桐藤エルナの邂逅録   作:しゃけむすび

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前話との繋がりはないです。


いるのいないの

 

 ゲヘナという分類に区別される人間や組織を指して、トリニティの乙女どもは悪魔と呼んだ。

 

 その日の桐藤エルナは、昼頃に珍しく神妙な顔つきのサクラコに呼び出されて、放課後に小さな礼拝堂へ赴いた。シスターフッドという古狸の首魁ではあるが、彼女はあんまり悪意をかざすことを得意としない。そんな人柄は、祈る姿によく現れる。エルナは思った。

 

 こうも悲しく祈る人間が、悪性であるものか。

 

 けれどそこは桐藤エルナというところで、大口を開けて舌なめずり。

 

「ゲヘナ!領土侵犯をまたぞろ犯したそうで」と、エルナは愉快そうに腕を広げながら、ふらふらと重心の安定しない歩き方で長椅子に座るサクラコの元へ歩く。

 

 トリニティの旗下にいる人間であれば、一言二言ですぐに面罵の一つでも出すだろう。何せ相手が相手。蝶を見かければ蝶と思うように、蛾を見れば蛾だと眉を顰めるように、人のナリでも悪魔は悪魔だ。

 

「懺悔室、というものは知っていますか?」

 

 ん?。エルナはまさにそんな顔をしてぴたりと止まる。特に敬虔でも信心深くもないエルナ。しかし流石にそれくらいはわかる。懺悔室といえば、その限定的かつ局所的な閉鎖空間、そして会話を強制されるシチュエーション、相手の顔は見えないこと。なかなかどうして趣深い。

 

「ええ。概念であれば」

 

 図太くもサクラコの前で祭壇に腰を下ろす。

 サクラコは声を荒げるどころか、そもそもその挙動を不快にすら思っていなさそうだった。エルナはなぜ文句を言わないのか不思議がったが、何も聞かないでおくことにした。今は彼女の時間だ。

 

「……私は立場上、もはやあまり入ることはありませんが」

 

 サクラコといえば確かに、トリニティでも指折りの権力者。

 サクラコにしかできないことがあるなら、サクラコ以外でも出来ることは、必然、後回しになる。しかしイマイチ話が読めないぞ、とエルナは疑る。

 

「もし良ければ、聞いていただけませんか?」

 

 文脈からして、懺悔を、という解釈で良いのだろうか。奇妙なことを言う。懺悔室に招くでもなく、懺悔室の話題を出しておきながら、ただのお悩み相談とは。気心知れた仲でもない。不可解だ。

 

「かまやしないけれど、変ね。ああもしかして、変なことでもあったのかしら」

「変なこと……では、ないのですが」

 

 サクラコは口ごもって、何度か小さく口を開閉させて言葉を探す。

 

「変でも、不可思議でも、納得がいかないわけでもないですが」

 

 エルナは腰を据えた。いよいよ奇怪な語り口だ。

 

「ただ、一人で抱えるべきことではあって」

 

 言葉がかすかに震えていたが、それは果たして何故なのだろう。

 

「私が、貴方に打ち明けたということを、ここに確かに残しておきたいんです」

 

 ***

 

 今思えば、あの降りしきる雨すら示唆的だったように感じました。

 

 入学して数ヶ月、校風や環境に馴染んできた頃です。余裕ができると、他へ目を向けることができますから、自然と私は、さまざまのことを目で追い、聞いた言葉を考えました。

 あの人は焦ると首の後ろを撫でる、あの人は手持ち無沙汰だと軽く鼻を摘む、あの人は友達と話す時も他人と話す時もトーンが変わらないからあまり裏表がない。あの人は汚い言葉を使いたがらない。

 

 人間観察、と言いましたか。

 

 私の場合は、少々はしたないのですが、軽く様子を見て、予想してみて、合っているか外れているか……そんな、淡い賭け事を一人で、一時期楽しんでいました。

 

「いい趣味ね。皮肉じゃないわ。感性が豊かでなければ楽しめないはず」

 

