七月三日木曜日。
朝から空は容赦なく晴れ渡っていた。雲は薄く、日差しは鋭い。登校のために校舎へ向かう生徒たちは、昇りはじめたばかりの太陽に容赦なく体温を奪われるような錯覚を覚えながら、それでも冷房の効いた教室を思い浮かべて足を進めていた。
Aクラスの教室では、朝のHRを待つ生徒たちが比較的静かに席についていた。
表向きは平穏。だが、その沈黙の底には、誰もが同じ話題を抱えている。
そんなクラスの様子を尻目に赤司は葛城と短く言葉を交わしていた。
葛城の手には、昨日頼んでおいた写真が収められた端末がある。
該当する条件に当てはまった場所が映った画像データが赤司に送信された。
葛城はそれを渡しながら、なおも訝しげに眉を寄せていた。
「……これで全てだ。だがこれで本当に犯人に繋がるのか?」
赤司は受け取ったデータを自身の端末で軽く確認し、画面を閉じる。
その所作は静かで、無駄がなかった。
「ああ。これだけでは難しいだろうね。だが、この写真の目的は犯人の特定のためじゃない」
「では、いったい――」
葛城がさらに尋ねようとした、その時だった。
教室の扉が開き、真嶋智也が入ってくる。HRの時間だ。
葛城は言葉を止め、いったん席へ戻ろうとした。その背へ、赤司は淡々とした声を投げる。
「葛城、ことの顛末が気になるなら今日の放課後を空けておく事を勧めるよ」
振り返った葛城の顔には、疑念と興味が同居していた。赤司はただ、意味深に笑うだけだった。
その反応が、余計に葛城の思考を刺激する。葛城は小さく息を吐き、自席へ戻った。
真嶋は教卓に立つと、いつも通りの簡潔な挨拶と連絡事項を済ませた。
朝のHRは、長くも短くもない。だが今日は、最後に本題があった。
「――今日の放課後、バスケ部の一件で生徒会立ち会いの審議が、多目的室にて開かれることになった。この審議の結果にて、明日にはプライベートポイントの支給の見通しが立つはずだ」
教室が微かにざわつく。
生徒会立ち会いの審議。多くのクラスメイトはそんなものがあるのか、と言う程度の認識であった。だが通常、それは生徒会室で行われる。
多目的室で開かれるというのは異例だった。数人が首を傾げた。
真嶋はそれを見越していたかのように、続ける。
「今回の一件は通常の審議とは違いクラスや学年間、あるいは個人の問題ではない。さらに全体のポイントの支給が停止すると言う事態に発展したことを考慮して、人数に限りがあるが傍聴席を設けることとなった」
今回の一件は学校全体に影響を及ぼす。
だからこそ、各クラス数名ずつという制限はあるが、全クラスがこの審議の内容と結末を知るべきだと判断された。
なお傍聴席を設ける提案を学校側にしたのは、今回の審議を取り仕切る南雲雅であった。
「傍聴を希望する生徒はHRの後に俺に伝えて欲しい」
真嶋の言葉が終わると、数人の生徒がすぐに立ち上がりかけた。
葛城、坂柳、橋本と言った者達だ。それぞれが同じ情報を違う角度で掴もうとしていた。
赤司はその様子を見ながら、静かに目を細めた。
♢
昼休み。
学食はいつも通りに生徒で溢れていたが、今日はやや違う熱を帯びていた。全学年全クラスに通達された審議の傍聴。これまでに無かった展開に生徒達の関心はそちらに自然と引き寄せられる。
そんな事もあり、赤司が食堂へ姿を見せた瞬間、彼らの視線は自然と集まった。だが本人は、それを気にする様子もない。
赤司は事前に約束していた席へ向かう。
「待たせたね。二人とも」
そこには綾小路と堀北鈴音がいた。赤司が近づくと、堀北はすぐに視線を向ける。その表情には、いつも通りの厳しさが宿っていた。
「ずいぶんと余裕ね。今日で放課後には全てが決まると言うのに」
「今さら慌てても何も変わらないさ。それに君達の協力のおかげで勝算は十分ある」
「そう。それが虚勢では無いと信じたいわね」
辛辣な言い方だった。
だが堀北はこれでも、既に十分な関与をしている。昨日の検証でも、今日の審議でも、彼女の役割は重要なものであった。
赤司は向かいの席に着き、落ち着いた声音で続ける。
「代わりと言っては何だが今日の昼は奢ろう。好きなものを食べると良い」
