真嶋からの事情聴取を終え、赤司は遅れて授業に合流した。
そこからは特にイレギュラーも無く、午前の日程を終え、昼休みとなる。
赤司は真っ直ぐ生徒会室へ向かった。
廊下は昼の熱気を孕んでいたが、その先にある扉の向こうだけは別の温度を持っているように思えた。
生徒会室は、あの学校の中でも特に秩序の色が濃い場所だ。そこにいるのが堀北学である以上、なおさらだった。
ノックをすると、短い沈黙の後に入室を促す声が返った。
室内に入ると、窓際に立っていた堀北学がこちらへ振り向いた。背筋は真っ直ぐで、視線は鋭い。だがその目の奥にあるものは、単なる威圧ではない。学校そのものを見据える者の目だった。
堀北学は机の上に置かれた書類から視線を外し、赤司を一瞥すると、淡々と口を開いた。
「――バスケ部の件を聞いた。してやられたようだな、赤司」
赤司は僅かに目を細めた。堀北の物言いには、バスケ部を疑うような色は無い。今回の一件が、単純な事故や偶然ではなく、何者かの作為によるものだと、彼はすでに確信しているらしい。
「分かっていると思うが、今回の件。事の顛末によってはお前の生徒会としての立場を剥奪せざるを得ない。生徒会役員が管理している組織から喫煙者が出るとなれば、生徒達に示しが付かない」
「ええ、もちろん理解していますよ」
その言葉は、形式としては冷たい。だがその温度の低さが、かえって堀北学なりの信頼を示していた。最悪の可能性をあえて口にしながら、しかしその口調には本気の動揺がない。つまり、そこまでの事態にはならないという確信があるのだろう。
「……ならいい。だがお前には俺との契約がある。こんな所で落ちてもらっては困るからな。協力は惜しむつもりはない」
「堀北会長が味方にいてくれるとは心強いですね」
「世辞はいい。俺にさせたい事があるから、わざわざ来たんだろう?」
赤司は小さく笑った。珍しく冗談めいた返しである。
堀北も淡々と返すが、その声音に嫌悪はない。互いにある程度、相手の呼吸を理解していた。
赤司は懐から折りたたまれた紙を取り出した。何度か折り目を付けたそれを、机の上へ静かに置く。
「では、その用紙に記されている時間で指定の箇所を映している監視カメラの確認を教師にお願いしてください」
赤司から頼み込んでも可能だろうが、当事者である彼の頼みだと教師も動きづらい部分がある。それを考慮し、生徒会長として学校からの信頼に厚い堀北学に要請をした。
堀北学は受け取った紙を手に取り、内容へ目を走らせた。
部室棟出入口、18時から19時。
特別棟出入口、17時30分から18時30分。
第一グラウンド、18時から19時30分。
職員用喫煙室、6月28日から6月30日。
その中でも堀北学は最後の箇所に反応を示す。
「俺から通せば可能だろうが……喫煙室か。なるほどな」
「ええ、吸い殻を入手するにはその場所が最も手っ取り早い。ですが、そちらはおそらく空振りだと思うので流し見程度で構いません」
赤司があっけらかんとそう言うと、堀北学は僅かに眉を動かした。
「なぜ空振りだと言い切れる?」
「タバコの入手方法はこの策の根幹を担っている。足がつく真似をしないはずだ。それに、この計略を図った相手は監視カメラを見落とすような馬鹿じゃない」
赤司の声は静かだったが、その底には確信があった。今回の事件は、方法も、時期も、悪辣さも、実に見事だった。
だが、だからこそ細部に僅かな綻びが見えた。その違和感を見逃すほど、赤司征十郎は鈍くない。
堀北は紙を机へ戻しながら、視線だけで続きを促した。
「では他のカメラでは何を確認するつもりだ」
「部室棟の映像に関してはバスケ部員以外の人物の出入りを確認します。ですが、この個所の映像もそれほど価値のある情報はないでしょう」
「確かに部室に最も近い監視カメラ。一番警戒すべき箇所に映りこむような間抜けな相手とは思えんな」
「ええ。それにこの監視カメラに関しては学校側も確認はしているようですしね」
真嶋から聞いた情報の一つだ。鍵当番であった須藤の帰宅時間は、このカメラの映像に基づいて確認されたのだろう。
ならば、すでに一度調べられている可能性が高い。再確認の価値がないとは言わないが、そこに期待しすぎる必要もない。
堀北学は紙に視線を落とし、次の項目を指先で軽く示した。
「第一グラウンドのカメラでは何を確認する? 部室棟へ向けて映しているものもあるが、距離があって鮮明ではない。少なくとも部室を出入りした人間を判別できるものでは無い」
「その映像で俺が確認したいのは人ではないですよ。いつ、部室の明かりがついていたか、です」
「なるほどな。犯行時刻の目星をつけるということか」
真嶋は事件発覚時の状況を説明する際、部室の明かりがついていたと述べていた。
部室にはグラウンド側に向けて付けられた入口の扉の脇に小窓が一つ、部室棟の裏手が見える窓が一つ、計二つの窓があった。そのうち入口側の小窓からなら光が漏れ出ていることを確認できる。
「そんなところです。他にも確認できることがありますが………まあ、今はいいでしょう。最後に、特別棟の監視カメラについてですが」
「ああ。だが、今回の一件には関係ないように思えるが――」
赤司はそこで、僅かに意味深な笑みを浮かべた。
「いえ。その映像がある意味、最も重要なファクターです」
