イースタルの片隅で   作:ありさかいずも

1 / 16
今更ですが、ログ・ホライズンの二次創作です。


遭難

 滝(たき)は、祖父の背中を見て育った。

 

 山道を登るときも、沢筋を下るときも、雪の朝、罠を見に行くときも、祖父はいつも少し前を歩いていた。

 振り返ることはほとんどなかったが、足の置き方ひとつ、間の取り方ひとつで、そこに何があるのかが自然と伝わった。

「そこ、踏んだらあかん。崩れとる」

「沢の石、光っとるとこ、あれはよう滑る」

「獣はの、人より先に風を読みよる」

 そんな言葉を、子どもの頃から何度も聞いて育ってきた。

 それは紙に書かれた知識ではなく、山で生きてきた人間が持つ、暮らしの中に染み込んだ言葉だった。

 

【挿絵表示】

 

 

 祖父は猟師だった。

 もっとも、それは"仕事"というより、山里にかろうじて残っていた暮らしの一部に近かった。

 畑を耕し、山菜を採り、罠を見回り、時に鹿や猪を獲った。

 かつては一家を支える生業だったのかもしれないが、今ではそれだけで暮らしていけないことを、滝はどこかで理解していた。

 

 猟師になりたかった。

 現実的ではないことは、滝にも分かっていた。

 それを口にして、笑われるのも嫌だった。

 

 進路希望の紙を前にすると、いつも少しだけ胸が痛んだ。

 書きたい言葉はいくつもあるのに、どれも書けなかった。

 

 だから、その憧れを仮想世界に持ち込んだ。

 

 せめて夢の中だけでも、祖父の背中を追いかけたかった。

 それが、滝が《エルダーテイル・オンライン》を始めた理由。

 そして、キャラクターのサブ職業に《狩人》を選んだ理由だった。

 

 《エルダーテイル》は、世界最大級のMMORPGだった。

 剣と魔法、モンスターとダンジョン、生産から対人戦まで、遊び方は無限にあった。

 日本サーバーの中心はアキバで、多くのプレイヤーが集まっていた。

 

 けれど、滝の遊び方は少し変わっていた。

 アキバに長居することは少なく、ギルドにも所属していなかった。

 彼女が好んだのは、人気のない山岳フィールドや森林マップだった。

 

 人の多い場所は、嫌いというほどではなかった。

 ただ、どうしても落ち着かなかった。

 少し黙っているだけで、ひとりだけ会話に乗り遅れているような気がした。

 

 その点、山の中は楽だった。

 誰も喋らなかったし、喋らなくても困らなかった。

 

 《タキ》

 キャラクター名は、本名をそのままカタカナにしただけだった。

 

 種族は《ドワーフ》。

 男のドワーフなら、短躯で骨太、髭を蓄えた頑丈な職人風の姿になるのだが、女性ドワーフは少し違う。

 背が低く小柄で、年齢より幼く見えやすい。

 タキもまた、ゲームの中では実際よりもさらに幼く見えた。

 

 最初は、正直、失敗したと思った。

 画面の中の自分は、実際の自分より、少し幼く見えたからだ。

 誰かに会うたび、少しだけ居心地が悪かった。

 けれど結果として、その頑健さと持久力は、長時間の探索にぴたりと噛み合った。

 

 メイン職業は、敵の隙をついて戦う《アサシン》。

 レベルは27。

 サブ職業は、山野での狩猟や生存技術に長けた《狩人》。

 最大95レベルまで拡張された時代では、中堅にすら届かなかった。

 

 だが、山岳フィールドや森林マップでは話が違った。

 沢沿いの細いルート、高低差のある尾根道、視界の悪い森のマップ、人気の少ない狩場。

 そういった野外のフィールドでは、レベル以上の力が出せた。

 マップの陰になる場所。

 モンスターの巡回経路。

 逃げ道になる沢筋。

 高所から射線の通る崖地。

 そういう地形を見つけるのが、ほかのプレイヤーより少し上手かった。

 祖父と一緒に山野を歩いた記憶が、活きていたのかもしれない。

 

