猟兵団の出立は夜明け直後だと聞かされていた。
荷物をまとめ終えたタキは、ひとり村の中を歩いた。
井戸の端にいた早起きの老婆が、タキに声を掛けた。
そしてタキに、小さな包みを渡した。
「道中、腹が減るだろ。持っていきなされ」
「おおきに」
タキは一礼して、包みを受け取った。
薪割り場には、木こりの男がいた。
タキをこの村へ連れてきた、あの男だ。
「達者でな」
「おおきに、お世話になりました」
短い挨拶をかわし、二人は別れた。
柵の向こうから、村の子どもたちが覗いていた。
タキは少し迷って、振り返らずに手だけを上げた。
猟兵団の一行を待って、タキもその後に続いた。
一行はその歩みを乱さず、森の影に溶け込んで進んだ。
細々とした山道は、山々を下るに従い、徐々に街道の体をなしていった。
不意に、前方の藪がかすかに震えた。
「…来るぞ」
組頭が短く注意を促した。
次の瞬間、緑色の肌の醜悪なゴブリンが躍り出た。
猟兵の矢が空を裂く。
だが、その死角からもう一体が、牙を剥いて迫る。
そこに、ひゅっと鋭い風切り音。
石礫が、吸い込まれるようにゴブリンの眉間を打ち抜いた。
ゴブリンは、物言わぬ肉塊となって崩れ落ち、やがてポリゴンの塵となって霧散する。
タキは、手慣れた仕草で投石紐(スリング)を巻き直した。
もっとも、その投石紐は、実際にはただの手拭いなのだが。
「やるな、タキ」
組頭メドヴェが、感嘆したように言った。
「近いとこなら、これで足るけ」
メドヴェがふとタキの背を見た。
「あれは、使わんのか」
タキが背負った見慣れぬ筒、村田銃を指しての問いだった。
「…弾丸(たま)、あんまりないんや」
「そうか」
メドヴェはそれ以上、何も聞かなかった。
やがて、視界を塞いでいた木々が開けた。
そこに聳え立っていたのは、山肌を断ち切るように築かれた、巨大な石の壁であった。
遙か古の神代に築かれたと伝えられる、ダムの遺構である。
緑の蔦で覆われた巨大な遺構の足元には、現世の住人が新たな水門を設けていた。
壁を越えた上流側には、街が築かれていた。
斜面に沿って段を成す石と木の家々。
地形そのものが外敵を拒む壁となっており、中腹には市場や工房の賑わいがあった。
その光景には、この世界がゲームだった頃にはなかった、圧倒的な存在感があった。
「水、止めてへんのに、なんで水門て言うんや?」
タキのどこか的外れな問いに、答える者はなかった。
領主館は、山腹でもっとも高い平場に築かれた石造りの屋敷だった。
落ち着いた城館は低い壁に囲まれていたが、威圧感よりは、地形に根差した風情があった。
猟兵団一行は、館の門をくぐると詰所の前で整列した。
タキは、どこへ向かうのか分からないまま、メドヴェの後ろに続いた。
広間に通された一行の前に、ひとりの人物が姿を見せた。
落ち着いた装いと、無駄のない立ち居振る舞いは、ひとかどの人物を思わせた。
メドヴェが前に出て、報告を始める。
「ソノハラ卿。ご報告申し上げます。サキタカ北山の化け猪の討伐、完了いたしました。山道に被害はなく、通行に支障なし」
ソノハラ卿は静かに頷きながら聞いていた。
「死傷者は?」
「軽傷二名。いずれも回復しております」
「ご苦労だった」
「はっ。それと、討伐の戦利品で御座います」
メドヴェは化け猪の毛皮と牙を、恭しく差し出した。
短いやりとりだったが、場の重さはタキにも分かった。
卿が猟兵団の中にいたタキに気付いた。
「…その者は?」
「化け猪の仕留めに加勢してもらった〈狩人〉です。山の村に逗留しておりました。腕は確かです」
メドヴェが答えた。
タキは卿の視線を受け、とりあえず頭を下げた。
そして、思い出したかのように、懐から書簡を取り出した。
「あの…前にこれを受け取って…」
卿は口ごもるタキをしばらく見ていたが、やがて視線を一行全体へ戻した。
「今日はゆっくり休んでほしい。報奨は後日届ける」
猟兵団に続いて広間から出ようとすると、侍従に呼び止められた。
「卿が、話を聞きたいと申されております」
ソノハラ卿は椅子を指さし、自らも腰を下ろしてから静かに話し始めた。
「よく来てくれた、改めて名乗ろう。ソノハリ・バトリア・イムレ・ア・ジリプ・ヴァーロー(水門の守護者、ソノハラのバトリア家のイムレ)だ」
低くよく通る声だ。
「タキ、です。ソノハラ…卿?」
続けてタキも名乗る。
ソノハラ卿の名乗りは、何だか格好いいと思ったが、長くて覚えられなかった。
「タキか。いや、堅苦しい挨拶は不要だ」
ソノハラ卿は、短く笑った。
彼は、タキが作った干し肉や燻製の価値に気付いていた。
この世界で初めて口にした味わい深い食糧は、何物にも代えがたい物だった。
※古語の”申される”は、現代で誤りとされる「申される」とは別物です。(例)新大納言成親卿も平に申されけり(平家物語)