この世界は力こそが全てだ。ああ、別に獣の群れじゃないんだし、単純な力以外だって認めているさ。
知力政治力に運命力、僕達封魔士には絶対に必要な霊力を持ち扱えるのが絶対条件だが、誰も彼もが前線で力を振るう必要は無いんだ。
ああ、才能が有る前提だが実力の次に大切なのは努力を続ける為の精神力だな。
「ちっ! 今日は調子が悪い」
朝飯にと買って来たコンビニのサンドイッチは僕の手の中で無惨に潰れ、具材は周囲へと飛び散ってしまう。
思わず苛立ちをぶつけて叩いたテーブルも拳が当たった所を中心に割れて木片が散らばった。
「流石の碓井の旦那もその訓練には苦戦してるでヤスね」
「黙れ。坂田に出来て僕に不可能な筈が無い! 葵さんならいざ知らず、本当の天才を超えた天才には勝てない彼奴に負けてたまるか」
余計な茶々を入れて来たルームメイトの楠を睨みつつ残ったサンドイッチへと手を伸ばす。
蟻でも摘む際の様にゆっくりと手加減して、それでも腕の速度は通常の数倍にまでなっている。
強化した状態で日常生活を過ごす。言葉にすれば簡単だが、実際は才ある者のみに可能、つまり僕みたいな奴にのみ許される方法だ。
努力が才能を凌駕するなんてのは凡才を慰める為の常套句。才能があれば効率良く努力を行える。凡才にだけ特別に一日が百時間与えられでもしない限り一日の時間は同じなんだ。凡才がアタフタと非効率に頑張る中、天才はより効果的な内容を同じ時間を使って行える。
結果、差は広がり続けるのだ。
身体強化は普段と同じ力加減で動いても強化倍率だけ速度も威力も上がるんだ。普段軽く握って握力三十キロなら十倍強化で三百キロてな具合にね。
つまり、普段通りに暮らそうと思ったら十倍に強化する場合は十分の一の速度と力で動くイメージをせねばならず、これが霊力のコントロールの訓練に丁度良い。
慣れれば出力を上げる訓練にも発展するしな。
「偉そうに言うならお前もやってみろ。無理とは思うけれどな」
「へへっ。生憎前線に出張るよりも後方支援や情報収集が得意分野なもんで」
「必要性は認めてやるが。一番体を張るのが最も重要なんだ。それと媚を売るなら坂田じゃなく僕にしておけ。家の方だってそれなりに大きいし発言権があるんだ」
少なくとも楠みたいな雑魚には無理だ。学園全体を見ても男子なら二年生なら僕とついでに坂田、三年生にも二人居るだけ。
まあ、更に動き方を武術のそれにしながらとか変態じみた事を坂田はやっているが。
僕の魔眼がコピーするのはあくまでも体や霊力の動き方。繊細な力加減だの技術まで本来の使い手に追いつけるわけじゃない。次に叩くべき鍵盤が光って分かるピアノを使うみたいなもので、僕が天才だからどうにかなっている。
ええい! 負けてなるものか! 何時か必ず奴に打ち勝ってあおいさんを振り向かせてやる!
大体、無才の雑魚なんて下等な連中にさえ良い顔をしているか等彼女の尻の良さが理解出来ないんだ。
普通臀部は大きい安産型が一番じゃないか。それも含めて貴様は愚かなんだ、坂田ぁ!
