ようこそ勝利至上主義の教室へ   作:中輩

9 / 20
先生

 

 真嶋より高度育成高等学校の本来のルールを聞いた日から、教室の空気は一段だけ変わっていた。変わったと言っても、劇的に何かが露わになったわけではない。だが、生徒たちの視線の端にあるものが、わずかに「楽しみ」から「見極め」に寄った。

 

 各授業では、早くも中間テストに向けた試験範囲が通達され始めていた。表向きは淡々とした案内に過ぎない。だが、そこにある違和感を赤司が見落とす事はなかった。

 

 そして放課後。葛城は、いつも通りの落ち着きと、いつも通りの圧を帯びた声で、クラスメイトたちへ呼びかけた。

 

「皆に一つ提案がある。これから放課後に勉強会を開きたいと考えていた」

 

 その瞬間、教室の空気は、さっと方向を変えた。

 

 葛城の周囲にいる男子たち――彼の言葉に慣れている者たちは、すぐに頷いた。彼らにとって葛城は、頼りになる中心であり、時に厳しすぎるほどに正しい方向へ引っ張る存在だった。だから提案にも反射的な賛同がついた。

 

 一方で、坂柳と関わりのある者たちは、あえて言葉を挟まなかった。積極的に反対するわけでもない。ただ、静観していた。

 

 残った中立派の反応はさらに分かれた。もともと学力の平均が高いクラスである。だからこそ、わざわざ放課後に集まってまで勉強する必要性を感じない者もいる。

 逆に小テストで多少の不安を覚えた者や、授業でまだ穴があると自覚している者は、むしろ歓迎した。だが、葛城の提案に即座に乗るほど軽くはない。

 四月半ばから葛城が授業態度や生活態度にまで踏み込んで注意を重ねていたことを、教室の多くの者は覚えていた。

 

 あの時の葛城は、まるで風紀委員のようだった。いや、それ以上だったかもしれない。彼は問題を見つけると放置せず、授業中の姿勢、私語、居眠り、提出物の遅れにまで目を向けた。その徹底ぶりは、クラスを整えるためのものだと理解できる。だが、理解できることと、好感を持てることは別だ。正しさが過剰になれば、親しみは引いていく。

 葛城の行動は結果としてクラスにとって利があると分かっても、一度抱いた「厳しそうだ」という印象は、そう簡単に消えない。

 

 そこへ葛城は、冷静に言葉を重ねた。

 

「もちろん強制はするつもりはない。だが、退学というリスクがある以上、出来ることをしておきたいと思う者もいるだろう。遠慮なく声をかけてほしい。さっそく明日の放課後から始めて行こうと思っている」

 

 その声音に、押しつけの匂いは薄い。だが、意思の強さだけははっきりと残っていた。

 

 葛城はそれ以上を語らず、そこでいったん全体を解散させた。ぱらぱらと数人の生徒が教室を後にし、帰宅していく。

 一方で残る者たちもいた。葛城の取り巻きたちと、彼らに引かれるように集まった数人が前へ出て、明日の勉強会の段取りを始める。どの教科を優先するか、何時から何時までやるか、どの範囲を確認するか。言葉は実務的で、熱意は淡く、しかし確かだった。

 

 クラスの様子を見守っていた赤司が席を立とうとした、その時だった。

 

「赤司君、今少しお時間良いですか?」

 

「やっほー、征ちゃん」

 

 白石飛鳥と西川亮子が、並んで赤司の方へ近づいてきた。白石は控えめな歩幅で、けれど迷いなく。西川はいつものように軽やかで、場の空気を少しだけ柔らかくするような笑みを浮かべている。

 

 赤司は立ち上がり、穏やかな声音で応じた。

 

「ああ、構わないよ。どうしたんだい?」

 

 何となく、二人がここへ来た理由には当たりがついていた。だが、赤司はあえて尋ねた。相手の意図を先に言い当てるより、言わせた方が、その後の話が早いこともある。

 

 白石は少しだけ視線を落とし、それから顔を上げた。

 

「時間があればで良いのですが、赤司君に勉強を教えてもらえないかって二人で話してたんです」

 

「そーそー、征ちゃん教えるの上手そうだし」

 

 西川が即座に続ける。そこに遠慮はあるが、ためらいはない。彼女は赤司に対して、必要以上に距離を取らない。かといって、馴れ馴れしすぎもしない。その温度がちょうどよかった。

 

 赤司が返事をしようとした、その時――。

 

「ちょ、ちょっと待ったーっ!」

 