 ……ありがとうございます。

 確かに、外へ出れば娯楽が溢れ、家にいても本もスマートフォンも、テレビもラジオも何もかもある時代です。私はかなり酔狂だったのでしょう。

 その趣味の人間観察。数を重ねれば当然のこと、精度も上がります。けれど私は、たった一人だけ、その一人の行動だけ、動機に見当すらつけられなかったのです。それも随分と長く。

 

 彼女は、私が一年生当時の、シスターフッドのトップでした。

 私とは違い、常に彼女の周りは喧騒に……「自虐だるいからよして」

 

 ……彼女は人望篤く、リーダーシップと知性を持ち、そして人一倍のゲヘナ嫌いで有名でした。なんでも友人がゲヘナ生徒の犯罪に巻き込まれ、顔に疵を負ったとか。以来彼女は、ゲヘナに対して、仲間ですら諌めるほどの苛烈な制裁を加えるようになります。思えば、彼女があれだけ愛されていながらトリニティの実権を戴く立場になかったのは、あれが原因だったのでしょう。

 

「蛆虫」

「売女、売春婦」

「劣等、下等種」

「卑賎民、非人」

「瘋癲、白痴」

 

 彼女の口は、ゲヘナ生徒を誹謗するとき、ブラックマーケットの下水に住むネズミの尻穴より不浄になりました。「どの口で?」先鋭化。その事象の最たるものを私は目撃したのです。

 

 そんな彼女の言動は、当時の私からすれば痛く目を引くものでした。何せ聞いたことも、字面すら想起できない単語や、エキセントリックな言い回しが出るわ出るわで。ある種、教養の使い方の一つでもあるのでしょう。私は才覚を見込まれて帯同を許されるようになってから、彼女の語彙を、都度、こっそりメモに残しました。

 

 そして気づいたのです。

 

 彼女はただの一度として、ゲヘナ生徒を「悪魔」とは呼びませんでした。

 

 ……違和感は、正直なところ、ただの勘でしかありませんでした。

 悪魔とは、神の敵を指す言葉ですから。奴らがそんな大層なものか、だとか、単にあまり罵倒っぽくないからとか、それらしい理由などいくらでもあります。

 

 けれど私は、どうしてもそれが気になるのです。

 どれだけ使い馴染んでいなかろうと、トリニティという環境でゲヘナを話題に出す際、その言葉を聞かない方が難しい。

 普通に学校生活を送っていれば、少なからず影響されて、一度や二度なら使う単語です。けれど彼女は、ただの一度も使いませんでした。

 

 それは意図的に使っていない。そう結論づけるのに充分な違和感でした。とはいえ、人の口癖一つ。そこまで熱心に希求したわけではありません。ただ、やはり小骨のつかえたようなムズムズとした閉塞感はあるわけで。そんなある日、チャンスが訪れます。

 

 私のメモが彼女に見つかりました。

 

 議場で出席記録と名簿を擦り合わせようとペンを懐から出す際に、引っかかって落ちたのです。それだけなら関心を引かなかったでしょう。けれど隣には彼女がいて、私はすっかり動転して慌てて拾い上げたのがダメでした。ひょいと掠め取られ、ぱらぱらと中身を検められたのです。

 

 私の顔は、沙汰を待つ罪人のそれに近かったでしょう。

 

 けれど彼女は予想に反して、吹き出して高笑いしました。「変な趣味だね」とか「私こんなこと言った!?」とか、愉快そうに肩を叩くのです。

罪悪感と、予想外の反応と、許されたかわからないそのリアクションに、私はすっかり変な気分になって、聞いたんです。

 

 先輩は、ゲヘナの生徒に一度も悪魔とは言ってないですね。

 何故ですか。

 

「悪魔が斯様に可憐であるものか」

 

 ***

 

「その後の臨海遠征で、こっそり見せてもらいました」

 

 サクラコはエルナを見た。

 

「その先輩の背中にもありましたよ」

 

 正確に言うと、エルナの後ろの、祭壇の奥にある神像の顔を見た。

 

「それと同じ、大きな引っ掻き疵が」

 

「懺悔します。神の実在を疑いました」

 

「神がいるとして、自身の偶像を害されてなお裁かぬ存在なら」

 

「その寛容さで、私たちを守ってくれるのでしょうか」

 

「神を、疑いました」

 

 

 

 

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