機動戦士ガンダム 逆シャア前夜の子供食堂 ――キッカの家―― 〜宇宙世紀0092-0093、サイド1・ロンデニオン外縁区〜 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
冬至の日。
寒さが骨に染みるようになり、子供たちの咳も増えた。ミリーは大鍋でカボチャを煮ながら、火加減を見つめていた。ほろりと崩れる寸前がいちばんいい。
ステファニーは、珍しく静かだった。
「父から連絡が来ましたの。わたくしの帰還手続きは、すでに完了していますの」
皆が顔を上げる。
「ニューホンコンへ戻れと。ロンデニオンも危険になる。シャアが本格的に動く前に、地上と月の物流拠点を整理するそうですわ」
「つまり、令嬢回収命令」とエル。
「雑ですけれど、概ねそうですわね」
キッカがそっと聞く。
「行くの?」
ステファニーはすぐに答えなかった。
目の前のカボチャの煮物を見ている。
「ここで食べたもの、全部覚えていますの。卵の熱、もやしの歯触り、シチューの匂い、焼き芋の煙。数字ではなくて、誰かの手が入った食事」
彼女は箸で一切れをつまみ、口へ運んだ。
「……これを知ってしまった以上、ただの部品には戻りたくありません」
ミリーは鍋の蓋を閉じながら言った。
「なら、戻らないでください」
皆が彼女を見る。
彼女は続ける。
「必要なのは肩書きじゃなくて、ここに残るかどうかです。残るなら仲間です」
ステファニーは珍しく目を潤ませ、顔を背けた。
「本当に、無礼な方ですわね」
だが、その声は少し震えていた。
その夜、彼女は決めた。
学園祭の売り上げとルオ商会の灰色ルートを使って、子供たちのための冬物と医薬品を調達する、と。実家に戻る前に、できる限りのものを残すつもりだった。
しかしその矢先、地下通路の見張りに立っていたエルが、息を切らして飛び込んできた。
「裏の搬入口、こじ開けられてる!」
鍋の中で、カボチャが小さく煮崩れる音がした。
一瞬で、部屋の空気が張り詰める。
「見られたの?」とキッカ。
「まだ中までは来てない。でも時間の問題」
リィナはすぐに地図を広げた。
「地下通路を今夜で閉じる。子供たちは分散。古本屋の二階、修理工場、パン屋の裏、農園の小屋……」
「小屋は危険ですわ」とステファニーが即座に切る。「以前荒らされていますもの」
「なら港外れの保税倉庫」と彼女は続けた。「ルオ商会名義の休眠区画があります。今ならまだ使えますわ」
全員が彼女を見る。
「それ、使ったら足がつくんじゃ」
エルの言葉に、ステファニーは静かに答えた。
「だから、これがわたくしの覚悟ですの」
その声音には、もう迷いがなかった。
キッカが、ゆっくりと頷く。
「……わかった。使おう」
ミリーは鍋の火を止めた。
まだ温かいカボチャの煮物を、大皿ではなく小さな保存容器に分け始める。
「今、食べさせます」
「え?」
「移動の前に。空腹だと、子供は歩けない」
誰も反対しなかった。
甘く煮えたカボチャは、ひとくちで食べられる。
不安で強張っていた子供たちの喉を、やさしく通っていく。
小さな手が器を包むたび、ミリーはこの味を覚えていてほしいと思った。
逃げる夜の直前でも、温かいものを食べた記憶を。
「ミリー」
キッカが荷造りをしながら言った。
「なにがあっても、はぐれないで」
「はい」
「ステファニーも」
「ええ」
だが、ステファニーは少しだけ笑って付け加えた。
「ただし、最後に残るのはわたくしですわ。倉庫の鍵も、ルートの認証も、わたくししか持っていませんもの」
「危ない」とミリーが言う。
「危なくないことなんて、もうありませんわ」
静かな言葉だった。
けれどその中に、彼女がこの家の一員になったことがはっきりとあった。
その夜、子供たちは三組に分かれて移動した。
キッカが先導し、リィナが順路を見て、エルが小さい子を背負い、ミリーが最後尾で人数を数える。ステファニーは大学構内に残り、あえて記録端末へ偽の動線をいくつも流した。
追手が旧実習棟へ踏み込んだのは、彼女が最後のロックを外した直後だった。
「止まりなさい!」
警備の怒声。
だがステファニーは振り返りもせず、冷たい声で言った。
「そちらこそ。無許可でルオ商会管理区画の情報網に侵入したこと、正式に抗議させていただきますわ」
相手が一瞬ひるむ。
その一秒が、全員を逃がした。
保税倉庫に全員が揃ったのは、午前二時を回った頃だった。
冷たい床に毛布を敷き、子供たちが眠りに落ちるのを確認してから、ようやく皆が息を吐く。
そのとき、ミリーは保存容器のひとつを開けた。
まだ少しだけ温かい、カボチャの煮物。
「食べましょう」
誰も何も言わず、ひとくちずつ口にした。
冬至の甘みが、逃げ延びた安堵と混ざって、胸の奥へじんわり沈む。
ステファニーは目を閉じて呟いた。
「……この部屋の匂いを思い出せば、たぶん、どこへ行っても足はすくみませんわ」
それは、別れの前触れのようにも聞こえた。