膝を抱えて泣く、いつかの小さなわたしへ   作:しらなぎ

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 リュカがロザリーと出会ったのは1年と少し前。

 幼い頃からリュカは両親と折り合いが悪かった。実家は観光客向けに民宿を運営していたが、朝から晩まで忙しくて、金持ちにヘコヘコして、そんな生活が大嫌いだった。

 長男のリュカに家を継がせたい両親に反発し、夜遅くまで遊び耽って、うんざりするほど喧嘩をした。客の前で暴れてやった事もあった。

「一体何が不満なのよ……!」

「恥をかかせやがって! お前のせいで店の評判はめちゃくちゃだ!」

 母は泣いたし、父には殴られた。

 自分でも何に一体そんなに、抱えきれないほどモヤモヤしていたか分からなかった。

 

 もう二度と帰らないつもりで家を飛び出した。

 だが行くあてもなく、島は狭いからみんな顔見知りだ。逃げる場所もなくて、うんざりしていた。

 リュカはホテル業が嫌いだった。

 客にヘコヘコして、むちゃくちゃなクレームに頭を下げて、観光客を取り合って、朝から晩までいつも頭を悩ませるなんてバカバカしい。

 出来るなら人間を相手にしない仕事を……例えば、農業とか、植物とか……。そういうものを仕事にしたかったのだ。

 小さな頃から、こっそり花を愛でているリュカを友達や弟はバカにしたから恥ずかしくて言えなかったけど、リュカは花が好きだった。

 

 何日もあてもなくうろついた。商店街の連中に頼み込んで雇ってもらおうとしたけど、みんな知り合いだから「早く家に帰りなさい」と取り合ってもらえなくて、「お母さんが心配してたわよ」と呆れたふうに笑われて、ぜってェ帰ってやるもんかと頑なになった。

 

 拗ねて夜道を歩く。

 見回りをしている海兵に「まだ帰ってないのか」と苦笑いされて、「俺も昔は反抗期があったけど、帰る家があるっていうのはいいもんだぞ。母さん元気かなァ……」と物分りがいいふうに言われるのも死ぬほどムカついた。

 この島の人間は優しくてリュカは見守られている。

 そんなの分からないほど子供じゃなかったけど、だからこそ拳の下ろしどきを失って、リュカはさまよっていた。

 帰ってどうする?

 家を継ぐのか?

 一生あの小さなホテルでお客様にニコニコして、楽しくもない仕事に人生を捧げるのか?

 そんなの嫌だ!

 いつまでもこんなことしてられないと、頭では理解していても、胸の中にちいさく生えている夢の芽を、自分の手で摘み取ることをどうしてもしたくなかった。

 そんな時、ロザリーに出会った。

 

「あら、ウワサの家出少年ね」

「……俺もあんたを知ってる。よそ者なのに、市長に取り入って店を貰った女だろ」

「ふふ、ロザリーよ。最近この辺で見かけるけど、泊まる場所はあるの?」

「関係ないだろッ」

「良かったら泊まっていく? 何もないけど、花はあるわ。美味しい果物もね」

 

 何を考えているんだが分からないニコニコした笑顔で、ロザリーはリュカの手を引いた。他の大人みたいに家のことを言ってこないのに戸惑って、どこか安心して、少しだけ泣きそうになった。

 そして、リュカは「Flower Shop Rosalie」の店員になったのだ。

 それ以来、ずっと家に帰らずそこで働いている。

 ロザリーの店も、家も、野に咲く草花みたいにただ寄り添って風が吹いているみたいで、居心地がよかった。

 

*

 

 1年と少し一緒に過ごしても、ロザリーのことはよく分からなかった。

 怒ったり泣いてるところは見たことがなくて、いつでも余裕そうな、優しそうな微笑みを浮かべて、慈愛の瞳をしている。

 だけどロザリーと過ごすのは楽しかった。

 草花の育て方、剪定、売り方、花束の作り方、入荷ルート、接客、店の運営、資金の動き。ロザリーはなんでも教えてくれたし、教えるのもうまかった。

 仕事が楽しくて仕方なくて、ホテルの手伝いをしている時には感じたことのない、やりがいめいたものを毎日感じられた。

 仕事をして疲れたあとに、地下の暖かい部屋で眠るのは安心できたし、帰れと言われないのも、帰ってこいと言われないのも深く安心できた。

 ロザリーが両親のところに行って頭を下げていたことをリュカは知っている。

 お人好しすぎるんだ、あの人は。

 気付けばよそ者と言われている彼女も島に馴染んでいて。

 

