赤司は自身の端末に視線を落とし、画面を一瞥しただけで、ふっと口元を緩めた。
「……突然、何を笑っているのかしら。気色悪いわよ」
堀北の辛辣な声に、赤司は小さく苦笑する。
ここまで遠慮なく言ってくる女性も珍しい。赤司はその刃の鈍くない切れ味に、むしろ少しだけ新鮮さすら覚えていた。
「大したことじゃないよ」
そう言って端末を脇に置く。
綾小路は、視界の端でその画面を見た。
短いメッセージの添付画像。そこには、綾小路の知らない二人の人物が写っていた。鮮明ではない。だが、わざわざ送ってくる以上、意味のない写真ではないのだろうと察するには十分だった。
赤司と視線が合う。
綾小路はそれを、何事もなかったように外し、須藤へ視線を移した。
「……須藤、カードキーが盗まれていたことは教師には伝えたのか?」
「ああ。今日、色々聞かれた時に伝えたんだが、あんま信じてもらえた感じはしなかったな……」
須藤は頭を掻きながら、苦い顔をした。
その様子を見た堀北は、容赦なく言い切る。
「当然でしょうね。事件が発覚する前に伝えていればまだしも、現段階ではもう荒唐無稽な言い訳と思われても仕方ないわ」
須藤の肩が、目に見えて落ちた。
彼は不満を飲み込むように唇を結ぶが、反論できるだけの材料を持っていない。何より、堀北の言葉は冷たいが、誤ってはいなかった。
赤司は二人へ顔を向ける。
「現状、俺の持っている情報は先ほどまでのもので以上だ。何か質問はあるかい?」
堀北は、すぐに問いを返した。
「一つ聞くとすれば、貴方の中での犯人に心当たりは?バスケ部そのものや貴方達に恨みを持っている人物とか」
赤司は、ほんの僅かに間を置いた。
「俺個人に攻撃を仕掛けようとする者なら複数思い付くが……バスケ部に恨みを持つ者なら一人、明確な心当たりがある」
「それは?」
赤司は静かに告げる。
「既にバスケ部を退部した者であり、俺がいなければ次の代のキャプテンに任命されたであろう人物だ」
その言葉に、須藤の表情が動く。
彼はしばし記憶を探るように視線を泳がせ、それからはっとしたように名前を口にした。
「……もしかして、諸岡先輩か?」
赤司は頷く。
2年Bクラスの諸岡。
実力も高く、赤司が入学するまではエースとして見られていた人物。
ポジションも赤司と同じポイントガードだった。
赤司が部を掌握し始めた頃、真っ先に姿を消した部員の一人でもある。
須藤は眉をひそめた。
諸岡を覚えていたのは、結局のところ、上手い選手だったからに過ぎない。性格などはそこまで彼の記憶に残ってはいない。
堀北もそこに食いつく。
「貴方からポジションを奪われて、部に嫌気がさして退部したということね。動機としてはあり得るわ。それに元部員なら部室の構造も理解している筈。密室を作り出せるかもしれないわね」
その推測は、鋭いというより、正しい方向へ真っ直ぐ伸びているように見えた。
赤司は二人にあることを告げた。
「堀北、綾小路。君たちに頼みたいことがある」
「……何かしら。聞くだけ聞いてあげるわ」
赤司は端末を手にし、画面を伏せるようにしてから言った。
「その密室トリック擬きの“再現実験”をしてほしい」
綾小路の目が、ほんの少しだけ細くなる。
堀北も即座には返さない。
だが、赤司が何を確かめたいのかを二人は気になったらしい。
赤司はどのように行うかを二人に説明した。
「現場に近い条件でやる必要がある。だが、今の俺が部室棟に行けば悪目立ちするだろう。だから二人に頼みたい」
「……なるほど」
綾小路の返答は短い。
だが、その短さの中には、すでに了承の色があった。
堀北もまた、端末を机に置き、赤司へ視線を戻す。
「面白いわね。やる価値はあるわ」
「助かるよ」
赤司はそう言って、ほんの僅かに目元を和らげた。
部屋の空気が、少しだけ前へ進む。
♢
早朝の空は澄んでいたが、日差しは既に鋭い。
夏の気配は、朝の段階で容赦なく地面を焼き始めている。
赤司は葛城と並んで、いつものように敷地内を走っていた。
呼吸を崩さないまま速度を保つ葛城は、見た目に似合わず実に律儀で、走ることひとつにも真面目さが滲む男だった。
ランニングを終え、二人でゆっくりと歩き始めた頃、葛城がふと口を開く。
「事件の方は大丈夫なのか?」
「問題ない。審議も明日に決まったからね。全ては明日に解決するさ」
赤司はそう言って、いつもと変わらない笑みを浮かべる。
その笑みは、強がりではない。実際に、彼の中では既に手順が組み上がりつつあった。
