機動戦士ガンダム 美味しんぼ ロンド・ベルの究極、ネオ・ジオンの至高 逆襲のシャア前夜、ロンド・ベル寄港中の補給食堂 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
U.C.0092年12月。
サイド1、ロンデニオン。
港の倉庫は、戦争が始まる前から詰まっていた。
正確には、倉庫ではない。
伝票が詰まっていた。
軍需余剰。
民間端数。
大学保管分。
避難者支援物資。
4つの名前が、同じ木箱に貼られている。
しかも、その木箱の中身は卵でもなければ、缶詰でもなかった。
古米。
麦。
塩。
乾燥野菜の残り。
誰が見ても食べ物だった。
でも、書類の上では、まだ誰の食べ物でもなかった。
私はそれを見て、手帳を開いた。
キッカ・コバヤシ。
ロンデニオン大学、食文化史研究室の臨時記録係。
そう名乗ると、少し立派に聞こえる。
でも実際にやっているのは、港湾管理棟の裏にある旧実習棟へ運び込まれた食材の出所を書き写すことだった。
旧実習棟。
廃止予定。
調理室あり。
水道、不安定。
電源、要確認。
消防設備、未点検。
つまり、普通なら使えない建物だ。
けれど、和平交渉の準備で港の倉庫が足りなくなり、さらにロンド・ベルの補給便が近く通ることになったせいで、大学の空き施設が臨時の仕分け場所にされた。
食堂ではない。
まだ、仕分け場所。
だからこそ、私はそこで手帳を持っていた。
「で、これ食べ物なの? 書類なの?」
エル・ビアンノが木箱をのぞき込みながら言った。
エルは、シャングリラ系の民間荷役チームとして港に入っていた。
壊れた台車を直す。
足りない人手を埋める。
そして、余計な口を出す。
今も出している。
リィナ・アーシタは、木箱の伝票を指で押さえた。
リィナも同じチームの補助員だった。
本人は「帳簿係ではありません」と言い張る。
でも、数字を見る目は完全に帳簿係だった。
「食べ物としては食べ物。でも書類上は、まだ誰の食材でもない」
「じゃあ、誰のものでもないなら食べていい?」
「その発想が1番危ない」
リィナが即答した。
「だって捨てるよりよくない?」
「食べた子が腹を壊したら、誰が責任を取るの」
「じゃあ、誰のものでもない食べ物って何なの。幽霊?」
エルの言い方は雑だった。
でも、たぶん本質だった。
誰のものでもない食べ物。
誰の名前にも入らない子供。
私はその2つが、少し似ていると思った。
似ている、などと書いたら怒られる気がして、一度手帳を閉じた。
閉じただけで、しまわなかった。
そこが私のずるいところだ。
港湾の端末が、短い警告音を鳴らした。
配給所側からの連絡だった。
登録照合不能。
避難履歴未照合。
配給対象外。
文字は冷たい。
冷たいのに、画面の向こうには人がいる。
私は配給所へ向かった。
エルとリィナもついてきた。
旧実習棟から配給所までは、港湾管理棟を回り込んで5分。
歩いている途中、エルが私の顔をのぞき込んだ。
「キッカ、顔が研究者」
「何その顔。今の私、最低ってこと?」
「うん。8割くらい」
「残り2割は?」
「友達割引」
私は手帳を胸に抱え直した。
否定できなかった。
名前のない子供を見て、最初に出てきた感情が、かわいそう、ではなかったからだ。
怖い、でもなかった。
知りたい。
その欲が、1番最初に出てきた。
配給所の端末は、人間より先に断った。
「照合不能」
その2文字を、私は手帳に書き写しかけて、やめた。
書いたら、私は安心する。
安心してしまう自分が嫌だった。
配給所の裏に、番号札の紐が落ちていた。
白い。
新しい。
紐だけ新しいのに、名前がない。
私はそれを拾わなかった。
拾わない代わりに、じっと見た。
「書かないの?」
リィナが聞いた。
「今書いたら、私のものになる気がする」
「書かなくても、見た時点で半分持ってるわ」
その言い方は正しかった。
正しすぎて、少し腹が立った。
「リィナってさ、たまに人の逃げ道を定規で測るよね」
エルが言った。
リィナは一瞬だけむっとした。
「定規は便利です」
「否定そこ?」
「逃げ道を測るときにも、曲がった線よりはましです」
私は少し笑った。
笑ったあと、自分が少し楽になっていることに気づいて、また嫌になった。
旧実習棟へ戻ると、ファ・ユイリィが流し台の前にいた。
港湾診療所の応援で来ている人だ。
避難者の食事状態を見るために、大学側が呼んだと聞いている。
私は最初、ファを優しい人だと思っていた。
間違ってはいない。
でも、優しいだけの人ではなかった。
ファは古米と麦が混じった米袋を見て、苦虫を噛み潰したような顔で溜め息をついた。
「……こんな劣悪な米と麦で、塩むすびを作ろうだなんて、あなたたち本気なの?」
「はい。とりあえず、握れば食べられるかなって」
「『とりあえず』ですって……! 女将……じゃなかった、料理を預かる人間が、そんな甘い考えでいいわけないでしょう!」
急に、ファの纏う雰囲気が鋭くなった。
「いい? 古米や麦というのは極度に乾燥が進み、水分を抱える力が根本的に欠落しているのよ。それを『とりあえず』などと雑に握り込めばどうなるか……! 外側だけが固く締まり、口に入れた瞬間にデンプン質の崩壊が起きず、パサついた粉っぽさだけが口内に広がる! それを料理と呼ぶなんて、食材に対する冒涜であり、食べる者への暴力だわ!」
「う、うわぁ……」
エルが圧倒されて絶句する。私も息を呑んだ。
あまりにも完璧で容赦のない、絶対的な食のロジック!