「じゃあ遠慮なく。オレはスペシャルラン――」
「その前に」
綾小路がいつもの調子で注文を口にしようとした、その途中で堀北が端末を赤司へ向けた。
画面には、昨夜交わしたメッセージのやり取りが表示されている。
「今日の審議に私も出席してほしいとはどう言うつもり」
赤司はそれを見て、軽く頷いた。
「メッセージで送った通りだよ。俺の言葉に合わせて資料をモニターに映してほしい。それだけだ」
「なぜ、それの役割を果たすのが私なのかしら」
「この事件について一定以上の理解をしている者に任せたかった。それに、密室の検証をした君達なら俺の説明に合わせて資料をスムーズに提示できると判断した。時間が惜しくてね」
堀北はわずかに目を細めた。理由は理解できる。だが、その言い方にはどこか急き立てられるものがあった。
「まるで審議を急ぐ理由があるかのように聞こえるわね」
「そう捉えてもらって構わないよ」
そう言って赤司は、曖昧に笑った。
堀北はそれ以上追及しない。今の彼の返しは、答えになっていないようでいて、最初から答えを教える気がないという宣言に思えたからだ。
二人は注文はする。
綾小路が久方ぶりのスペシャルランチを前にし、堀北もそれなりのメニューを選ぶ。
やがて料理が来るのを待つ間、堀北が一度退席したタイミングを見計らい、赤司は綾小路へ視線を向けた。
「綾小路、君に一つ頼みたいことがある」
「オレに? 言っておくがオレは堀北に付き添っているだけで、実は今回の件もさっぱり――」
「俺にそう言った言葉は不要だ。本題に入らせてもらう」
綾小路は口を閉じる。
赤司の視線には、逃げ道を与えない静かな圧があった。有能さを隠す男に、隠す余地を与える気はない。
そして赤司は短く内容を告げた。その依頼は決して不可能ではないものであった。
「報酬は弾むぞ。いい加減ポイントは欲しいだろう?」
Dクラスはここまでクラスポイントが0だった。ゆえに、まだ初期の十万ポイントしか手にしていない。
本来なら、今月からわずかに増えるはずだったものすら、この一件で停滞している。
それを知ったうえで、赤司は躊躇なく条件を出した。
「……幾らだ」
「前金1万。成功報酬が2万だ」
「…………分かった。やるだけやってみる」
赤司は端末を操作し、その場で綾小路へ送金する。
金額を見た綾小路の目が、わずかに開いた。
「おい。間違えて3万入ってるぞ」
「君なら必ず成功させるさ。期待してるよ、綾小路」
その言葉に、綾小路は苦い顔をした。
期待、と言っているが実際は必ず果たせと暗に言っているようなものであった。
綾小路はそれを理解し、心のどこかでため息をつきたくなった。
「……ずいぶんと羽振りが良いんだな、Aクラス様は」
大人しく従う事にした綾小路。思わず出た彼の嫌味には、今のやり取りだけでなく、昨日の再現実験で起こった一件への皮肉も混ざっていた。
赤司はそれを受け止め、何でもないように言い返す。
「そうでも無いさ。今日もこれから更に減る予定だからな。カツカツさ。だからこそ負けるわけにはいかないね」
負けるとは微塵も思っていない様子で爽やかに答える赤司。
綾小路は赤司が何を狙っているかを、凡そ察知した。
♢
放課後。
多目的室には、すでに多くの生徒が集まっていた。各クラスの主要人物、教師、生徒会関係者。
審議という名の舞台は、想像以上に豪勢な観客を迎えていた。
傍聴席の一列前には関係者席があり、そこへ須藤を含めたバスケ部員たちが全員が座ることになっている。
さらにその前、証言台のように設けられた演台がある。
その左右に分けられた席。右側には堀北が、赤司から受け取ったパソコンを置き、既に準備に入っていた。
反対側には、腕を組んで憮然とした表情を浮かべる二年生の元バスケ部員、諸岡がいる。彼は今回の件に関する情報提供者として招集されていた。
そして、さらに奥。
立会人が座る場所は、まるで裁判官席のように少し高く設けられている。
その席を見上げる生徒たちの視線には、期待と緊張、そして少しの野次馬根性が混じっていた。
傍聴席には実に多様な顔ぶれがいた。一年Aクラスの坂柳、葛城、橋本。Bクラスの一之瀬と神崎。Cクラスの龍園などだ。
