屍食鬼騒動から二か月が経っていた。
サキタカ周辺の村々には、静かな生活が戻っていた。
朝はせせらぎの音で目が覚める。
太陽が昇ると斧の音が山に響く。
夕方になると、家々の煙突から煙が昇る。
タキの小屋は、村と森の境にあった。
丸太を組み、隙間に苔と粘土を詰めた粗末な小屋である。
小屋の屋根は杉皮と板を重ね芝を張った丈夫なものだったが、少し雨が漏ることもあった。
村人と一緒に鹿や猪を追う。
山菜を摘み、時には沢で岩魚を獲る。
そんな暮らしを、タキは気に入っていた。
*
その日も、タキは小屋の前で薪を割っていた。
切り株に立てた薪に鉈を食い込ませ、そのまま切り株に打ち付けと、ぱきっと薪が割れる。
割った薪を避け、また無心に薪を割る。
ふと、気配を感じ顔を上げた。
坂の向こうから、見覚えのある三人がやってくるのが見えた。
剣を背負ったミナ。
魔術師のレン。
大盾を携えたゴウ。
湯治宿、オッカム・バースで知り合った〈冒険者〉たちだった。
タキにとっては二か月ぶりだったが、彼らにとっては、まだ五日前のことでしかなかった。
現実と、時間の流れが異なっていた。
「いた! タキ!」
ミナが手を振った。
明るい声。
けれど、どこか周囲の様子から浮いて見えた。
表情も仕草も、どこか作り物めいていた。
タキは、少し首を傾げた。
剣鉈を切り株の上に置く。
「…来たん?」
「約束したじゃない。この前、遠出しないならいいって」
「…そやった」
ミナはきょとんとした。
「もしかして忘れてた?」
「忘れてない」
「絶対忘れてた!」
そんな二人の遣り取りをよそに、レンは村を眺めていた。
広場でうわさ話に興じる女たち。
軒先に魚を吊るす老婆。
競い合うように薪を運ぶ子どもたち。
ゲームの背景にしては出来すぎていた。
「…やっぱり変だ」
レンが呟く。
「なにが?」
ミナが訊く。
「ここ、明らかにNPCの動きじゃない」
その言葉に、タキは眉を寄せた。
「村の人は村の人やろ?」
レンは言葉に詰まった。
ゴウは、そんなことは無関係とばかりに、村人に貰った焼き芋を手に呟いた。
「うまそうだな、これ」
ミナは呆れ、レンは溜息をついた。
「ところでさ」
ミナが小屋の方を覗き込んだ。
「これ、タキが建てたの?」
「うん」
「え、ほんとに?」
タキは頷き、小屋の戸に手を掛けた。
*
戸を開けると、たちまち木の匂いが溢れた。
丸太と板を継いだ壁の隙間には、隙間に苔とも土ともつかないものが詰めてあった。
触ると棘が刺さりそうなほど素朴な造りだった。
隅には小さな竈が切られ、鉄鍋や釜が置かれている。
棚の上には木の椀や竹の籠、笹の葉で包んだ干物、塩や薬草の瓶が並ぶ。
中段には村田銃が無造作に置かれていた。
窓は斜めの屋根に小さく開いていた。
そこから午後の光が差し込み、棚の縁と銃身を鈍く照らしていた。
奥の寝床には、毛皮を縫い合わせただけの寝具。
壁にはベルトや外套が吊るされ、入口の脇には背負袋が無造作に掛けられていた。
「…うわ」
最初に声を上げたのはミナだった。
戸口に立ったまま、目を丸くして小屋の内を見まわす。
「なにこれ? ほんとに住んでるじゃん」
言ってから、自分でも変な言い方だと思って少し笑った。
「いや、もっとこう…お仕着せのセットみたいなの想像してたんだよね。なのに、ちゃんと生活してる感じじゃない」
彼女はそう言って中に入った。
棚に置かれた銃に気づき目を見張った。
「え、それ、そこに置くの? そんな普通に?」
「使うもんやし」