 けれど、優しい人だからこそ変なやつが寄ってくる。

 島の市長にロザリーは言い寄られていたのだ。

 ロザリーの花屋も、島に来たばかりであてのなかったロザリーのために、市長が個人的に金を出してやったらしい。ふたりは恋人同士なのかと思っていたけど、やつに会いに行く時のロザリーはいつも僅かに憂鬱そうだったし、帰ってきたあとはいつも疲れていた。

 

 結婚を申し込まれているらしい。

 何度も断っているのに、この店の出資をゆすられ、だんだん屈強な男たちが店に出入りしてくるようにもなった。

 でも、ロザリーは本当は強いんだ。

 前に、海賊が商店街に数人で来た時も、普段のおっとりした喋り方から想像できないくらい俊敏に動いて、自分よりずっと背の高い大男を吹っ飛ばしたり、締め上げたりしていた。

 この島に来る前は、一人で旅をしていたらしい。

 傲慢で、乱暴な市長の回し者たちを追い払わないのは、きっと市長に逆らったあとのリュカのことをきにしているからだった。

 

 いつかの夜、旅をする理由をたずねたリュカに、「故郷へかえりたい」と囁くように教えてくれたことがある。

 

 たぶん、それはきっと、リュカの胸にもあった、夢の芽なのだ。だけど、リュカがいるから……今までみたいに自由に海へ飛び立っていけないに違いない。

 ロザリーは意外としたたかで、いい性格をしているけど、それでもとても……情が深いから。

 

 枷になんかなりたくない。

 ロザリーは恩人だ。このままじゃ、いつか市長に結婚させられて、この島に縛り付けられてしまう。

 

*

 

「だから…無理やり連れて行ってくれよ。海賊だろ……たのむよ……」

 

 リュカは鋭い目からぽろぽろ大粒の涙をこぼした。頼むしかできない自分が情けなくて仕方ないけれど、頼み込むくらいは自分にもできる。

 母のような、姉のような、師のような、初恋のような、恩人のような、分からないけど、慕わしいロザリーに幸せになってほしい。

 

「あんたはいいの? そんな大事な人と離れ離れになって…」

「ずっと前から覚悟は出来てる。この島にも、1年もいるつもりがなかったって言ってたから。いつか出ていく日が来ると思ってた。それなら、俺は今日がいいんだ。あんた達がいいんだ!」

「守ってやりてェんだな」

「うん…!」

「分かった」

 ルフィは麦わら帽子を抑えた。

「ロザリーが乗りてェんならおれ達が攫っていくよ。誘いに行こう!!」

「ルフィ……! ありがとう!」

 リュカはぐちゃぐちゃの顔で大声を上げて泣いた。13歳の少年の泣き顔だった。

 

 ルフィとサンジ、ナミ、ビビ。

 ロザリーの店に来た4人がロザリーを迎えに行く。リュカはきらきらした笑顔で意気揚々と跳ねるような足取りで歩いた。

「でも、ロザリーが船に乗るのを嫌がったらどうするのよ? あんたと一緒に過ごしたいと思ってるのかもしれないじゃない」

「俺が説得する。でもあの人頑固だし、本心を明かしてくれないから……。ダメだったら無理やり連れて行っていいよ」

「うははっ! お前覚悟あんなァ! でもおれ達は略奪はしねェんだ! 連れてって欲しかったら死ぬ気で説得しろ! おれ達も勧誘するからよ!」

「うん…。あんたら、いいやつらだな。ロザリーをたのむよ。次の島に連れていくだけでもいいから…」

「任せろ!」

 

 商店街が見えてきた。まだ人々は出てきていない。シン…としている。

 けれど花屋の中から、話し声がした。

「!」

 サッと陰に隠れて、様子をうかがう。2人の男とロザリーが話していた。

 

「市長がお呼びだ」

「断るわ。もうあの方に会うつもりはないの。想いには答えられないと言ったでしょう…」

「店を建ててもらった恩義をもう忘れたのか!?」

「あの方が勝手に贈ってくれただけじゃない。わたしが頼んだわけじゃないわ。それに、売上からその時のお金は返したでしょ?」

「生意気な……!」

「いいから屋敷へ来い! 海軍を呼んでもいいんだぞ!」

「! あなた達まで…」

「あの少年に入れ上げているんだろう? この島は狭い。お前が逆らわなければずっと平穏に暮らせる。さァ、来るんだ」

「はぁ……。離して、一人で歩けるわ。それとリュカに手紙を…」

「さっさと歩け!」

「いたい!」

 

 引き摺られるロザリーにリュカが叫ぶ前に、ルフィが飛び出した。

「ロザリーを……」

「なんだお前……ぶべェッ!?」

「離せェーーーーッ!!!!」

「ガハアッ!」

 