ファは丁寧に手を洗い、米を指先で一粒掬い上げた。
「見てみなさい。割れた粒、乾燥しきった表面……。だが、どんなに状態の悪い食材であっても、その特性を極限まで理解し、正しく扱えば『答え』は必ず導き出せるのよ。古米と麦のむすび方は『握る』のではない……崩れない絶妙な極限点で『止める』の!」
ファは手にわずかな水をつけ、米を包み込むように優しく形作った。
「表面の粒子だけを奇跡的なバランスでまとめ上げる。そうすることで、口に含んだ瞬間に解け、内側に閉じ込められたわずかな水分が真っ先に舌へと届くのよ。……食べる気力を失った子の口腔環境まで計算し尽くす。それこそが真実の調理法というものよ!」
「まし、なんだ」
エルが言った。
「おいしい、じゃなくて」
「……当たり前でしょう。美味いかどうかの次元で満足しているのは、浅はかな素人の戯れよ。今の私たちが目指すべきは『至高のケア』。今日、この傷ついた喉と口内を絶対に傷つけないという、絶対的な誠実さなのよ!」
ファは指先に塩をかすかにつけた。
「塩は?」
私が聞いた。
「過剰な塩分は体内の浸透圧を狂わせ、激しい水を要求させるわ。恐怖で声を上げることもできない極限状態の子にとって、塩分の強すぎる料理は毒を盛るのと同義! 薄味だからこそ通い合う、素材本来の温もりだけを渡すのよ」
料理の話なのに、配給所の端末よりずっと残酷で、けれどどこまでも熱かった。
エルは小さな塩むすびを3つ作った。
大きさが少し違う。
本人は自信満々だった。
「大、中、小。選べる大サービス」
リィナが即座に言う。
「大があると、小を取った子が負けた気になるわ」
「じゃあ全部小?」
「全部小。同じ形。でも塩の濃さだけ2種類」
「地味っ」
「地味でいいの」
「リィナ、地味を正当化する時だけ強いよね」
「あなたは派手に間違える時だけ強い」
「今の、ちょっと好き」
「好きにならないで」
その声だけで、誰が話しているか分かる。
エルは、間違いながら前へ出る。
リィナは、正しさで自分を支えながら震えている。
ファは、料理を優しさではなく判断として扱う。
私は、それを見て書きたくなる。
その書きたい欲を、たまに自分で嫌になる。
私は黒板にチョークを置いた。
旧実習棟の黒板は古く、拭いても白い粉が残る。
そこに書いた。
1、食文化研究部を申請する。
2、補給線と配給外の空欄を追う。
3、食べさせたら勝ち、とは考えない。
3つ目を書いた瞬間、チョークの粉が指に残った。
「それ、誰の言葉?」
エルが聞いた。
「今、私が思いついた。たぶん偉そう」
「偉そうだけど、消すともっと偉そう」
リィナが言った。
だから消さなかった。
配給所の端に、照合不能の子がいた。
名前は分からない。
年齢も分からない。
赤い腕章の職員が通るたびに、肩が少し上がる。
私は塩むすびを手渡さなかった。
机の端に置いた。
近すぎず、遠すぎず。
取れ、と言っている距離ではない。
でも、取れないふりをするには少し近い距離。
ファが小さくうなずいた。
エルは息を止めていた。
リィナは見ないふりをして、でも完全には目をそらさなかった。
その子は取らなかった。
でも、見た。
塩むすびを、見た。
私はそれを勝ちとは書かなかった。
ただ、手帳にこう書いた。
見た。
それだけ。
夜、遠くの端末が、港湾連絡を流した。
ロンド・ベルの旗艦、ラー・カイラム。
ロンデニオン港湾への入港予定。
その艦名が出た瞬間、港の空気が少し変わった。
大人たちの声が低くなる。
伝票を持つ手が速くなる。
倉庫の優先順位が、また変わる。
チェーン・アギが言っていた通り、ロンド・ベルの補給線がこの区画を通る。
つまり、軍の食材と、避難者の食材と、大学の試料と、私たちの塩むすびが、同じ紙の上で並ぶことになる。
私は知っている名前を聞いた時の顔をしていたらしい。
エルがすぐにのぞき込んだ。
「知ってる顔」
「知ってる。でも今は塩むすび」
「今は、って便利だよね」
「便利だから使ってる」
「じゃあ、あとで聞く」
「あとでなら答えるかも」
「かも、禁止」
リィナが掲示の傾きを直しながら言った。
「今は、まず申請書。責任者名、利用人数、食材出所、衛生責任者」
エルが露骨に嫌な顔をした。
「うわ、急に現実」
「現実から逃げると、あとで現実が増える」
「増えるの嫌だな」
「じゃあ書く」
私は手帳を開かなかった。
開かなかったことを、手帳に書きたくなった。
その代わり、黒板を見た。
食べさせたら勝ち、とは考えない。
その横に、まだ何も書かない。
今日はそれでいい。
鍋の下の火は、小さかった。
食堂と言うには、まだ頼りない。
でも、仕分け場所に戻すには、少しだけ温かすぎた。