レンはミナの後ろから無言で入ってきた。
いつものように何か言いかけたが、視線は棚や竈、寝床、吊るされた毛皮に移っていった。
「…妙だな」
「またそれ?」とミナが振り返る。
レンは棚の釜を見、それから村田銃を見た。
「なんというか、細部ができすぎてる」
タキはその意味を理解できなかったが、なんとなく褒められてはいない気がして、首をかしげた。
「変?」
「変というか…」
レンは言い直した。
「現実的すぎないか?」
ゴウが体を屈めて入ってきた。
大きな身体には、タキの小屋はかなり狭かった。
だが彼はそれを気にするでもなく、小屋の中をぐるりと見渡し、まず竈を見た。
寝床を見た。
最後に、棚に置かれた椀や瓶などを見て、大きく頷いた。
「うんうん、いいな」
「そこ?」とミナが吹き出した。
「雨風しのげて、火が焚けて、寝られる。いいな」
ゴウはそう言って、壁に手を触れた。
「ちゃんとしてる。これだけあれば暮らしていける」
ミナはまだ物珍しそうに棚や壁を見てまわっている。
レンは納得のいかない顔で、小屋の中のものを目で追っていた。
ゴウだけが、その様子をそのまま受け取っているように見えた。
「…狭いけど」
タキが言うと、ミナがすぐに笑った。
「でも、いいじゃん。なんか秘密基地みたいで」
「飯は炊けるのか?」とゴウ。
タキは少しだけ考えてから、
「炊ける、炊いてる」
と答えた。
ミナは笑う。
レンは呆れ、ゴウは何となく頷いた。
三人を見ながら、タキは思った。
やっぱり、この人らは何か変や。
けれど、その造りものめいた三人が、小さな小屋の中で、それぞれ違う顔をしているのことが、少しおかしかった。
「それで」
タキは棚に剣鉈を置きながら訊ねた。
「急にどしたん?」
レンが咳払いをした。
「この周辺で採れる魔獣の素材が欲しいんだ。杖の強化と、調剤に使えるやつ」
「前も石、買うてたやろ」
「鉱石はある程度揃った。今度は魔獣系の素材が必要なんだ」
レンは鞄から折りたたんだ紙を出した。
地図だった。ところどころに赤い印がついている。
「欲しいのは魔物の牙や骨。アキバで買うと高いんだ」
「安く獲りたいんやな」
「それ、身も蓋もないけど、まあそうだよ」
ミナが横から口を挟む。
「あと、普通に山歩きもしてみたいし」
ゴウは焼き芋を手にしたまま頷いた。
「肉が欲しい」
タキは三人を見た。
明らかに山歩きに向いた格好ではなかった。
レンの靴は、すぐ泥を噛むだろう。
ゴウの鎧は、山道では重すぎる。
ミナはたぶん、木の根に足を取られる。
タキの田舎でも、街から来た人はそんなものだった。
「…遠くまでは行かへんで」
タキは言った。
「え、案内してくれるの?」
「近いとこだけ」
ミナの顔がぱっと明るくなった。
「やった。ありがと、タキ」
「けど、うちの言うこと守ってや」
タキは短く言った。
三人は、一瞬真顔になった。
「今の時期、雨多いさけ、ほんまは狩りに向かへん。道歩くんと違う」
「今回は、タキの言うこと聞いた方がよさそうだな」
ゴウが笑う。
「そうだね」
ミナも頷いた。
*
狩りに向かう途中、村の狩人がタキに声を掛けた。
「奥に行くのか」
「近場だけ」
「北の沢に鹿が入ってた。狼の足跡もあったぞ」
「見てくる」
そんな短いやり取りを、レンはじっと聞いていた。
ただの会話。
必要なことだけを渡し、受け取る言葉。
レンは何か言いかけて、やめた。
タキが三人を振り返った。
「ほな、行こか」
村の奥から、細い杣道が伸びている。
踏み固められた道は、すぐに獣道に変わっていった。