堀北学の眉が微かに動く。
「――こちら側の協力者を見つけるんですよ」
その一言で、堀北の沈黙が深くなった。
堀北学に赤司は、協力者となり得る者の条件を説明した。
そしてその後、生徒会主催で審議を話し合う場を設けるよう頼んだ。
堀北学は赤司の頼みに短く応じるのであった。
♢
午後の授業が終わり、帰りのホームルームで真嶋は今回の“バスケ部喫煙疑惑事件”について生徒たちへ説明した。
バスケ部は暫定的に活動停止になること。
部員全員が容疑を否認していること。
証拠品は学外の機関に提出され、事実確認が取れ次第、支給されるはずの今月分のポイントが支給されること。
淡々とした説明ではあったが、教室の空気は重かった。
部員の聴取が終わったため、事件はすでに全校へ広がりつつあるのだろう。昼の生徒会室での会話を思い返しながら、赤司はただ聞いていた。
ホームルームが終わると、クラスメイトの幾人かが赤司のもとへ来て、心配な声をかけた。投げられたそれに対して、赤司は簡潔に応じた。
「問題ない」
それだけだった。だが、その一言で十分だった。少なくとも、今この場で取り乱していないことが、彼の答えだった。
教室を後にした赤司が向かったのは、一年Cクラスであった。
小宮と近藤から話を聞くためだ。二人は事件当日の六月三十日に部の練習を休んでいる。理由は、期末試験に向けたクラスの勉強会だったと聞いていた。アポイントを取ってあるため、無駄な駆け引きは要らない。
Cクラスの教室は、Aクラスとはまた違う色をしていた。空気の緩み方が違う。余裕があるようで、しかしどこかで統制を気にしているような、そんな曖昧さがある。
赤司が中に入ると、小宮と近藤はすぐに姿勢を正した。事前に連絡があったため、二人とも赤司の訪問を予想していたのだろう。小宮はやや申し訳なさそうに、近藤は困惑を隠しきれない顔でこちらを見る。
話を始めると、二人の言葉には妙な濁りがないことがすぐ分かった。
六月三十日はクラスメイト数人とケヤキモールのカラオケルームへ行っていたという。勉強会という名目だったが、結局は遊んでしまったと申し訳なさげに話す。その様子に、作り物めいた気配は無い。
「大会どうなるんだ?」
「犯人は誰なんだ?」
そんな問いも飛んでくる。だがその言葉に一切の偽りも誤魔化しも無い。彼等は紛れもない被害者である。赤司 征十郎の観察眼はそのように結論付けた。
そして教室を出る際、赤司は後方へ僅かに視線をやった。
そこにいたのは、長髪の男だった。ガラの悪い連中を従えるようにして座り、不遜な態度を崩さない。その視線が一瞬、赤司と交差した。
♢
その後、赤司は一年Dクラスの牧田にも話を聞いた。さらに上級生の部員達にも順に声をかけていく。
結果は同じだった。
誰もが、本心から困惑していた。犯人は誰なのか。大会はどうなるのか。自分たちはどうすればいいのか。
問いの形は違っても、内側にある感情はほぼ同じだった。焦りと不安、それから、何もできない自分への無力感。赤司はそれらを一つずつ観察したが、大した収穫はなかった。
だが、まだ重要な人物が一人残っていた。
須藤健。
彼は今回の件の重要参考人として扱われている。
赤司はメッセージを送り、現在地を尋ねた。
返ってきたのは、寮に帰って401号室にいる、という簡素な返事だった。
しかし、指定された場所を見た赤司は僅かに目を細める。
須藤の部屋ではないことは気になるが、赤司はその部屋へ向かう。
やがて401号室の前に辿り着き、インターホンを押す。
少しして扉が開いた。そこに立っていたのは、予想外の人物だった。
赤司は僅かに驚きながら、その人物の名を呼ぶ。
「たしか綾小路君、だったね」
「…………名乗った覚えはないんだが」
扉を開けた綾小路清隆は、赤司が自分の名前を知っていたことに、ほんの僅かな疑問を浮かべた。だが赤司はそれを受け流すように笑みを見せる。
「何を言う。イケメンランキング五位の有名人だろう?」
「頼むから、その話はやめてくれ一位どの」
綾小路はわずかに頭を抱えた。感情の動きが薄いわけではないが、反応の速度と質が妙に整っている。赤司の目には、それが少しばかり機械的にも見えた。
彼は静かに相手を観察し、それから手を差し出した。
「知っているかもしれないが、赤司 征十郎だ。改めてよろしく」
「知っているも何も一年の中じゃ一番の有名人だろ。オレは綾小路 清隆だ、よろしく」
握手は短かった。だが短いからこそ、互いの情報の断片がより鮮明になる。手の温度、力加減、間の取り方。赤司はそれを覚え、綾小路もまた何かを測っているようだった。
「須藤は中にいるかい?」
「ああ。お前のことを待ち侘びていたようだぞ」
「そうか」
何度も着信があったからね、と赤司は軽口を返し、扉の先へ足を踏み入れた。
そこには、須藤健の他にも堀北鈴音がいた。相変わらず向けられる彼女からの鋭い視線を、涼しげな表情で赤司は受け流した。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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オリジナル展開に大変苦戦しているのですが、引き続き読んでくださると嬉しいです。