皆様の羽川翼のイメージが崩壊するかもしれません。
何卒ご容赦ください。
「鬼のお兄ちゃん…随分と賑やかだね」
錆びれた教室のドアを開けて現れた死体人形の斧乃木余接が、無表情にアイスを舐めながら呟く。
「……鬼のお兄ちゃんの人生、今や羽川翼という名のホワイトホールに飲み込まれて、事象の地平線の向こう側に消え去ったみたいだね」
「斧乃木ちゃんまでなぜここに! ていうか、ホワイトホールって、何でも吐き出す方の天体だろ!」
「いいや。彼女の場合は、愛を吐き出しながら、鬼のお兄ちゃんの存在意義を吸い込む、ハイブリッド型だよ」
斧乃木ちゃんは、僕のツッコミなどそよ風程度にしか感じていない様子で、ソーダ味のアイスを一口齧った。
その無表情は、もはや絶対零度の静寂を保っている。
「愛を吐き出しながら吸い込むって、それただのダイソンじゃないか! 吸引力が変わらないただ一つの委員長か! というか余接ちゃん、さっきからサラッと僕の人生を宇宙規模の災害みたいに言わないでくれ!」
「鬼のお兄ちゃん、事実は小説よりも奇なり、そして羽川翼は事象よりも重いんだ。……見てごらんよ。鬼のお兄ちゃんの足元。影が少しずつ、猫の耳の形に侵食されているよ」
「うわあああ本当だ!? いや、これはただの光の加減……だと思いたいけど、なんで影が『にゃーん』って鳴きそうな形をしてるんだよ! 物理法則仕事しろ!」
僕が自分の影を踏みつけて必死に抵抗していると、膝にしがみついていた神原が、ブルマ姿のまま顔を上げた。
「……なるほど。吸い込まれるのがホワイトホールだと言うのなら、私はその重力に逆らう一筋の光、いや、一筋の変態となって先輩の内部に侵入するのみ! 斧乃木ちゃん、協力してくれ! 私を今すぐ、先輩の毛穴のサイズまで圧縮してくれ!」
「神原さん、それは専門外だし、そもそも絵面的に放送コードが仕事をしなくなるから却下だよ。僕はキメ顔でそう言った」
斧乃木ちゃんはアイスの棒を器用に指先で回しながら、僕を憐れむような……といっても相変わらず死体のように動かない瞳で見つめた。
「鬼のお兄ちゃん、諦めなよ。羽川翼という名の天体は、今や鬼のお兄ちゃんという衛星を軌道上に固定することに成功したんだ。これからは、彼女の全知全能という名の公転周期に合わせて、一生くるくる回っていればいいんだよ。たまに日食……つまり、彼女の機嫌が悪くなった時に、鬼のお兄ちゃんの存在が完全に隠されちゃうくらいで済むんだから」
「全然済んでないよ! むしろブラックアウトだよ! 僕は自分の意志で右に曲がりたいし、たまには道に迷いたいんだよ!」
「道に迷う? それは無理な相談だね、鬼のお兄ちゃん。だって、羽川翼という名のナビゲーションシステムは、鬼のお兄ちゃんが迷おうとする『三秒前』に、そこへ至るすべての道を完璧な舗装道路に書き換えてしまうんだから。迷うことすら許されない、それが全知全能の彼女を持つということだよ」
「……。……余接ちゃん。君、さっきから僕のこと慰めてるのか? それとも、遠回しに詰んでるって言ってるのか?」
「……後者だよ。今の鬼のお兄ちゃんは、例えるなら『解答がすべて記入済みのクロスワードパズル』だね。あとは解かれた状態で、彼女の本棚に永久保存されるのを待つだけだよ」
「人生の楽しみが奪われすぎだろ! 誰か、誰か僕に『白紙のページ』を返してくれ! 鉛筆で書き殴れる自由を返してくれ!」
僕の絶叫に、斧乃木ちゃんは最後のアイスを飲み込み、空いた棒で僕の鼻先をツン、と突いた。
「残念。その鉛筆の芯も、羽川翼によって既に2BからHBに、彼女好みの硬度に削り直されているよ。鬼のお兄ちゃん、君の芯(アイデンティティ)は、もうポキポキ折れるほど軟弱じゃない、彼女専用の筆記具なんだよ」
「上手いこと言うな! そして僕を文房具扱いするな! 誰かぁぁぁ!!」
阿鼻叫喚の塾跡地。
ブルマの変態と、無表情の死体人形に囲まれて、僕の叫びは今日も羽川翼という名の銀河に静かに飲み込まれていくのだった。