 机の間を抜けるようにして、一人の男子生徒が勢いよく割って入ってきた。まるで結婚式の会場に飛び込んで、誓いの言葉に待ったをかける者のような勢いである。

 

 足元がもつれたのか、机の脚に引っ掛けて大きくよろける。だが、転ぶ前に赤司がその身体を支えた。

 

「大丈夫かい?吉田」

 

「わ、悪い……って勉強会するのか、白石と!?」

 

 彼――吉田 健太は、白石の前に立つと分かりやすく動揺した。声がひときわ高くなり、視線は落ち着かず、赤司と白石の間を忙しなく往復している。彼が白石に好意を寄せていることは、少しでも見れば分かる。

 先月、赤司が白石たちと出掛けたと聞いて、あからさまに「ぐぎぎ」とした顔をしていた男子の一人でもあった。

 

 吉田は赤司に詰め寄るような勢いで口を開きかけたが、その前に、もう一人の男子が現れる。

 

「俺もその勉強会に混ぜてもらえないか」

 

 さらに割って入ったのは島崎 いっけいだった。真面目そうな顔つきに、整えられた姿勢。言葉の選び方も堅実で、いかにも「考えてから話す」タイプの生徒だった。

 

「島崎か」

 

 赤司が名を呼ぶ。

 

「え、ヨッシーはともかく島崎君は意外だねー。頭いいじゃん」

 

 西川が素直に言うと、吉田が即座に反応した。

 

「俺はともかくって何だよ!?」

 

 吉田の声に、教室の何人かが小さく笑った。だが、島崎はそれを意にも介さず、赤司の方を見て言う。

 

「……小テストの結果を見ても分かるように、赤司がこのクラスで一番優秀だった。だから俺は、赤司がどんなふうに勉強に取り組んでいるかも含めて気になっている」

 

 言葉はあくまで真面目だった。だが、赤司はその中に、別の熱のようなものを見て取る。純粋な学習欲だけではない。彼の視線が一瞬だけ横に向くのを見逃さなかった。

 

 島崎の発言には、近くで聞いていた数人の生徒の間に僅かな緊張が走らせた。

 葛城の取り巻きの一人が、何か言い返そうとした気配を見せる。だが葛城は、小さく手を上げてそれを制した。赤司の評価を巡って空気が尖るのは、無意味だと判断したのだろう。

 

 赤司は静かに首を振る。

 

「そのように言ってくれるのはありがたいが……すまない。部活や生徒会の業務があって放課後は時間が取れそうにない」

 

 バスケ部では、近づくインターハイ予選に向けてやるべきことが山ほどあった。キャプテンとして、考えることも多い。

 生徒会の方に関しては、南雲からの“愛のあるイビリ”によって、数々のタスクを掛け持ちする羽目になっている。

 要するに、赤司の放課後は元から埋まっていた。

 

「そうか……」

 

 島崎が少し残念そうに呟く。白石も、申し訳なさそうに赤司を見た。

 だが、その隣で、吉田だけは目に見えて顔を輝かせる。

 

「じゃ、じゃあ俺たちだけでも勉強会を――」

 

「勉強会は出来ないが、中間テストへ向けて模擬テストを作り採点することはできる。必要な箇所は授業の合間など説明する時間を取る、というのはどうかな?」

 

 赤司の提案に、四人の表情が揃って変わった。

 島崎は、まるで興味深い新しい問題を前にした時のような顔をする。

 

「赤司が作ったテストか……興味深いな」

 

 吉田は一歩だけ引いた。いや、正確には引きたいが引けない顔をした。

 

「けど、お前が作ったテストなんてアテになるのかよ!?」

 

「赤司君が用意してくれるなら、私やってみたいです」

 

「そうだな!白石が言うなら俺もやりたいぜ!!」

 

 吉田はあっさり手のひらを返す。あまりにも分かりやすいその態度に、西川は笑いを堪えきれず、肩を震わせた。

 

「けど、良いのー?征ちゃんの負担大きそうじゃない?」

 

 赤司は穏やかな笑みを浮かべた。

 

「試験範囲もそこまで広くはないから、問題ないよ」

 

 赤司の声は静かだったが、そこに迷いはない。授業の進度、試験範囲、小テストの傾向、クラスメイトの学力。そこから逆算すれば、模擬テストは作れる。しかも、ただの模試ではない。彼なら、どの分野で誰がつまずくかまで見通して問題を配置できる。

 

