機動戦士ガンダム 美味しんぼ ロンド・ベルの究極、ネオ・ジオンの至高 逆襲のシャア前夜、ロンド・ベル寄港中の補給食堂 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
アクシズが地球から押し返された、その2日後。
港湾の端末は、まだ同じ調子で喋り続けていた。
交戦、終息。被害状況、集計中。
ロンド・ベル艦隊、一部艦艇が捜索活動を継続。
ネオ・ジオン艦隊、組織的な戦闘行動を停止。
言葉は少しずつ具体的になっていく。
艦艇の数。救命艇の識別番号。回収されたモビルスーツの機種。救難信号を最後に受信した座標。
それなのに、いちばん知りたいことだけは、いつまでも灰色のままだった。
「アムロ・レイ大尉、およびシャア・アズナブルの消息は、現在も確認されていません」
エル・ビアンノが、その一文を聞いて匙を持ったまま固まった。
「確認されてないって、どっちなの。生きてるってこと。死んでるってこと」
「どちらとも決められない、ということです」
リィナ・アーシタが答えた。
彼女の前には、いつも使っている表が置かれていた。けれど、どの欄にも何も書かれていなかった。
生存。死亡。負傷。所在。
用意した4つの欄のどこにも、「確認されていない」は入らなかった。
「欄を1つ増やせばいいじゃない」
エルが言った。
「不明、って」
リィナは首を横に振った。
「不明と書くと、それが1つの状態として確定してしまいます」
「実際、不明なんでしょ」
「そうです。でも、捜索中の不明と、記録が失われた不明と、誰も探していない不明は同じではありません。1つの欄に入れたら、違いが消えてしまいます」
エルは匙を椀へ戻した。
「じゃあ、どう書けばいいの」
「分かりません」
リィナは、珍しく即答しなかった。
「分からないことを、分からないまま置いておくのは、苦しいですね」
「苦しいよ。すごく」
エルが椅子の背にもたれた。
今日は、いつもの軽口が出てこなかった。
ファ・ユイリィは鍋の前に立っていた。
今日の献立は、3種類の雑穀を使ったスープだった。
大麦と黍、それに少量の燕麦。届いた時には同じ袋へ一緒に詰められていたが、ファは朝から、それを1粒ずつ選り分けていた。
「どうして分けるんですか」
私が聞くと、ファは大麦を指先で摘まんだ。
「火の通る時間が違うからよ」
大麦は水を吸うのが遅い。黍は煮崩れやすい。燕麦は長く煮ると、汁に強い粘りを出す。
3つを最初から同時に入れれば、黍が崩れ切った頃にも、大麦の芯が残る。大麦に合わせれば、今度は燕麦の粘りが強くなり、冷めた時に糊のようになる。
「雑穀は、まとめて煮れば雑穀になるわけじゃないの。それぞれが、水を吸う時間を持っているわ」
ファは大麦だけを先に鍋へ入れた。
塩は入れなかった。
「塩を入れないんですか」
「最初には入れない。塩を先に入れると、大麦の表面が締まって水を吸いにくくなる。今日は、噛む力が戻っていない人も来るでしょう。芯が残った粒は、弱った胃には負担になる」
大麦を煮ている間、別の小鍋で乾燥野菜を戻していた。
ただし、戻し汁をそのまま使うことはしなかった。
ファは布を2枚重ね、その上から静かに汁を注いだ。布には細かな褐色の粉が残った。
「それ、捨てるんですか」
「ええ。乾燥工程で砕けた皮と、保存中に酸化した細かな部分よ。旨味もあるけれど、今日は苦味の方が強く出る」
「全部使った方が、栄養があるんじゃないの」
エルが聞いた。
「全部使うことと、全部食べられることは違うわ」
ファは濾した戻し汁を、大麦の鍋へ少しずつ加えた。
「食材を無駄にしないという理由で、食べる人に無理をさせたら、それは節約ではない。捨てなかったという満足を、料理する側が得ただけよ」
エルは言い返さなかった。
鍋の湯気を見ながら、もう1度、端末の表示へ目を向けた。
アムロ・レイ。消息未確認。
シャア・アズナブル。消息未確認。
2つの名前が、同じ書式で並んでいた。
「この2人も、同じ“不明”なんだね」
「端末の上では、そうです」
リィナが答えた。
「でも本当は、違うんでしょ」
「違うはずです。でも、何が違うのかを説明できる情報がありません」
ファが、2つ目の穀物を鍋へ入れた。
黍だった。
大麦が十分に水を吸い、指で押せば潰れるようになってから加えた。黍は鍋の中央ではなく、縁から静かに流し込んだ。
「なぜ、真ん中へ入れないんですか」
