機動戦士ガンダム 逆シャア前夜の子供食堂 ――キッカの家―― 〜宇宙世紀0092-0093、サイド1・ロンデニオン外縁区〜 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
協力者探しは、奇妙な形で進んだ。
港湾区の小さな修理工場。
市場のパン屋。
夜だけ開く古本屋。
どこも共通するのは、正規の福祉や大学には手を貸さないが、腹を空かせた子供を見捨てきれない大人たちだ。
キッカはそういう顔を見分けるのが上手かった。
ホワイトベースで大勢を見てきた勘なのだろう、とミリーは思う。
ただし、協力を頼むだけでは足りない。誰をどこへ逃がし、どの子が熱を出しやすく、どの子が暗い場所を怖がるのか。そうした細かな情報を共有しなければ、避難網はすぐ破れる。リィナは地図に色鉛筆で線を引き、ステファニーは人と物資の流れを別々の表にした。エルは実際に走って、裏路地の段差や壊れた照明の位置まで確かめてくる。
ミリーの仕事は、協力者を食卓に座らせることだった。修理工場の主人には具だくさんの味噌汁を、パン屋の夫婦には余った耳で作る甘い揚げパンを、古本屋の老人には薄い茶と小さなおにぎりを出した。料理は賄賂ではない。けれど、腹に温かいものが入ると、人は少しだけ本音を話しやすくなる。
「私は善人じゃないよ」と古本屋の老人は言った。「連邦の役所に睨まれるのは御免だし、ネオ・ジオンの若い連中にも関わりたくない。けれど、本を売る店の裏で子供が凍えているのを見なかったことにはできん」ミリーは黙って椀を置き、老人の名前を帳面に書いた。協力者もまた、消えてはいけない人だった。
キッカはそのやり取りを横で見ながら、別の手帳に短い文章を書いていた。店の場所、老人の口癖、出された茶の匂い、壁に残った古いポスターの色。ミリーが覗き込むと、キッカは少し照れたように手帳を閉じた。「後で忘れないように。人って、肩書きだけで書くと嘘になるから」その言葉は、まだ誰かに見せる原稿ではなかったが、確かに彼女の中で何かが始まりつつあった。
人工気候の温暖設定が続いた夜、旧実習棟で一晩だけの合宿をした。
合宿といっても、遊びではない。表向きは研究部の調理実習、実際は新しい避難網の確認だった。子供たちを三組に分け、眠る場所、起きた時の集合場所、火災や検問があった時の合図を決める。大人でさえ覚えるのが難しい手順を、子供に怖がらせず教える必要があった。
だからエルは怪談を使った。「夜中に三回ノックする幽霊が出たら、返事しないでキッカのところへ集合!」子供たちは悲鳴を上げながら笑い、合図だけはすぐに覚えた。リィナは呆れ、ステファニーは「教育効果としては否定できませんわね」と渋々認めた。
子供たちを寝かせた後、暑さを紛らわせるためにエルが怪談を始めた。
「で、その空きコロニーにね、夜になると赤いモビルスーツの影が――」
「それ怪談じゃなくて実話寄り!」とキッカ。
笑いと悲鳴が入り混じる中、怯えて泣き出す子まで出てしまい、ミリーは慌てて台所に立った。細い麺を茹で、出汁を張り、刻み葱を散らす。真夜中のにゅうめん。胃に優しく、気持ちを落ち着ける夜食だ。
「ほら、温かいよ」
泣いていた子がすすり、ほっと息をつく。
それを見て、キッカも椀を受け取った。
「こういうの、いいね」
「何がですか」
「夜に怖い話して、最後に温かいの食べて、ちゃんと眠るの。普通の子供みたいで」
ミリーは、その“普通”を守るために何を失うのかを考えてしまう。食材、寝床、時間、時には誰かの安全。けれど、普通の夜を一度も知らないまま大きくなる子供を見たくなかった。怖い話に泣いて、夜食で落ち着いて、毛布にくるまって眠る。その一連の流れが、戦災孤児という言葉より先に、その子自身の記憶になってほしかった。
普通。
その言葉が、この家では時々とても遠い。
リィナが静かに麺を啜りながら言う。
「でも、普通を守るのが一番難しいのよ」
皆が黙る。
最近、学内には見慣れない学生運動家が増えていた。反連邦を掲げる者、ネオ・ジオンに同調する者、ただ不満を煽るだけの者。食料不足と治安悪化で、人心は簡単に揺れる。
古本屋の老人が言っていた。「人は腹が減ると、難しい思想より、今すぐパンをくれる声を信じる」。その言葉は冗談ではなかった。配給列の苛立ち、軍の噂、反連邦の演説、ネオ・ジオンの名前。全部が、子供たちの寝息のすぐ外側にあった。
「怪談より怖いのは現実かあ」
エルがぼやく。
そのとき、裏口が三度、短く叩かれた。
合図だった。
キッカが開けると、協力者の古本屋の老人が青い顔で立っていた。
「北区の空き倉庫が焼かれた」
老人は濡れた外套を脱ぐことも忘れていた。息を整える間も惜しいという顔で、彼は焦げた紙片を差し出す。避難先候補の入口に貼っていた、子供向けの目印だった。キッカが描いた小さな星印が、半分だけ黒く焦げている。
全員の空気が凍る。
そこは、次の避難先候補だった場所だ。
「誰が」
「分からん。ただ、子供がひとり行方不明だ。サラの兄かもしれん」
サラは眠っているはずだった。けれど、その名前を聞いた瞬間、毛布の中から身を起こした。顔色は紙のように白く、唇だけが震えていた。「お兄ちゃん?」誰もすぐに答えられない。ミリーはにゅうめんの椀を置き、サラの肩に手を添えた。
ミリーの椀が音を立てて揺れた。
「名前を確認します」ミリーは自分でも驚くほど冷静に言った。「見つかっていないなら、まだ消えていません。消させません」キッカがその言葉を聞き、手帳を開く。泣きそうな顔ではなく、記録する者の顔だった。誰が知らせに来たのか、どこが焼かれたのか、最後に見た者は誰か。事実を集めることが、次に誰かを助ける手段になる。
夜食の温かさは、一瞬で戦いの熱に塗り替わる。
彼女たちは、また動かなければならなかった。にゅうめんの湯気がまだ残る部屋で、避難網は初めて本当の意味で試されることになる。