 こうした経緯でAクラスに一つの勉強のグループが生まれた。

 講師 赤司の下に集うグループ――通称“赤司塾”が発足される。ちなみに赤司は毎回の採点の際に丁寧な解説と励ましを付ける事から、彼等から密かに“赤ペン先生”と呼ばれることになる。名付け親は西川である。

 

 

 ♢

 

 

 バスケ部での活動を終えた後、生徒会の業務を処理した赤司が寮へ戻った時には、すでに夜が濃くなっていた。時計の針は二十一時を回ろうとしている。窓の外では、校舎の灯りが点々と残り、整然とした敷地の向こうに暗い海が広がっていた。

 

 赤司は自室へ入ると、すぐに机に向かった。鞄を置き、上着を整え、椅子に腰を下ろす。その流れに無駄はない。模擬テストの作成は、今夜のうちに半ばまで進めておきたかった。

 

 机の上には白紙と端末、そして先ほど鞄から取り出した数枚の用紙がある。赤司はそれを一枚一枚確認しながら、ふと、口元を僅かに緩めた。

 赤司は朝のHRでの真嶋の態度を思い出す。中間テストを確実に乗り越えることが出来る、そうした含みを持たせた様子であったことを――。

 

「やはり、一年前二年前の試験も同じ問題が出されているな」

 

 低く呟く。過去問の存在を、彼はバスケ部の元主将であり現副キャプテンの三年生に尋ねて確かめていた。その結果は、予想通りだった。 

 

 赤司は、机の端に置いていた別の用紙へ視線を落とす。

 

「通達された試験範囲外のものもあるな。だが大した問題ではないな」

 

 試験範囲が変わることは赤司には予想できた。今日通達された各授業での試験範囲が中間テストとはいえ範囲が狭すぎると赤司は感じていたからだ。

 後に試験範囲が追加される事は大いに予想できた。

 

 赤司は過去問を脇に置き、模擬テストの設問を組み始めた。

 

 単純な反復では意味がない。過去問の答えを覚えさせるだけなら、点は取れても地力は上がらない。だから、あえて過去問に出ていない問題をピックアップする。授業で触れた範囲の周辺、教師が飛ばしたが本来なら押さえるべき箇所、基礎の応用に繋がる部分。そうしたところを、模擬テストという形で立ち上げる。

 

「期末試験からはこのような温情は無いだろう。なら初めからそんなものは不要だ」

 

 赤司の考えは、常に先へ向いている。中間テストを切り抜けるだけでは足りない。クラスメイトの学力を底上げし、どの教科でも一定以上の点を取れるようにする。その方が、学校で生き残るには合理的だ。授業よりも効率よく、要点を圧縮し、必要ならば何度でも見直せる形にする。

 

 赤司は、教科ごとの配点、難度、出題傾向を頭の中で整理しながら、問題を打ち込んでいく。数学は途中式の読みやすさ。国語は設問文の解釈。英語は文法の穴。理科社会は暗記だけではなく、問いの立て方。そのどれもに、単なる正誤では測れない要素がある。

 

 模擬テストは、ただの勉強会の代用品ではない。彼にとっては、クラスの現状を測るための試金石でもあった。

 

 その最中だった。

 インターホンが鳴った。

 

「……。」

 

 赤司は手を止めた。すぐに立ち上がり、脇へ置いた過去問を引き出しの中へしまう。

 モニターへ歩く。夜の廊下は静かで、画面の明かりだけが部屋の内側を淡く照らした。

 

 そこに映っていたのは、白石と西川だった。

 

 白石の手元には中身の詰められた大きめの紙袋があった。

 

 赤司は、少しだけ目を細めた。

 

「こんな時間にどうしたんだ?白石、西川」

 

 白石は、モニター越しでも分かるほど、柔らかな雰囲気を保ったままカメラへ少し近づいた。

 

「お忙しいかと思って……お料理、作ってきました」

 

 その声は、ぽわわんとした空気を纏っていた。だが、その後ろで西川が、いたずらっぽい笑みを浮かべているのが見える。何かを企んでいるというより、純粋に楽しんでいる顔だった。

 

 赤司は、その二人を見て、ほんの僅かに息を吐いた。そして変わらぬ穏やかな声で告げる。

 

「入ってくれ。ちょうど、一段落したところだ」

 

 扉の向こうで、二人が顔を見合わせる気配がした。次の瞬間、白石が小さく笑い、西川が「やったね」と口の形だけで言った。

 

 赤司は鍵を外し、室内へと二人を迎え入れた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。