「ようよう、ちっとはマシになった……いや戻ったな、坊ちゃん」
「そりゃそうですよ。力は認められつつどうとでもなる程度の優等生を演じろと言われていても流石に実家でまで演じませんよ」
未だ調整が有るからと七巻半を鍛冶場に預け、大婆様は寝ているそうなので顔見せは後。
薬まで使って搾り取られる予定の時間も未だ先だと安堵しつつ結局は先延ばしになっただけの中、面倒な相手に絡まれた。
【犬鬼灯】、ボンジリ達を狂わせた術に使う血と殺意の提供者。序でに後で殺されようが今の時点で私が気に入らないから殺したいとの考えの持ち主。
ざっくばらんの長い白髪に異形の大太刀を絡めて保持し、前が大きく開いたぼろの着流しを着た少女。鹿のような大きな双角を持つ。
鞘に収まらない長く歪んだ刃を持つ獲物に手を伸ばそうとした瞬間には顔面に向かって拳を振り抜いていた。
「あがっ!」
何度か天井や壁に跳ね返りながら飛んで行き、巻き込まれた小鬼が潰れて生き絶えるも当の犬鬼灯は何事も無かったかの様に立ち上がる。
右目の辺りが拳の形に陥没し目玉は潰れ、所々に床や壁の破片が刺さっているがふらつきもせずにだ。
私も無事では無いが、殴り飛ばした際に不格好な姿勢で蹴られた程度。骨に僅かながらヒビが入った気もするが直ぐに癒るので問題は無い。
「これだから鬼を相手に喧嘩するのは嫌なんですよ。無駄にタフなんですから。取り敢えず腹をぶち抜いて内臓の代わりに納豆でも詰めてあげますよ」
致命傷以外は擦り傷。何なら首を落とされても空を飛んでケラケラ高笑いをするまで有るのが鬼。
目の前のは多少頑丈なだけで鬼としては下級(茨城童子さんなら微動だにしない)だが、それでも動きに支障が出る程の傷ではなかった。
なのでギッタギタのズタボロにしてやれば良いだけで、向こうも同じ意見だ。
「ははっ! 坊ちゃん、裏界に戻ったら本当に面白いですなあ! 金時の孫よりも英雄らしく何より鬼らしい! また気に食わなくなる前に殺しときますわ!」
「お前が死ね」
此方に戻って来てから感じ続けるのは圧倒的な解放感。鬼が住まい鬼と共に育った場所は私の中の鬼の血を刺激する。
仮面どころか全身を覆う殻になった顔、英雄の血を引く優等生を脱ぎ捨て、荒ぶる心のまま、本能に従って暴れようとした瞬間、文字通り頭を冷やされた。
比喩ではなく実際に、頭だけでなく全身が。吐く息は白く、息を吸えば冷気で唾液が凍って口の中に張り付き、目にも薄い氷の膜が張る。
体の芯から凍り付く感覚、室内にも関わらず吹雪始めて銀世界。
術で火を出しても無駄だろう。一瞬でかき消される。
この光景に最初に浮かんだのは、掃除が大変そうという物。溶けて水浸しになった後が大変だ。
続いて不機嫌そうな女の声が轟いた。
「人が気持ち良く寝てるってのに物騒な真似してるんじゃないよ、馬鹿共」
白い着物から覗く細長く艶めかしい生足、吹雪に揺れる青みが掛かった長髪。胸は一見すれば豊かでは無いが、帯を緩めれば押し込められていた物が内側から姿を見せる。
ドタドタと荒い足取りで裾が捲れ上がるのも気にせずに寄って来た彼女の手が伸ばされて私の額を軽く叩く。
相手は細身で私よりも小柄、手の動きだって見切るのは簡単。にも関わらず犬鬼灯の不恰好な蹴りなど比較にもならない衝撃が全身を貫き、叩かれた場所を中心に体温が急激に冷やされた。
もし傷口に触れられればその場所から血管内部の凍結が全身を伝播するであろう確信を与えた彼女こそ私が苦手とする幹部の一角、【雪女郎】の
……私に一服盛って一晩逆レをした犯人だ。
「どうもお久しぶりです、雪羅さん」
「久し振りって言うならもうちっと帰って来ても良いと思うんだけれどねぇ。まっ、封魔士としても鬼としても育ったみたいだから良いけれどさ」
細い指が私の服の中に入り込んで脇腹を撫で、氷よりも冷たくザラザラした舌が首筋を舐め付ける。
喧嘩の途中にも関わらず犬鬼灯が黙っていると思ったら背を向けて去って行くのが見え、その背中がアホ臭いと語っているのが分かった。
「相変わらず良い体だ。英雄と鬼の気が混じっていて浴びるだけでゾクゾクするじゃないか。……今晩は手下共も呼んで乱痴気騒ぎの予定だったが……アタシと茨城だけで楽しむとするか」
「お二人をずっと相手するよりは乱痴気騒ぎの方が楽なんですけれどね」
他のを相手している時間は実質的な休憩時間だが⏰どうやら与えてくれはしないらしい。
「取り敢えず大婆様への顔見せが先ですね。将棋でも誘いましょうか」
それで時間を潰せればどれだけ助かる事だか……。