ようこそ勝利至上主義の教室へ   作:中輩

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序章 生徒会加入編
入学


 

 黒塗りの高級車は、朝の光を受けて静かに走っていた。

 

 窓の外には、海と橋と、遠く霞む都市の輪郭があった。やがて車は大きな橋へ差しかかる。橋の向こうに広がるのは、人工的に切り拓かれた埋立地だった。整然と区画された緑地、低く抑えられた建物群、運動施設や商業施設らしき構造物まで見える。学校というより、一つの閉じた街に近い。外から隔絶された空間に、これから三年間身を置くことになるのだと、彼は後部座席から静かに見つめていた。

 

 彼の視線は揺れない。けれど、その紅の双眸の奥には一切の油断は無かった。橋を越えた先にあるものは、ただの進学校ではない。

 持ち合わせているのは断片的な情報。だがその点のみは確信していた。

 

 それでもなお、赤司 征十郎がこの“高度育成高等学校”を進学先にしたのにはある理由があった。 

 

 

 ♢

 

 

 車が敷地へ入る。広い道路の両脇には整えられた並木と芝生が続き、遠くには校舎群と、学生たちのための施設がいくつも見えた。赤司はその景色を、感慨の薄い目で眺める。華やかではある。だが、華やかさはこの学校の本質ではない。

 

 校舎の近く、目立たない位置で車が止まる。運転手が後部座席のドアを開けた。

 

「本当にここでよろしいのですか?」

 

 慎重な声だった。赤司は一度だけ窓の外を見やり、それから小さく頷いた。

 

「ああ。入学初日から変に目立ちたくはないからね」

 

 その答えに運転手は、どこか言いづらそうな顔をした。しばしの沈黙のあと、おずおずと口を開く。

 

「あの……お父上から言伝が」

 

 赤司の表情は変わらない。だが、空気がわずかに張り詰める。

 

「ああ。あの約束の事なら、忘れてはいないと伝えておいてくれ」

 

 運転手は小さく息を呑み、そして頭を下げた。赤司は続けて、ほんの少しだけ口元を緩める。

 

「じゃあ、また三年後に」

 

 それは別れの言葉であると同時に、宣言にも聞こえた。

 

 車は発進し、赤司は一人残される。だが孤独は、彼にとって決して不都合ではなかった。むしろ、僅かに肩の荷が軽くなったように感じた。

 

 赤司は荷を整え、静かに校門へ向かう。

 

 門を抜けると、桜の並木がまっすぐに伸びていた。春の風が花びらを揺らし、足元へ淡く降り積もる。きらびやかな景色だが、赤司は風景に酔うことはしない。むしろ、周囲の気配を確かめるように歩いた。敷地内を行き交う生徒たちは、すでに思い思いに動いている。誰かと会話を始める者、無言で端末を眺める者、互いに距離を測るような視線を交わす者。

 

 校舎前にあるクラス分けの掲示板へ目をやると、赤司の名はAクラスに記されていた。

 特に大した反応を示すことなく赤司は校舎へと足を進めた。

 

 

 

 教室へ足を踏み入れた瞬間、空気が止まった。

 

 正確には、止まったように見えた。

 

 談笑していた生徒たちの声が、ひとつ、ふたつと途切れていく。視線が集まり、視線が交差し、誰もが一瞬だけ赤司を見た。

 整った顔立ちと、無駄のない所作。強く主張しているわけではないのに、目を離せない。そんな静かな圧が、まだ何も語らぬまま教室を支配した。

 

 女子の数人が、息を潜めたまま小声で囁き合う。

 

「……あの人、すごくカッコよくない?」

「芸能人みたい」

「それにちょっと可愛いかも」

 

 赤司はそれらを気に留めず、座席表を確認し自分の席へと向かった。

 

 歩く途中、壁際に一瞬だけ視線を向ける。白い壁に埋め込まれた小さな黒点が、こちらを無言で見下ろしているように見えた。赤司は何も言わない。ただ一度だけ、その方向へ淡く目を細める。

 

 そして、席に着く。

 