「中央は対流が強いの。煮崩れやすい穀物をそこへ落とすと、表面が急に剥がれる。汁にはとろみが出るけれど、粒の甘味が残らない」
「とろみは出したくないんですか」
「少しは必要よ。でも、それは燕麦に任せる」
ファは、最後まで役割を混ぜなかった。
大麦には、噛んだ時の香り。
黍には、舌の上で崩れる甘味。
燕麦には、冷めにくくするための薄いとろみ。
3つの穀物は同じ鍋に入っていたが、それぞれに違う仕事が与えられていた。
「同じ鍋に入っても、同じものにはならないんですね」
私が言うと、リィナが顔を上げた。
そして、端末に並んだ2つの名前を見た。
「同じ“不明”という欄に入れても、同じではない」
「そういう意味で言ったんじゃないんですけど」
「分かっています。でも、今はそう聞こえました」
ファは最後に燕麦を加えた。
木べらで1度だけ、鍋の底から大きく返した。その後は混ぜなかった。
「混ぜなくていいんですか」
「燕麦を入れてから混ぜ続けると、粘りが出すぎる。強いとろみは、熱い間は口当たりが良くても、喉へ落ちるのが遅いの。緊張が解けた後は、それだけで気分が悪くなる人がいる」
「アクシズが押し返されたから、緊張が解けたってことですか」
「押し返されたからではないわ」
ファは鍋の火を弱めた。
「もう何かが落ちてくるかもしれないと、体が身構えなくてよくなったからよ。頭が理解するより先に、体が力を抜く。その時に、胃も一緒に動きを変える」
彼女は小皿を2枚、私たちの前へ置いた。
1枚には、最初からすべての雑穀を一緒に煮たスープ。もう1枚には、今作ったスープが入っていた。
「食べ比べるの」
エルが聞いた。
「ええ。今日の献立を決める前に、朝、2つ作っておいたの」
最初のスープを口にした。
汁には強いとろみがあり、舌へまとわりついた。黍はほとんど形を失っていた。一方で、大麦には硬い芯が残っている。
味が悪いわけではなかった。
むしろ濃く感じた。少ない穀物で腹を満たすなら、こちらの方が適しているようにも思えた。
次に、時間をずらして煮た方を飲んだ。
最初に薄い戻し汁が舌へ触れた。続いて黍が崩れ、小さな甘味が広がった。大麦を噛むと、穀物の香りが遅れて鼻へ抜けた。
燕麦のとろみは、汁をまとめる程度にしかついていなかった。
飲み込んだ後、口の中に味が残らなかった。
エルが首を傾げた。
「こっちの方が薄い。でも、もう1口飲みたくなる」
「濃い味は、1口目に答えを出すの」
ファが言った。
「塩味、甘味、香り。最初から全部を強くすれば、食べた人はすぐに“おいしい”と判断できる。でも今日は、すぐに答えを出させる料理を作るべきではないと思った」
「料理にも、分からないまま置いておく味があるんですか」
「あるわ」
ファは火を止めた。
「1口で決めなくていい味。飲み込んでから、もう1度確かめたくなる味。今日は、その方が体に合う」
リィナも2つのスープを飲み比べた。
彼女は最初の椀を半分で置いた。2番目の椀は、話している間に空になっていた。
「栄養量は同じですか」
「ほとんど同じよ」
「塩分は」
「後の方が少ない」
「それなのに、後の方を多く食べられました」
「料理の価値を、1口当たりの栄養だけで測るから不思議に見えるの。食べ切れる量まで含めれば、結果は変わるわ」
リィナはいつもの表を引き寄せた。
生存。死亡。負傷。所在不明。
その4つの欄の横に、彼女は新しい欄を足した。
確認継続中。
「不明とは書かないんですか」
「書きません」
リィナは答えた。
「不明は、そこで記録が止まっているように見えます。でも、捜索が続いている限り、状態は動いています。分からないことと、何もしていないことは違います」
エルが、その欄を見た。
「それなら、少しだけまし」
「何がですか」
「待つ場所があるから」
昼過ぎ、港湾管理局から新しい通達が届いた。
北区倉庫群について、軍用補給区画としての指定を順次解除する。
解除作業中は管理要員が一時的に減少する可能性がある。
民間人の立ち入りは引き続き禁止する。
通達の末尾には、ロンド・ベル司令部の名が記されていた。ブライト・ノア大佐個人の言葉ではなく、司令部としての簡潔な通知だった。
「管理要員が減る」
リィナが読み上げた。
エルが立ち上がりかけ、椅子へ戻った。
「残された、あの子は」
「この通達には、何も書かれていません」
「じゃあ、分からないってこと」
「確認を続けるということです」
リィナは、新しく作った欄を指で叩いた。