 伸びる腕でピストルのように撃ち抜かれた男たちは、ドガァン!と吹き飛んで目を回した。

「フンッ」

「大丈夫かよ、ロザリー! あいつら…むりやり…。クソッ、中に入ろう! 話があるんだ!」

 ロザリーは目をぱちくりしながらまた部屋に引き戻された。

「出たり入ったり忙しいわね…」

 

 ルフィはドアをしめるのを確認すると、開口一番こう言った。

「お前! 仲間になれよ!」

「仲間って…あなたの?」

「ああ!」

 何度か瞬きして、「どうして突然……リュカね?」とため息をついた。

「どうして勝手な真似するの」

「ウッ……だってこのままじゃ市長に……!」

「リュカに頼まれたからだけど、あんたには恩もあるしね。すぐにとは言えないけど、行きたい場所があるなら途中寄ってあげることも出来るわ」

「故郷に帰りたいんでしょう?」

「リュカ!」

 

 穏やかさの中にたしかに怒りがあった。一瞬だったが、本気でロザリーに睨まれるのは初めてで、ビクッ! と肩を揺らす。

 ロザリーは目をつぶり、「はぁ……」と頭を抑えて重いため息をついた。

 

「あなた達はわたしが船に乗ってもいいの? ロクに戦えもしないから、きっと足でまといになるわ…」

「おれが守るから大丈夫だ!」

「ふふ、頼もしいわ。あなた、能力者だったのね」

「ああ! ゴムゴムの実でゴム人間になったんだ」

「そう……」

 

 しばらくロザリーは、自分の腕を撫でて思案していた。

 

「少し待っていてくれる?」

 そう言うと、地下の部屋に降りていった。

 

「急に言われて戸惑ってたわね」

「そりゃァそうだろうな…」

「でも悩む時間はないわ。さっき、海軍がどうのこうのって言ってたし、さっきの奴らももういなくなってた。すぐに応援を呼ばれるわよ」

「ロザリーは船に乗るよ。そういう顔をしてた」

 寂しさの混じった嬉しそうな声でリュカが言う。

「そうなのか?」

「うん。やっぱ、寂しいけどさ…多分ロザリーもずっと考えてたんだよ。外に出ることをさ」

「リュカはどうするんだ?」

「俺は友達の家に身を隠すつもりだ。大丈夫、ロザリーと過ごして友達も増えたんだ」

 

「ごめんなさい、待たせてしまったわね」

「大丈夫だよレディ……っ!? っっっ!?!?♡♡ な、なんて美しいんだァ〜〜〜〜♡♡の」

 振り返ると、視界に女神が飛び込んできた。その衝撃にサンジは吹き飛ばされた。

「あら……」

 さっきまでの、地味で無害そうな装いではなかった。

 淡い色の控えめなレースがあしらわれたワンピースを着て、メガネが外されていた。雑に下ろしていた前髪はかきあげられて、顔がハッキリ見える。白いつばのある帽子を被り、上品で清楚なお嬢様のようだ。

「そんな顔をしてたのね」

「メガネはなくて大丈夫なの?」

「ええ、あれ伊達なの」

「そうなのかッ? ずっとかけてたのに!?」

 リュカも初めて知ったらしい。なぜわざわざ伊達メガネをという質問を微笑みでスルーし、ロザリーがリュカに向き直った。

 

「船に乗るわ、リュカ」

「ああ……」

「今まで仲良くしてくれてありがとう」

「…! そんなの、俺の方が……ッ」

 薄桃の大きな瞳が、優しそうに細められてリュカを愛しそうに見つめていた。

「この島には長居しすぎた…。でも、とても楽しかったわ。これは餞別よ、受け取ってちょうだい」

「これって……!」

 

 銀行の通帳と、店の権利書だった。店の所有者の欄にリュカの名前が書いてある。

「いつの間に…」

「ふふ。商店街の人たちはみんな優しくて、あなたの味方になってくれるはず。市役所にもとっくに話は回してある。わたしが消えたのも、海賊に攫われたからよ。あなたに被害はなにもいかない」

「これはロザリーの金だろッ。こんなに受け取れないよ、俺…俺…」

「受け取って」

 ロザリーは腕を広げて、リュカを抱き締めた。ロザリーからは色んな花がまじった匂いがする。甘くて、青っぽくて、爽やかな香りだ。

 リュカも背中に手を回し、歯を食いしばった。

 

「ロザリー……! 俺、あんたの店で働けて幸せだった…」

 手のひらがリュカの頭を撫で、ロザリーの胸元がしっとりと濡れた。耳のそばで、本当にちいさな、囁き声がした。

 

