機動戦士ガンダム 美味しんぼ ロンド・ベルの究極、ネオ・ジオンの至高 逆襲のシャア前夜、ロンド・ベル寄港中の補給食堂 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
ミナが来てから、旧実習棟の空気は少し変わった。
新しい名前が1つ増えただけで、こんなに空気が変わるものかと、私は少し驚いた。
同時に、廊下の少女を思い出した。塩辛すぎた皿の日から、あの子はまだ扉の外にいる。
「今日も、いる」
エルが小声で言った。
廊下の角、いつもの場所。椀は数週間かけて、数cmずつ扉側へ移っていた。
「初日は扉から2m。先週は1m20cm。今日は50cmほどです」
リィナ・アーシタが記録を見返した。
ファ・ユイリィは、いつもの薄い麦粥へ、柔らかく煮た根菜を少しだけ加えた。
「具を入れるの」
エルが覗き込んだ。
「ええ。でも、角切りにはしないわ」
ファは根菜を細く刻み、包丁の腹で軽く潰した。
「粥と具の硬さが違いすぎると、舌は粥を先に飲み込んで、具だけを喉へ残す。形は残す。でも、舌で押せば崩れる硬さにするの」
「今まで、具は入れてなかったよね」
「入れていなかったわ。食べやすいものを同じまま出し続けるのが、いつも親切とは限らない。今日は少しだけ、噛む味を置いてみる」
ファは先に根菜だけを小皿へ取り、私たちに食べさせた。
ほとんど力を入れなくても崩れた。だが粥へ混ぜると、粒の端がわずかに舌へ触れた。
「味は同じなのに、急に料理らしくなった」
エルが言った。
「飲むものから、食べるものへ近づいたのよ」
ファは椀を、昨日より10cmだけ扉へ近づけた。
「向こうが近づいてくれた分だけ、こちらも近づく。それ以上は、料理を押しつけることになるわ」
午後、少女は廊下の角から1歩だけ踏み出した。
誰も声を掛けなかった。声を掛けた瞬間、その1歩が私たちのためのものになってしまう気がした。
少女は椀の前まで来て、しゃがみ込んだ。
両手で持ち上げ、口をつけた。
1口。2口。
3口目で、小さくむせた。
根菜の細片が、粥より遅れて喉へ触れたのだ。
エルの肩が跳ねた。
ファは動かなかった。
少女は椀を置き、息を整えた。それから、浮いていた根菜を匙の背で潰した。
4口目。
今度は、むせなかった。
ファが小さく頷いた。
「具が早かったんじゃない。こちらの刻み方が、まだ粗かったのね」
「同じことじゃないの」
エルが囁いた。
「違うわ。あの子が食べられないのではなく、この料理に直すところがある」
少女は、椀を空にした。
ファは残った1片を指で潰し、硬さを確かめた。リィナは食べた量ではなく、「3口目でむせた。自分で具を潰した」とだけ記した。
少女は空の椀を机へ戻し、初めて部屋の中を見た。
エル。リィナ。ファ。そして、私。
「……ありがとう」
小さな声だった。
誰に向けた言葉かは分からなかった。たぶん、誰か1人に向けたものではなかった。
言い終わると、少女は廊下へ戻った。
中には入らなかった。それでも今日は、扉のすぐ外で立ち止まった。
エルが椀を見つめた。
「名前、まだ聞いてない」
「うん」
「聞いていいかな」
「今日は、料理の方が先に名前を聞いてもらいました」
リィナが静かに言った。
「薄い粥。少しだけ残した具。あの子は、食べ方で答えてくれました。次はもっと細かく、と」
ファは頷いた。
「名前より先に、直すべき献立が分かったわ」
エルは椀を洗った。
内側に残った根菜の筋まで確かめながら、今までで1番丁寧に洗った。
夜、私は手帳を開いた。
3口目でむせた。
具を自分で潰し、4口目を飲んだ。
ありがとう、と言った。誰に、かは分からない。
名前は、まだ聞かない。
明日の根菜は、今日より細く刻む。
最後に、もう1行だけ足した。
近づくのに数週間かかった。
急がなくてよかった。
けれど、待つことと、同じ料理を出し続けることは違う。