることにした。
場所は悩んだが、仲間がずっと気に掛けていたお嬢様の部屋のそばにある木の根元に埋めることにした。基本的に魔法を使ってはいけないので、マッドは仕方なく枝のような手で地面を掘った。何時間もかかったが、屋敷しもべ妖精の体がすっぽり入るくらいの小さな穴をやっと掘れた。
マッドは仲間に土を被せる前に、"それ"に気が付いた。仲間が何かを握り締めている。よく見たらそれは、生前お嬢様がよく付けていた、真紅のリボンだった。マッドはそのリボンを仲間の手からそっと抜き取り、縄の跡が残る首に綺麗に巻いてやった。リボンが寂しく揺れる。醜いとされる自分たちの首には似合わない、眩しいほどに鮮やかな赤だった。
せめて墓標を建ててあげたかった。しかしそんなものマッドは持っていない。庭をウロウロして、やっと平たくて白い石を見つけた。屋敷しもべ妖精の墓にするには立派なのではないだろうか。そっと土の上に置き、震える指で仲間の名前を刻んだ。彼本人とは普段あまり関わらなかったが、名前だけは最初に聞いていた。
『グリム』
それが、仲間のためにマッドが初めて自分の意思で行った仕事だった。
それからもマッドは床を磨き続けた。マッドはご主人様に捨てられていないかもしれないからだ。床を磨いて家具に溜まった埃を落として、迎えに来てくれると約束したオミニス坊っちゃまの部屋のシーツを取り換えて、そしてマールヴォロ様の寝室もなるべく綺麗に保つ努力を怠らなかった。いつ帰ってきてもすぐに寝られるように。
マッドは悲しくない。マッドは寂しくない。マッドは捨てられてなんかいない。
だってご主人様もマールヴォロ様もオミニス坊っちゃまも、誰もマッドにお洋服を渡してこなかったのだから。
◆ ◆ ◆
何年か、何十年か分からない年月が経った。毎日毎日マッドは床を磨いていた。
その日も玄関ホールの床を磨いていたマッドだったが、いきなり玄関の扉が開いて心底驚いた。
扉から入ってきたのは、白髪混じりの銀灰色の髪を一つに縛った背の高い初老の男性だった。その身に
「──オミニス坊っちゃま!!」
「おっと」
マッドは坊っちゃまにしがみついた。坊っちゃまは約束を守って下さった! マッドを迎えに来て下さったのだ! しかし、坊っちゃまはどこか戸惑ったような様子だった。
「えっと……。ハウスエルフがまだ残っていたのか……? 君、すまないが、私はオミニスではない」
「えっ……? で、でも、この魔力は確かにオミニス坊っちゃまの……」
「そうか。私の魔力はそんなに似ているのか。私はカシュートス・ゴーント。オミニス・ゴーントの息子だ」
「オミニス坊っちゃまの!?」
なんということだ。坊っちゃまはいつの間にか結婚していて、子供まで授かっていたらしい。カシュートス様の顔を見上げて、マッドはなんだか泣けてきた。きっと逃げた先で坊っちゃまは幸せに暮らせたのだ。
「……何故、カシュートス様がここに? 坊っちゃまが迎えに来て下さるのでは?」
「……あー、なんというか……、言いづらいんだが、父上はもう亡くなっているんだ。そういえば、君のことは父上から聞いたことがある。生家で育ててくれたのだと。連れて行けなかったことを後悔していた。父上は、君もマールヴォロ伯父上と一緒に新しい屋敷へ移ったものと思っていたらしい。ここに残されているとは知らなかったんだ」
「そんな、そんな……。ぼ、坊っちゃま……」
マッドの瞳からボタボタと涙が垂れてきた。マールヴォロ様がいなくなった時も泣かなかったのに。坊っちゃまがいつの間にか亡くなっていたことは、とても悲しい。でも坊っちゃまが、マッドのことを忘れていなかったということが嬉しくて堪らなかった。
「私はここを買い取ったのだよ。ここは父上の生家で、ゴーント家の元本家だからね。……もしかしてずっとここで仕事をしていたのか? たったの1人で?」
「はい。マッドはゴーント家のハウスエルフですから」
「……ハウスエルフの忠誠心を舐めていたよ」
カシュートス様は、目元に手のひらを当てて宙を仰いでいる。何かマッドが仕出かしてしまったのだろうか。この数十年で屋敷は少しずつ荒れ果てていた。やはり掃除が足りなかったのだろうか。せめて魔法を使えていれば、まだマシだったのに。
「……私の息子家族が、もうすぐここで暮らす予定なんだ。君はどうしたい?」
「マッドもここにいていいですか? マッドはゴーント家のハウスエルフです。ゴーント家の方々にお仕えするのが、マッドの使命なのです」
「……見上げた忠誠心だ……。よし、分かった。私の息子たちをよろしく頼むよ」
「はい! お任せくださいませ!」
笑顔で頷いたカシュートス様は、玄関ホールをゆっくりと見回した。今日はノルマ分の床磨きは終わっている。ドキドキしながらじっとしていると、そっと頭に手を置かれた。カシュートス様の手は少しカサついていて、でもとても温かかった。
「素晴らしいよ。床がピカピカだ。君は腕の良いハウスエルフなんだね」
「も、もったいないお言葉です……」
「そんな君にマッドなんて名前、ちょっと似合わないな。泥だなんて意地悪な命名だ。新しい名前をあげよう。……そうだな。ティフルはどうかな?」
「ティフル……?」
なんだろう。聞いたことのない言葉だ。でもマッドよりも軽くて明るい響きだと思った。
「そう。こんなに綺麗にしてくれたんだ。ビューティフルのティフル。君にピッタリな名前だろう?」
