機動戦士ガンダム 逆シャア前夜の子供食堂 ――キッカの家―― 〜宇宙世紀0092-0093、サイド1・ロンデニオン外縁区〜 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
港の冷蔵倉庫への潜入は、温暖設定日の地域行事に合わせて決まった。
人が多く、警備も散る。海辺の広場では子供向けの催しが開かれ、スイカ割りまであるという。
地域行事といっても、公式な祭りではない。港湾労働者の家族向けに開かれる小さな慰労会で、大学と商店街が協賛しているだけだ。だからこそ警備は緩く、出入りする人間も多い。物資搬入、屋台、清掃、子供の見守り。どの役割にも紛れ込める余地があった。
「変な作戦」とエル。
「目立つ場所ほど、逆に隠れられる」とリィナ。
祭りの喧騒の中、キッカは子供たちの相手役に回り、エルとリィナが倉庫周辺を探る。ステファニーは事務所の回線へ偽の問い合わせを送りつける。ミリーは食材搬入の人足に紛れた。
ミリーは搬入箱の底に、小さな布袋を隠していた。中身は干し肉と固いパン、そして子供用の薄い上着。もし倉庫の中に保護対象がいた場合、逃げる途中で食べさせるための最低限の準備だった。救出は走るだけではない。走れる状態にするところから始まる。
祭りの余興として始まったスイカ割りで、キッカが目隠しのままやたらと正確に棒を振り下ろし、見事に真っ二つにすると、子供たちが歓声を上げた。
「ニュータイプかよ!」とエルが笑う。
「違うよ。音と匂い」
キッカはそう言って笑ったが、その直後、彼女の表情が変わる。
キッカはニュータイプという言葉を軽く受け流した。だがミリーには、その一瞬の反応が少しだけ気になった。彼女は勘が鋭い。けれど、それを特別な力として誇ることはしない。むしろ、音や匂いや人の表情を拾い集めて、そこから危険を読む。後に彼女が人を見る仕事へ進むなら、その始まりはこういう細かな観察だったのかもしれない。
「……ミリー、左」
その一言で、ミリーは反射的に身をずらした。
次の瞬間、倉庫の裏口から出てきた男とぶつからずに済んだ。目隠しを外したキッカは、遠くからこちらを見て小さく頷く。
本当に勘が鋭いのだ。
倉庫の奥には、少年がいた。サラの兄だった。
だが同時に、他にも何人かいた。しかも一部はすでに輸送タグを付けられている。
輸送タグには名前がなかった。番号と行き先、重量区分に似た記号だけが印字されている。人ではなく荷物として扱うための記録だ。ミリーはその札を見た瞬間、胸の奥で冷たいものが燃えるのを感じた。名前を消すことは、助けを呼ぶ声を奪うことと同じだった。
全部は救えない。
その現実が、喉を締めた。
「三人まで」とリィナが低く言う。「今の人数と経路じゃそれが限界」
「でも!」
「全員で捕まればゼロよ!」
ミリーは唇を噛み、震える少年たちを見た。
ベルファストの雨が蘇る。選べなかった、助けられなかった顔。
その時、キッカが現れた。
祭りのざわめきを背に、彼女は迷いなく言う。
「全部連れてく」
「無茶ですわ!」とステファニー。
「分かってる。でも見捨てたら、ここは家じゃなくなる」
その言葉で全員の覚悟が決まった。
祭りのスイカが割れる音を合図に、エルが非常ベルを引き、リィナが通路の電源を落とし、ステファニーが倉庫台帳を書き換える。混乱の中で、ミリーは子供たちの手を引いて走った。
混乱は長く続かない。三分もすれば、訓練された警備は状況を立て直す。だからミリーは走りながら、一人ずつ名前を聞いた。サラの兄、トーマ。小さな女の子、ミナ。膝を擦りむいた少年、ロウ。名前を呼ぶたびに、子供たちの足取りがほんの少しだけ戻る。自分が荷物ではないと分かるからだ。
最後に彼女が抱えたのは、一番小さな女の子だった。
その子は泣きながら呟く。
「おねえちゃん、おうちに帰りたい」
ミリーは息を切らしながら答えた。
「うん。帰ろう」
その日、彼女たちは八人を連れ出した。
無茶だった。だが成功した。
そしてその夜、広場で分けたスイカの甘さは、
その夜、キッカは救い出した八人の名前を手帳に書いた。横には、スイカを食べた時の反応も添える。甘いと言った子、種を怖がった子、皮まで齧ろうとした子。事件の記録だけなら、八人救出、追跡あり、負傷軽微で終わる。けれどキッカは、それだけでは足りないと知っていた。
今を生き延びた者だけが知る味になった。