 前方の席から、派手すぎない金髪を後ろでまとめた男がこちらを見た。気安い笑みを浮かべながら立ち上がり、手を差し出してくる。

 

「よぉ、前の席に座る橋本だ。よろしく」

 

 橋本正義。赤司は座席表を確認した際に、40名のクラスメイトのフルネームは既に把握していた。

 軽い調子に見えて、周囲への入り込み方が自然だ。赤司はその第一印象を胸の内でだけ整理し、差し出された手を受ける。

 

「ああ、よろしく。俺は赤司 征十郎だ」

 

 握手は短く、それでも互いの温度を確かめるには十分だった。橋本はすぐに身を寄せ、声を落とす。

 

「それでさ、ひとつ聞きたいんだが、赤司って彼女とかいる?」

 

「いや、いないが」

 

 即答だった。橋本はそれを聞くと、待ってましたと言わんばかりに口角を上げる。

 

「今度さ、女子達と出掛けようって話になっててな。良かったら一緒に行ってくれないか? 赤司が来てくれたら、マジでみんな喜ぶだろうし」

 

 赤司は一瞬だけ考える。軽薄な誘いに見えたが、橋本の目は単純な下心だけではない。その瞳の奥には見定めようとする思惑が見えた。

 

「……分かった。日程さえ事前に分かれば調整しよう」

 

「お、助かる。んじゃ連絡先、聞いても良いか?」

 

「もちろん構わないよ」

 

 赤司は支給されたスマートフォン型の学生証端末を取り出し、橋本も同じ端末を軽く掲げた。数秒後には連絡先の交換が完了する。機械音ひとつで、二人の距離がわずかに縮まったように感じた。

 

 その時、教室の扉が開く。

 

 生徒たちはそれぞれの席へ戻り、自然と姿勢を正した。入ってきた男は、教卓へまっすぐ歩き、無駄のない動きで立ち止まる。

 

「今日からこのクラスの担任を務める、真嶋智也だ」

 

 淡々とした自己紹介だった。

 

「我が校ではクラス替えはない。卒業までの三年間、私が君たちの担任となる」

 

 真嶋はそう告げると、手元の資料を軽く持ち上げた。ここから先は説明だ。新入生が、まだ半ば夢心地でいるうちに、学校の現実を叩き込むための。

 

 真嶋の説明は簡潔で、しかし要点を外さない。全寮制であること。外部との接触が一切禁じられていること。校内には学習施設だけでなく、飲食店や娯楽施設まで揃っていること。まるで一つの都市として完結している学園であること。

 赤司はそれらを聞きながら、この学校の作り出す密室性の意味を測っていた。

 

「敷地内での購入やサービスの利用は、すべて学生証端末のポイントを使って行う。ここでは、()()()()()()をポイントで買うことができる」

 

 その瞬間、赤司の瞳がわずかに鋭さを帯びた。

 真嶋は続ける。

 

「ポイントは毎月一日に振り込まれる。1ポイントで1円の価値だ。君たちには既に今月分の十万ポイントが支給されている」

 

 ざわめきが起こる。前列から後列まで、一斉に空気が揺れた。まるで教室の床板が、突然ひとつ下へ沈んだようだった。

 

「マジかよ……」

「毎月十万?」

「すげえ……」

 

 橋本も思わず呟いている。だが赤司は、周囲の反応よりも、真嶋の言葉の裏にある意味を拾っていた。

 

「この学校は実力で生徒を測る。十万ポイントは、この学校に入学したお前たちの価値と思ってくれていい。所持しているポイントを浪費しようと貯蓄しようと各人の自由だ。ただし卒業後は全て回収される。また、ゆすりや恐喝などは禁止だ」

 

 実力。価値。自由。

 

 どれも美しい言葉だが、ひとつの輪郭を持っている。実力のある者にだけ自由が与えられ、そうでない者には、自由ですら罠になるという輪郭だ。赤司はその仕組みに、子どもじみた単純さと、冷酷な合理性の両方を見た。

 

「質問がある者はいるか?」

 