 そして、もうひとつ、このゲームを続けていた理由があった。

 愛用の武器。

 ゲーム初期に流通した、旧式銃を模したライフル型クロスボウ。

 性能は店売りのクロスボウ程度。

 おまけに、白煙と重い発砲音まで再現されたネタ武器で、まともなプレイヤーならまず使わなかった。

 アキバの露店で見つけたとき、売り手はそれを半ば投げ売りのように並べていた。

『うるさい!弱い!懐かしのネタ武器!!』

 そんな説明が添えられていた。

 

 だが、タキは足を止めて見入った。

 長い銃身。

 木の銃床。

 古びた金具。

 それが、どこか祖父の村田銃を思わせたからだ。

 

 値段を見て少し迷った。

 迷ったけれど、立ち去ることができなかった。

 結局、なけなしの資金を全部注ぎ込んで買った。

 

 無駄遣いだと分かっていたし、買ったあとで少しだけ後悔もした。

 それでも、インベントリに入ったその武器を見ると、妙に嬉しかった。

 そして《ライフルクロスボウ》という味気のない名前を、《村田銃》と書き換えた。

 

 夜。

 滝は父の書斎で、いつものように古いデスクトップPCの電源を入れた。

 

【挿絵表示】

 

 

 胸が高鳴った。

 その感覚を、自分でも少し子どもっぽいと思った。

 

 いつものロード画面。

 いつもの音楽。

 そのはずだった。

 

 突然、視界の端にノイズにも似た光がちらついた。

 激しい耳鳴りが、頭の奥を貫いた。

 次の瞬間、足元が消えたような気がした。

 

 そこは、深い山の中だった。

 

「…え?」

 

 気がつくと、タキは地面に膝をついていた。

 手のひらに枯れ葉の感触があった。

 鳥の声。

 木々を揺らす風の音。

 青い空が、枝の隙間から見えていた。

 

 最後にログアウトしたのは、イースタル北部、ルソーラ地方の山中だったはずだ。

 

 夢?

 

 最初は夢かと思った。

 だが、何かが違っていた。

 空気が冷たかった。

 

 服に染みる土の湿り気。

 眩しい木漏れ日。

 

 そして、匂い。

 濡れた土の匂い。

 苔の匂い。

 早春の山野の匂い。

 

「うそやろ?」

 

 声が少し裏返った。

 立ち上がろうとして、足がもつれた。

 一度、地面に手をついて、息を整えた。

 そのときはじめて、肩の重みに気付いた。

 ゲームで見慣れた、いつもの装備があった。

 肩に掛かる銃の重さ。

 厚手の布服。

 毛皮の肩掛け。

 革手袋。

 毛皮のブーツ。

 大きなザック。

 腰の剣鉈。

 

【挿絵表示】

 

 

「なんや、これ?」

 

 鼓動がやけにうるさかった。

 喉の奥がひりついた。

 帰らなあかん、と思った。

 けれど、本当に帰れるのかも分からなかった。

 目の奥が熱くなった。

 だが、泣いたところで仕方がないことも分かっていた。

 滝は大きく息を吐いて、森の匂いを吸い込んだ。

 知っている匂い。

 少しだけ気持ちが治まった。

 

「…遭難、やな」

 

 ぽつりと呟き、村田銃を担ぎなおした。

 声にしてみると、それはひどく間の抜けた言葉だった。

 けれど、今はそのくらい単純に考えたかった。

 

「とりあえず沢沿いに下ろか」

 

 滝はひとり、山を下り始めた。

 鼓動はまだ治まらなかった。

 それでも足は、いつものように動いた。




用語
メイン職業:戦闘能力とスキルの中核を決める戦闘クラス。

サブ職業:生産・生活・補助能力を担う副職で、戦闘外や特殊状況を支える。

アサシン:メイン職業。素早さを活かし、敵の隙を突いて大ダメージを与える軽装戦士です。

狩人:サブ職業。山野での狩猟・追跡・生存技術を持ち、短弓などの狩猟用具の扱いに長けています。

イースタル:現実世界の関東地方です。

ルソーラ地方:栃木から日光自然公園周辺にあたる地方です。

村田銃:明治期の単発式軍用ライフルで、払い下げ後に多くが散弾銃へ改造された。タキの祖父の銃は原形のままの希少な個体。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。