「……ビューティフルの……ティフル……。マッドはマッドじゃなくて、ティフル……」
ぱあっと世界が明るくなった。目の前の霧が晴れ、世界が広がったような、初めての心地だった。
ティフルはもう何にも我慢出来なくなった。情けないことに、蹲っていつまでも泣いてしまった。カシュートス様は、そんなティフルの背中を辛抱強く撫でて下さった。
そんなティフルの忠誠心は、今日もゴーント家に、オミニス坊っちゃまの子孫に注がれている。
●独自設定
オミニスの家族構成を独自に設定しました。トム・リドルの祖父、マールヴォロとは歳の離れた兄弟設定にしましたが、公式に明示されている訳ではないようです。あと、オミニスには兄と姉がいるようです。弟妹についてはゲーム内の話には出てこなかったので、オミニスは末っ子なのかなぁと。ノクチュアの遺した手紙には『弟』の存在が言及されているので、その弟がオミニスの父親だと推測しています。つまりノクチュアはオミニスの『伯母』なのだろうと。
●解説
それぞれのキャラクターに『七つの大罪』をなぞらえたモチーフを付けました。
父親、モルカント:独善
母親、モルウェナ:渇愛
長男、マールヴォロ:嫉妬
次男、ヴァレリアン:嗜虐
長女、メリサンドラ:虚栄
三男、オミニス:希望
伯母、ノクチュア:異端
長兄嫁、ヴェローナ:浪費
老エルフ、グリム:絶望
新人エルフ、マッド:盲信
裏設定として、モルカントとモルウェナが従兄妹同士。マールヴォロとヴェローナも従兄妹同士です。名前もそれぞれお揃い感を出してみました。でもそうすると本家以外に近しい傍系のゴーント家が存在することになってしまいますが、そこら辺は細かく決めてないのでふわっと受け止めてください(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”ペコ
ゴーント家はオミニスとノクチュアが顔が似ていて、整っています。他の人たちは純血貴族にしては珍しく、お世辞にも美しいとは言えない容貌です。ただ、ヴァレリアンはスラリとした体型をイメージしています。本来のゴーント家は、オミニス系統の純血貴族らしく整った顔立ちの一族でした。しかし近親婚を繰り返すうちに、段々と容貌も崩れていった、という設定です。
ヴァレリアンという名前は、セイヨウカノコソウという植物から来ています。鎮静・睡眠の薬草として知られています。彼は魔法薬学だけは得意で、そこは姪に当たるメローピーと少し似ていますね。ヴァレリアンの性格は一言で表すと、いわゆるサイコパスです。
メリサンドラは、メリ(蜂蜜)+カサンドラ(神話に出てくる、誰からも信じて貰えない孤独な予言者)から創作しました。甘い毒を持つ愛されない少女を表現しています。性格は自己愛性パーソナリティ障害と境界性パーソナリティ障害(ボーダー)を併せ持っています。潜在的には誰かに愛されたかった彼女ですが、ゴーント家ではそれが難しいという悲劇でした。
実際、メリサンドラは美少女ではありません。しかしヴァレリアンはそんな妹のことを、
作中に出てくるゴーント邸は、本編でセリクスが住んでいるミレヴィエル湖の屋敷です。マールヴォロは財産がなくなり維持出来なくなったため、屋敷を捨てリトル・ハングルトンの家に落ち延びました。その後、ヴェローナはモーフィンとメローピーを産みましたが、まだメローピーが幼い頃に亡くなっています。ゴーント家の女は短命です。生まれつき虚弱で、出産のダメージに耐えられないのです。
グリムについては、本文では詳しく触れていませんが、メリサンドラと同じ方法で亡くなったという裏設定があります。誰かに殺された訳ではなく、自ら命を絶ちました。マッドもグリムも、最後まで洋服を渡されることはなく、正式に解放されないまま屋敷に置き去りにされています。けれど、2人の受け止め方は正反対でした。
マッドにとっては、「解放されていない」という事実そのものが救いでした。自分はまだゴーント家のハウスエルフなのだから、いつか主人たちが戻ってくる。そう信じることで、待ち続けることが出来ました。一方のグリムは、連れて行ってもらえず、それでいて解放すらされなかったことに絶望しました。長年料理を担当していた彼にとって、食事を作る相手が誰もいなくなったことも大きかったのだと思います。
また、グリムはマッドよりずっと年老いていました。その分、自分たちが置かれている状況を、まだ若かったマッドよりも正確に理解してしまったのかもしれません。同じ「解放されなかった」という事実が、マッドにとっては生きる理由になり、グリムにとっては死を選ぶ理由になりました。
【あとがき】
『ホグワーツ・レガシー』の続編の話も出ているようなので、今後オミニスの状況がまた分かってくるかもしれません。その前に出してしまおうと、このタイミングで公開してみました( ̄∇ ̄*)ゞ
これで第4章が完全に完結いたしました!
以前お知らせした通り、第5章からは週1更新に変更いたします。
今の予定では、10月3日(土)20時頃から第5章の更新を開始する予定です。
是非これを機に、お気に入り登録・しおり・ここすき・感想・評価など、よろしくお願いいたします=͟͟͞ _|\○_ズシャアッ
してくれたら作者は飛び上がって喜びます!
作者の栄養になり、執筆のモチベーションにもなりますŧ‹”ŧ‹”(๑ᵒ̴̷͈༥ᵒ̴̷͈๑)ŧ‹”ŧ‹”
では皆様、第5章もよろしくお願いいたします*.*⸜(*ˊᗜˋ*)⸝*.*