機動戦士ガンダム 美味しんぼ ロンド・ベルの究極、ネオ・ジオンの至高 逆襲のシャア前夜、ロンド・ベル寄港中の補給食堂 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
体制変更の週が来た。
北区倉庫の軍用区画指定が解除され、管理がロンド・ベルから港湾管理局へ移る、その1日だけ。
ロンド・ベル司令部の通達にあった「良くも悪くも」の意味が、ようやく分かった。
「立入許可は20:00から20:30までです」
港湾管理局の職員が端末を見せた。
「旧警備班の撤収後、新しい管理班が倉庫内を確認します。残留者がいた場合は、保護手続きに移ります」
「30分」
エル・ビアンノが身を乗り出した。
「30分しかないの」
「30分もあります」
リィナ・アーシタが言った。
彼女は表を作らなかった。作りかけて、やめていた。
「今回は、表にしません」
「なんで」
「表を先に作ると、私はそこにある答えだけを探してしまいます。動ける、動けない。保護を望む、望まない。でも、人はそんなにきれいに分かれません」
リィナは鉛筆を置いた。
「今回は、その場で本人に聞きます。表より先に」
以前に貼った掲示の言葉が、こんな形で戻ってくるとは思わなかった。
ファ・ユイリィは、今日も薄い麦粥を用意していた。
見た目は前と同じだった。塩も香りも控えめで、湯気さえ弱い。
「同じ料理ですか」
私が聞くと、ファは首を横に振った。
「同じに見えるだけよ。前回は、その場で飲ませることを考えた。今回は、連れ出した後に温め直すことまで考えている」
ファは、30分置いた粥と、できたての粥を小皿へ取った。
できたての方はさらりとしていた。30分置いた方は、麦が汁を吸い、舌へ重く残った。
「同じ粥なのに」
エルが言った。
「粥は時間も材料にする料理よ。作った瞬間だけ見ていては駄目なの」
ファは麦の煮汁の上澄みを別容器へ移した。
「冷えて濃くなったら、水ではなく、これで戻す。水だけを足せば薄くなる。でも、麦の香りまで切れてしまう」
「塩は」
「まだ入れないわ。脱水しているのか、口の中に傷があるのか、それすら分からない。相手を見る前に味を完成させたら、料理へ相手を従わせることになる」
20:00。
港湾管理局の職員2人と医療担当者が、第4倉庫を開けた。
中は暗かった。
奥に、あの子がいた。
3月の初め、暗闇の中で動かなかった子。
今回は、動いた。
本当にわずかに。照明に気づき、体を丸めた。
「大丈夫」
エルが囁いた。
「今日は、勝手に連れていかない。出たいなら手伝う。まだここにいたいなら待つ」
その子は動かなかった。
ファが毛布を床へ置いた。手渡さず、手の届く距離へ置いてから下がった。
その子は毛布を見た。
それから初めて、自分から手を伸ばした。
「怖い」
小さな声だった。
「何が怖いですか」
医療担当者が聞いた。
その子は扉を見た。
「外」
通路の照明が落とされた。
暗い倉庫から急に明るい場所へ出さず、目が慣れる時間を作る。料理と同じだった。正しいものでも、一度に与えれば体が拒む。
20:18。
その子は保護された。
誰も走らなかった。追手もいなかった。
旧実習棟へ戻ると、ファは冷えた粥を小鍋へ移した。
麦の上澄みを少しずつ加える。木べらを持ち上げ、粥が1拍遅れて落ちたところで手を止めた。
「なぜ、その濃さなんですか」
「水のようなら喉へ急に入る。重すぎれば、舌で押さなければ飲み込めない。今は、その間がいい」
塩は鍋へ入れなかった。
粥と上澄みを、それぞれ別の器へ入れた。
「2つ出すんですか」
「飲むか、食べるか、何もしないか。本人が選べるようにするの」
その子は長い間、扉を見ていた。
エルが扉の近くへ座った。
「閉めないで」
「分かった」
エルは扉を少し開けた。廊下の光が入ると、その子の体が硬くなった。
エルはすぐに少し戻した。
「このくらい?」
返事はなかった。
だが、しばらくすると肩の力が抜けた。
それが返事だった。
夜遅く、その子は麦の上澄みに手を伸ばした。
1口。
口の中へ含み、時間をかけて飲み込んだ。
ファは2口目を勧めなかった。
「もっと飲ませなくていいんですか」
エルが聞いた。
「飲めたからこそ待つの。1口飲めたことと、2口目を受け入れられることは別よ」
10分後、その子は粥を1口飲んだ。
匙から急に流れず、舌へ重く残らない。冷える時間まで考えて作った粥だった。
「味、ない」
「ええ。ほとんどつけていないわ」
ファは薄い塩のスープを見せた。
「少し加えることもできる。今のままにもできる。今日はやめてもいい」
その子は考えてから言った。
「少しだけ」
ファは数滴だけ落とした。椀全体には混ぜず、片側を薄いまま残した。
「全部を同じ味にしないんですか」
「濃いと思った時、逃げられる場所が必要でしょう」
その子は塩を加えた側を1口飲み、次に薄い側を飲んだ。
「こっち」
薄い方を指した。
「分かったわ」
その選択で、料理はようやく完成した。
リィナが尋ねた。
「名前を聞いてもいいですか」
返事はなかった。
リィナは質問を繰り返さなかった。
しばらくして、その子が自分から言った。
「……ミナ」
たったそれだけの名前が、部屋の空気を変えた。
「ミナ、ですね」
リィナは鉛筆を持たなかった。
「記録に残してもいいですか」
ミナは白紙を見た。
「今は、やだ」
「分かりました」
リィナは紙を裏返した。
名前を聞けたことと、名前を書く許可を得たことは違う。
私は手帳を開きかけて、閉じた。
その夜、ミナは粥を4口飲んだ。
椀の半分以上が残った。
それでもファは、失敗とは言わなかった。
「今日は、食べ切らせるために出したんじゃない。自分で味を選び、自分でやめられることを確かめるために出したの」
人を助ける料理は、栄養を与えるだけの料理ではない。
食べる人から、選ぶ力を奪わない料理だ。
今日、1つの名前を聞いた。
けれど、まだ書かなかった。
鍋の中では、完成させないことが正解になる日がある。
記録にも、同じ日がある。
その夜、白紙には何も書かれなかった。
けれど、空白ではなかった。
そこには、ミナが自分で選んだ味と、「今は、やだ」と答えた時間が、確かに残っていた。