二年に目を向ければAクラスの朝比奈、Bクラスの桐山もいる。学内でも名の知れた者たちが一堂に会していた。
まさに注目の集中する場であった。
その中でも、ひときわ異質な気配を放っていたのが、桐山生叶の隣に座る鬼龍院 楓花だった。
「……なぜお前がここにいる?鬼龍院」
「ふっ、ただの好奇心だよ。噂の赤司と言うのが気になってね」
足を組み、飄々とした態度で周囲を眺める。悪目立ちしていることを自覚しているようでいて、まったく気にしていない。
「それに、この一件の是非によっては私の収入が減ってしまうかもしれないだろ?なら尚更気になるというものだ」
「何を言っている?うちのクラスにバスケ部は――諸岡か。だが奴はとっくの昔に退部している。今さら無関係だろう」
「果たして本当にそうかな?」
その返しに、桐山は問い返そうとした。
だが、生徒会の橘茜がマイクを取ったため、それ以上の会話は続かない。
室内の空気が、そこで一段引き締まる。
「間も無く審議の予定の時間となります。審議の最中は、端末はマナーモードに設定するか電源を切っていただき、使用を控えるようご協力をお願いします」
予定時刻まで残りわずか。
生徒たちが端末を操作し、室内には機械音の小さな波が広がった。
その直後、南雲 雅が多目的室へ入ってくる。
立会人席に座るなり、彼は傍聴席を見回して口角を上げた。
「ずいぶんと客が入っているな。やはり誰しも人のトラブルには興味があるものだ。普段の審議からこうした方がいいと思いませんか、橘先輩?」
橘はそれに対し、何も答えない。
南雲は気にした様子もなく、むしろその沈黙を愉しむように笑みを深めた。
彼にとって、この場は単なる裁きの場ではない。
自らの威厳を示し、他者を見下ろし、校内での影響力を誇示する舞台である。
実際、二年の席の多くは彼の息のかかった者たちで埋まっていた。
鬼龍院の存在こそ想定外だったが、それでも概ね盤面は彼の望む方向へ整っている。そう思えた。
だが、開始時刻が迫るにつれ、会場には別種の緊張が生まれた。
審議の申請者である赤司征十郎が、まだ現れない。
ひそひそとした声が飛び交う。
「もしかして逃げたか?」
嘲笑とも同情ともつかない声が、何度か耳に入る。
だが、予定時刻の二分前、扉が開いた。
まず姿を見せたのは、堀北学だった。
「あれ、堀北先輩。今日は立て込んでたんじゃ無かったんですか?」
南雲が、わざとらしいほど軽い声で言う。
一瞬だけ妹の堀北鈴音の肩が動いた。だが、彼女は事前に赤司から兄が後から来るかもしれない事を聞かされていた。
そのためすぐに冷静さを取り戻す。
「やるべき業務を終わらせ、時間ができたからな。安心しろ南雲。今の俺は3年Aクラスの代表として傍聴に来ただけだ」
堀北学はそう言い、傍聴席の一角へ座った。
その存在だけで、南雲の笑みがわずかに硬くなる。
だが、まだ赤司は来ない。
予定時刻まで、残り一分を切った。
「……おい。これマジで来なくね?」
囁きが広がる。そこで、もう一度扉が開いた。
現れたのは赤司 征十郎。今回の審議の申請者である。
彼は、まるで遅れてきたこと自体が予定通りだったかのように、迷いのない足取りで証言台へ向かう。
背筋は真っ直ぐで、表情には一切の焦りがない。むしろ穏やかで、余裕すら感じさせる笑みを浮かべていた。
彼が証言台に立った瞬間、多目的室の時計の秒針が頂点を指した。
「さて南雲副会長。時間となりましたので、始めましょうか」
その声は静かだった。
しかし、会場の空気を確実に切り裂いていた。
南雲の目が細くなる。遅刻寸前の者が、審議の開始を宣言する。
その構図そのものが、挑発のように映る。
南雲が隣の橘に目配せを送る。彼女は合図を受け取り、マイクを手にして、まっすぐに告げた。
「――では、これより男子バスケ部喫煙疑惑事件の審議を始めます」
室内のざわめきが、完全に止む。この場の視線が中央に集まっていた。
南雲と赤司のみが互いに向けて視線を交差させる。
その間にあるものは何か。
だが、後にこの一件について、多くの生徒はこのように述べた。
あれは“生徒会長選挙の前哨戦”だった、と。
審議の場が、開廷された。