機動戦士ガンダム 美味しんぼ ロンド・ベルの究極、ネオ・ジオンの至高 逆襲のシャア前夜、ロンド・ベル寄港中の補給食堂 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
ネオ・ジオンの組織的な戦闘行動が止んだと発表されたのは、4月に入ってすぐのことだった。
ロンデニオンの市場から、ネオ・ジオン使節団に関係する窓口が消えていった。掲示板が外され、閉じた扉には連邦政府の封印が貼られた。
その撤収物資の中から、小さな荷物が1つ、旧実習棟へ回されてきた。
白い布に包まれた香辛料の瓶と、音声記録。
記録の日付は、アクシズを巡る戦闘より前だった。
差出人の欄には、ナナイ・ミゲルとあった。
ファ・ユイリィが再生すると、ナナイの声が流れた。
「この香辛料を、まだ使っていないそうね」
棚の奥には、以前受け取った小瓶が置かれていた。封は1度も切られていない。
「使う機会がなかったわけではありません」
ファは、記録へ答えるように言った。
「使わないと判断する機会が、何度もあっただけです」
音声のナナイが続けた。
「理由を聞いておきたい。保存状態に問題があったのかしら」
「香りが強すぎたのよ」
ファは瓶を手に取った。
「この厨房へ来る人には、強い香りを受け止められない人もいた。良い香辛料だから使う、というのでは、料理する側の満足にしかならないわ」
音声は、当然、答えなかった。
ファは初めて封を切った。
甘い香りの奥に、土の匂いと鋭い辛みがあった。ほんの少量でも、部屋の空気が変わった。
彼女は同じ麦のスープを2つの小鍋へ分けた。
1つには、香辛料をそのまま加えた。
もう1つには、乾煎りしてから、布で包んで短時間だけ沈めた。
「同じ香辛料ですよね」
リィナ・アーシタが聞いた。
「ええ。でも、香りの出し方が違うわ」
そのまま加えたスープは、1口目から鮮烈だった。辛みが舌を刺激し、麦の淡い甘味を覆った。
乾煎りした方は、最初は何も感じなかった。
飲み込んだ後、温かな香りだけが鼻へ戻ってきた。辛みは弱く、麦の甘味も消えていなかった。
エル・ビアンノが、2つを飲み比べた。
「最初の方が、すごい味。でも、もう1口飲みたいのは後の方」
「強い香りは、1口で料理の印象を決めるわ」
ファが言った。
「でも、それでは食べる人が、自分で味を探す余地がなくなる」
音声記録の最後に、ナナイの声が入っていた。
「1つ聞きたい。あなたの『究極』は、結局、何を守る料理なの」
ファは少し考えた。
「1人の子が、2口目を自分で選べること」
誰に返すこともできない答えだった。
「大きなことは何も成し遂げていない。ただ、強い味で最初の1口を奪わず、その人が次を選べるようにした。それだけよ」
ナナイの記録は、さらに続いた。
「私の『至高』は、多くの人間を動かすためのものよ。限られた物資で兵を保ち、次の行動へ向かわせる。そのためには、誰にでも届く強さが必要になる」
ファは、香辛料を加えた2つの鍋を見た。
「多くの人を動かす味と、1人が立ち止まれる味。どちらも料理なのね」
「どちらが正しいんですか」
私が聞いた。
「食べる人と、食べさせる目的によるわ」
ファは答えた。
「戦場で冷えた体を動かすなら、強い香りが必要な時もある。でも、傷ついた人に同じ味を出せば、その香りが負担になる。料理に絶対の強さはないの」
ファは、新しく届いた瓶を開けなかった。
以前からあった瓶の隣へ置いた。
「使わないんですか」
「今日は、1つ開ければ十分よ」
「同じ香辛料なのに」
「同じだからよ。使えるものを全部使うことが、食材を尊重することではないわ」
エルが空になった2つの椀を見た。
「どっちが究極で、どっちが至高だったの」
「名前をつけた瞬間、味を決めつけることになります」
リィナが言った。
「今日は、どちらも必要だった。それでいいと思います」
ファは乾煎りした香辛料を、次の鍋へほんの少しだけ移した。
香りは残ったが、辛みはほとんどなかった。
「瓶は、どうするんですか」
「返す相手が確認できるまで保管するわ」
ファは新しい瓶を白い布で包んだ。
「ただし、待っている間に香りを損なわないよう、光と熱から守る。分からないまま置くことと、何もしないことは違うから」
音声記録は、ナナイの消息を何も教えてくれなかった。
戦闘後、どこへ行ったのか。生きているのか。
最後まで、分からなかった。
私は手帳を開いた。
至高の香りが、2つ届いた。
1つは開け、1つは開けなかった。
強い香りを弱めたからこそ、麦の味が残った。
究極と至高のどちらが正しかったのかは、分からない。
ただ、次の1口を選べる味だけが、今日の鍋に残った。
分からないまま、次の鍋を火にかける。
それでいい。