夜の冷気が山あいの街を包みはじめていた。
陽が落ちると、山々は深い闇に包まれる。
街の灯りが斜面に沿って点々と灯り、川の流れが絶えず響いていた。
獣も人も、夜の闇には抗わず、それぞれの寝床に引きこもっていた。
タキは、宿の二階の小さな部屋で、村田銃の手入れをしていた。
油を含ませた布で銃身を拭き、薬室をぬぐう。
指先に馴染んだ感覚が、気持ちを落ち着かせた。
不意に戸を叩く音に、タキの肩が震えた。
「…はい?」
扉を開けると、そこにいたのはルソーラ猟兵団の男だった。
確か槍を使う年嵩(としかさ)の男だ。
「起きてたか」
「ん…」
男は少し言いにくそうに頭を掻いた。
「近くの村で、屍食鬼(ししょくき)が出たらしい」
屍食鬼―グール。
灰色の皮膚と鋭い牙を持つ不死者(アンデッド)だ。
闇に紛れて徘徊し、死肉を漁る。
強い未練を残して死んだ者が成り果てるというが、本当のところは誰も知らなかった。
ただ、墓を暴き、家畜を殺す、厄介な存在であることは確かだった。
「本来なら衛兵の仕事のはずだが、我々にも声がかかった。…行くか?」
タキはすぐには答えず、窓の外に目を向けた。
祖父ならどうしただろうか?
おそらく、何も言わずに支度を整えたはずだ。
「…行ってもええ」
そう応じると、男は「助かる」と短く笑った。
タキは銃を肩に掛け、ベルトポーチに入れた弾丸を指で確かめた。
満月が中天に届く頃、一行は目的の村にたどり着いた。
村全体が息を潜め、死んだように静まり返っていた。
家々の窓は厚い板で塞がれ、漏れる灯りはひとつとしてなかった。
家畜小屋のあたりからは、逃げ場のない動物たちが味わった恐怖を物語るように、生臭い匂いが漂っていた。
「今夜も来る。毎晩のように、鶏や山羊がやられて…」
村の老人が、震える声で言った。
猟兵団の組頭が、部下たちに周囲を調べるよう命じた。
タキもその横でしゃがみこむ。
柔らかい土に残された足跡が、重なり合いながら、裏手の林に続いていた。
組頭の言葉に、誰も返事はしなかった。
一行は灯を絞り、声を殺して進んだ。
「皆、止まれ」
林を抜けた先に、いつのものか判らない、石造りの廃墟が現れた。
崩れた壁。
苔むした石段。
蔦に覆われた柱。
その佇まいからは、かつて寺院か墓所であったと思われた。
今はただ、カビと土の匂いが鼻につくだけだったが。
崩れた石壁の陰で何かが動いた。
低い唸り。
黄色い瞳が、闇に浮かぶ。
「来るぞ」
組頭の号令と同時に、何かが飛び出した。
灰色の皮膚。
裂けた口。
長い爪。
屍食鬼だ。
猟兵の槍が闇を突き、太く短い剣を横に薙ぐ。
だが屍食鬼は、骨と皮ばかりに痩せながらも、獣のようにしなやかな動きを見せた。
「深追いするな、円陣を組め!」
組頭の指示に従い、猟兵たちは円を描くように並んだ。
屍食鬼の爪には毒がある。
掠っただけでも致命傷になりかねない。
槍先で牽制し、踏み込んできた個体を確実に仕留める構えだ。
タキは円陣の中心近くで投石紐(スリング)を振り、正確に屍食鬼の頭を撃ち抜いた。
骨の砕ける音が響き、一体が倒れる。
一行は足を止めることなく、屍食鬼を排除しながら奥へと進んだ。
崩れた石壁や、倒壊した石柱の陰から、次々と影が襲いかかる。
猟兵たちの怒号と、屍食鬼の不気味な叫びが廃墟に響いた。
臭気が肌にまとわりついた。
石畳を奥に進むたびに、死臭は濃くなっていった。
タキは顔をしかめながらも、無心に手を動かし続けた。
不意に空気が変わった。
崩れた祭壇の向こう、最も闇の色濃い場所から、それは現れた。
「大きい…」
誰かが口にした。
〈墓場漁り〉
年経て力を増した屍食鬼である。
