前を歩いていた組頭が、不意に振り返った。
猟兵団の組頭、メドヴェ。
大柄で、熊のような厚い肩幅を持つメドヴェは、タキの顔を覗き込むようにして言った。
「…嬢ちゃん。怪異より、普通の獣の方がやりやすいか?」
「そら、獣は理屈がわかるさけ」
タキが短く答えると、メドヴェは低く笑った。
「違いない。理屈の通じない死人(アンデッド)よりは、腹を空かせた猪の方がよっぽど付き合いやすい」
しばらく湿った山道を下り、メドヴェはふと思い出したように言った。
「このまま帰る前に、温泉に寄らんか。オッカム・バースだ。ここからそう遠くない」
「温泉?」
「ああ。ソノハラの上流にある湯治場だ。猟師も木こりも、怪我した衛兵も、仕事の合間に羽を伸ばすところだ」
「それにな…」
メドヴェは自分の袖をつまみ、顔をしかめた。
「屍食鬼(グール)の臭いは、さすがに街の宿じゃ嫌がられる。それに…あそこにはいろんな連中も集まるからな」
「いろんな?」
「行けばわかる」
それだけ言って、メドヴェは再び背中を向けた。
タキも自分の服の匂いを嗅いでみた。
鉄錆のような匂いと、湿った土埃の匂い。
そして、鼻の奥にこびりつくような腐臭。
たしかに、今のままでは自分でも鼻が曲がりそうだった。
「行く」
タキが応じると、後ろを歩いていた猟兵たちがドッと沸いた。
「決まりだな! 今日は美味い酒が飲めるぞ」
「お前らはそればっかりじゃねえか」
目に見えて速くなった部下たちの歩調に、メドヴェは苦笑した。
*
渓(たに)沿いの宿、オッカム・バースは、朝もやの中に沈むような佇まいだった。
夜が明けたばかりの山道を、軒先のランタンがぼんやりと照らしていた。
木の匂い。
硫黄混じりの湯の匂い。
そして、遠くから聞こえる笑い声。
静かなはずの山の中で、そこだけ不思議と活気を帯びていた。
「ここだ」
メドヴェが顎で示した先、湯治場の入り口には、すでに先客がいた。
煤けた顔の鉱夫や、獲物を担いだ地元の猟師たち。
だが、その中に、明らかに周囲と「浮いている」者たちがいた。
服も防具も、あまりに綺麗すぎるのだ。
汚れ一つない明るい色の布地。
長剣を背負った少女。
彫刻が施された大盾を背負った青年。
派手な意匠の杖を持つ若い男。
彼らは湯治宿の主人を囲んで声を弾ませていた。
「ねえ、この辺でいい狩場知らない? ドロップが美味しいやつ」
「報酬のいいクエストって知らないか?」
「このNPC、話が長くて参るよな」
笑いながら交わされるその言葉に、タキは思わず足を止めた。
タキも彼らと同じ〈冒険者〉のはずだった。
けれど、目の前の光景は、どこか遠い異世界の出来事のように見えた。
「…変やな」
「何がだ」
隣に来たメドヴェが、低く問いかけた。
タキはしばらく迷った後、冒険者たちを見つめたまま答えた。
「同じようなもんやのに。…あの人らは、そうは思てへんみたいや」
この世界の住人を、彼らは〈NPC〉としてしか見ていない。
メドヴェはしばらく沈黙し、やがて、山の天気を語るような調子で言った。
「まあ、そういう連中もいる。気にするな」
それは、諦めでも憤りでもない、ただの事実としての言葉だった。
*
湯から上がったタキは、真新しい服に袖を通した。
熱を持った肌に山からの風が心地良かった。
軒先の縁台では、猟兵たちがすでに大きな木の椀を傾け、豪快な宴を始めている。
タキは少し離れた場所で、濡れた髪を布で拭きながら川の流れを見つめていた。
そこに、軽やかな足音が近づいてきた。
「ねえ。君、冒険者だよね?」
顔を上げると、先ほどの冒険者が立っていた。
二十歳前後だろうか。機能美よりも見た目を重視したような軽鎧と、使い込まれていない長剣。
高い位置で結ばれたポニーテール。
「…たぶん」
「たぶんって何よ、それ」
冒険者は、おかしそうに笑った。
「いや、さっき見てたらさ。あまりに村の子に馴染んでたから。装備もそうだけど、宿の人との喋り方が完全に現地の人なんだもん」
ミナの視線が、壁に立てかけられた銃に止まった。
「それにそれライフルクロスボウ? 懐かしいな、初期のネタ武器」
「村田銃」
「え?」
「村田銃やろ。これ」
タキが真顔で言い返すと、冒険者は一瞬呆気に取られたように黙り込んだ。
「…あ、うん。まあ、そう呼ぶならいいけどさ。でも珍しいよね、あえてそれ使うなんて。威力も低いし、音ばっかりうるさくて使いにくいって評判だったでしょ?」
後ろから来た杖の男も、興味深そうに村田銃を見た。
「普通、アサシンなら短剣とか、弓を使うだろ。効率悪いんじゃないか?」
「この方がええから」
タキの返答があまりに淀みなかったので、三人は顔を見合わせた。
ステータスや効率。
冒険者の物差しを、タキは理解していないし、噛み合ってもいない。
ミナは肩をすくめて笑い、タキに歩み寄った。
「まあいいや、こだわりがあるってことね。ねえ、今度私たちと一緒にクエスト行こうよ。この辺の地理、詳しいんでしょ?」
タキはしばし考えた。
湯気の向こうで、赤ら顔で笑い合っているメドヴェたちを見る。
彼らと共に歩く依頼と、この冒険者たちと歩く「クエスト」の違いを、少し考えてみる。
「…遠出せんなら、ええよ」
「決まりね! 私はミナ。こっちの杖がレンで、盾持ちがゴウ。よろしくね、タキ」
ミナが差し出した手を見て、タキは小さく頷いた。
湯気の向こうで、誰かが笑っていた。
それが大地人のものか、〈冒険者〉のものか、よく分からなかった。
けれど、笑い声は、どちらも同じように川の音に紛れていった。
タキはそれを聞きながら、濡れた髪をもう一度拭いた。
用語
・オッカム・バース:ソノハラ水門市の上流にある温泉地。猟師、木こり、鉱夫、傭兵たちの湯治場として知られ、〈大災害〉以後は冒険者たちも多く訪れる情報交換の場となったという。
モデルは群馬県沼田市・薗原ダム上流の老神(おいがみ)温泉。老神=オッカムOckham、温泉=Bath
・三人の冒険者:まだ《大災害》が起こっていないため、《エルダーテイル》をゲームとして楽しんでいる普通のプレイヤーです。