「本当の名前を教えてあげる…わたしの名は…」

「……!」

 

 体温がふっと離れる。

 リュカはロザリーを見つめた。

「だから…思い出したの? 故郷を…」

「ええ」

 麦わら帽子の男を見る。リュカは涙をゴシゴシ拭って、「ルフィ! この人を頼んだぞ!」と腹を思い切り殴った。ルフィは痛がりもせずに受け止めて、「おう!」と眩しく笑った。

 

「そろそろ行かないと」

「ロザリーちゃん、荷物持つよ。走れるかい?」

「ありがとう。麦わらの一味のみなさん、これからよろしくお願いします」

「任せろ! とにかく行こう! リュカー! また会おうなー!」

「元気でねー!」

 一味はバタバタと飛び出して行き、リュカも落ち着くまでどこかに隠れなければならなかった。別れを惜しむ時間もなかった。1年以上も過ごしたのに。

「ッ、ロザリー……!」

 思わず追いかけそうに足が動いた。ロザリーが振り返って、ライムゴールドの髪が靡いた。花の瞳がきらきらとリュカの視線と交わる。

 

「さよなら、可愛いリュカ」

 

 遠かったけれど、たしかに聞こえた。

 リュカもつぶやいた。

「さよなら、俺の…」

 涙があふれた。優しくて、穏やかで、でもやっぱりそれだけじゃない人だと思った。

 またねと言ってほしかったけれど、それを約束しないところが、残酷で、誠実で、まっすぐだった。

 

 二度と会えないかもしれない。でも忘れないよ。

 

*

 

「発見しましたッ! 報告にあった一行です!」

「あいつは麦わらのルフィ……海賊だァ!」

「うっひゃ〜〜〜! ワラワラ湧いてくるなァ!」

「この島海軍いすぎよ〜〜!!」

 

 船に戻る途中、海軍に見つかったルフィたちは騒ぎながら追われていた。

 走るルフィたちを見つけたウソップたちは慌てて準備をし、今にも出航できる状態だ。

「おーい、早くしろーッ」

「ギャーッ」

「どうしたチョッパー!」

「あああ、あっち…!」

「ウワーーッ」

 

 ウソップも目を飛び出して叫ぶ。

「おいうっせえな…ガタガタ騒ぐなよ」

「ンなこと言ったってゾロ……あれを見ろ!」

 

 常駐している海軍の軍艦までもがこちらへ向かってきている。

「早くしろお前らッ、海からも挟み込まれちまう! ウワーーッ、砲台も乗ってるぞ!」

「撃たれるのか!? 撃たれるのかー!?」

「クエーックエーッ!」

「うるせェ…」

 

 一味は船に飛び乗ったが、数十人の海兵が船を取り囲んで、武器を向けていた。

「今すぐ船を出すわよッ」

「おう!」

 軍艦も近くまで迫っている。風に押されて船が早く進んでいるようだった。

 

「報告によると、民間人を誘拐したとのことです!」

「何ッ!?」

「海賊共! 諦めて被害者を解放しろッ」

「誘拐じゃねェ…ムググッ」

 ビビがあわてて口を塞ぐ。

「バカッ、言ったらロザリーさんが悪者になっちゃう!」

「あっ、そっか」

 ルフィは海軍に向き直った。

「ロザリーはおれ達が攫っていく!」

「貴様ら〜〜ッ!!」

 

 船が動き出した。発砲音が響く。軍艦も大砲の準備を始めていた。

 ふぅ、とため息をひとつついて、ロザリーは船の上を見渡し、誰も自分が見ていないことを確認した。そっと、物陰に身を潜める。

「美しい春嵐の時期よ……」

 

 落ち着いていた風がざわめき、どこからか強風が吹き荒れた。花びらがゴーイングメリー号と海兵たちの間に吹き荒れる。

「なんだ!?」

「花びら!?」

「嵐は去ったんじゃ……」

「クソッ、前が……!」

 

 その花びらの嵐は、海軍たちの視界を覆う。ナミが「今のうちに!」と叫んだ。

「よぉ〜し! 出航だァ〜〜!!」

 春嵐が門出を祝うようにメリー号を押した。

 

「きれい……」

 ビビが呟き、ルフィたちも花びらを見つめる。

「不思議な嵐……。春嵐となんだか風がちがう……」

 

 ロザリーは花びらを感じながら、明るい黄緑の金髪を揺らして目を閉じた。

 

 花の舞う街、フローリェン。素敵な場所だった。リュカも、とても可愛くて……根を下ろしたいと、心の片隅で思うくらい。

 

 けれど行かなければ。

 いくら季節が巡っても、ロザリーの心に、もうずっと春は来ない。

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