昨日、堀北学から端末に連絡が入った。
監視カメラの確認結果と、この件に関する審議の日程だ。
審議は七月三日の木曜日、放課後に行われる。
理由は単純だった。大会委員会に参加の是非を、遅くとも七月四日の金曜日までには伝えねばならないため、前日までに決着しておく必要があったのだ。
腕を組んで歩いていた葛城が、低く問う。
「明日か……俺にできることは何かあるか?」
人の良い男だ、と赤司は思う。
実際、葛城にはそういうところがある。必要以上に他人を突き放さず、しかし甘さに流されもしない。
少し考えた赤司は、やがて口を開いた。
「……そうだな。放課後、今から俺が言う条件に該当する場所に行って写真を撮ってきてほしい」
「む?」
葛城が首を傾げる。
当然だろう。思わぬ頼みだった。
赤司は歩幅を緩めず、条件をいくつか伝えた。
葛城は真剣に聞いた後、最後には短く頷いた。
「分かった。やってみよう」
「よろしく頼むよ」
赤司はそう返し、前を向く。
朝の光の下で、二人の影が長く伸びていた。
♢
放課後のファミレス。テラス席に近い窓際で、坂柳は紅茶を飲んでいた。
彼女の隣には神室 真澄、向かいには橋本 正義と鬼頭 隼がいた。
四人の前には、飲み物が一つずつ置かれている。
鬼頭が耳を傾ける中、三人は、ある意味で学園を賑わせている事件についての話をしていた。
橋本がストローを弄びながら切り出す。
「……で、姫さんは今回の一件、どう見てるんだ?」
坂柳はカップの縁を細い指でなぞり、薄い笑みを浮かべた。
「そうですね。赤司君の管理下にあるバスケ部の部員が彼に気づかれず喫煙をしていた、とは考えにくい。ならば、誰かによって仕組まれたと考えるのが妥当でしょう」
その言葉には、単なる推理以上のものが混じっていた。
赤司という男が、そんな安易な失態を見逃すはずがない、という信頼。
あるいは、彼の盤面を前提にした上で、なお揺らがないという確信。
神室がすぐに眉をひそめる。
「誰かって誰よ」
坂柳は、その問いに対して答えを急がない。
むしろ、急がないことこそが彼女らしかった。
「ふふっ、さあ誰でしょうね」
意味深な笑み。
橋本は肩をすくめ、神室は露骨に不満げな視線を返す。
だが、坂柳はそれを楽しむように受け流した。
♢
放課後の生徒会室で書類の束を前に、堀北学は一人で黙々と作業をしていた。
整った机の上には、整然と並ぶ資料と、すでに書き込みの入った紙片が重なっている。
無駄な動きはない。彼はいつも通り、静かに、しかし確実に、目の前の仕事を処理していた。
その時、扉が開く。
「忙しそうですね、堀北先輩」
聞き慣れた声。
金髪の生徒――南雲雅が、口元に薄い笑みを浮かべたまま入ってくる。
「南雲」
短く名を呼ばれた南雲は、わざとらしく両手を広げて見せた。
「そんなに忙しいのにバスケ部の事件に首を突っ込んでるそうじゃないですか。そんなに赤司を失うのが怖いんですか?」
挑発は軽い。
だが、軽いからこそ、刺さる場所を心得ている。
南雲は、堀北学が今回の件で監視カメラの確認を教師に頼み、関係する生徒にも声をかけていたことを掴んでいたのだろう。
しかし堀北学は、眉一つ動かさない。
「一定の評価はしている……だが今回の一件の不始末を付けることが出来なければ、生徒会に置いておくことは出来ないだろう」
「ええ、間違いない」
南雲は笑みを崩さない。
その笑みは、善意よりも計算を多く含んでいる。
「けど、さすがの俺もアレだけ使える後輩を失うのは惜しい」
言いながら、ゆっくりと机の前まで歩み寄る。
そして胸元に手を当て、芝居がかった仕草で告げた。
「明日の審議は多忙な会長の代わりに、副会長である俺が公平な目で導くので安心してください。堀北先輩」
本来ならば、堀北学は自らの立ち会いを希望していた。
だが、大会の関係で急遽審議が組まれたため、スケジュールをずらすことができなかった。
橘書紀が進行を務める予定だったものを、南雲が代わりに名乗りを上げた。
その結果、明日の喫煙疑惑事件の審議は南雲雅の立ち合いで行われることになっている。
堀北学は机上の書類に視線を落としたまま、僅かに笑みをこぼす。
「ふっ、赤司は手強いぞ」
「へぇ。それは楽しみです」
堀北の言葉に、南雲は笑うが、その目は一切の笑みを浮かべていなかった。
♢
そして迎えた翌日。七月三日、木曜日。
男子バスケ部、喫煙疑惑事件の審議の日を迎えた。