人の背丈を上回る巨体。
背には、巨大な頭陀袋(ずだぶくろ)。
片手には、月光を受けて鈍く輝く、鉄塊を削り出したような蛮刀。
フードの奥の顔は、影に沈んで見えなかった。
ただ、黄色い眼だけが不気味に光っていた。
「下がれ!」
組頭の鋭い声が響くが、怪物の動きの方が速い。
蛮刀が閃き、前に出た男に斬りかかった。
男は蛮刀を斧で受けたまでは良かったが、膂力の差に弾き飛ばされた。
猟兵たちは槍を突き出し、斧を叩き込んで応戦する。
だが、圧倒的な膂力で蛮刀を振り回す敵に、猟兵団は押し込まれようとしていた。
「もっと下がれ、押し潰されるぞ!」
組頭が叫ぶ。
その陰で、タキはすでに位置取りを終えていた。
村田銃を下し、素早く構える。
中指と薬指の間に予備の弾丸を挟み、親指でハンドルを跳ね上げる。
流れるような動きで弾丸を滑り込ませ、ボルトを押し込んで閉じる。
立射。
照準の先は、胸の中心。
引き金を絞る。
轟音。
白煙の向こうで〈墓場漁り〉の巨躯がのけぞった。
肩を突き飛ばされるような衝撃と同時に、すでに指はボルトを掴んでいた。
空になった薬莢が転がり落ち、乾いた音を立てた。
素早く体勢を整え、続けざまに二発。
立ち込める硝煙の中、さらに指先で弾丸を込め、最後の一撃を撃ち込む。
落雷のような音が、廃墟の壁に幾重にも木霊(こだま)した。
猟兵団の面々は、その光景に言葉を失っていた。
彼らにとって、タキが抱える武器は、正体不明の魔道具である。
火を噴き、凄まじい音を立てるその武器は、連続しての使用が難しいと思い込んでいた。
硝煙を吐き出し、金属の噛み合う音が響く。
一発ごとに繰り返される動作には、一分の淀みも、迷いもなかった。
石畳を叩く空薬莢が、正確なリズムを刻んで転がる。
それは、正確に繰り返される儀式のようにも見えた。
「何なんだ、あれは…」
誰かが掠れた声で呟いた。
残響が消える前にはもう、新たな弾丸が怪異を穿っている。
上位種である〈墓場漁り〉が、なす術もなく削り取られた。
隊長だけは、苦い顔でその銃撃を見つめていた。
この世界に存在する、いかなる魔法や弓技とも異なっている。
それ以上に恐ろしいのは、これ程の攻撃を繰り出すタキの瞳が、凪ぎのように静まり返っていることだった。
最後の一撃が怪異の胸を貫き、ようやく静寂が戻った。
猟兵たちは釘付けになり、動くことさえ忘れていた。
白い煙がゆっくりと漂う中、ただ一人、タキだけが何事もなかったかのように武器を下ろし、小さく息を吐いた。
「…毎度思うが、お前のそれはうるさい」
頭目が咳き込みながら口を開いた。
硝煙を手で払いながらの言葉に、誰かが笑った。
「それに臭い」
「目も痛いぞ」
別の仲間も悪態をついた。
「…かんにんな」
そう言って、小さく頭を下げた。
「いや、助かったぞ」
「今回も生きて帰れるしな」
「ああ、違いない」
猟兵たちは、肩を叩きあいながら豪快に笑った。
廃墟を出ると、夜風が火薬の匂いを洗い流していく。
月は変わらず、静かに山道を照らしていた。
「…やっぱり、猟行くほうがええな」
タキは、まだ熱の冷めない銃身を見つめた。
用語
〈屍食鬼〉:グール。闇に紛れて徘徊し、墓を暴き死体を貪るアンデッド。爪には毒を持ち、カビ臭い灰色の皮膚と黄色い目、発達した犬歯が特徴。強い未練と恨みを残して死んだ者が〈屍食鬼〉になると言われている。家畜などを襲うこともある。
〈墓場漁り〉:ドゥームスカベンジャー。屍食鬼の上位種。巨大な頭陀袋を背負い、円月刀を片手に構えている。顔は見えず、黄色い眼光がフードの奥で光る。打ち捨てられた墓所から、満月の夜、屍食鬼を伴って現れることがあるという。