「今度は、表を完成させてから行きません。完成した表は、そこに書かれていないものまで、存在しないように見せますから」
「また行くの」
「行きます。ただし、勝手に倉庫へ入ることはしません。管理指定が解除された区画を確認し、港湾管理局へ保護対象者の照会を出します」
エルは納得していない顔をした。
それでも、すぐに飛び出すことはしなかった。
「待っている間に、あの子がお腹を空かせてたら」
ファは鍋を見た。
「このスープは、再加熱できるわ」
「再加熱すると、味が落ちるんじゃないの」
「だから燕麦を入れすぎなかったの。粘りが強いスープは、冷えると固まり、温め直す時に水を足さなければならない。水を足せば味も栄養も薄くなる」
ファは蓋を閉じた。
「大麦も完全には潰していない。温め直す時にもう1度水を吸う余地を残してある。今食べる人だけでなく、後から来る人の分まで考えるのが、大鍋の料理よ」
「来るかどうか、分からないのに」
「分からないから、残しておくの」
ファは当然のことのように言った。
「必ず来ると決めつけて大量に盛れば、来なかった時に捨てることになる。もう来ないと決めつけて火を消せば、来た時に間に合わない。だから鍋に残し、火から下ろし、再加熱できる形にしておく」
エルは黙って、鍋の蓋を見た。
「それも、確認継続中ってこと」
リィナが言った。
「たぶん、そうです」
夜になっても、新しい発表はなかった。
端末には、同じ表示が残っていた。
アムロ・レイ大尉、消息未確認。
シャア・アズナブル、消息未確認。
私たちは、答えの出ない2つの名前を前に、夕食を食べた。
ファは、昼より少しだけ温度を下げてスープを出した。
「昼と同じ料理ですよね」
「同じ鍋の料理よ。でも、同じ状態ではない」
時間がたち、大麦はさらに水を吸っていた。昼より粒が柔らかい。黍の甘味は汁へ溶け、代わりに大麦の香りは弱くなっていた。
ファは温め直す直前、乾煎りした大麦を少量だけ加えていた。
新しく加えた粒は食べるためではなく、香りを戻すためのものだった。
「昼より、香ばしい」
エルが言った。
「失った香りを、塩で補わなかったのよ。冷めた料理を濃く感じさせようとすると、たいていの人は塩を増やす。でも失われたのが香りなら、戻すべきなのは塩味ではなく香りでしょう」
「味が足りない時に、塩を入れればいいわけじゃないんですね」
「何が足りないのかを確かめずに塩を入れるのは、分からない欄へ適当な答えを書くのと同じよ」
リィナの手が止まった。
それから、自分の表の「確認継続中」という欄を見た。
「分からないからといって、空欄を何かで埋めてはいけない」
「料理でも、記録でもね」
誰も、それ以上は話さなかった。
その日の雑穀スープは、最後まで冷めなかった。
強い味ではなかった。豪華な材料も使われていなかった。
それでも、黍が舌の上でほどけるたびに、もう1口だけ飲める気がした。大麦を噛むたびに、まだ噛む力が残っていることが分かった。
椀の底には、燕麦の薄いとろみが残っていた。
それは答えではなかった。
ただ、ばらばらの穀物を1つのスープとしてつなぎ止めていた。
食べ終わった椀を、ファは1つずつ洗った。
「今日の皿は、全部片付きましたね」
私が言うと、ファは首を横に振った。
「ここにある皿はね」
彼女は、再加熱用に取り分けた鍋を見た。
「でも、まだ食べる人が戻っていない皿が、この街のどこかにある。誰のものか分からないからといって、片付いたことにはできないわ」
「いつまで残すんですか」
エルが聞いた。
「安全に出せる時間までよ」
「その後は」
「その時に、もう1度考える。待つことと、傷んだ料理に執着することは違うから」
ファは保存時刻を容器へ記した。
希望だけで料理を腐らせない。
諦めだけで鍋を空にしない。
待つためにも、技術が必要なのだ。
私は手帳を開いた。
今日は、書いた。
分からないことを、分からないまま置く日があった。
1口ですべてが分かるような、強い味は出さなかった。
違う時間を持つ穀物を、違う順番で鍋へ入れた。
失われた香りを、塩でごまかさなかった。
後から来るかもしれない誰かのために、温め直せる余地を残した。
分からないとは、何もしないことではない。
答えが出るまで、傷ませずに待てる形を作ることだ。
それでも、鍋の火は消さなかった。
火をつけ続けたのではない。
必要な時に、もう1度つけられるようにしておいた。