 唯一、手を挙げたのはスキンヘッドで体格のいい男子生徒だった。教室の空気が、ほんの少しだけ引き締まる。

 

「何だ、葛城」

 

「はい。この“Sシステム”についての質問です。これは毎月十万ポイントが振り込まれる、という認識で良いでしょうか?」

 

 その問いの意図に、赤司は微かな笑みを漏らした。

 

 真嶋は静かに口を開く。

 

「その質問には答えられない」

 

「分かりました」

 

 葛城はそれ以上追及しない。だが、教室の大半は端末の表示に見入ったままで、今のやり取りが持つ意味を理解していない。

 赤司と葛城、そして後方に座る銀髪の少女だけが、言葉の綾の中にある不自然さを拾っていた。

 

 

 

 ホームルームが終わり、入学式までにはまだ時間があった。

 

 真嶋が教室を出ると、葛城が教卓の前に立つ。人をまとめるのに慣れた者の足取りだった。

 

「突然すまない。これから三年間を共にするクラスメイトとして、ぜひ皆で自己紹介をしたいと思うのだが、どうだろうか」

 

 異を唱える声はなかった。

 

「ありがとう。では提案した俺から自己紹介させてもらう。俺は葛城康平と言う。皆もこの頭のことが気になると思うが、これは病気だ。怖がらせてしまうことがあるんだが、どうか遠慮なく話しかけてほしい。よろしく頼む」

 

 まばらな拍手が起こる。乾いた音だったが、それでも場は少しずつ温まっていく。

 席順で自己紹介が行われていった。

 やがて橋本の番になり、軽口を交えながら場を和ませる。笑いが少し起こった。

 そして、赤司へと順番が回ってきた。

 

 立ち上がった瞬間、教室内の視線が一段強まる。女子たちの目は、期待と好奇心でやや熱を帯び、男子たちの目にはわずかな警戒と嫉妬が混じる。赤司はそれを自然に受け流し、短く息を吸った。

 

「俺の名前は赤司 征十郎。中学時代はバスケ部に所属していた。高校でもバスケ部に入部しようと考えている。趣味は将棋、チェス、囲碁などのボードゲームだ。クラスメイトとしてみんなとは良い関係を持っていければと思うよ」

 

 言い終える直前、後方の一角から、ぴたりとした視線が突き刺さった。

 赤司は気づく。だが、あえて反応しない。

 

 自己紹介はさらに続く。やがて教室の空気が、ある一点で再び変わった。後方の席で、小柄な銀髪の少女が杖を支えに立ち上がる。視線が集まり、男子たちが僅かに身を乗り出した。

 

「私の名前は坂柳 有栖。ご覧の通り、不自由な身ですので、皆さんにご迷惑をお掛けすることがあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いします」

 

 丁寧なお辞儀。だが、その声音には、可憐さだけではない硬質なものがあった。拍手が起こる。

 すると坂柳は、赤司の方へ目を向けた。好戦的な笑み。試すような、喜ぶような、そんな笑みだった。

 

「実は私もチェスを嗜みまして。ぜひ赤司君とは一局、対戦出来れば嬉しいです」

 

 赤司は静かな笑みを返す。

 

「ああ、いつでも構わないよ」

 

 穏やかな瞳で互いを見つめるが、両者の瞳の奥に温かなものは無い。互いの格を測る、そんな視線であった。

 

 坂柳 有栖は、ただの可憐な少女ではない。ここでの支配を狙う者。

 赤司はすぐに理解する。盤面を見つめる瞳が、父の目と同じだった。敵を壊すことに躊躇がない瞳。

 高育が赤司の推察する通りの場所であるのなら、多少は骨の折れる相手だろうと考えた。

 

 だが、赤司 征十郎にとっては関係がない。

 

 彼の歩みを阻む障壁にはなり得ない。

 

 これまで全てに勝利を収めてきた。

 

 そして、この先もそれは変わらない。

 

 誰が相手になろうと、彼が勝者の側に立つことは揺るがないのだから。

 

 

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